塩にて淵を埋む如し |
((人魂灯|じんこんとう))を拾ってからというもの、冥界からのお客さんが増えた。といっても、僕があの道具を拾ったせいで幽霊に囲まれる生活を余儀なくされ、そのためにさんざん寒い目にあわせたことを負い目に思ったらしいあの少女――魂魄妖夢一人だけではあるのだが。
それにしても彼女は災難に見舞われることが多い。人魂灯という非常に大切な道具をあっさり落としてしまうし、初めて店に来たときも屋根雪に埋もれてしまうし。冥界、つまり黄泉の国で働いているのだから、たまには穢れを祓った方がいいのではないだろうか。
そもそも『穢れ』とは『気枯れ』のことであり、死に及ぶ病気・事故の経過や、それに起因する悲しみ、苦しみ、寂しさなどで『気』が『枯れてしまった』状態を指す。したがって、死者や遺体そのものを穢れたものとするのは間違いである。
死者の国である黄泉の国から戻った((伊弉諾尊|いざなぎのみこと))は、自分の体に付いた黄泉の国の穢れを祓うため海水に浸かって禊祓いを行ったという。海水、つまり塩には神の力が宿っているのだ。
――カランカラン
「霖之助さん、居るかしら」
霊夢が来たようだが、今日は客なのだろうか。いつものように騒ぐだけ騒いで、商品をツケで持って行かれると非常に困る。
「塩が欲しいんだけど」
お客様であったようだ。
「いらっしゃい、ちょうど塩のことを考えていたんだ」
神事には塩が必須だ。博麗神社の巫女である霊夢だから、塩のことに関しては僕よりも詳しいかもしれない。
「最近は霖之助さんのとこでも塩を扱ってくれるから助かるわ」
「ここ数年、塩の供給が増えて入手が容易になったからね」
幻想郷には海がない。だが人里近くの山奥に小さな塩泉が湧き出していて、そこから僅かばかりの塩を製造していた。したがって長年慢性的な塩不足が続き、人間だけでなく妖怪も頭を悩ませていた。
ところが最近になって外の世界から塩が舞い込んでくるようになった。僕がこうやって人に塩を分けられるほどに、幻想郷での塩の価値は暴落。もちろん人間も妖怪も手放しで喜び、その恵みを享受しているのだが――。
「でも、幻想郷に塩が入ってきてるって事は、外の世界で塩が必要なくなってきているってことよね。いったいどうやって穢れを祓っているのかしら」
そもそも塩がないと人間が生きていけないのは、穢れを清めることが出来ないからだ。気が枯渇すると病を引き起こし、やがて死に至る。
「それに、食べ物だって保存できないじゃない」
塩は食べ物の腐敗の進行を妨げることが出来る。これも穢れを祓うことに通じている。
「そこにある大きな箱。冷蔵庫というんだが、それで食べ物の腐敗を防げるらしい」
「へぇ……これでねぇ。私にはただのタンスにしか見えないけど」
霊夢は訝かしそうに扉を開け閉めしてから、肩をすくめてみせた。
「この冷蔵庫の登場で、塩はその役割を大きく奪われたようだ。最近では健康に悪いものとして排除され始めているという話もある。『減塩』という言葉が出来るほどにね」
確かに大量に摂取すると健康には悪いかもしれない。だが、それはどんな食べ物でも同じなのだ。
「ふーん。でも神事ではどうしてるの? 塩が必要でしょう?」
「これは本に載っていたことなんだが、外の世界では塩に関して何か大きな誤解があるようだね」
「誤解?」
「塩を使って清めることが境界を作り、そのことで死者を穢れとして間接的に冒涜している、とね」
「酷い勘違いね。気枯れた状態から元の正常な日常に戻るために塩を使うのよ。むしろ境界をなくすために使われているのに」
「うん、そのとおりだ。どうも外の世界では穢れを"汚れ"と勘違いしている節がある」
僕は霊夢に塩を渡すと、ついでに彼女の前へ掌をさし出した。
「それで、今までのツケの話なんだが」
「しょうがないわねぇ。じゃぁ、これ」
そういうと霊夢は僕が渡した塩を少しだけ返して、そそくさと店を出て行った。
僕は大きく溜息を吐いた。霊夢がツケを返してくれるなんて期待は全くしていなかったが、まさかこんな風に返してくるとは思わなかった。魔理沙のツケもたまる一方だし、こうしてまた一つ『気枯れ』てしまったのだ。
僕はその足で店先に出ると、霊夢から渡された塩を撒いた。
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東方香霖堂の第十三話『幽し光、窓の雪』あと辺りのお話。 | ||
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