熱砂の海 6
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 水場に入る道の両側に避難していた村人たちが群れるように集まっていた。

 メルビルとザバ、そして数人の傭兵が走竜に乗ってやってくると、誰もが説明を求める瞳で彼らに注目する。

「ザバ!」

 人垣の中からバシューが駆け寄ってきて、

「よかった。よかった、あんたが生きてて……」

 バシューの泣き出しそうな瞳は、戦友を亡くした時以来だった。

「中か?」

「た、たぶん。……で、あれは誰の飛竜で?」

 だが問いながらバシューは知っていた。

 いやバシューだけでなく、ここに集まった者すべてがあの飛竜が人の手により育てられたものでないことを。

「確認してないのか?」

「あれがまだ……中にいる」

 ザバの視線が水場の奥へと移る。

 だからバシューも中に入るに入れず困っているのだろう。普通の倍はあろうかという野生の飛竜である。傭兵とは言え怯むのも頷ける。

 その時、ザバの隣に立っていたメルビルが無言で歩き始めた。村人たちが両側に立ち並ぶ道を歩き、水場の中へと消えた。

「い、いいのか。ザバ」

 メルビルを見送ったザバは複雑な笑みを見せ、

「心配ない」

 それはバシューに答えたと言うより、自分に言い聞かせた風であった。

「バシュー、兵の数を確認を」

「あ、ああ……」

 不安気なバシューがゆるゆるとその場を後にすると、

「心配ありません。敵は去りました。一日始まる時間ですが皆少し休むといいでしょう」

 ザバの言葉に村人たちは家へと戻っていった。

 見た事のないほど大きな野生の飛竜が飛び去った今、暗黒神の化身と言われるアルディートには興味がないどころか姿も見たくないからだった。

 

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 昨夕と同じ道を辿り、視界が開けた場所まで来ると、泉の中央にある岩場の上に憮然と座るアルディートと彼を包むように翼を拡げた飛竜がいた。

 茶色味を帯びた皮膚を持つ普通の飛竜とは違い、アルディートの背後の巨大な飛竜の皮膚は黒味がかっており、見れば暗黒神に付き従う翼を持った魔のようであった。

 立ち止まり、美しさと怖さの同居した一枚の絵画を見るようにその風景をしばらく眺めていたが、メルビルの姿に気づいたアルディートの不機嫌さが倍増したような表情に喉の奥で笑って足を進めた。

「おまえの飛竜か?」

「違う。見れば分かるだろう」

 棘が見えそうなほど険のたったアルディートの声音だった。

「こいつ、ここから離れない。おまえ飛竜に乗ったことはあるだろう? 何とかしろ」

「あるが人の手で育てられ騎乗用に訓練されたものにしか乗ったことはない。そうだな、離れてくれるよう頼んでみたらどうだ?」

 笑みを浮かべるメルビルにいっそう不快感を感じ、言葉が通じるわけがないと悪態をついてからとりあえず口にしてみた。

「離れろ」

 だが飛竜はじっとアルディートを見つめるようにしているだけで、離れようとしない。それどころか翼を狭め圧迫してくる。

「…………」

 飛竜は静かにアルディートを見つめているが、アルディートは睨み付けていた。

 その両者の関係がなぜだか楽しく見え、メルビルは小さな笑みをこぼした。

「何がおかしい」

「いや。礼は言ったか?」

「礼?」

「助けてもらったろう」

「助けてくれと、オレは言わなかった」

「心の中でもか?」

 メルビルの言葉に沈黙し、間をおいてアルディートは小さな声で礼を言った。

 飛竜は嘴を天に向け、一声高らかに鳴くと翼を広げた。

「こいつ……」

 ワンワンと耳鳴りする両耳を押さえながら、

(こいつ……礼を言わせたかったのか? 気づかなかったオレにイヤガラセで耳元で甲高く鳴いたのか)

 と思ったが口には出せなかった。

 だがそれを感じ取ったのか、飛龍はもう一度高く長く鳴くと泉の水を波立たせて宙に舞った。

 眼下のアルディートとメルビルを見、天高く舞い上がると飛竜は蒼い空の彼方に消えた。

 馬鹿にされたような気がしてアルディートは腹を立てたが、メルビルは人の言葉を解することが出来るらしい飛竜の消えた空を見上げていた。

 文句を言い続けていたアルディートの口数が減り、やがて無言になると、メルビルは視線を空からアルディートに移し静かに微笑みながら泉の中に入るとアルディートの前で立ち止まった。

「掴まれ。その傷では歩けまい」

 言われて視線を落とすと、右足の傷口からひどく出血している。

「おまえの怪我を知って人間が来るのを待っていたのかもしれぬな」

 マントの裾を切り裂き傷口をしばる。

 応急処置を終えて立ち上がろうとしたが、バランスを崩しメルビルの差し伸べた腕の中に倒れ込んでしまった。

 不快感にアルディートは舌打ちし、身を離そうと両手に力を込める。

「不慮の事故、ということで手を打ってはどうだ?」

 そう言って笑みを浮かべるメルビルの腕に、不本意極まりないといった表情を浮かべて体を預け、アルディートは岩山から泉の畔へ場所を移した。

 草の上にアルディートを座らせる。

 不快、不本意を隠せないアルディートを見下ろし、

「腕を見るつもりで来たが……」

 言葉を切ったメルビルにチラと視線を向け、

「監査役は監査の仕事だけしてさっさと帰れ」

「そう言われると居座りたくなる」

「のんびりしていけと言えばそうするんだろ?」

「無論」

「王都にいるご老体はさぞ寿命が縮んでいるだろうな」

「心配性だが皆心臓に毛が生えている」

「生えさせたのはお前だな」

「父だと思うが?」

「親子二代、迷惑なことだ」

「それが生き甲斐になっているかもしれない」

「自分勝手な考え方だ。お前、よほど良い生まれなんだな」

「そういう生き方は出来なかったか」

 メルビアンの問うような言葉にしかしアルディートは無言だった。

「これから私を真似てみるといい」

 反論せずにメルビアンに睨む視線を向けるが、その時はもう背中を向けて歩き出していた。

 

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 メルビルが水場から戻って来た時、そこにいたのはザバだけだった。

 アルディートの安否を問わず、ザバは深く礼をとる。

「あれが気にならぬのか?」

「重症でしたらお呼び下さいますはず。そうでないなら会話を楽しんでおられたのだと予想いたしますが」

 苦笑を浮かべメルビルが口を開きかけた時、メルビルの元に鳥が迷うことなく舞い降りてきた。

「エウラガール、久しいな」

 精悍な顔つきをした鷹が、メルビルに甘えるような鳴き声をあげた。

(迎えが来たか……)

 その鷹の主人が臣下のマウラールである。

 彼が近くまで迎えに来ていることを知らせるためにメルビルの元へやってきたのだと理解した。

「――ザバ」

 鷹を眺めやっていたメルビルの視線が移った。

「あれを私の側に呼ぶぞ」

「何故私にお話下さいますのか」

「おまえは兄代わりであろう」

「そうでは御座いますが」

「よいな」

「否とは申せませぬ。陛下のご命令とあれば」

 ザバの返答に怪訝な表情を見せた。

 王城に呼ぶと言うことは、アルディートの姿を万人にさらすことになり、また完全な自由を失うことでもある。そんな命令を甘受することは、この男には似つかわしくないと思っていたからだった。

「――お許し下さいますならば、ひとつ質問をさせて頂きとうございます」

「何だ」

「何をお望みでございましょう」

 三度目でようやく声にすることが出来た問いだった。

 沈黙があった。

「――逢う前ならば戦のためと答えられたがな。今はそれだけではない」

 僅かにザバは目を見開き、そして伏せた。

「気に入らぬか?」

「私は当事者ではございませぬ。私の意は無用かと」

「あれは嫌がるだろう。だがそれも一興」

「私はこの国の未来には興味が御座います」

 ザバの返答に満足した笑みを浮かべると、

「負傷兵が多かろう。迎えは必要なかったが、兵力が足らぬとなれば好都合。傭兵部隊で唯一正規軍に属するおまえだ。後はうまくやってくれるな」

 では、アルディートをすぐに連れて行くつもりなのだろうか?

 その問いは口に出来なかった。

「微力を尽くしまして」

 会話はそこで途切れ、連れだって歩くと王が騎乗するに相応しい走竜が主を待っていた。

「お気をつけ下さいませ」

「何、すぐそこにうるさい者共がいる。後を頼むぞ」

 言い残してメルビルは去って行った。

「さて………」

 水場でまさか殴り合いがあったとは思えないが、アルディートが烈火の如く怒り狂っているという予想は出来た。

「兵を任されるのは容易いが……。不意を突いて意識を奪って運び、あとは素知らぬ顔をする策が最善かもしれませんね」

 無責任なことを呟くと、ザバは少し重い足取りで水場の奥へと入って行った。

 

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「なんだとっ!」

 監査役のメルビルが突然帰ってから五日。

 誰もがあの時の事――巨大な飛竜がアルディートを助け、ザバがアルディートを肩に担いで本営に戻ってきた事――を口に出さずにいたため、アルディートも不快な出来事を忘れる努力が実りつつあった。

 が、それを上回るアルディートを激怒させる事件が起きた。

「こちらが陛下直々の書にございます」

 そう言って差し出された書類には確かに『上宮』の文字があり、王の署名もあった。

「何か勘違いしてないか? オレは女じゃない。男の隣に寝床を設ける趣味はない」

「…………」

 書類を差し出したサルファーム自身、アルディート・アッスレイという暗黒神の化身と呼ばれる男を王城に呼ぶという事以外知らされてなかった。それだけに渡された書類を広げ読み上げる時、間違いではないかと思い躊躇したほどだった。

 思い出してみれば、この書類を手渡したオルトローフが複雑な表情をし「連れて来るのではなく、伝えるだけでよいという陛下のお言葉だ」と言っていた。

(だから……きっと間違いではないのだ……)

 冷や汗をかきながら、サルファーム自身気持ちを落ち着かせるために心の中で呟いた。それでなくても漆黒の髪をした男の怒る様は、恐ろしさに震えが走るほどである。

 集まった誰もが沈黙を守り、書類を睨み付けるアルディートを見ていた。

 手にしてた書類をサルファームの目の前に付きだし、大きな音をたてさせてアルディートは破り捨てる。

「お、お……王命を………」

 怒りが自分に向けられているような錯覚に陥ったサルファームは、全身が小刻みに震えるのを止めることが出来なかった。

「さっさと城へ帰れ! これがオレの返事だと伝えるのを忘れるな!」

 呆然とする傭兵たちの間をかき分けてその場を後にした。

 王命に従わぬ者など、王自身の手による命令書を破り捨てる者など……いない。

 この結果をどう伝えるか、伝えてよいものか、伝えれば自分が罰せられるのではないかと思うとサルファームは恐ろしくなってしまった。

「これくらいのことは、陛下は予想しておられましょう。何、すぐに出立させる故、安心して帰られるがよろしいかと」

 サルファームに近づいたザバが耳打ちすると、すがるような瞳でザバを見た。

「本当ですか?」

「喜んで行くとは思えませんが」

「と、とにかくお出で頂ければ……」

「それは心配ありません」

「で、では……、よろしくお願い致します」

 そう言って慌てて走竜に乗り込んだ。

 一刻も早くこの場から立ち去りたかったのだろう。

(無理もない……。しかし陛下もよくお分かりだ。軍人として登城を命令してはアルディートは決して行かぬ。その点『上宮』ならば……)

 去って行く使者の後ろ姿を見送っていたザバだったが、背後のどよめきに振り返ると走竜に身を躍らせたアルディートが、怒りの形相で使者の去った方向を凝視していた。

「アルディート!」

 騎乗しどうするのかと尋ねる。

「一発、殴ってやらなきゃ気がすまない」

「えっ?」

 ザバを除く傭兵たち全員が声を出すか出さぬかの違いでそう叫んだ。

 その言葉に、あの日から国境警備に合流した正規軍の指揮官がザバを隔ててアルディートに向かって言い放った。

「陛下になんと畏れ多いことを」

 必要最低限しかアルディートに近づかない逃げ腰の将校を、アルディートは鼻先で笑う。

「ザバ、後を頼む」

「私に頼まれましても……」

 困った表情のザバを置き去りに、アルディートは走竜の腹を蹴った。

(陛下の思惑通りということか。アルディートは殴った後の事など考えてないのだろうが。――あの勢いではサルファームより先に王城に着いてしまうかもしれないが、それもまた面白いかもしれぬ)

 こうしてザバは王城へ向かう二人目の旅人を見送った。

 

「さて――」

 頭を掻きながら自室に戻ると、予期していたこの日のために整えてあった旅支度をすると、三人目の旅人になるべく外に出た。と、そこには走竜に騎乗した傭兵たちが居並んでいた。

「なんだ、敵襲か?」

 ザバは笑みを浮かべながらバシュー以下傭兵たちに尋ねる。

「ズルいぞ」

「一人で見物に行こうって腹だろ」

「報奨金が支払われてから誘うつもりでいたが」

「見せ物が終わっちまう」

 傭兵たちをかき分けて、ウォールトがザバの走竜を引いてきた。

「感謝を述べていたと、機会がありましたら陛下にお伝え下さい」

 この中で唯一、メルビルがアザラの王であることを知るウォールトがザバに耳打ちした。

 それに頷くとヒラリと走竜に騎乗する。

「いいのか?」

「給料の三ヶ月や五ヶ月、国王を殴り飛ばすところを見られるなら惜しくない」

「飯の保証させしてくれれば、一生ただ働きでもいいぜ」

「では見逃さぬよう、行くか」

 そう言って傭兵たちを省みる。

 誰もが頷いていた。

「――という訳ですので、後はよろしくお願い致します」

 状況変化に付いてゆけない正規軍将校は、ザバが促すままに頷いた。

「飛ばすぞ!」

 ザバの一声に走竜が疾駆を始めた。

 

 

 

                            熱砂の海 〜 結

説明
【本編にて完結】
 飛竜に助けられたアルディートはまたメルビルと不愉快な会話を続けることになる。
 そしてようやくメルビルがいなくなったかと思えば――。

熱砂の海 5 → http://www.tinami.com/view/318055
シリーズ次作 → 見えない夜 http://www.tinami.com/view/319687
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