新世代の英雄譚 十話 Day1 |
十話「彼との三週間 - Story of Loretta」
Day1 彼との初仕事
あたしは、誇り高い性格をしている。
その理由は貴族だから、とは思わない。
一応、爵位のある家庭に生まれはしたが、騎士の家系だ。
その生活は人々がイメージする貴族令嬢のそれとは大きく異なり、およそ華やかとはいえないものだった。
だからこそ、従騎士になり、弱冠十五歳で近衛隊に入れた時は、嬉しかった。
お姫様扱いをされるのは自分ではないが、主君と共に、華やかな社交界の空気を吸うことが出来、その間のあたしの生活は身に纏う銀色の鎧と同じ様に、輝いていた。
女で、しかも若いのに、王族の一人をお守りする身分に居る。
その自信と、責任感が、あたしの騎士道精神を強固なものにしていった。
気付けば、堅物と呼ばれても反論ができない程にあたしは「騎士」になっていた。
利き腕を潰され、爵位を失った今でも、あたしは騎士だという意識を失っていない。
それは美徳だと思っていたが、村を出てから、その認識は揺らいでいる。
そして、この仕事は、一度その誇りを捻じ曲げなければ実行不可能だ。
その事実に、あたしの心は締め付けられる様だった。
「……なんだ、緊張か?」
雇い主の屋敷へと向かう途中。前を行くビルが、目ざとくあたしの表情の変化を読み取ったらしい。
「そうね。ある意味、緊張しているわ」
「どういう意味なのか、訊きたいな」
興味本位、というよりは、あたしのことを本気で気遣ってくれているらしい。
彼は、ガサツで何事にも適当そうに見えて、些細なところまで目が届く人物だ。
人は見た目によらない、という格言を体現しているといっても良いだろう。この辺りは、熟練騎士にも似ている。
彼等は、その風貌こそ厳格だが、いざ話してみると好々爺然とした人だったり、存外に紳士だったりする。
「騎士、特に近衛騎士がどういった仕事をするか、知っているでしょう?」
「要人警護と、その身辺の世話、ってところだな。王族レベルになると、執事やメイドではなく、家事にまで騎士を使うって聞く」
「その通り。使用人の教育も徹底されているけど、騎士ほどではないわ。暗殺を防ぐ為の予防策の一つよ」
古い時代、王族が料理に毒を盛られ、殺されるという事件がこの国で起こったらしい。
その教訓から、王族の世話は必ず騎士がする様になった。
だから、騎士にも家事が出来なければならなくなり、騎士の修行のメニューに料理や掃除が組み込まれた。
「でも、あたしは姫様に仕事だから、という理由で仕えていた訳ではなかった。姫様の人間性に惹かれ、心からこの人に尽くしたい、と思ったからであって」
「初めて出会う様な伯爵に、顎で使われるのは、騎士としての誇りが許さない、と」
「そういうこと」
軽くボールを放れば、きちんとそれを投げ返してくれるビルとの会話は、一番楽しいかもしれない。
かつて、王都で友人と楽しんだ会話と同じ円滑さがあった。
「なんというか……厄介な性分だな」
「本当に。あたしはそんなに身分の高い騎士ではなかったし、人に仕えるのにここまで苦痛を感じるとは思わなかったのだけど……王都を離れて、より誇り高くなってしまった気がするわ」
それを拠り所にする、というつもりはなかったのに、知らない内に騎士の精神はあたしの人格形成の中核を為し、成長と共に強くなっていたらしい。
これから、見ず知らずの相手の世話をするかと思うと、気が滅入る。
「でも、どうせ雇い主の顔なんて、一回見るか見ないかだろ?……って、間接的とか直接的とか、そういうのはあんまり関係ないのか」
「まあ、お金の為だと割り切って、なんとかこなすつもりだけど、ごめんなさい。あなたのフォローまでは気が回らないかも」
「いや、その辺りは安心してくれ。俺は、こう見えて物覚えと、学習能力はちょっとしたもんなんだぜ?一日、お前の立ち居振る舞いを観察して、一回、失敗すりゃそれで十分だ。後はまあ、それなりにやれるだろ」
本当に、この男性は予想外の部分を多く持っている。
あたしの気を軽くさせる為の出まかせなどではなく、本当にやりきる自信があるのだろう。
ビルもまた、誇りと自信には満ち溢れている。
自分を過小評価はしないが、過大評価も絶対にしたがらない。
「期待してるわ。あの賭け、あなたが勝たないと、絶望的な結果しか待っていないんだから」
「……本当、あの時のお前はどうかしてたとしか思えないな。お前が働くのは悪くない話だが、勝負にまで首突っ込んで来ることなかっただろ」
「あら、あたしは正気だったわよ?だって、今の形の方が面白いじゃない」
「お前って、微妙に子供っぽいところがあるよな」
あたしにとっては、褒め言葉かもしれない。
王都でも、村でも、あたしは幼さを殺して生きて来たのだから。
「あなたの好みでは、なかった?」
ウィンクを飛ばして、あたしはさっさと歩き出した。
「……そういうのまで、騎士の嗜みとか言うなよ?」
ビルの予想通り、雇い主の顔を見ることなく、用意された給仕服を手に着替え部屋に向かう。
与えられた衣装は、極普通のエプロンドレスだ。
若干、スカート丈が短いのが気になるが、普段から短めのスカートを穿いているのでそれほど気にならない。
後は露出が多い訳ではないので問題ないのだが、夏だからか半袖だ。
心遣いは嬉しいが、それだと少し不都合が出て来る。先輩の使用人に確認し、予め用意していた手首までを覆うドレスグローブをはめた。
左腕には、一本の刀傷が走っている。
生活には支障を来たさないが、この腕を使っての戦闘は二度と不可能にさせた傷。一生残り続ける、自分の未熟さの証だ。
名誉の傷であれば、あえて隠す様なことはしないが、これを晒すのには抵抗がある。
だから、どんなに熱い日でも左腕を人目に晒すことは避けて来た。
三人には既に事情を話しているので、あたしが左腕だけを隠そうとすることに触れないでいてくれるが、赤の他人ともなると話は別。追求されるかと身構えていたが、相手も相手で礼節を弁えている。
貴族の使用人もまた、貴族である必要があるので、当然かもしれない。
さて、本日一番の見物、ビルの執事服姿を拝みに行く。
早速バート青年と喧嘩でもしていないか心配だが、仮にも仕事中、いきなりクビにされかねないことはしないだろう。
「あら、意外とスタイリッシュ」
男性の給仕服というものは、基本的には地味な配色だが細部のデザインにおいては、女性のそれにも匹敵するぐらいこだわりが見られ、その仕事の細かさで貴族の格を競い合う風潮があるが、この屋敷のものは燕尾服を少し崩し、機能的にした程度の誰にでもよく似合いそうなものだった。
ビルが黒髪な所為もあるだろうが、黙っていれば貴族の御曹司と紹介しても怪しまれないぐらい様になっている。
「そういうお前は、大分あざとい格好だな」
「そう?これもかなり地味めな方だと思うけど。酷いところだと、ノースリーブやVネックを平気でやって来るわよ」
「……マジか」
極端な例だが、決して嘘ではない。
従騎士は貴族の使い走りと似た様な身分だし、使用人の愚痴を聞く機会も多かった。
好色な大貴族は、使用人の制服を恥ずかしいものにするだけではなく、日によって衣装を変えたり、役を演じさせることもあるという。
具体的には語尾に「にゃ」を付けろだとか、ご主人様や旦那様ではなく「お兄ちゃん」と呼べだとか、ふざけているとしか思えないものばかりだ。
「そういえば、バートは?」
「着替えに手間取ってるんじゃないか?無意味に飾り付けるのが好きそうなあいつのことだし、いかにして咎められない程度に服をアレンジするか悩んでいると見た」
「当たってそうだから怖いわね……あれほどの見た目なら、地のままで勝負した方が見やすくて良いのに」
傲慢さと、惚れっぽさは問題かもしれないが、バート青年は自負するところに違わない美青年だ。
それに、身のこなしからはある一定以上の実力を持った剣士であることを感じさせる。
苦言を呈するとすれば、恐らく戦いにおいても傲慢さに足を引っ張られるタイプであろうところだろう。
単純なミスや、油断で窮地に陥りかねない。騎士になるには難しい人物かもしれない。
「む、俺より早く着替えるとは、生意気なや……つ……ロ、ロレッタすわぁん!わざわざ僕を迎えに来て頂けたのでしょうか!?」
「はい。これから三週間、共に働くことになるのですから、当然の挨拶かと思いまして」
全くの嘘ではないが、とりあえずバート青年相手にはこのキャラを貫こうと思う。
騎士の様に肩肘張って話すのでもなく、素を曝け出す訳でもない、この「理想の女給仕」を演じておくのがこの青年に接する態度としては最適だろう。
「あ、ありがたき幸せでございます!それでは、共に行きましょうか!」
「ええ。そうしましょう」
隣から、ビルが露骨に稀代の天才詐欺師を見る様な目を向けて来るが、黙殺。
社交界を生きるのに、役者と道化師のセンスは必要不可欠なものだ。否が応でも身に付く。
掃除と洗濯。
三ヶ月の間、主にすべき仕事はこれだけ。
文面にしてしまえば、恐ろしく簡単に見える。
しかし、この屋敷は恐ろしく広い。
それを、臨時の使用人三人だけでしなければならない。
……これがどれだけの重労働かは、容易に想像することが出来るだろう。
騎士時代の方が、まだ楽な仕事をしていたと、断言しても良いと思う。
「ビル!あなたはあっちの廊下の雑巾がけして来て!バート、あなたは窓拭き!十分以内で終わらせないと、休憩返上よ!はい、急いで!」
そんな訳で、一時間で演じていたキャラクターを壊すことになってしまった。
「ああ、くそ!常勤の使用人共は逆に何してやがるって話だ!」
監視も何もないので、当初懸念されていた礼儀作法は、大した問題ではなくなっていた。
あたしもビルも完全に素の喋りで愚痴を漏らしている。
「主に料理の準備と、来客の接待でしょうね。これから毎日パーティを開くなんて、王族でもしないわよ……」
始めの五日は、毎晩社交パーティが開かれるという。
その後は、三日間の祭り。残りの勤務日は、その後片付けに臨時の使用人は駆り出されることになっている。
「貴族の考えることはわからない」という台詞は、町人や村人の口からしか出ないと思いこんでいたが、自然にあたしも口にしていた。
湯水の様に、金と時間を浪費している……そうとしか思えない。まるで何か必要に駆られているかの様に。
貴族の仕事の影には、必ずといっても良いほど黒いものがある。それを実際に見聞きしている身としては、探ってみたくもなったが、今のあたしの仕事は正義の為に戦うことではない。
第一、もしここで何か伯爵の不正を暴いたとしたら、役人が来て仕事どころの話ではなくなるだろう。
前払いの給金は既に受け取っているが、欲をいえばもう少し稼いでおくことが出来た方が、これからの旅は楽になる。
かといって、汚い手段で得られた金を給金としてもらい、それを旅費として使うことに全くの抵抗を覚えない訳でもない。
道端に落ちていた金貨を拾うことや、店主の居ない店の商品を盗むのと同じことだ。
その行為自体には、誰も見ていなければリスクは生じない。が、いざそれによって得られたものを使おうとすると、罪悪感が込み上げて来る。
寝覚めも悪くなるし、下手をすると一生後悔し続けることになるかもしれない。
そんな意識が、あたしから仕事の効率を奪って行くのも、掃除を終わらせるのが大変である理由の一つかもしれない。
……あたしはやっぱり、生き方を簡単には曲げられそうにない。
「どうした?考え事なんてらしくねぇ」
そして、見ていない様で細かい事によく気が付くのがこの青年だ。
「比較的あたしは、よく考えた上で行動するタイプだと自分を評価しているのだけど」
「いや、長考するのが、だよ。『考え』はしても、『悩み』はしないタイプだと思ってた」
「……本当、あなたは面倒臭いぐらいによく気が付くわね」
話しながらでも、ビルはモップを手に廊下を走る。窓の桟を拭いているあたしは、彼が一往復して来るまでの間、また悩む。
今度は、今の悩みを打ち明けようかと。
「難しい話ならわからねぇぞ」
「正義とカネの問題について」
「よし、じゃあ俺向こうの廊下も雑巾がけして来るわ」
「即行逃げないでよ。休憩時間に詳しく聞いてもらうわね」
限りなく嫌な顔をされたが、まあ、彼のことだから聞くだけは聞いてくれるだろう。
これからの行動について考えるのは、その後だ。
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