見えない夜
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 頑丈な格子のはめ込まれた窓の向こうに青い空が見えた。

 吹き込む風は強く、黒髪は激しく舞う。

 アルディートは大きく息を吐き出すと、格子の手前にある木戸を閉めカーテンを引いた。

 すきま風は波打つようにカーテンは揺れたが、アルディートの髪をなびかせるほどではなかった。

 長く床を這うカーテンの音がゆるやかに響くだけだ。

 アルディートは無意識に外廊下へと続く扉を見つめながら、大きな音を立てさせ寝台に腰を下ろした。

 今思えばすべてあの男の計画通りなのかもしれないと思うと、忌ま忌ましさに怒りがこみ上げてくる。

 

 

 王城に乗り込んだ時、誰一人としてアルディートを止める者はいなかった。

 暗黒神と畏れられる容貌と、何よりアルディートの怒りの形相に近づき難かったこともあるだろうが、それよりも王の指示があったという方が自然だ。

 兵士たちは廊下に居並んでいたが、それは謁見の間――国王メルビアンの居場所に導いていたようにだった。

 そして扉を荒々しく開き謁見の間に入ると同時に室内にいた全員が姿を消した。

 残ったのはメルビアンとアルディート、そしてザバ以下、厳罰覚悟で世紀の瞬間を見に来た野次馬の傭兵たちだった。

 そこで初めてこの国の王メルビアンと先日の監査役メルビルが同一人物である事をアルディートと傭兵たちは知った。

 なるほど、声を聞いた事があるはずだとアルディートが思ったのはずっと後のことだったが。

 ザバを除く全員が驚いたが、身分を偽っていたことがアルディートの怒りを更に煽ったことは間違いない。

 

 無言でメルビアンに歩み寄る。

 響き渡る肌を打つ音。

 罵倒する声。

 さらに悪言を続けようと息を吸い込んだ瞬間、アルディートの意識はなくなった。

 

 気が付けばこの部屋の寝台に横たえられていたのだ。

 

 

 何が起こったのか覚えていないが、メルビアンの嬉しそうな顔が焼きついている。

(思い出したくもない)

 首を振り「くそっ」と自らに悪態をつく。

(何であんな奴のあんな顔が最後の記憶なんだ……)

 鳩尾に残る痛みがアルディートに事実を伝えていたが、あんな男にのされたなどと考えたくないアルディートは、あえてそれを無視し、記憶に無いと自分自身に押し通そうとしていた。

(一体……)

 視察と偽って砂漠に訪れ自分をからかった挙句……。

「あげく……」

 後宮に新しい花を迎える時に使う言葉『上宮』をアルディートに対して命じたのだ。

 たとえ一国の王とて殴らずにはいられないと、怒りと憤りと勢いで王城にやって来て事を成しえたが、少し冷静になった今では、あの男の手のひらの上の出来事だったのではないかと思わずにはいられない。

 そう思っただけで不愉快さが募る。

 尽きぬため息。

 真実を知りたくても、鍵のかけられた扉に阻まれ叶うことは無さそうだ。

 

 

 ひときわ強い風が吹いた。

 床を這うカーテンの裾が舞い上がり、風が踊るようだ。

 その風に巻き上げられ頬をくすぐる髪が忌まわしく、けれど心地よい。

 

 ――無駄なものは使わぬが得。

 

 ザバはいつもそう言う。

 それは体力であったり知力であったり、金であったり。

 

 ――最善の結果を得ようとするならば、その瞬間を逃さぬことです。

 

 故に敵襲が迫っているにもかかわらず、お茶を飲むこともあるザバである。

 だがそれは天候を読み、状況を読み、敵襲はまだ少し先だと分かっているからだ。

 頭の冷えたアルディートは状況を考え、扉を叩き「開けろ!」と叫ぶよりも待つことを選択したのだ。

 

 豪華とは言い難いが、砂漠の天幕内のそれとは比べ物にならないほど柔らかな寝台。

 心地よさが眠りを誘う。

 外に出られないが、牢屋ではない。

 何もかも手遅れではない。

(これからだ)

 言い聞かせるように呟くと目を閉じた。

 

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 冷たい風が室内に入り込んできた。

 砂漠に吹く乾いた風ではなく、ほんの少し湿った重い風だ。

 

 薄く目を開けたが何も見えない。

 アルディートははっとして目を見開いてから「ああ」とため息混じりに呟く。

 いつの間にか夜が訪れていたのだ。

 

 ゆっくり上半身を起こし、闇に慣れた目で室内を見る。

 気づいた人影に驚き、気配を感じられなかった自分に驚き、そして影の名を呟いた。

「メルビル……。いや……」

 男の本当の名を口にしようとして出来なかった。

 足早に歩み寄ると、メルビアンが至近距離で笑みを浮かべからだった。

 その表情に冷えた筈の頭が一気に不快な熱を持つ。

「寝心地はよかったようだな」

「お前が来るまではな」

 瞳を覗き込まれながらも言い返すアルディートに、鼻先が触れるほどさらに近づき、

「それは申し訳なかった」

「口先だけなら、何とでも言えるさ」

「本心だ」

 偽りなさそうな瞳の色に、アルディートは不審の表情をのせる。

 

「心地よい眠りの続きは私の腕の中でどうだ?」

 メルビアンが言い終わる前にアルディートは寝台から飛び降りると、メルビアンに背中を向け拒否を表した。

「まさか本気で上宮させるつもりなのではないだろうな?」

「男に興味はない」

 メルビアンの即答にアルディートは安堵する。

「今はな」

「……おい」

「お前と会話するきっかけになるなら誘い続けるが?」

「険悪な会話のどこが面白い?」

「無視よりはよほどいい」

「そうか。では今後はきっぱり無視させてもらおう」

「そなたの態度次第で未来の変わる者たちがいるが、それでも無視するのか?」

 大きく舌打ちして振り向きアルディートはメルビアンを睨む。

 暗闇の中であるが黒い瞳は輝いているように見えた。

「――条件を言え」

「生涯私の側に」

「いるか! キサマの側になど!」

 激しく言い放ったアルディートにメルビアンは含み笑いを禁じえない。

「オルトローフが聞けば、不敬罪だ、と騒ぎ立てそうだ」

「さっさと裁けばいい」

「ほう。それだけのことをしたとお前は思っているのか?」

 

 手加減などせずに殴った。

 唇の端から流れる血を、メルビアンは手の甲で拭った。

 自分の手も痛かったが、間近で見たメルビアンの頬は見事なほど腫れていた。

 

 その様を見れば、側近たちに何事も無かったと言えるはずも無い。

 本音を言えば、アルディートはまだ自分が生きているのが不思議なくらいだった。

 

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「お前を裁くということは、彼らは道連れになる。死者の国で剣を振るうか?」

 ギリギリと音がするほどアルディートは歯を食いしばる。

 彼らに罪はない。

 そうは言っても目の前の男に、そして謁見の間から締め出された側近たちに通じるはずもない。

「彼らは今お前と同じ待遇だ。いや、窓がない分、待遇は落ちるかもしれんが」

(地下牢?)

 思い浮かんだ単語に胸に痛みが走る。

「お前次第だ」

「オレ次第…?」

「謁見中に乱入し、何を成したか私の頬を見た者に間違いはなかろう。お前が何を成すか承知して止めなかった男たち全員を罰すると臣下は口を揃えて言っている」

 忘れていた訳ではないが、明確に言葉で告げられると動揺に心臓が早鐘のように打ち始める。

「本意ではあるまい?」

 メルビアンはニヤリと笑ってから「私もな」と付け加えた。

「ならば異を唱えることの出来ない理由を作ればよい」

「それが後宮という訳か」

「いや」

 否定の言葉にアルディートの眉がひそまる。

「後宮に住まう者が、私の意に背く事は許されない」

「じゃあどんな理由を作れって言うんだ」

「((神代|かみしろ))になれ。国王と唯一対等の地位だ。その力を持って臣下を黙らせるとよい」

「ばっ……馬鹿な」

 吐き捨てて笑う。

「オレが? オレが国教の最高位の神代に? 馬鹿なことを。オレの目を見ろ、髪の色を見ろ。救いをもたらす神からオレは最も遠い」

「ではアルディート。道行く者に問え。今、何から救われたいかと。だがお前は知っているはずだ。その答えを」

 先程までの楽しげな表情は消え、アルディートの前に立つのは国を統べる王の厳しい表情をしたメルビアンだった。

「先の神代が滅し、月は一巡しようとしている。次の神代を決めねばならん」

「だからってオレである必要はないはずだ。それに……神の教えなど耳にしたことも耳にしたいとも思わない」

「だろうな。その姿からその結果は想像に易い」

「だったら」

「民人の飢えと渇き。明日への不安。お前は耳にしたことがないのか? 目にしたこともないか? ないはずがあるまい。泉が小さくなったと言っていたお前だ」

「…………」

「確かに暗黒神は誰もが畏れる悪神。全てを破壊する戦いの神。だがその神が味方するとなれば民人はどうだ?」

「オレは神じゃない」

「そうだ。故に恐れはいずれ消えてなくなる」

「…………」

「暗黒神を畏れて死ぬか、共に戦うか。選択はどちらかだ」

「他に模索することも出来るだろう。それにどうしてオレだ?」

「ラファールが腰を上げた。他国の動きも不穏だ。そうした中でお前を神代にする意味は大きい。畏れて無条件降伏を願いたいところだ」

「…………」

「無論、臣下は皆、反対している」

「だろうな」

「だが反対は無意味だ。王たる私が決めた。後はお前の決意だけだ」

「有り得ない!」

「では己の命も、仲間の命も不要と言うのだな」

「武人王が聞いて呆れる」

「人質をとっても首を縦に振らせたいと理解してもらいたいが」

「…………」

「アルディート」

 呼ばれてゆっくりと視線を戻す。

「神代になれ」

 闇の中に浮かぶ金の美丈夫。

 睨むように見るアルディートの視線を無視して、メルビアンは部屋を後にした。

 かけられる錠の音を聞きながら、アルディートはまだ何も考えられないでいた。

 

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 入るなり辛気臭いと怒鳴ったバシューに「そうでない牢屋はこの世のどこにもないでしょうね」と、にっこり笑って言い返したザバに悪態をついてどれくらいの時間が経ったか。

 少なくとも太陽は地平の下に隠れただろう。

 丸腰どころかマントも剥ぎ取られ、肌寒い地下牢でガタイのしっかりした男たちが肌寄せ合っている様は目も当てられない。

 が、砂漠暮らしの長い彼らは、そうでもしなければ凍死しそうだと思えたのだ。

 

 その輪から抜け出したバシューは、輪に入らなくても夜を過ごせそうなザバに歩み寄り「なぁ」と声をかけた。

「まさかこれで一巻の終わり…ってわけじゃねえよな。ただ働きでもいいとは言ったが、死んでもいいとは言わなかったぞ」

 バシューの問いに少し間をあけてから、

「さぁ、どうでしょう。その気持ち伝わっていればいいのですが」

「ザバ。お前、こういう時は「大丈夫」と言って、仲間を勇気付けるもんじゃねえのか?」

「根が正直なものですから」

「けっ」

 ザバの返答に唾を吐く。

「正直が泣くぞ」

「そんなことはないと思いますが」

「泣くさ。絶対」

「賭けますか?」

「おおし! って、そんな場合じゃねえだろ。お前、そのよく動く頭を使って何とかしろよ」

「決してお目にかかれない場面を見た報いでしょう」

「報いって、お前……」

「恨むなら自分の好奇心を恨むのが筋ではありませんか?」

「恨んでも、こっから出らんねえだろ」

 バシューの問いに、ザバはくすくすと笑った。

「そうですね」

「んな、暢気なこと言ってんなよ。ひょっとすると朝日を見る前に胴から頭が永久に離れちまうかもしれないんだぜ」

「ああ、その可能性もありますね」

「だったら、その頭で何とか――」

 言いかけたバシューに笑みを見せ、

「アルディート次第でしょう」

「あいつ次第って……」

 言いながらバシューはポリポリと頭を掻く。

 という事は、後宮に上がるか否かということだろう。

「……だが、あいつが男にケツを振るなんざ、想像出来ないがな」

「私もです」

「そしたら、お先真っ暗じゃねえか」

「そうですね」

 肯定するザバに、バシューは歩み寄り、鼻先にビシリと指を突きつけ、

「そうですね、じゃねえだろ!」

「他意あるように思えます」

「他意? 誰が?」

「陛下がです」

「誰に」

「アルディートに」

「…………。それは上宮以外の事ってことか?」

「容貌はもちろん興味の対象になるでしょうが、指揮能力、剣技、その他も興味の対象になり得ます」

「あいつは傭兵並だからな」

 自分の息子のことのように、バシューは言いながらふふん、と胸を張る。

「その点については、育ての親に感謝すべきでしょうね」

 ザバはしれっと口にしたが、育ての親とはザバのことである。

 バシューは呆れた顔を惜しげもなく見せたが、当のザバは微笑するばかりだった。

「どうせならその育ての親は恋の手管も教え込めばよかったんだ。そうすりゃ一国の王を手玉にとって、俺達は今ごろ左団扇で酒と美女に囲まれていたろうよ」

 嫌味たっぷりの声音に、ザバはやはり平然と、

「ああそうですね、忘れておりました。ですが色恋に縁遠い私より良い教師は身近におりましたはずですが?」

 止めをさされたとばかりにバシューは苦笑いを浮かべ、その場に腰を下ろした。

「果報は寝て待てと言うしな。――寝るとするか」

 そう言って目を閉じたバシューを見て、ザバもまた壁に背中を預けて目を閉じた。

 謁見の間からアルディートを抱いて退出するメルビアンと一瞬合った視線。

 その意味を考えているうちに、ザバもまた眠りに落ちた。

 

 

説明
【熱砂の海 続編】
 女性が後宮にあがることを意味する「上宮」という言葉を使ってアルディートを王城に呼び出したアザラ国王。
 ふざけた命令に怒り、我を忘れたアルディートはその怒りのまま王城へと向かう。
 そこで待っていたのは――。

 シリーズ前作 熱砂の海1 → http://www.tinami.com/view/315855
 シリーズ次作 崩壊の森1 → http://www.tinami.com/view/320260
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続編 ファンタジー 傭兵   

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