第七回東方紅楼夢原稿
[全1ページ]

「んー、今日もいい天気ね」

 雲一つ無い快晴の青空に響く、妖怪、村紗水蜜の声。村紗は命連寺の境内から姿を現すと、大きく一つ伸びをした。

「天気も良いし、お掃除でもしよっかな」

 村紗はそう言うと、鼻歌を交えながら掃除の準備に取り掛かった。

 

 幻想郷、人間の里の傍にある唯一の寺、命連寺。星蓮船事件の後、聖輦船を改装して建立された、人間と妖怪を共に受け入れる寺である。聖白蓮を中心として、双方から篤い信仰を受けながら活動を行っている。村紗は聖輦船の船長を務めていたが、命連寺へと改装した後は白連らと寝食を共にし、命連寺の雑務をこなしながら日がな一日過ごしている。

「おりゃりゃりゃーっ!」

 威勢のいい声を張り上げながら、村紗は境内の廊下の雑巾がけを始めた。それなりに距離がある廊下だが、一度も休憩を挟むことなく一気に駆け抜ける。くすんだ木板がみるみるうちに輝きを取り戻してゆく。その底無しの体力を存分に発揮しつつ、ものの五分程で全ての廊下を拭き終えてしまった。

「よーし、綺麗になった」

「お疲れ様、朝から精が出るわね」

 村紗がふうっと一息ついたところに、後ろから声を掛けられる。村紗が振り返り見遣った先には、雲居一輪、雲山の二人がそこに居た。

 星蓮船事件当時、一輪と雲山は聖輦船の見張り番をしており、事件後は村紗と同じく命連寺に住みこみ、寺の警備などを任されている。

「あ、おはよー一輪。今起きたの?」

「ちょっと前にね」

 村紗へ返答をしつつ欠伸を噛み殺す一輪。朝は割と弱い一輪だが、雲山に無理矢理起こされるので寝坊だけはしない。

「見回りに行くの?」

「そ、警備の朝は早いのよ」

「そっか、頑張ってね。巫女と魔法使いには気を付けるんだよー」

 村紗は行ってらっしゃいと、二人に向かってぶんぶん手を振る。一輪は分かってるわよと苦笑し、村紗を後目に手をひらひら振りながら廊下を後にした。

「さて、次は正門前の掃除っと」

 村紗はそそくさと雑巾を片付けると、箒を片手に正門前に向かった。

 

 命連寺の正門前、人間の里を遠目に眺めつつ村紗は早速掃き掃除を開始した。まだ朝も早いからか空気が澄み切っており、山や森の緑は映え、雀の囀りもより一層鮮明に耳に届いてくる。時折吹く風は朝露の僅かな湿り気を帯び、その所為か、涼しさをより一層際立たせている。

 村紗が足取りも軽やかに道の木の葉、塵芥を掃き集めていると、視界の端に人間の影らしきものが映り込んだ。それはほんの一瞬であり、普段なら取るに足らない事であったのだが、その時村紗は微かではあるが言い知れぬ不安を感じた。

「? 何だろう……」

 村紗はその影のあった方へと足を運んだ。すると、その影の正体であろう人物が既に遠くの方にあるのが視認出来た。

「何だ、唯の人影……!?」

 一目見た時点で、ごく普通の人間の後ろ姿である事を認識した村紗であったが、その瞬間、はっと息を呑んだ。

「う、嘘……なんで……」

 箒が村紗の手から滑り落ち、ばさっと地面に投げ出される。少し強い風が吹き、ざわっと木々が震える。ただ茫然と佇む村紗を朝陽は照らし続けていた。

 

○     ○     ○

 

 それは、遠い遠い昔の話。

 ある小さな港町に一人の少女とその父親が住んでいた。母親は少女を産んで間もなくして亡くなったために、父親が男手一つで少女を育てていた。少女は幼少の頃、海に出て漁をする父の姿を見て、その仕事に強い憧れを抱くようになる。そして成長するに従って少女は自然と父と一緒の船に乗り、漁の手伝いをするようになった。だが、漁は基本的に力仕事であるため、少女に出来る事はそう多くは無かった。何とかして役に立ちたいと思った少女が目をつけたのは、操舵手であった。船の操舵なら力の無い自分にも出来ると踏んだ少女は、必死に操舵法の勉強をした。父の船で操舵手をしている人からも教えを乞うたり、実際に操舵したりもした。その努力の成果が実を結び、数年後には立派な操舵手として父の船の舵を取る事が出来るようになっていた。

 それから間もなくして、少女に悲劇が訪れる。父の原因不明の病気による急逝であった。それはあまりにも突然の出来事であり、少女は暫くの間その現実を受け止められずにいた。しかし、父の仕事仲間である周りの漁師達の支えもあってか、少女は父の死を乗り越え、父の分まで強く生きる事を固く決心したのだった。

 操舵手として船に乗るようになって少女は、漁を通して一人の青年と知り合う事となった。漁は一つの船に十数人が乗って行うのだが、その内の一人が彼であった。まだ漁師見習いとしてこの船に迎え入れられた彼は、漁師仲間から仕事のノウハウを一から徹底的に教え込まれていた。彼は非常に飲み込みが早く、教える傍からそれを自分の知識として順調に蓄えていき、一人前の漁師として働けるようになるのにそう時間は掛からなかった。

 若い者同士という事もあってか、二人は頻繁に会話をするようになり、何時しかお互いの存在を意識し始めていた。そうなると事が進むのは早いもので、顔を合わせ、言葉を交わす度に惹かれ合う想いが増してゆく。そして周りから時には応援され、時には囃し立てられつつも、誰もが認める恋人同士の関係を成就する事と相成った。

 

 少女は幸せだった。幸せという海の真っ只中にいた。それこそ溺れる程に。

 

 その日は朝から空が澱んだ、厚い雲に覆われていた。天候が崩れるのは火を見るよりも明らかだったのだが漁師達は皆、漁に出ると言って聞かなかった。少女は海に出るのには反対だったが、ここ最近の漁獲量が著しく低下しており、今後の生活の為にも背に腹は代えられないという状況だったのだ。誰もこんな天候で漁に出ようなどとは思わない。それは、苦渋の決断だったのだ。皆が不安を抱え、無事に帰還出来る事を祈りつつ、漁船は港を後にした。

 港を出て沖合十キロメートル程進んだ時点で、いよいよ本格的に雨が降り出した。雨だけならまだどうにかなるのだが、そこから恐れていた通り、天候は一気に下り坂となった。雨が降り出して間もなく強風が吹き荒れ、それに伴い波のうねりが激しさを増し、辺り一面が大時化に見舞われる。厚い雲の所為で昼間だというのに薄暗く、雨もあってか視界は五メートル先も見えない程の不明瞭さで、漁師達は考えうる限り、最悪の状況に陥っていた。

 船上は酷い有様であった。普通に立っている事すら敵わず、物は乱れ飛び、風の音や叫び声が響き渡り、阿鼻叫喚の様相を呈していた。そのような状況でも、少女は操舵手という自分の仕事を精一杯こなしており、荒れ狂う波の中、うまく舵を取りつつ何とか船のバランスを維持していた。だが、前後不覚の上に進退窮まったこの場面ではそれも時間の問題であった。

 一際大きな波が船を上から襲う。船は波に呑まれ、船体が大きく傾く。少女は力一杯面舵を取るが、間に合わない。遂に船は完全な横倒しとなり、転覆してしまった。船から投げ出される皆の姿が、少女の目に、脳裏に焼き付く。船が、仲間が、彼が、暗い水底へと沈み、流されてゆく。まるで他人事のように、その光景を眺める少女。その時、彼と一瞬目が合った。彼は柔らかい微笑みを浮かべたかと思うと、海流に流されてあっという間に見えなくなってしまった。少女はその姿をただただ見ている事しか出来なかった。

少女は悲しみよりも虚脱で心が満たされていた。あの時、何故海へ出る事に断固として反対しなかったのか。このような事態になる事は明らかだった。取り返しがつかなくなってしまっては、もう遅いのに。後悔する時間さえも無く、悲しむ間も無く、懐古する暇も無く。少女の意識はゆっくりと薄れてゆき、やがて完全な闇が訪れた。

 

○     ○     ○

 

「どうしたのよ、ぼーっとして」

一輪の声に反応してビクッと体を震わせる村紗。

「い、いや、何でもないよ」

 村紗は若干声を上擦らせつつ、それに答える。

一輪と村紗は昼食を一緒に食べていたのだが、村紗が箸を止め何処となく上の空で中空を見つめていたので、心配して一輪が声を掛けた次第である。

「私がパトロール帰ってきてからおかしいわよ、ムラサ。朝はあんなに元気だったのに」

 一輪はパトロールを終えて正門前に戻ってくると、立ち尽くしている村紗を発見し、どうしたのかと問いかけた。すると、村紗はその時も『何でもない』と言って話を有耶無耶にしたのだった。流石に何でもないの一点張りの村紗に、一輪は不安を覚えて少し突っ込んでみる事にしたのだった。

「大丈夫だって、ホントに。ちょっと朝から動き過ぎて疲れてるだけだから」

 それでも尚、白を切り続ける村紗に一輪は諦めの表情を向けて深い溜息を吐いた。

「……分かったわ。ムラサがそう言うならそういう事にしておいてあげる。さ、早く御飯食べちゃいましょ」

 一輪が自分の箸を進める方に専念する。村紗は申し訳無さ気な顔を向けながらも、結局最後まで口を開く事は無かった。

 

 その夜、村紗は寝床に入ったまま寝付けずにいた。今朝の出来事が頭から離れないのである。村紗は目を閉じて、過去の生前の記憶を呼び戻していた。忘れようにも忘れられない、あの忌まわしい事故を思い返す。自身にとって苦痛でしかないのだが、ここはぐっと我慢する。そしてあの人影の姿をもう一回頭の中に思い浮かべてみて確信する。

「やっぱり、似てる」

人影の姿が青年そのものであったのだ。年齢で見てみると、人影の方が当時の青年より少し若く見えたが、容姿は正に青年そのものといった感じだった。生き写しと言ってもいいほどであった。

無論、他人の空似であることは十分承知している。だが、村紗の中で期待と不安と疑問が綯い交ぜになって膨れ上がり、心の中を支配する。ここは幻想郷、何が起こってもおかしくはない。

「よし、明日会って聞いてみよう」

 村紗は決心し、昂った気持ちを抑えつつも朝早く起きるために寝る事に集中するのだった。

 

 朝露の滴る、肌寒い早朝。まだ陽が完全に姿を見せて間も無い時間であり、地面に伸びる影が長い。案の定、あまり深く寝付けなかった村紗は、眠たげな眼を擦りつつ箒を持って正門前に向かっている最中だった。昨日人影を見かけた時間より大分早い時間帯ではあるが、居ても立ってもいられない村紗は正門前の掃除をしつつ張り込むことにしたのだった。

 正門前は人どころか、鳥の気配さえも感じられなかった。遠くを見渡せば、妖怪の山には仄かな朝靄がかかっている。取りあえず掃除を始める村紗であったが、顔は引っ切り無しに辺りをきょろきょろと見廻したり、同じ所を何度も掃いたりと、全く手が付いていない状態であった。

 そして意外にもその時が訪れるのは早く、それは掃除を始めてから十分程経過した時だった。村紗は、見廻していた先に人影らしきものがちらつくのを目敏く発見した。どうやら昨日の青年と同一人物であるようだった。青年は昨日と同じく何処かへ行こうとしているようだったので、村紗はその後をこっそり付けていくことにした。

 その村紗の後ろに、揺らめく影が一つ。自分も付けられている事など、本人には知る由も無かった。

 

 彼此五分程歩いたところで、青年がふと立ち止まったので、村紗も慌てて立ち止まり近くの木陰に身を潜める。追い掛けるのに必死で周りをよく観察していなかったが、そこは小規模な墓地であった。森に囲まれた閑静なそこは、七、八基の墓があるだけの簡素な造りだった。意外と命連寺から近い立地であったが、森の中にあるため村紗は今までこのような所に墓地がある事など全く知らなかった。

 青年はその中の一つ、古いがよく手入れされた墓の前へ歩み寄り、徐に墓の掃除を始めたのだった。その様子を後ろから眺めていた村紗は、一体誰の墓なのか目を凝らしてよく見てみた。

「…………!」

 村紗は我が目を疑った。そこに書かれていたのは、紛れも無く青年の名前であった。村紗は口元を押さえ、絶句し、混乱する。何故青年の墓が此処に? 二人の関係は? 頭の中が疑問の渦で満たされてゆく。何が何だか分からない。

その時、村紗は傍の木に服を引っ掛けてしまい、ざあっという音が森に木霊した。

 音に気付いた青年は、墓を掃除する手を止めて振り返った。

「誰か居るんですか?」

 しまった、とでも言いたげな表情を浮かべた村紗は、覚悟を決めて木陰から姿を現した。そしてゆっくりとした足取りで青年の所まで歩いて行き、静かに口を開いた。

「あの、こそこそと隠れ見ててすみませんでした」

「いえ、大丈夫ですよ。別に怒ってなどいませんので顔を上げて下さい」

 頭を下げる村紗に青年は、微笑みながら頭を上げるように促す。村紗は頭を上げると、いよいよ本題である墓についての質問を青年に問うた。

「実はちょっと聞きたい事がありまして、そのお墓に書かれてる名前……」

 村紗が掃除されていた墓を指さす。

「名前、ですか? えっと、これは私の曽祖父の名前ですけど」

「曽祖父?」

「はい」

 青年は頷き、墓石にそっと触れた。木漏れ日を反射して墓石は鈍く輝いている。

「その事について詳しくお話を訊かせて頂けませんか?」

 村紗は興味半分、諦観半分の気持ちで尋ねた。青年は最初どうしたものかと困惑していたが、村紗のその表情から感情を汲み取ったのか、そこの木陰で話しましょうかと近くの大木の傍に村紗を誘導し、二人で腰を掛けた。そして青年はぽつぽつと語り始めた。

「私も祖父から話を訊いただけなんですが、何でも曽祖父は以前此処とは違う場所に住んでいたらしく、ある日海で水難事故に遭遇してそのまま気を失ってしまい、気が付くと里近くの林の中にいたそうです。曽祖父は事故で記憶の大部分を喪失してしまったらしく、事故以前の事を殆ど覚えていませんでした。どうやら住んでいた地域は薄らと面影は把握していたようで、その後、里の者に色々訊いて回ったのですが、やはりこの里は以前住んでいた所とは別で、全く知り得ない場所だったそうです」

 青年は一息入れ、嘘みたいな話でしょうと笑い飛ばした。村紗も一緒に笑ってはいたが、内心は穏やかでなかった。次々と付きつけられる真実に、心の対応が追い付かない。

「それでその後、どうされたんですか?」

 それでも村紗は話の続きを急かす。

「里では元々、外から入ってくる人達が割と多い事もあったので、初対面でも気さくに接してくれる方ばかりで、そのまま里で農家を営みながら暮らすことになりまして。そして現在私がその農家を継いでいる曾孫にあたるというわけです」

「そう、でしたか……」

 村紗は複雑な心情であった。何の因果であろうか、まさか当時の恋人とこのような形で再開するとは思いも寄らなかった。それは、余りにも唐突で、悲痛で、無常だった。本当に、これがあの人なのか。あの人の墓なのか。俄には信じがたいが、目の前の事実が全てを裏付け、物語っている。

「ああ、そう言えば記憶喪失であったと言いましたが、どうも曽祖父は誰かしらの人物の名前であろう言葉をよく口にしていたそうで」

 青年がふと話を付け足すように語る。

 

「確か、『ミナミツ』でしたかと」

 

 それを聞いた村紗の中に一気に熱いものが込み上げる。自然と、視界が半分滲んでいた。しかし村紗は膝に置かれた両手を力一杯握りしめて、ぐっと、静かに堪える。ここで感情を爆発させてしまってはいけない。歯止めが利かなくなってしまうような気がした。

「私が知っているのはこの程度です。さて、そろそろ私も帰って稲刈りの準備をしたいのでこの位にしておきましょうか」

 青年が緩りと立ち上がり、服に付いた土や木葉を払い落す。村紗もはっと我に返り、青年に倣う。

 青年はそのまま墓の前へと歩を進め、村紗の方を振り返って尋ねた。

「お線香、上げてもらえませんか?」

「……私でよければ」

 青年と村紗は二人で線香を上げ、墓の前で手を合わせる。目を瞑って、村紗は恋人への想いを馳せる。あの楽しかった日々を回想しながら、心の中で呟いた。

(また、逢えたね)

 

「それでは私はこれで」

 墓掃除の道具を片付けると、青年は村紗に一礼をした。村紗も礼を返した後、青年にある願い事を申し出た。

「あの、私もたまに墓参り、しに来てもいいですか?」

「それはもう是非。曾祖父も浮かばれます」

 青年はにこやかにその願いに二つ返事で応じた。と、ここで青年があっと突然思い出したような口振りで言い放った。

「そういえば自己紹介をすっかり忘れていましたね」

 青年が自己紹介を行う。村紗はじっとそれを静聴していた。青年の自己紹介が終わり、次は村紗の番である。

「私は……」

 少し言い淀む村紗。しかし一呼吸置いた後、はっきりとした口調で言う。

「ムラサ。皆からはキャプテン・ムラサと呼ばれています」

 青年はその言葉にふふっと含み笑いをし、面白い名前ですねと村紗に返した。村紗は気恥しくなったのか、顔を紅潮させて俯く。青年はいい名前という意味でですよ、とフォローをする。

「では、またいずれ」

「ありがとうございました」

 村紗がぺこりと軽く頭を下げると、青年も頭を下げ返して元来た道を引き返していった。

 村紗は去りゆく青年のその背中に在りし日の恋人の姿を重ねる。そしてその背中に手を伸ばすが、直ぐに引っ込めた。

 青年の姿が見えなくなるまで、村紗はその背中を見つめていた。

 

「ちょっと話が読めないわね」

 青年を見送った村紗は、自分も帰ろうと歩きだそうとした瞬間に後ろから声が掛かり、慌てて振り返った。

 木陰から姿を見せたのは、一輪であった。村紗は驚きの表情を隠せなかった。

「ごめん、ムラサ。全部木陰から聞かせて貰ったわ」

「……っ!」

 村紗の顔色が目まぐるしく変わっていく。様々な感情が表に出ては消えを繰り返していた。そして、最終的にある一つの感情へと辿り着く。

「い、一輪……わたし……」

 村紗は顔をくしゃっと歪める。

 一輪はその反応に一瞬動揺したが、直ぐに察する。そして黙って村紗に近づくと強く、優しく抱きしめた。

「いいのよ、ムラサ。もう我慢しなくて」

「……うっ……ふぇ……うぇぇぇ」

 村紗の感情が堰を切って溢れだし、堪えていたものが一気に涙と一緒に流れ出る。村紗は一輪の腕の中で慟哭した。服にしがみ付き、胸に顔を埋めて声にならない声を上げる。一輪はそんな村紗を、ただずっと、抱きしめ続けた。

 森には村紗の泣き声だけが、延々と、響き渡るのだった。

 

「ぐす……ひっ……」

 どの位時間が経っただろうか、一輪は何とか落ち着いてきた村紗をゆっくりと自分から離し、その頬に伝う涙をそっと指で拭ってやった。

「どう? すっきりした?」

 一輪が村紗に微笑みかける。それに嗚咽を漏らしながらも、こくこくと頷き返す村紗。

「昨日から様子がおかしいと思って後を付けてきたけど、さっきのも含めて話してくれる?」

「……うん」

 村紗は過去の自分の経緯を一輪に話した。成り立ちの事、恋人の事、そして事故の事。それを聞いた一輪は、先の青年との遣り取りを思い返し、村紗の真意を汲み取る。

 そして一輪は、もう一度村紗を抱きしめた。

「そういうことだったの。嫌な事思い出させちゃってごめんなさい。そして、話してくれてありがとうね」

「ううん、もういいの。私も心の中で整理がついてきたし」

 村紗がそれを抱きしめ返す。

「それに、一輪に話したら何だか心が軽くなった」

「私でいいなら、何時だって何だって聞いてあげるわよ」

 二人は互いに向き合い、そして笑い合った。

 

○     ○     ○

 

森の中にひっそりと、姿を隠すように立地する墓地。古い墓が立ち並ぶ中、そこには掃除の行き届いた一つの墓があった。その墓には一輪の菊が供えられている。

 そこに青年が掃除道具を持ってやってきた。そしてその菊を目にすると、ふっと微笑んで自分の持っていたもう一輪の菊を墓に供えた。

 青年は静かに目を閉じ、合掌するのだった。

 

説明
第七回東方紅楼夢に出した小説です。 意外と難産な作品でして、何度も書いては消してを繰り返しました。 もっと勉強してより良い作品が書けるようになりたいです。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
787 786 0
タグ
東方 村紗水蜜 雲居一輪 

Mariaさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com