崩壊の森 2 |
途中、必死に走るフレラを抱え上げ、聖域に入ると速度を緩める。
二人が祈り堂の前に着く頃には、フレラがザバの家に向かってから一刻半が経っていた。
天を仰ぐことも困難なほどの光量を地上に降らせる《火の月》の太陽の下、ザバは壮大な祈り堂を見上げた。
長い年月をかけて白色岩の山をくり貫いて堂に仕立て、外壁もこれ以上ないほど細かく荘厳な細工が施された祈り堂は、人々を導くために神に使わされた神代が住まうに相応しいものであった。
(しかし、一体どこから登るのか……)
じっと眺めているザバを促しフレラが足を進めようとした時、声がかかった。
二人はすぐその場に膝を折る。
背に流れる金髪は風に舞うようにゆるいウェーブがかかり、母親譲りの美しさに肖像画が描けぬという美貌の持ち主である。それだけでも人を惹きつけるのだが、軍を率いては敗戦を知らぬ闘神の化身としても人々に讃えられている。酒場で男たちがまず最初に王を讃える歌を唄うことからもそれがうかがえる。
「アルディートはどうした」
地を駆け風に乗り、世界の果てまで届くかと思われる朗々たる声が響く。
「答えよ」
ザバは王の声音に感情の熱を覚えた。
しかしそれは怒りではない。
数え切れぬ程、王のこの問いを耳にしているフレラにもそれは伝わっているだろう。
「申し上げます。王命を神代様にお伝え申し上げようとしましたところ、お姿が見えずお探し申し上げておりました」
「それで見つかったか?」
「それが……」
口を閉ざしたフレラを見やってから、その傍らに跪くザバに声をかけた。
「何故おまえがここにいる? おまえも神代を訪ねてきたか」
「いえ」
ザバは静かに事の次第を話し、王の言葉を待った。
「フレラ、ではアルディートは堂の上にいるのだな」
「い、いえ。確かとは申せませんが……」
「どうだザバ。あれのやりそうなことか」
「高いところは子供の頃からお好きでございました」
「ふむ」
背後の祈り堂を見上げる。
「どこから登ると言っていた」
「裏の木からと申されておられましたが」
「それほど手近な大木があったか……?」
「陛下のお許しがございましたら、私が見て参りますが」
「おまえは私をフレラと二人、ここに残してゆくと言うのか? まさか敵はおるまいが」
皮肉にも聞こえる言葉ではあったが、ザバは王の真意を読みとっていた。
堂の上でアルディートが一人でいると言うことは、自分が行けば二人きりになれると言うことである。
「−−では、私が兵を呼んで参ります」
そう言うフレラを見るとメルビアンは笑みを浮かべ、マントと長剣をフレラに押しつけた。
「兵などいらぬ。ザバ一人で千人の歩兵を切り捨てるであろうからな。見張りを頼むぞ、ザバ」
「かしこまりました」
止める間もなくメルビアンは足早に祈り堂の裏手へと消えていった。
「へ、陛下!」
王の行動には常に驚かされてはいるが、アルディートの言っていたことが本当であるならば、枝より大人の男が横になった幅ほど飛ばなくてはならない。万が一のことを考えるとフレラの顔が青くなる。
「ザ……ザバ様、どうぞ陛下をお止め下さいませ!」
「出来ると思いますか?」
「そ、それは……」
「神に祈るのみでしょう。――ああ、神代様は堂の上でしたね」
万が一という言葉を忘れてしまったかのようにザバはのんびりとしている。
「そんなことおっしゃらないで下さい。本当に何かあってからでは……」
「私は陛下の怒りの方がよほど恐ろしいと思いますが?」
「………」
反論する言葉が見つからず、プイと横を向くフレラを見てわずかに微笑むと祈り堂の裏手に向かって歩き出した。
「――ザバ様、どちらへ?」
「王命に従い、見張りに」
その言葉に唇を噛み、どうしたらよいものかと考えたが、結局のところフレラは王宮の兵を呼びに行かず、王のマントと長剣を手にザバの後に続いた。
裏手に回り、どの木に登っているのかと、吸い込まれそうなほど青い空を突くように伸びる猛々しい緑の葉をつけた木々を見上げていると、ザンと空気を震わせる音が聞こえた。
はっと振り返ると、大きな鳥が宙を舞っていた。
一瞬後、それが鳥ではなく王であったと知ると、フレラは安堵のため息をついた。
「心配するな。陛下にはたぐい稀な神が、神代様には力強き武人王がついておられるのだからな」
言うとザバは祈り堂の壁に寄り掛かり、蒼穹の空を見上げた。
祈り堂の屋根に立つと、メルビアンは遥か昔に堂を造り上げた男の名を思い出し賞賛の念を贈った。
内部から天蓋を見上げれば、半円をのせたような形になっているが、人間の手によるものと考えられぬ程高い屋根部分がどうなっているのか分からずにいた。
だが今こうして立ってみると、祈り堂という聖なる建造物とはとても考えられない。
屋根は大地のごとく平坦であり、二重に巡らされた塀はこの国で最も強度があるとされている岩を組み合わせたものだった。
誰が見てもそれは要塞と思えるものである。
(万が一の時は使えるな。飛び移る度胸があればだが……)
塀に添ってゆっくり足を進めるメルビアンは考えるともなしに考えていたが、二重の塀の間に座り込んでいるアルディートを視界に入れると、要塞云々の考えはきれいに消えてなくなった。
狂気すら感じさせる《火の月》の強烈な陽の光はアルディートこそ似合う。
メルビアンはそう確信したが故に《火の月》の初めに神代の就任の儀を執り行った。
強い陽光は目も眩むまんほどの圧倒的な神々しさを演出し、すべての者をひれ伏させるものだった。
武人王として名高いメルビアン自身も、アルディートを隣に立たせることの出来る力強さに、喜びともつかぬ震えを体験した。
肩より少し長い長い黒髪と、闇中をも見透かさんほどの漆黒の瞳。砂漠に育った物特有の浅黒い肌、しなやかな四肢。
そして十九才という人心を導く神代としては尋常ならざる若さが、猛々しさを加えていた。
前の神代が滅し、月が一巡すると新しい神代を選出しなければならなかった。
やがて迎えるであろう戦いの時。
民人の飢えと乾きは静かではあるが確実に進行している。それをくいとめる手法をいくつも試みたが、砂漠は、自然は人智に屈することはなかった。
拡がりつつある砂漠は民人の心を脅かし、居住地を追い不安を誘う。
――あとは、肥えた大地を手に入れる以外方法はない。
武人王としての名は、先王時代、メルビアンが十代から二十代前半にかけて王の名代として戦場に出たすべての戦に勝利をおさめたからであったが、決して戦を好んでいるわけではなかった。
先々の《水の月》の頃、国の二方を砂漠に囲まれた領土を持つ隣国ルドニアが、海を有するラファール国を得る第一歩としてメルビアンの統べるアザラに攻め入った。
ラファールを目指す進路にアザラが立ちふさがっているからである。
だがすぐに決着が着くはずもなく、まもなく和平の申し入れがあった。その席で以前より共に砂漠の悩みをもつルドニアの王から共にラファールを打たぬかとの打診があったのだが、メルビアンは一蹴した。
侵略と言うものに快さを覚えなかったからであり、ルドニアの王、並びに重臣達の狡猾さを知っていたからである。
ルドニアと手を結びラファールの領土を手に入れたとして、領土を五分ずつ分けるということにはならないだろう。難癖をつけておいしいところを自分たちの取り分にしようと画策するはずだ。
政治とはそうしたものだと分かってはいても、のる気にならなかったのだ。
だが飢えと乾きは現実のものであり、深刻な状態が何もせずに解消することはない。
自国の民人を守るための侵略という名の戦をしなければならない時期が、もうそこまでやってきているのだ。
そしてその思いはどの国にもある。
メルビアンの口から、音にならぬため息がもれた。
「――王には心労の多いことだな」
視線を上げると、いつの間にか歩み寄ってきたアルディートの漆黒の瞳が真っ直ぐメルビアンを見つめていた。
「どうすればおまえを口説き落とせるかと考えると気が重くなる」
「またそれか。しかし神代を口説こうとするとはアザラの王は噂通り恐れ知らずだ」
「私にも怖いものはある」
「何だ?」
「教えるはずがなかろう」
微笑を向けるメルビアンの返答を耳にすると、アルディートは憮然とした表情をしてから要塞を思わせる塀の最外部に足を進めた。
説明 | ||
【熱砂の海→見えない夜→崩壊の森】 メルビアンは祈り堂の上にアルディートを見つける。 他人の目のない空間で王らしからぬ意見、神代らしからぬ意見を交わし――。 崩壊の森 1 → http://www.tinami.com/view/320260 崩壊の森 3 → http://www.tinami.com/view/321221 |
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