少女の航跡 第3章「ルナシメント」 27節「祭壇、塔」
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 カテリーナ・フォルトゥーナは背後にナジェーニカ・ドラクロワを従わせながら、《シレーナ・フォート》王宮へと入り込んでいた。

 ここに広がっている光景が、あの王宮なのかと思うと、カテリーナは驚愕というよりもむしろ嫌悪を抱いた。そこは暗雲が立ち込め、所々の城壁は内側から砕けて紫色の気体が放出されている。

 その気体は異様な光を放っており、《シレーナ・フォート》の街全てが暗黒の球体の内側に包まれている今は、その気体だけが光だった。

 シレーナ達の伝統が息づいていた王宮は、先ほどから出現している異様な昆虫達によって無残にも破壊され、王宮の壁にはひびが入り、独特の雰囲気を醸し出していたステンドグラスを打ち破り、巨大な昆虫があたかも自らの住処であるかのように辺りを徘徊していた。

 恐れを成したか、既に避難を済ませたか、この王宮の中には人やシレーナの姿は全くなかった。ただ、巨大な化け物だけが徘徊している。それは本当にこの地が《シレーナ・フォート》であるかという事を疑わせるに十分だった。

 カテリーナはその場に立ちこめる気配に異様なものを感じながら、剣を抜き身のまま持ち、堂々とした態度で城門をくぐっていく。

 背後からはナジェーニカが甲冑の金属音を立てながら、自分と同じ歩幅で近づいてきている。この女は何を考えているのか、物言わぬ彼女の姿からは、カテリーナもそれは分からない。

 兜の面頬まで降ろしているその姿は、まるで自分にくっついてきている人形のようにさえにも見える。だが彼女はこの死地と化した街の中でも、自分と同じようにまるで恐れさえ感じていないようだから頼りにはなった。

「お前は、私をどこに導こうとしている?お前が導こうとしている場所にいる何者かが、この空間を作り出しているのか?」

 カテリーナは王宮の敷地内を徘徊している化け物たちに警戒をしながら、ナジェーニカに尋ねた。

 ナジェーニカはカテリーナと並んだ位置に立ち、答えてきた。

「どこに導かれるかは、お前がよく知っているだろう?その地に辿り着く事こそ、お前がすべき事だ」

 ナジェーニカがそのように答えてくると、カテリーナは彼女の表情を兜越しに伺おうとした。この女はその面頬の向こうでどんな表情をしているのだろうか。

 どうせいつもながらの無表情なのだろう。この女は所詮は誰かに従事し、その操り人形になるだけの存在だ。

「私に3度も敗れた事に対しての、復讐はどうした?今でも私の首を獲ってやりたいとそう思っているんじゃあないのか?」

 カテリーナはそう尋ねたが、ナジェーニカはしばしの間黙っていた。

「そう言っていたのも、お前をしかるべき場所に導くためだ。そして結果としてお前は今、この場にいる」

 ナジェーニカはそれだけ答えてきた。ほとんど体も動かさず、彼女の発した言葉だけが辺りに響いていた。

「ああ、そう」

 カテリーナはそう答えるしか無かった。それ以上、何も答える気にならない。やはりこの女は人形でしかないようだ。主に仕えているだけの存在。主の命令は絶対で、それ以上の事を考えようともしなければ、しようともしない。

 主に仕えていると言う点では、確かにそれはカテリーナも同じかもしれないが、少なくともカテリーナは考えようとする。人形であるつもりもない。

 ピュリアーナ女王陛下とこの都を守る、という使命をルージェラ達に任せ、自分だけこの場に立っているのもその為だ。

 自分の使命が何であろうと、カテリーナは今、この都を陥落させようとしている存在を倒すつもりでいた。何者かが自分に与えた使命に贖い、カテリーナ・フォルトゥーナとして動くつもりでいる。

 その為には、まずは自分を操ろうとしている何者かの所にいかなければならないようだ。

 カテリーナは《シレーナ・フォート》王宮の中庭で、聳え立っている一つの塔を見上げた。《シレーナ・フォート》内で最も背の高い建物は王宮の本塔であるが、その横に、《シレーナ・フォート》の街を見渡す事ができる塔が、何時の間にか立っていた。王宮の庭から突き破るかのように地中からそそり立っているらしい。それは王宮の中庭から聳え立つようになっており、本塔と並んで圧倒的な存在感を放っていた。

 この塔の存在をカテリーナは知らない。

 今、その有様は紫色の気体と暗闇、そして塔にへばりついている得体の知れない怪物たちによって嫌悪さえも抱くような姿になっているが、切り立った崖のようにも見える塔の上に、カテリーナは強大な気配を感じていた。

 気配は黒い球体のようなものを思わせた。その黒い球体はこの《シレーナ・フォート》全体を覆っている球殻と似ている。だが決してそれは闇の力と言う訳ではないようだ。全てを呑み込むかのように感じられる力がそこに集中している。

 どうやらこの《シレーナ・フォート》を覆っている巨大な球殻を生み出す、その中心地がそこにあるようだった。

 カテリーナはそこから発せられる力をはっきりと感じていた。そして、その力はすでにカテリーナが以前に感じた事がある力だった。初めて感じられる力では無い。

 その力が何を意味しているのか、カテリーナは知っていた。だからこそ身構えてしまっている。ここで感じられる力は、街に群れている怪物や、外で出会ったガルガトン達とは比べ物にならないような気配だ。

 全てを包みこみ、呑み込もうかとしている圧倒的な力が、そこに集中している。

 自分に向かって、ここに来るようにと命じているのは、明白であるようだった。

「私が向かうべき場所とは、あそこなのか?」

 既に確信に変わっていたが、カテリーナはナジェーニカに向かってそう尋ねた。

「お前がそうだと感じるのならばそうだろう」

 自分を導くと言っておきながら、無責任な言葉だとカテリーナは思ったが、実際にそうなのだ。この力は自分にだけ感じられるものであり、ナジェーニカには理解できていないのだ。

 だからカテリーナはナジェーニカに向かって堂々と言い放った。

「私はあの塔の頂上に行く。そこに何が待ち構えていようと、私はそこにいる者を打ち倒す。そして、この都を再び取り戻す。お前がそれを妨害しようとするのならば、お前に対しても容赦はしない。邪魔するなよ」

 それはカテリーナが、自分自身に対しても言い聞かせるかのような言葉だった。自分がせねばならぬ使命を、自分自身に対して言い聞かせるという事なのだ。

 カテリーナはその塔の入り口に向かって歩き出した。塔は長年封鎖されていたようだ。そこには、シレーナ達が過去に封印したという魔の力が籠っている、ある塔の話をカテリーナは聞いた事がある。

 塔は《シレーナ・フォート》の歴史よりも長くそこに建てられているようだった。王宮が建てられるよりも前からこの地に封印されていてそのままなのだ。塔の入り口には分厚い鉄の扉が設けてあり、そこには幾つも鎖が巻きつけてある。

 伝説上にしか存在しない塔が、まさか《シレーナ・フォート》の王宮の中にあろうとは。そしてその年季の入り方からして、『リキテインブルグ』の歴史と共にそこに建っている塔なのだ。

 だがカテリーナは、そこの封印が外されているのを見た。封印の塔の封印は、何者かによって打ち砕かれ、扉も開けっ放しになっている。塔の中からは、今、都を覆っている異様な気配とはまた別者の気配が流れて来ていた。

 その気配は何なのだろうか。カテリーナは塔に近づきながら肌で感じようとした。ここには、都中を徘徊しているあの怪物達も近付いてこようとはしていない。

 この気配は一体何なのか。カテリーナは知ろうとした。何百年と言う時を封印されていた塔だろう。その中の空気は淀み、気配も異様なまでに濃く感じられる。その濃さは、この都に漂っている空気を何十倍も濃縮し、正にこの塔の中から解き放っているかのようだった。

 扉の外から、カテリーナはまず塔の中を伺った。どうやら中に人気は無い。ただ、異様な空気だけが流れてくる。

 だが突然、カテリーナの心の中へと直接響いてくる声があった。

(何を迷っている?お前が来るべき場所はここだ)

 その声は、都の外にいる時も、はっきりとカテリーナが聴いた声だった。彼女はナジェーニカの方を振り向いた。そこにはただ黙ってこちらを見ている彼女の姿があった。

 彼女にはどうやらこの声は聞こえていないらしい。少しも反応せず、人形のような姿を見せている彼女だから、声が聞こえているのかどうかなどと言う事を、カテリーナが知るすべは無かったが、声が聞こえる者だからこそ、聞こえるか、聞こえないかと言う事は分かるのだ。

(今、そこに行ってやるさ)

 カテリーナは心の中でその声に対して、ただそのように答えていた。

 そして彼女は塔の中に足を踏み入れていた。

「お前は来ないのか?」

 塔の扉を潜った後、ナジェーニカの方を振り向いてカテリーナは尋ねた。

「行かない。ここから先はすでに帰りの無い一本道。私の使命は、お前をここに連れて来るまで」

 そうナジェーニカは不動の姿勢のままで言っていた。彼女はカテリーナが潜った扉を、また新たに塞ぐ扉であるかのようにそこに立ち塞がっていた。

 先に進むしかない。これは自分が逃げずに選んだ選択だ。ルージェラにも、皆の前でも決意した。自分がまた再び戦う決断なのだと。だからこそ自分の力を取り戻したのだし、こうしてまた道を歩もうとしている。

 カテリーナは再び自分に課せられた使命に向かって、立ち向かおうとしていた。

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「ああ、カテリーナよ。お前は封じられた扉を開こうとしているのだな…」

 ピュリアーナ女王の声は、海の開けた土地に出ても非常に大きな響きを持っていた。

 ピュリアーナ女王を乗せた、『リキテインブルグ』王家の船一隻は、《シレーナ・フォート》の都を脱し、海へと逃げようとしていた。

 まるで黒い巨大な球体のようなものに覆われてしまっている、《シレーナ・フォート》の巨大な城壁。黒い球体はその都を完全に包み込んでしまっており、あたかも檻の中に閉じ込めているかのようにも見える。

 現在、都の地下に隠された港から脱する事ができた船は5隻程しか無い。ピュリアーナ女王を乗せた船が、脱出する事が何よりも大切な事ではあったが、彼女にとっては民の命が心配だ。

 そうした女王の意に反し、都から船によって脱して来ているのは、王族や貴族の船ばかりである。ピュリアーナ女王は船首の位置に建ち、《シレーナ・フォート》の都から片時も目を離さないでいた。

 彼女が一体何を見つめているのか、同じ船に乗り込んだ従者の者達は分からないでいた。多分、民の身を案じているのだろう。

 そう思っていたのだが、ピュリアーナ女王が発した言葉は違っていた。

 海は荒れ、船は激しく揺れている。小さな船だったら転覆してしまいそうなほどの揺れだ。

 そんな中、ピュリアーナ女王は堂々とした姿で船主に立っている。彼女の場合、振り落とされるような事があっても、翼があるから空を飛ぶ事ができ、大丈夫なのだろうけれども。

「何を案じていらっしゃるのですか? 女王陛下?」

 従者の長がピュリアーナ女王に近づいていき、彼女にそう尋ねた。

 すると女王は彼女の方を振り向いては来ずに答えた。

「カテリーナ・フォルトゥーナが、封じられた塔へと足を踏み込んだ」

 女王は変わらず《シレーナ・フォート》の方を見つめ、ただそのように答えてきた。従者の長は、彼女が何を言っているのか分からないといった様子で、再度尋ねた。

「封じられた塔、とは?」

「《シレーナ・フォート》王宮の横にはずっと建っていた。いや、その塔は、我らが都、《シレーナ・フォート》が建つ、ずっと以前からそこに建っていたのだ。

 我らが先祖は言われた。その塔の封印をある時まで守っていく事が、我ら王族の使命なのだと。だから我らの先祖はその塔を中心とした都を建て、最も身近な位置に、王宮を建て、常に封印を施してきた」

 ピュリアーナ女王の様子を伺いながら、フレアーは彼女へと近づいていく。

「封じられた塔?それは、あの異様な魔力が籠められたと伝説にある塔の事ですか?数百年、いえ、千年以上は昔からある伝説と聞いています」

「3400年だ。私はそれをはっきりと知っている。そして、あの塔の扉が開かれる時、人知を超えた恐ろしいものが外へと解き放たれると言う。それが何であるかは、わたしも知らない」

「3400年。そんなに長きに渡って封印されていたものとは、一体、何なのですか?」

 従者の長もピュリアーナ女王と共に《シレーナ・フォート》の方を見つめ、そう尋ねた。

 ピュリアーナ女王は従者達の方は向かず、ただ正面に広がる黒い球体を見つめ答える。

「それはわたし達でも知らない。恐らく、わたし達の理解を超えたものだ。そして34000年以上もの時に渡って、封印されなければならない、何かだ。それが解き放たれた今、中から出てくるのは、災厄なのか、それとも救いなのか、それすらも分からない」

「私も、魔法については知識を深めてきたつもりですが、それほどまでの時を経て封じられてきたものを知りません」

 従者の長のその言葉に、ピュリアーナ女王は語気を強張らせて言った。

「もしくは、魔法の力を超えた何かなのだろう?フレアー殿。今、我等の都を包みこんでいる、あの黒い球体の正体は、魔法で説明をつけられるものか?つけられぬだろう?」

 ピュリアーナ女王は尋ね、従者はその質問に答えようと目の前で展開する黒い球体から何かを感じ取ろうとしたが無理だった。彼女はそこに存在するものが、巨大な力の塊であるという事しか認識できず、それが何者であるかを知るすべを持っていなかった。

「申し訳ありません。私にも、あの黒い球体の正体は分かりません」

「そうであろうな。私も、あの球体の事は何も知らない。ただ事実だけは分かる。あの黒い球体は私の都を包みこみ、そして、過去から伝わる伝説がある。そして、カテリーナは封印されていた塔の扉を開いた。

 この事実から察するに、わたしはいよいよ、過去から伝わる伝説が、現実のものとなって繰り返されようとしているに思う」

 ピュリアーナ女王はしかと船の前方で、展開している黒い巨大な球体を見つめるだけだった。彼女の持つ鋭い視線を持ってしても、その球体を打ち破る事はできない。ただ、吸い込まれるだけだ。

 黒い球体は全てを吸いこみ、その中に異形の空間を作っている。

 それが何を意味するのだろう。ただ、黒い球体に都を包みこみ、《シレーナ・フォート》を異形の怪物で溢れさせる。ただそれだけのためにその球体は展開しているのだろうか。

 いや、それ以上の巨大な何かの為だ。この今だかつて人の知る歴史にもない現象は、それ以上の巨大な何かの為に展開しているのだ。

 それは、ピュリアーナ女王や女王の側近ならば誰しもが、直感として感じている事だった。

「伝説が繰り返されるのなら、現実はどうなってしまうのでしょう?それに、私達は?この世界は?そして、カテリーナは一体、何の為に、塔に入ったのです?」

 従者は尋ねるが、彼女のその言葉に対しては、ピュリアーナ女王は何も答える事が出来なかった。

「それは私にも分からない。一体、この世界に何が起ころうとしているのか?そして、この世界がこれからどうなるのかという事も」

 

説明
何者かに導かれるようにして、《シレーナ・フォート》中央部にある塔へと向かうカテリーナ。そんな彼女にはナジェーニカが見張りにつき―。
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