クルリ
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 蝉が五月蝿いしうだるように暑い。ゆでられて芯からほてって熱を持つ。暑くて仕方が無い。昼間はそう、だけど秋の気配をまとった生ぬるい風が首元を通り過ぎるたびに焦燥感が胸を焦がす、そんな気持ちが強くなる、夏休みは終わりへと足をはやめていた。

 真野泰平、中学二年の夏。高校は正直、決めてない。

「ていうかそれ、フッツー・・・・にやばくない。もう中二ですよぼくら、たいへー君明らか間に合ってませんよ色々と」

 まくしたてるように京介が前めり気味に忠告するくらいに、どうやら今のオレは追い詰められた状況で居るらしい。クーラーガンガン、設定温度は二十四度、温暖化とかオレらにはまったくわかんねえし丸ムシ、そんな状況。そんなもんだ、大人は残念がるかもしれないけどじゃあその冷え切ったオフィスとやらから出てきて湿気のすごい教室で勉強うけろって話だわ。まずやってみろと、思うわけ。当然。

 部屋に居るっつっても広げた宿題は真っ白けなんだけど、友達同士で集まってまずまじめにやるわけがない。

「では聞きますが野ノ先京介さん。あなたは決まっているんですか」

 当然やん、と。関西独特の訛りを含んだ声で京介は笑う。コップを手にとって口付けて、液体を喉の奥に送り込みながら音だけで笑うのが聞こえた。窓の外で風が吹く、ぬるさを想像して顔をゆがめる。

 蝉がひどく五月蝿い。硝子一枚、その向こうで必死に泣き喚いていた。

「当然やん」

 一緒に来い、とか同じとこにする、とかそういうのは無い。淡白、オレと京介の関係を人は良くそう言う。拗ねたり、落ち込んだり、そんなときにかまったり慰めたりお互いにしないのだ。理由は簡単、寄ってこないから。一緒に居たいなら来れば言いし、来ないということは一人で居たいってことなんだからなんでわざわざかまうわけ、というのがオレと京介の持論。っていうか、べたべたしすぎも面倒なわけで、女子じゃねえんだから集団に固執する理由も無いだろう、と。

 気が向いたときだけ一緒に居る、今のところそんなお手軽なインスタントな関係である。メールして、気が向いたほうが家に行く。まあオレは暑いと溶けるので外に繰り出すのはいつも京介のほうが常なのだが。

 仕方ない。ほら、紫外線は敵だっていうじゃない。日焼け止めも塗ってないのに外に出るわけには行かないでしょう―――と、言えば盛大に後頭部に平手が炸裂したのだけど、それだけで涼しい部屋に待機できるなら安いものだ。いや、快適。

「ちょい、お前聞いとんけアホ夢の世界かドリーマーかこらお花畑の住人かきしょいわ」

 と、和んでいたら目前にシャーペンが割り込んだ。ストライプの乙女ティックな色合いと柄のやつ、親戚の女の子にもらってんとか前言っていたやつだ。ご丁寧にノック部分にラインストーンが埋め込まれてチャラチャラと飾りみたいなのがついてるタイプ。オレは苦手、使いにくいし。デッサンに使うとクルクル回って気持ち悪い。

「アホ、ってむかつくんだけどバカ」

 で、まあオレの選択肢に言い返さないなんていう良心的なのは無かった。いや仕方ない、ね。気性だからさ。

「はあ!?バカのがむかつきますー。あっついねんからクールビズやんいちいち突っかかってんとながせや関東弁うざいねん」

「標準語だから」

「ざっけんなや絶対関東弁やから。方言やからな!」

 言葉だけ聞いていると明るい感じの容姿を想像するのに京介は意外とそんなことは無い。意外と、てのは偏見かもしれないけど、京介の鋭い目つきは言葉遣いも相乗してかすごむと結構迫力があったりする。黙っているとさらりとした黒髪とあいまって、近寄りがたい空気をかもし出していた。鋭いくせに睫は多くて、美人。美男でなく美人。京介はそう言う奴だ。

 なのに良くしゃべる。ああ、勿体無い。いやイメージから外れているわけではないんだけど、毒舌だし。だけども京介に言わせると彼の毒舌なんて『こんなもんまだぬるい』、らしい。何それ関西に旅行行く気失せる。

 真っ白い肌。病気なんじゃないだろうか。

「あ、おお・・・スケッチブック。見て良い?良いよな?ヨッシャア見たろうやないの」

「オレ何もゆってない・・・」

 真っ白な紙に世界を描くのは楽しい。頭の中にぶわっと広がる色彩をそのままぶつける、快感ったらない。忠実に再現したり、デフォルメしたり、元が無いものだったり、誇張したり、空をピンクにしたり雲をマーブルにしたり思いつくままに描く、気持ちいい。俺の世界はこんなんだあぜ、と自慢する瞬間。真っ白を染め上げていく。最高の気分だ。

 ページがあるところで京介がめくるのをやめていた。じっと覗き込んで息を潜めている。

 絵になる男だ。挙動総てが優美な奴。良く喋って良く笑うからこそ、この美が成立するのかもしれない。

「なあ、これぼく?」

 ぽそっと。落ちた色彩の色。

 言葉に昔から色を感じた。親には変、とか言われたけどソレがオレの世界の常識で、言葉は総じて色を持つ。気性とか、言葉の発音とかニュアンスとかで色が変わる、世界はカラフルだった、昔から。色があるのが当たり前。

 その点、京介の言葉はかわってる、透明なのだ。一滴も色の混ざらない真水。冷えた夏の川の流れみたいな、言葉。清涼。

「・・・・・・・・・っていうかハズい」

 現実逃避だった。

 我ながら上出来だと自画自賛で褒めちぎった一枚を京介に見られた。しかも、あいつ自身を描いた奴。鉛筆だけを使ってあいつを表現した、結構上出来で。ちょ、見られるとかマジ簡便なんですが。

 忠実は肌の白さと黒髪を筆頭に顔の造形、ただ瞳の色は自由に作り変えて。といっても鉛筆の濃淡なんだけど、あいつの瞳はもっと暗い真っ黒。それを、深い、そう海をイメージした。現実逃避は続行ですごめんムリ。

「うわ、すごいこれすごいって!頂戴!」

「えー」

「お願い!」

 土下座の勢いで下げられた後頭部、夜みたいだと常々思う真っ黒なつむじを見詰めて、噴出した。どおぞ、その一言だけで狂喜乱舞する美人。つまり残念な美人。うっは、ウケる。

 透明の言葉が踊る、踊る。

「わー・・・めっちゃ凄い。美術関係行かへんの?あ、大学から?」

 変化球、鳩尾に叩き込まれました。

 クーラーの設定温度を確認するふりをしてあいつの真直ぐな目から逃れながら、唸った。痛いところを付かれた。しかもナイフの切っ先とかそういうテンションだ。突き刺して、抉られた。息をつめる、肺の奥の鉄の塊は溶けない。

 問題はそれだ。オレだって絵を描くのは楽しいし、勉強できるならそれに越したことは無い。だけど、なわけよ。

「勉強をしたいとは、思う。でも仕事にしたいわけではないから、さあ・・・楽しそうだとは思うけど」

「勉強したら仕事にせんといかんの?」

 透明。しんどいくらいに、曇らない。だからいつも顔を伏せるのはおれの方。

 逃れて顔を伏せて、つま先にゆらゆら視線を漂わせる。あーとかうーとか適当に言葉を濁す。チョコミントアイスみたいな京介の追撃から逃げるために、無駄な抵抗をしてみるのだ。

 甘いと思ったら予想以上にミントが鼻に来てひやっと冷たく、歯に詰まるチョコレートが甘く喉の付け根を刺激する、そんな飴と鞭戦法な京介の言葉。透明なきんと冷えた田舎の井戸の水、曇ることのない純水、都会にはない旨さであり家に帰ると絶対に手に入らないことを突きつけてくる残酷。

 といっても、オレたちの住んでいる都市は都会なんてものには程遠い。田舎でもないけど都会でもない、中途半端な街。同年代の奴なんかは思春期も相乗してどうにもならない半端さを補うみたいに声を張り上げて自分を主張する、街は廃れてもおれたちはそうじゃないぜとバカみたいに叫んでいる、奴が多い。だけどそいつらも、中途半端。構って欲しいが全開のグレ方、目障りでイラついてもう、しゃあねえ。

 京介の住んでいた街もそんなところだったらしい。大きな市に挟まれて、一度地図で見て上にあるほうの市と合併しかけたりもしたと聞いた。知名度の低い、生活には事足りるがどこか褪せた街だった、と。

 中二の夏に転校してきたばかりで、そん頃は実はちょっとした騒ぎだったりした。見た目と話し言葉、負けん気の強さで女子を言い負かしたとか何とか。面白そうで見に行って、そこで。

 ようっと声を掛けられた、それがハジメマシテ。それから妙に気があってつるんでる。訛りを恥としないそこらへんが面白かった、鹿児島かどこかから来た奴は嫌がってとってつけたみたいな喋り方をして、そうそれも中途半端でうざかったから。

「わかんねえよ、そんなの」

 褪せている。日々が褪せていく、夢見たちいさいころの自分がクシャクシャになってゴミ箱のそこで泣いている、そんな幻覚にとらわれた。

 わかんねえよ、と繰り返す。京介は何も言わない。ただ問題集に目を落として、静かに解きはじめただけ。前から見たら前髪のないサラサラヘアーが後ろから見るとウルフ、というよくわかんねえ構造の髪の襟足が、ウルフの部分が鎖骨に流れて白の上に鮮やかに散った。綺麗。ふっつうに、綺麗。ぼおっと眺めていたら、三問くらいといた後に京介が顔を上げて視線がかち合った、真っ黒宵闇を思い出す瞳をぐっと睨みつける。どうしてか、逸らすと負けだと思ったのだ。しばらく見詰め合って、笑い上戸の友人は小さく噴出した後に慌てて表情を引き締めて言わんよ、と呟いた。と妙に間延びした声でオレを呼んだ。ぴりっと張り詰めた声、ミント。

 顎に張り付いていた水疱をぬぐって、答える。なに、どしたって。

「言わへん。お前が欲しがってる言葉なんて言うたるかよ」

 甘えてんちゃうよ、知るかよ、ぼくに聞くなよ。聞こえないはずの叱咤が、嫌悪が、胸を打つ。鼓膜を揺さぶって心臓に突き刺さってくる。俯く代わりに唇を噛んだ、羞恥にさいなまれる、口腔に血の味が広がる。前歯の裏、そのすぐ上の歯茎は良く切るところでそこから出血したらしかった。舌先で舐めると僅かな痛みがじわりとにじむ。

 ナイフを突き立てるみたいにして、声がオレをなじった。透明な声が棘をはらんで。おー、こえぇとか茶化したりはしなかったし、蝉が相変わらずしゃあしゃあ言ってる以外は部屋は静か。

 そうだった、欲しい言葉を甘やかすみたいにしてやすやすと投げてくれる奴じゃなかった、失念してた。自分のちいささとか甘さとか、そんなもん一式に苦笑する。

 こいつとの会話は油断ならないが、だからこそ面白い。スリリングな体験を求めてしまう人間の心理、ってやつですか。それを刺激する。懐に入り込めば入り込むほど帰ってくる返答は面白いものになっていくので、つい付かず離れずスタンスを崩して強行突破に乗り出してしまうのだ。だって面白いから仕方ないってもんですよ。

 高校も、明日の予定さえ聞けていないが。とりあえず甘えんなよって突きつけられた自分だけを今のところ大事に丁重に引き取っておいて、今のところは暑いしわかんないしそれで良いとしよう。どうせ、そんなもんだ。

 溶けた氷がカラリと鳴いたのを合図に、悩んでたのがバカらしくなってたことすらバカらしくなってきてとりあえず京介の胸にダイブ。

 鼻を打つ。そんで間髪居れず、笑い声。とりあえず楽しい。

説明
ちっちゃいことさえ途方も無く大きく感じて、そう感じたことさえその一瞬あとに忘れてしまうような。そんな学生を表現できていたらとおもいます
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