迷信の下で(佐幸小説・サンプル) |
それから弁丸が元服を向かえ、名を真田源二郎幸村と名乗る十年の間、佐助は常に傍に居た。
兄である信之が婚儀によって徳川に行く事になり、離れ離れになった時も。そればかりか父である昌幸が戦で討ち死にした折も。
真田の跡継ぎとなる覚悟を、元服前にせざるを得なくなった夜もしかり。
理不尽に耐えかねて泣きじゃくる声で呼ばれれば横に並んで寄り添い。現実と向き合って泣くのをこらえる時は、独りではないのだと影に徹する。
お館様である武田信玄の加護の下、若い竹がしなるように生長していく姿に目を細めたりもした。
また弁丸―源二郎―も、忍として闇に秘めて任務をこなす佐助の帰りを、静かに待ち続けるようになった。
弁丸の炎がつけた火傷の痕が残る腕で、幾人もの人を殺した。
誰にも言えぬ愉悦は、主の証がこの身にあること。同時に宿る惨めさは、己の夢想で主を汚す卑しさに。
新緑の季節が巡るある時、任務の為に数日開けて帰ってきた夜に、佐助の主はこう言った。
「佐助の手が好きだ」
最初は仕事の報告と、真田忍隊の長として上田に居なかった間について、幸村の執務室で話していた。
すべき報告を済ませ、なんとはなしに雑談となった時の不意打ち。
年を重ねた分だけ、血の海を掌ですくうのに慣れ、やはり忍はどこまでも穢れた者であると、佐助は痛感している。
「汚れてるよ」
「そういう意味ではない」
見た目には佐助の手は汚れてはいない。初陣を迎えていない主の前で血を見せないのは、佐助の中の小さな意地だった。
見た目ではない、けれど汚れきった手を、主は好きだと言う。
「俺を守ると言った手だぞ。愛しくない訳がなかろう」
声変わりを済ませたのが遅かったせいか、今も少し掠れている。
「あの時、その手が俺を引き止めたのだな」
二人にとっては忘れもしない夜。
どうして突然、そんな単純に浸れぬ思い出話をする気になったのか。
「どうしたの、何かあった?」
大事なことほど隠したがる、若い主の顔を覗き込む。
「何もない。手習いも鍛錬も、いつも通り終えた」
案の定、どこまで本当か分からない頷きをするから、佐助は少し角度を変えてみた。
「団子、盗み食いしてないよね」
ここ数日上田から離れていたということは、甘味好きを止める最大の歯止めが居なくなるということだ。
だがこれにも幸村は首を横に振った。
「するもなにも探す前に六郎が隠した。あれはどうやっても見つからん」
飴と鞭の使い分けがうまい六郎にかかっては、幸村も譲歩せざるを得ない。
とりあえずふて腐れた頬は、罪を認めたのと同義。
「やんわり盗み食いする気はあったことをバラしちゃってるのは目を瞑るとして」
「う」
「なら、どうしたっていうのさ」
主の昔から変わらぬ子供らしい部分を垣間見、うっかり安堵してしまった。何のために探りを入れたのやらと自分に呆れる佐助に、幸村は言い負かされた名残を消して、今一度首を横に振った。
「別に、明確な理由はない」
つまり皆無ではないという意味にもなる。言葉に言い表せぬ物に対し、語彙が豊富ではない幸村が選ぶ言い回しは、昔と変わらなかった。
鳩尾に当てた手が、スウッと腹まで下ろされる。
「ただな、妙にここ数日、ここにあるものが蠢いている気がしてな」
「……旦那」
異能の力が宿る決まった場所などない。だが幸村は常に、体の中心を指してきた。
「思わず懐かしくなっても仕方なかろう」
語尾を上げて、話の内容に見合わない微苦笑する姿が、かえって佐助の心中を乱させる。
本当はそんな顔などさせたくないのに、そう案ずる佐助を主は諭す。先ほどよりも幸村らしい、自信を滲ませる眼差しで。
「大丈夫だ」
言霊となった嘘は今や、二人にとって形のない、象徴的な物へと変わった。
「そう言ったのは佐助だろ。だから俺は、大丈夫だ」
「うん」
主が頷くなら、付き従う忍は嘘を真実にする。
「俺はお館様のご上洛の為に、槍を奮うぞ」
「俺様は旦那の為だけどね」
佐助はいつだって真田の忍ではなく、幸村の忍だと言って憚らない。あくまで自分の力は幸村の為だけに在るという態度を、一度とて崩したことはない。
「旦那は何も憂う必要は無い。その為の露払いはさせてもらうから、いつか迎える初陣だって勝ちますよ」
元服を済ませ、晴れて武士となった者が待ち受ける先は初陣だ。
「旦那は前に進むと決めたんでしょ。だったら俺様はその道を切り開き、旦那の背中を守ります」
そう、だから大丈夫と、佐助も言霊を唱える。
目元を綻ばせた幸村は「頼りにしておるぞ」と伝えた。
幸村が改めて力の使い道を口にしたのは、己の内で蠢くそれに言い聞かせていたからだ。
あの夜以来、人を燃やしたことはない。だが近いうち、自分はこの力を解放するだろう。大事な者を守る為に、人を殺すのだ。
矛盾する行動だが、佐助は幸村の思う数以上の轍を、何度も踏んでいる。同じだと言ってくれた忍は、一体いくつの夜を経験したのだろうか。
「佐助はずっと、この力と共にいるのだろ」
「そうだね。いつからかなんてもう忘れちゃったよ」
言葉に嘘はない。本当にいつ自覚したのか分からないのだ。気付けば影は形あるものへ歪み。己の手となり足となった。
それほどまでに使いこなす佐助なら、きっと知っている筈と踏んだ。
自分だけに聞こえる声が、その実何を求めているのか、幸村は推し量っていた。己だけの声ならば、汲み取ってやった先に何があるのか。
ひらひらと舞う闇から生まれた黒い羽は、本当に掴めないのか。
「佐助。お前のそれは、何を問うているのだろうな」
「……俺様の、ねぇ……」
夜に溶ける声は、どこまで佐助の答えを知りたいのか分かりかねた。
「古すぎてそれも忘れたよ」
曖昧な返答の後、しばらく静寂が続いたが、答えないのなら仕方なし。問えば返す者が口を閉ざすのだ。きっと言えぬ事情もあるのだろうと割りきり、幸村は話題を変えた。
「そうだ団子といえばな、お前が出ている間に峠の茶屋が新作を出したのだ。だから今度」
一緒に食べに行こうと言いたかったが、意識は限界だった。突然うつらうつらとしだしたので、佐助は苦笑を抑えられず、閨へと促す。
幼名の頃より、主が忍の帰還を変わらず待っていたのを、知らぬ佐助ではない。今夜は少し待たせ過ぎたか。
自力で行くのを諦めた主を、「失礼しますよ」と背中と膝の裏に手を入れて持ち上げる。慣れた様子で閨に移動すると、単衣に着替えさせる。忍の仕事ではなくとも無駄の無い流れは、佐助がいかに慣れているかを物語らせる。
「はい旦那、おやすみ」
「うむ」
用意された褥に横たわらせるや、眠気に誘われたままの主は、あっさりと意識を手放した。
血生臭い話をしたのと同一人物と思えぬ、あどけない顔に、佐助はついすぐに去るのが勿体無い心地になっていた。
不寝番が天井裏に潜んでいるのを気配で確認しながら、幸村の安らかな寝息に耳を傾ける。
主が何を言いたかったのかははっきりしないものの、佐助にはある程度察しがついていた。
身に巣食う、世に具現化される力。
異能者だけが知る声は、佐助にも覚えあるもの。
幸村も幼い頃から聞こえていた。
本当は聞かずに済むなら、何だってしてあげたかったのに。忍の技も所詮は人の作り出した物。忍頭まで上り詰めても、自分の出きることへの限界だけを思い知らされた。
「旦那、闇の声だけは聞いちゃいけないよ」
闇は佐助であり、佐助が闇そのものでもあった。
知ってはいけない。
知る必要は無い。
知られたくない。
それは、幸村の初陣が決まる前夜の出来事。
説明 | ||
幸村の異能暴走ネタ。サンプルは話の中間ぐらい。話が長すぎるので、前編として収録。でも1話完結として終わらせてます。 流血表現と性的表現で18禁だけど緩い。 |
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