ぬくもり |
朝だ。…いや違う、昼だ。俺はどうやら、寝過ごしたらしいな。
自室のカーテンを開け放った俺は、少しだけ目を細めた。夏にしては柔らかい日差しが、窓から差し込む。
防衛軍の青年…ニコがこの秘密基地に居候することになってから、数日が過ぎた。少し前まではあんなに慌ただしかったというのに、こうしていると、生き残りをかけた作戦なんて全てが嘘のように思える。
欠伸をしながら首を傾けると、コキリという小気味の良い音がした。
朝飯を食いそびれたわりには、あまり腹は空いていない。だからといって、部屋でじっとしているのもつまらない…。そう思った俺は、とりあえず階下へと向かうことにした。
俺が階段を降りると、何故か一階が異様に静まり返っている。
「おい、誰かいないのか?」
呼びかけに呼応して、ドアノブが回る、軋んだ音がした。
「おはよ、野田。やっと起きたの。」
階段の下の小部屋から、彩が顔を覗かせる。
「やっとって彩…起こしてくれてもよかっただろう」
「たまにはゆっくり休ませたげようと思ってねー」
「そうか…それは礼を言うべきなのか否か。」
俺が首を傾げると、彩は「冗談よ」と言って部屋に戻ろうとした。
「あ、ちょっと」
戸が閉められる直前に、彩を呼び止めた。
「…何よ?」
「皆はどこにいるんだ?」
「ああ、隊長と河村が買出しに…アンリはその代わりに店番。あと、ニコと一世は外にいるみたいよ」
「外?」
「うん、外。」
彩はそれだけ言うと、今度はさっさと部屋の戸を閉めてしまった。
基地の外に出た。陽光の降り注ぐアスファルトからは、ほのかな熱気が立ち上っている。しかしそれは、嫌な暑さではなく心地よいあたたかさ、だった。
「おーい一世、ニコ。どこだー?」
呼びかけながら、二人の姿を探して商店街の中を歩く。
「…ん?」
見つけた。魚屋の横の、日当たりの良いベンチで、ぎゅっとひとかたまりになっている。
―――…あのニコが、すんなり他人に触れるとは、珍しいものだな。いや、珍しいというよりも、俺が信用されていないってだけか。
ニコが一世を膝の上に乗せて、二人で日向ぼっこをしているようだ。何とも愛らしい光景だな…眺めているだけで口角が上がるのを感じる。
「ぬくい……」
眠たそうな目をしたニコが言う。どうやら、まだこちらには気がついていないらしい。もう少し黙って見守るか…と思っていたところ、後ろから誰かに声をかけられる。
「ちょっと野田ちゃん、野田ちゃん!」
「はい?」
野太くしわがれた、馬鹿でかい声に振り返ると、魚屋の店主が立っていた。
「何ですか?」
「魚がね、上等なのが手に入ったんだ。」
店主は何の魚かは言わなかったが、こんな寂れた店のことだ。どうせ、良い魚といったって新鮮な鮭程度のもんだろう。
「野田ちゃん、本格的な料理も作れるんだろう。今度うちでその魚、料理してくれるかい」
「ああ…それならお安い御用で。何なら、今からでも伺いましょうか」
俺がそう言うと、店主は気前の良い笑顔を浮かべた。
「いや、後でいい!それよりあんた、あの二人のこと見てただろう。友達なのか?」
「え…?」
店主に言われて振り返ると、ニコがベンチのほうからこちらを見ていた。どうやら、先程の店主の大声で、気づかれてしまったらしい。
「ほら、行ってあげな、友達なんだろ?」
「えっああ、はい…?」
…友達?友達って何だろう。語尾に疑問符をつけながらも、俺は店主の言葉に頷いた。
力強く手を振る店主に礼を言うと、俺はニコ達のいるベンチに向かった。
「…やっと起きてきたのか。いたんだったら声をかけてくれたら良かったのに」
ニコが俺に声をかけた。それには答えず、代わりに少しだけ、からかいの言葉を投げかけることにした。
「ふむ、それがアレか、河村の言っていたツンデレの『デレ要素』という奴か。」
膝の上に乗っかったままで眠りこけているらしい一世を指差して、にやりと笑ってみる。
「ばっ…そんなんじゃねえよ!」
照れているのか何なのか、ニコはもごもごと「ほんとは邪魔で邪魔でしょうがないくらいなんだからな」などと呟いていた。
「そんなことを言いながらも、一世を退かそうとする気配は見えないが。」
ニコは依然として、たまにぐらりと傾ぐ一世の体に、軽く手を添えるようにして支えている。
「起こしたら、可哀想だろ。だからお前も騒ぐんじゃないぞ!」
ニコが、尤もじみた顔をして言った。
「…一番騒いでるのはお前だろう。」
それが何だかおかしくて、俺はくすくすと笑いながら、ニコの隣に腰掛ける。
「ああ、あったかいなあ」
包むような日差しと、人の体温。俺にとってでさえ、今となってはこれが、当たり前の温もりだ。
隣へと目をやる。ニコはじっと目を閉じて、陽だまりに身を委ねているかのようだった。
…こいつには今まで、この当たり前の温もりさえ、無かったんだ。
そう考えたところでふと、魚屋の店主の言葉を思い出す。若干躊躇ったが、ニコに尋ねてみることにした。
「…なあニコ、俺とお前は友達か?」
「何で急に、そんなこと訊くんだ?」
「何となくだけど。」
本当に不思議そうな顔をしながら、ニコが尋ね返す。俺はその言葉に、曖昧な微笑を返すことしかできなかった。
「そもそも、友達って何だ?」
「そうだよなあ、分からないよなあ。友達って何なんだろう。」
困り果てたような顔をしているニコに、俺は「分からないよなあ」と繰り返した。そして、言葉を続ける。
「けどなあ、今は知らなくてもそのうち分かってくることだって、たくさんあると思うんだ。」
だからさ、きっとその時は、俺とお前は友達だぜ。…声には出さずに、包み隠した想い。伝わっていようが伝わっていまいが、関係ない。
俺は笑った。今度こそ、曖昧じゃない、真っ向からの笑顔だ。
…それを、どう受け取ったのだろうか。ニコは何も言わずまた、目を閉じた。
少しだけ体をニコの方へ、寄せてみる。
「…あんまりくっつくなよ。」
くすぐったそうに軽く身を引きながらも、ニコは決して俺を拒絶しなかった。
―――何だ、自分から触れてみれば、案外普通に受け入れてくれるものじゃないか。
「何だ、何で笑ってるんだよ。おい、野田?」
「…ちょっとな、嬉しかったんだよ。」
ふふ、と笑いながらうつむいた俺に、ニコは「何が?…変な奴」と首を傾げた。
「なんだいつまらないな、俺にはデレてくれないのかい?」
「だっだからデレじゃないと何度…!」
慌てて声のトーンが跳ね上がったニコの腕の中で、一世が身じろぎする。我に返ったように、ニコが口を噤んだ。
「ああ、あたたかくて良い気分だぜ。…しばらく眠ってしまおうかな」
「ちょっと待てよお前、さっきまで寝てたんじゃなかったのか?」
「それとこれとは話が別だ。眠たいものは眠たいんだよ。」
体をニコの肩に預けて、そっと目を閉じる。
―――俺は知っている。自分を悪者のように蔑んでいるこの青年は、本当はとても優しいんだ。
…もしここで俺まで眠り込んでしまったら、ニコは一体どうするだろう。一世と俺を起こさないようにと、ただじっとひだまりに抱かれているのだろうか。
その情景を想像して、また少し笑ってしまいそうになる。
―――…この時間が、この温もりが。
―――ニコにとっても、当たり前のものになりますように。
…地球が終わったって、幸せな時間は消えやしないさ。
だからこれからもずっと、ずっと皆で笑っていよう。
瞼の裏に映るオレンジ色が薄くなり、俺の意識は眠りの底へと落ちていった。
説明 | ||
この想いが、どうか、形を成して君の元へ届きますよう。 ◆短編的なものです。 |
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