星祭
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 昔々、あるところに一人の魔女がいました。

 魔女はとあるの村はずれにある、村人すらも近寄らない深い森のさらに奥深く、光もほとんど届かない場所に家を建て、ひっそりと住んでいました。

 魔女がそこから出てくることはほとんどなく、深すぎる森またそこに人が来ることもめったにありません。

 その家の前に、一人の少女が立っていました。

「……ここが魔女の家――」

 少女はその苔で覆われた魔女の家を見上げます。大きさは少女の住む村でよく見るような、木造の二階建てのようですが、不思議なことに一つも窓がなく、またあちこちがひどく痛んでいて、人が住んでいるようには見えません。

 けれど、この辺りには他にそれらしき建物はありません。それにもうすぐ日も暮れてしまいそうです。元々この辺りは薄暗くはありますが、太陽が沈んでしまえば闇に包まれてしまいます。そうすればもう、帰ることすら難しくなってしまいます。

 意を決し、少女はゆっくりとその家に近づきます。正面にある扉の前に立つと、大きく深呼吸。恐る恐る手を伸ばすと、少女はその扉を小さく叩きます。

「ごめんください」

 一回、二回……三回。けれど、誰も出てくる様子はありません。

 少女はもう一度、今度はめいっぱいの力で扉を叩きます。

「ごめんください!」

 それでもやっぱり返事はありませんでした。

 少女の心を不安が包みはじめます。やっぱりここは魔女の家ではないのかもしれない。そして自分はこのまま森をさまよい続けて、死んでしまうのかもしれない、と。

「いいえ、そんなはずはないわ。だって、おばあさまの仰ったことだもの」

 もう一度だけ、と少女がそのか細い手を振りあげたとき、音もなく扉が開きました。家の中からは光が漏れだして、少女の顔を照らします。

「……さっさと入っておいで。そんなにガンガン叩かれたらたまらないからね」

 どこからともなく、女の人の声が響きました。きっと魔女の声なのでしょう。

 少女は「おじゃまします」と呟くと、魔女の家に足を踏み入れます。

 扉をくぐり抜けた先にある部屋をみた少女は、少し拍子抜けしてしまいました。

 少女はもっとおどろおどろしい家を想像していたのですが、そこに広がっていたのは、家の外観からは想像できない、まるで新築の家のようにピカピカと磨かれたリビングでした。微かにふわりと、木の香りも漂っています。

 少女は先日招待された、新婚夫婦の家を思い出しました。あの時に食べたパイの味を思い出して、思わずよだれが垂れそうになってしまいました。

 慌てて口元を拭うと、少女は辺りを見渡します。目の前にあるのはキッチンとテーブル、そして椅子だけ。肝心の魔女らしき姿はどこにもありません。

「……待たせたね」

 少女が振り返ると、そこには上の階に続いているらしき、階段があって、そこからちょうど一人の黒いのローブを着た女性が降りてくるところでした。

 ウェーブのかかった長い黒髪を揺らしながら、一歩ずつ降りてくる女性の姿に、少女は思わず見とれてしまいます。女性の纏っているのがもしローブなどではなく、きらびやかなドレスだったお姫さまのように見えたことでしょう。

「おや、どんなお客さんかと思えば、かわいいお客さんだこと。まあ、適当なところにかけとくれ。今お茶を淹れよう」

 そう言って、女性がぱちんと指を鳴らすと、テーブルの上にティーポットとティーカップが姿を現しました。ティーポットの口からは、湯気とともに紅茶の芳醇な香りが漂ってきます。それはまさに魔法のようでした。

「? どうかしたかい。まあ、座っとくれよ。何も取って食ったりはしないさ」

「あ、は、はい!」

 少女は我に返ると、慌てて手近な椅子に腰掛けます。女性はゆっくりとした様子で、その向かいに腰を下ろします。

「あの、あなたが魔女――ですか?」

 おっかなびっくり少女が尋ねると、女性は笑みを浮かべて頷きます。

「そうだよ。あたいが魔女――ヴィンデミアさ」

 そう言ってヴィンデミアは少女をじっと見つめます。

「あ、わたしはスピカって言います。ヘーゼ村から来ました」

 それを聞いて、ヴィンデミアの眉がぴくりと動きました。けれど少女――スピカはそれに気づかず、言葉を続けます。

「あのっ、今日はお願いがあってきました!」

「さっそくだね。まあ、望みもなしにここに来る人間なんていやしないか」

 そう言って、ヴィンデミアは自嘲します。

「ヴィンデミアさんはお一人なんですか?」

「そうさ。ここにはあたいの他には誰も住んでいない。そして資格のないものには、ここに来ることはできない――そういう風にあたいが魔法をかけている。だからここにたどり着いたあんたには、望みを言う権利がある」

 ヴィンデミアはスピカを見定めるように、その瞳をじっと見つめます。

「さてあんたはどんな願いを持ってここに来たんだい? 世界の征服? 黄金の錬成? それとも年相応に、意中の人の心を射止めるかい?」

 スピカはそのどの問いにも首を振り、ヴィンデミアを逆に見つめ返します。

「いいえ、わたしの望みはそんな大層なものではありません」

 一呼吸ついて、そしてスピカは自分の望みを、確かな言葉で口にします。

「わたしの望みは――おばあちゃんに『星祭』を見せてあげることです」

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 スピカの住む村には、『星祭』というお祭りがありました。

 そのお祭りは、星神さまにその年に採れた作物や動物に感謝を捧げるためのお祭りで、星神さまの使いである『星巫女』に、村人が星神様への供物や祈りを捧げます。そして『星巫女』は村人たちの感謝への返礼として、空から星を降らせるのです。

 実際には星を降らせるのではなく、『星巫女』が棒の先に特殊な薬を塗った松明を掲げて揺らすだけなのですが、その光景はスピカにとって年一度の楽しみでした。

 目を輝かせるスピカを見ながら、祖母であるリーマがにこりと微笑みます。

「スピカはこのお祭りが好きかい?」

「はい! とっても綺麗だし、それにおばあちゃんがいるから」

「そうかい、そうかい」

 リーマはそのしわくちゃの顔をさらにくしゃくしゃにして、スピカの頭を優しく撫でてくれます。スピカは祖母にそうしてもらうのがとても好きでした。撫でてもらうだけで、なんだかあったかな気持ちになるからです。

「……けどねえ、わたしが子供の頃に一度だけ、もっと綺麗な『星祭』を見たことがあったんだよ」

「そうなの?」

「ああ、本当さ。星巫女さまが棒を振るうとねぇ、本当に空から星が降ってきて。……ああ、あの光景は今でも忘れられないねえ」

 そう言って遠くを見るリーマの姿は、少し寂しそうにも悲しそうにも見えました。

「どうして、今はそうじゃなくなってしまったの?」

「……さあ、どうしてだったかねえ」

 スピカがそう尋ねても、リーマはただ目を細めるだけで答えてはくれませんでした。

 

「わたし、おばあちゃんにもう一度、その本当の『星祭』を見せてあげたいんです!」

 力一杯机を叩きながら力説を続けるスピカを、ヴィンデミアは紅茶を淹れながら、じっと見つめていました。

「それに……おばあちゃん、最近体調が歩わるくて、もしかしたら今年の『星祭』が最後かもしれないから……」

 そう言って、今度は俯くスピカを見て、ヴィンデミアはくすりと笑い、そっと淹れたお茶をその前に置きました。

「……ふふ、面白い子だね。はいお茶だよ」

 ヴィンデミアが顔を緩めるのを見て、スピカは頬を染めて怒りました。

「な、何がおかしいんですか!」

「ああ。あんたの表情の変化が面白くて、笑っちまったのさ。すまないね。……でもそうか、リーマがねえ。もうそんなに年が経っちまったのかい」

 ヴィンデミアはリーマの名を口にすると、懐かしそうに目を細めます。その黒い目の奥底には複雑な感情が渦巻いているようでした。

「もしかして……おばあちゃんを、ご存知なんですか?」

「知ってるも何も。あんたの祖母とやらが見た時の『星巫女』をしたのはあたいさね」

「え、ええっ? ほ、本当ですか!?」

 思わず身を乗り出したスピカに、ヴィンデミアは苦笑いを浮かべます。

「こんなことで嘘をついてどうするのさ。あたいは魔女だよ? 星を降らせるぐらい簡単なものさ。こんなふうにね」

 ヴィンデミアが指を振るうと、突然スピカの目の前に炎がぼわっと燃え上がります。

「きゃわっ!」

 火に驚いたスピカは思わず後ろにのけぞり、そのままどしーんとひっくり返ってしまいました。幸いにも頭は打ちませんでしたが、背中がずきずきと痛みます。

「いたたた……」

「あはは、悪い悪い。……それで、あんたの望みとやらはその『星祭』なのかい?」

「はい!」

 むくりと起き上がると、スピカは興奮気味に続けます。

「お願いします、もう一度祖母に『星祭』を――」

「わかった、いいだろうさ」

「ほ、本当ですか?」

 ヴィンデミアの言葉を聞いて、スピカはぱあっと顔を綻ばせます。けれどかの魔女はそれを見て、冷ややかな笑みを浮かべました。

「その代わり。その代償を頂くよ」

「代償――わたし、お金は」

「お金なんていらないさ。あたいがいただくのはたった一つ――すべてが終わったら、あんたの大切なものを一ついただく。それでもいいかい?」

「わかりました。わたしの持っているものでよければ!」

 二つ返事で頷くスピカに、ヴィンデミアは毒気を抜かれたような顔をしました。

「……本当にいいのかい? あんたの命かもしれないんだよ?」

「構いません。おばあちゃんに『星祭』を見せてあげられるなら、わたしにできることだったら何でもします」

 スピカは、まるで聖女のような笑顔を浮かべます。

「だって、わたしの命はおばあちゃんに拾われたようなものですから」

「……どういうことだい?」

 ヴィンデミアが不思議そうに尋ねます。

 彼女には、少なくともこんな小さな少女に、自分の命までも投げ打つ覚悟があるとはとても信じられませんでした。これまで彼女の元を訪れたのは、どれもこれも欲望を持った大人ばかりでしたから。

「わたし、孤児だったんです。だからおばあちゃんとは血が繋がってはいないんです」

 悲しそうな素振りも見せず、スピカは平然と言いました。

 彼女は戦災孤児でした。といっても、もう昔のことは覚えていません。彼女が覚えているのは、焼け落ちる自分の家、荒野をあてもなく歩く自分の足、そして空腹に喚くお腹の音。

 気づくとスピカは、ふかふかのベッドの上で寝ていました。後から聞いた話によると、どうやら村の前で倒れていたそうです。

「そんなわたしを看病して、そして家に置いてくれたのがおばあちゃんなんです」

「……ふうん」

「本当はよそ者を村に入れるなって、反対されたみたいなんですけど……それを押し切ってくれたみたいで。それからも、おばあちゃんはわたしを自分の子供のように育ててくれて――『結婚もしてないし子供もいないから、わたしにはちょうどいい』なんて言ってくれますけれど」

「……リーマは、まだ独身なのかい?」

 少し驚いたように、ヴィンデミアは訪ねます。

「はい。若い頃はお話もあったみたいなんですけれど……かたくなに断ったみたいです。おばあちゃんは、償いみたいなものだって言ってましたけれど」

「そうかい。……リーマも、馬鹿正直な子だね」

 ヴィンデミアは苦々しそうにそう呟くと、スピカから目を逸らします。スピカには一瞬見えたその瞳に、深い悲しみの色が見えたような気がしました。

「だから、わたしおばあちゃんには感謝しているんです。どれだけ感謝しても、し足りないぐらい――だから」

「なるほどね。あんたの願いも覚悟の程も理解したよ。わかった、それならあたいもあんたの願いを叶えようじゃないか」

「ほ、本当ですか!? あ、ありがとうございます!」

 何度も頭を下げるスピカを見下ろしながら、ヴィンデミアは自身の胸を軽く叩きます。

「任せときな。あたいは約束を違えることはしないさ。……そう、何があってもね」

「ヴィンデミアさん……?」

 ヴィンデミアはそう言って、何か含みのあるような目でそっと遠くを見つめるのでした。

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「んしょ、んしょ……っと」

 スピカはチュニックを脱ぐと、ふぅと息を吐きました。

 帰ろうと思ったのですが、外はもう真っ暗でした。松明をつけたとしても、もうこのくらさではどちらが村の方角かわかりません。

「今日はもう遅いから。泊まってゆきな」

 というヴィンデミアの言葉に甘えさせてもらい、スピカは彼女の家に泊まっていくことにしました。といっても着替えなどあるわけもないので、身につけてきた大切なケープを外し、スカートを脱いで丁寧に畳むと、それらを持って階段を登ります。

 二階もまた、スピカの想像していた魔女の部屋とは違う、普通の小部屋でした。部屋には本棚とベッド、あとは火のついた蝋燭がある机があるだけ。怪しい薬棚や、ぽこぽこと泡を立てる、毒々しい色の液体をたたえた壷の姿はどこにもありません。

「ちょっとがっかり……あれ?」

 ふとスピカは、壁に掛けられていた黒いケープに目が止まりました。手に取ってみると、それはどこかで見たことがあるような気がします。

「もしかして、これって――」

「それに触るんじゃないよ!」

 突然の大声に振り返ると、ローブを脱いでネグリジェ一枚になったヴィンデミアが、鬼のような形相でスピカを睨んでいました。

「あ、ご、ごめんなさい」

 スピカはあまりの怒気に怯えてしまい、慌ててケープを元に戻します。スピカの姿を見て、ヴィンデミアも我に返ります。

「あ……いや、あたいも悪かった。けど、それは大切な物なんだ。できれば触らないでおいとくれよ」

「は、はい」

 しゅんと縮こまるスピカですが、その頭をくしゃっと撫でると、ヴィンデミアはスピカをベッドに入るよう促します。

「さ、明日も早い。さっさと寝るよ」

 スピカがベッドに入るのを見届けると、ヴィンデミアはろうそくをふっと吹き消しました。

 

 部屋を暗闇と静寂が包んでからしばらくして、スピカはめをぱちりと開きました。スピカは普段と違う枕ではなかなか寝付けないのでした。

「眠れないのかい?」

 ふと横を見ると、ヴィンデミアがスピカを優しいまなざしで見つめていました。不意に、ネグリジェの隙間から豊かな膨らみがちらりと見え、スピカは不思議とどぎまぎしてしまいます。

「あ、はい……っ」

「まあ、眠れない夜ってのはそんなもんさ。あたいみたいに長い間生きていると、目が冴えて寝付けない夜なんて片手じゃ数え切れないぐらいあったさ」

「そういう時は、どうするんですか?」

「ある時は本を眠くなるまで読んだり。ある時は羊の数を数えてみたり――いろいろやったねえ。けど、一番効果があったのは……今みたいに、誰かと話をすることさね」

(また、あの目だ……)

 ヴィンデミアは懐かしそうに目を細めます。

「……ねえ、ヴィンデミアさん。一つお聞きしてもいいですか?」

「なんだい?」

「どうしてヴィンデミアさんは、色々な人の願いを叶えてあげないんですか? もっとたくさんの人の願いを叶えてあげたら、もっと素敵な世の中になると思うんです」

「そうだね、確かにその通りかもしれない。……今からでもそう望みの内容を変えるかい?」

「それは……」

 困ったように眉をひそめるスピカを見て、ヴィンデミアはくすりと笑います。

「冗談だよ。……けどね、もしあんたがそれを望んだとしたら、あたいははっきり断っていたよ。あたいはもう、ずっとずっと昔に決めたのさ。無償では願いを叶えないって。それでどんなに傷つくことになろうともね」

「それは――おばあちゃんとのことがあったからですか?」

 恐る恐る、スピカは尋ねます。ヴィンデミアは少しだけ眉をひそめ、やがてスピカの頭を軽く撫でました。不思議とリームに撫でられたのと同じ感触がしました。

「そんなことはないさ。あんたの祖母は、あんたを育ててくれた立派な人なんだろう?」

「だったら、どうしてケープをあんなに大切そうにするんですか?」

 壁に掛けられていたケープ……あれは、リームが作るものと同じものでした。

「あれはおばあちゃんが作ったものでしょう? わたしも色違いのものを持っているからわかります。ねえ、どうしてなんです? 一体何が――」

「そこまで」

 必死に尋ねるスピカの唇に、ヴィンデミアは人差し指を押し当てました。

「仮に、だ」

 そう前置きをしてから、ヴィンデミアは続けます。

「あたいとあんたの婆さんの間に何か関係があったとしても――それはあたいから言うことじゃあない。あんたの婆さんがあんたに伝えなかったのなら、それは理由があることなんだろうよ」

「…………」

 そう言われてしまうと、スピカにはこれ以上尋ねることはできませんでした。

「さあ、この話はこれでおしまいだ。明日は早くから家を出なきゃいけないから、はやくお休み」

 そう言いながら、ヴィンデミアはそっとスピカを抱き寄せると、その頭をそっと撫でてくれました。

 魔女がなにか魔法をかけたのでしょうか。それとも心地よい温もりに包まれているからでしょうか。急に眠気がスピカを襲ってきました。

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。……よい夢が見られますように」

 優しい魔女の声を聞きながら、スピカはそっと目を閉じました。

 

 

 

 気づくと、ヴィンデミアは燃え盛る火の中を進んでいました。あちこちから木の燃える音と、人のうめき声が聞こえます。

 ああ、これは夢だ。すぐに彼女は気づきました。これはヴィンデミアがかつて過ごした時間。過去の苦い思い出でした。

 ヴィンデミアは火の熱さも、その綺麗な髪が焦げるのも気にせず、たった一人の少女を捜して、村の広場に向けて走っていました。

 ふとヴィンデミアの足に何かが触れます。そちらに視線をやると、一人の男性が、身体から血を流して倒れていました。首筋に手を当てると、もう既に事切れています。ヴィンデミアはそっと手を合わせるとと、再び走り出します。

 この村はどこかの軍隊に襲われていました。火を放たれ、抵抗する村人は殺され――今日が星祭の日だったことも災いしました。何しろ村人は一ヶ所に集められていたような物でしたから、彼らを制圧するのは容易なことでした。

 やがてヴィンデミアは広場につきました。幾人もの兵士が村人を取り囲んでいるのが見えます。ヴィンデミアはさらに足を早め、襲いかかってくる兵士をヘビ、コウモリへと変えながら、少女の元へ駆けてゆきます。驚愕の目で自分を見る隊長らしき人物を醜いヒキガエルへと変え、ただただ少女の元へと急ぎます。

「リーム!」

 しかし、ヴィンデミアが少女の元へたどり着いたときには、すでに少女は虫の息でした。

 ヴィンデミアは彼女を抱き起こすと、治癒の魔法をかけました。けれどそれだけで命をつなぎ止めるには、少女はもう血を流しすぎていました。

 ポロポロと涙を流すヴィンデミアに少女は一言、

「ごめんなさい」

 と言うと、それきり動かなくなりました。

 ヴィンデミアはただただ、少女の復活を願い、とっておきの魔法を使います。ヴィンデミアはここまで来るのに、相当な魔力を使ってしまいました。彼女の魔法は普段、彼女の年齢を若返らせるために使われています。それすら解放したら、もしかしたら自分は死んでしまうかもしれません。

 けれどどうなってもいいから、彼女の命だけは――ヴィンデミアは全力を魔法を使いました。

 ……やがてその甲斐あって、少女の瞼がぴくりと動きます。

「リーム……」

 ヴィンデミアは、すっかりと嗄れた声で愛しい少女の名を叫びます。

 ……けれど、目を開けた少女は、怯えた瞳でこう叫ぶのです。

「化け物――!」

 

 

 ヴィンデミアが思わず跳ね起きると、そこは家のベッドの上でした。

「……いやな夢だよ、まったく」

 ヴィンデミアはため息をつくと、額の汗を拭います。

「でもそうか、あれからもう五十年になるんだね。――人が死に、新たな命が芽吹くのには十分な時間、か」

 では自分はとヴィンデミアは考えました。長い時をただ一人生き続ける自分は、人ではないのでしょうか。あの時彼女が言ったように、化け物なのでしょうか――

「えへへ……おばあちゃん」

 唐突な声にびくりとして視線を落とすと、そこにはスピカが幸せそうに寝息を立てていました。

「まったく、どれだけおばあちゃん子なんだろうね、この子は」

 ふぅ、とため息をつくと。ヴィンデミアはスピカの頬をつつきます。スピカはイヤイヤと首を振り、ごろりと寝返りを打ちました。

「……あんたが羨ましいよ、リーム。あたいはあの日にいるままだ」

 まるで魔法がこの容姿だけでなく、心の時間までも止めてしまったかのようだと、ヴィンデミアは思いました。

 ヴィンデミアも頭ではわかっています。目が覚めた時、目の前にあんな【傍点】顔があったら、誰だってそう叫んだでしょう。例えそれが、長い時を過ごした友達であったとしても。『どんな姿になっても、彼女ならば』、それは勝手な思い込みなのだと。

 だからヴィンデミアは、誰かの善意に期待をするのをやめました。その代わりどんな願いであろうとも、代償の代わりに叶えることにしたのです。けれど、それは何の解決にもならないこともまた、魔女にはよくわかっていました。

「そういえばあたい達も、こんな風に一緒に寝たこともあったっけね」

 懐かしそうに目を細めながら、ヴィンデミアはスピカの頭をそっと撫でました。心地良さそうにスピカは身をよじり、ヴィンデミアの手に頬を摺り寄せました。

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 次の日、朝からヴィンデミアとスピカは村に向け、急いで出発しました。

「……まったく、『星祭』の日が明後日なんて聞いてなかったよ」

「す、すみません」

「ほら、謝る暇があったら歩いた歩いた」

 こういうときこそ魔法を使うべきではないか、とスピカは思いましたが「若いうちから楽を覚えると、ろくな大人にならないよ」というヴィンデミアの言葉に渋々と従います。

「にしても久しぶりだねぇ、森の外に出るのも……」

「道とか大丈夫なんですか?」

「なーに、任せときな。この森に関してはあたいの庭だからね」

 道案内をかって出たヴィンデミアは、どこか楽しそうにスピカの前を歩いています。

 来るときに比べると、確かに迷う心配がない分楽な道のりでした。そもそもどうやって、あそこまでたどり着いたのか――スピカにはもうよく思い出せません。

 家を出てからほんの数時間で森を抜け、二人は日のまだ高いうちに村までたどり着きました。

 村に入ると、祭りの準備なのでしょう、大人たちが所狭しと動き回っています。ヴぇんで未アハかつて見たその光景に、少しだけ懐かしさを覚えました。

 ふと大人たちの一人がスピカの姿を見つけ、駆け寄ってきました。

「スピカ、スピカじゃないか! 一体、どこへ行っていたんだい? 昨日は心配して、皆であちこち探し回ったんだから」

「す、すいません。ちょっと道に迷ってしまって――」

「そうかい。まあ、無事に戻ってきてよかったよ。……あら、この人は?」

 スピカはどう説明したものかと困ってしまい、思わずウィンデミアを見上げます。ヴィンデミアはスピカを見てくすりと笑うと、ローブの裾を軽く持ち上げるとお辞儀をしてみせました。

「はじめまして、あたいは魔女ヴィンデミア。この子に頼まれて、『星祭』を行うためにやってきたのさ」

 

 

 魔女を星巫女にするという案は当然ながら難航する……かに思われました。

 当たり前のことですが、いきなり来たよそ者に栄えある『星巫女』の役を渡すなんてこと、女性陣が黙っていません。それに、ヴィンデミアが本当に魔女なのかと、男性陣まで疑いの目で彼女を見る始末。

 しかも星祭まで残された時間は少ない――侃々諤々【かんかんがくがく】とした様子に、魔女はどうしたものかと首を捻ります。

 けれど、最終的にはスピカの「おばあさまを喜ばせたいと思わないの!?」の一喝で、女性陣はしぶしぶ引き下がりましたし、残るヴィンデミアへの疑いも、スピカの時と同じ方法で無事解決しました。被害といえば、村一番の大男の頭が、少しだけ焦げたぐらいです。

 打ち合わせが終わると、皆はあっという間に動き出しました。男性陣は舞台の組み立てに、女性陣は衣装の調整のためにヴィンデミアの採寸を始めます。

 皆、心なしか張り切っているようにも見えます。それだけリーマは皆に愛されているということなのでしょう。

「あ、ヴィンデミアさん。採寸は終わったんですか?」

 身体のいたるところを採取されたヴィンデミアが疲れた様子で休んでいると、大工道具を抱えたスピカが駆け寄ってきました。

「ああ、スピカか。まあ、なんとかね。まった、人の体を珍しそうに……」

「あはは、ヴィンデミアさんはスタイルもいいですから……」

 ぶつくさ文句を言うヴィンデミアをみて、スピカはくすりと笑います。

「……まあ、でもあんたのおばあちゃん愛には驚かされたよ」

「えへへ」

「……けど、あんた自身を賭けるのはこれっきりにしておくんだよ。って、あたいが言うことでもないかもしれないけどさ」

「えっ?」

「あんたが帰ってきた時、心配してくれた人を見ただろう? あんたがいなくなって心配するのは、あんたのおばあちゃんだけじゃないってことさ」

「そう……なんでしょうか。わたしには何もないのに――」

「昔ね、あたいの知り合いにもそう言ってたやつがいたよ。ある時そいつは気付いたのさ。できるようになろうとしないのに、できるわけがないってね。そしてそいつは望みを可能にするための方法を求めて、どこかへ行っちまった。人間、自分の手の届く範囲でできることをやればいいのにね」

「ミアさん、それって……」

「……さてね」

 ヴィンデミアは曖昧に答えると、にこりと笑みを浮かべました。

「ねえ、ミアさん」

 スピカは俯きがちに、ヴィンデミアに問いかけます。

「あの、もし……もし、わたしが死んだら、ミアさんも悲しんでくれますか?」

「そうさね。知っている人が死ぬのは悲しいさ。いつだって、どんな理由だってね」

「そうですか、よかっ――」

「けどね、あんたが支払い前に逝ったってのなら話は別だよ。その時は、あの世の果てまで追いかけて取り立てるからね。覚悟しとくんだね」

 意地悪く笑う魔女を見ながら、スピカは何故だか胸が躍るような感覚を得るのでした。

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 そして、星祭の当日がやってきました。

 といっても、ヴィンデミアは特にすることもなく、また肝心のリームと顔を合わせたら一大事、ということで馬小屋で寝ころんでいました。

「あ、こんなところにいたんですね」

 またちょうどそこにスピカがやってきました。その身には真っ白なローブを身に纏っています。

「どうしたんだい、その格好。ずいぶん見違えたじゃないか」

「あ、へへ。似合ってます? わたしが捧げ物を持っていく役をするんですよ。本当は星巫女をやりたかったんですけれど――」

 ちらり、とスピカはヴィンデミアを見つめ、目の前でくるりと回ってみせます。

「そんなに人気があるのかい、星巫女は」

「はい! 星巫女を任されるってことは、とっても光栄なことなんですよ! 星巫女の衣装ってとっても綺麗で、まるでお姫様みたいで――」

 スピカはうっとりとした表情で、

「あ、そうだ。衣装といえば、星巫女は衣装の他に好きな色のケープを身につけることになっているんですけれど……色はどうしましょう? 何か希望はありますか?」

「……そうか、そういうしきたりだったね」

「けれど大丈夫、あたいはもう持ってるからさ」

 そう言って、ヴィンデミアはにこりと微笑みました。

 

 

 

 とうとう『星祭』、その時を迎えました。

 リームにとって、『星祭』はその年一番の楽しみでした。

 『星祭』は彼女にとって、人生そのものでした。出会いに別れ、喜びに悲しみ、色々なことが沢山詰まっています。

「ばあさま、行きましょう」

 両脇を若者に支えられて、リームはゆっくりと歩きます。最近は歳のせいか、歩くのも億劫になってしまいました。そろそろお迎えが近いということはわかっていましたが、けれどまだリームにはやることが沢山ありました。

 この前生まれた牝牛の名前も付けなければいけないし、冬に備えてケープも編まなくては成りません。それに、彼女の娘であるスピカにも、伴侶を見つけてあげなければいけません。血が繋がっていなくてもたった一人の娘なのです、自分のように一人で過ごさせるわけにはいきません。

 やがて、リームは広場までたどり着きます。村人達が歓声で迎えてくれるなか、ゆっくりと歩いて最前列の特等席に座らせてもらいました。

 リームが席についてしばらくすると、祭りが始まりました。

 最初は子供たちの踊りです。この日のために練習した踊りを、この日のために用意した衣装で、賢明に踊ります。

 続いては女性たちによる歌です。めいめいに着飾った女性達が、合唱を披露します。自分が参加したときのことを思い出しいて、リームは少し涙ぐんでしまいます。

 それらが終わりを迎えると、供物をもった白いローブを身につけた少女が姿を見せました。リームは一目で気づきました・それは彼女の娘――スピカでした。

 選ばれた時は心配でしたが、なかなかどうして、よく似合っているではありませんか。つい一昨日、姿が見えなくなったと聞いたときにはひどく心配させられましたが、きっともうもうスピカも立派な大人になったということなのでしょう。

「星神さま、今年一年わたし達に豊かな恵みを下さり、ありがとうございました。ささやかなものではありますが、捧げ物とわたし達の祈りをお納め下さいませ」

 ゆっくりと確かめるように、スピカは台詞を言い終えると、そっと両手を重ねます。それに合わせて村人たち、そしてリームもまた祈りを捧げます。

(……どうか、あの言葉をなかったことにしてください)

 あの日からずっと、リームはそればかりを祈り続けてきました。決して叶うことはないと知りながらも、ずっとずっと。

「皆の祈り、そして供物に感謝します。星神さまも、きっとお喜びでしょう!」

 どこからともなく、聞き覚えのない声が降ってきました。

 はっとして顔を上げると、そこにはどこから現れたのか、黒い衣装を身に纏い長い杖を持った『星巫女』が立っていました。その凛々しい姿は、まるで本当に神の巫女のようでした。

「星神さま、この者達に星の祝福を!」

 『星巫女』はそう言うと、火の点いていない杖で、天を突きました。段取りミスでしょうか、火の点いていない杖を振っても何も起こるはずがありません。リームだけではありません、その場にいた誰もがそう思いました。

 けれど次の瞬間、リームを除く全ての人間が、自分の目を疑いました。不思議なことに、『星巫女』が指す空から白いものが降ってくるではありませんか。月明かりに照らされて、ゆらゆらと揺れながら降りてくるそれは、まるで星が降ってくるようでした。

 白い星は人々の手元にくると、微かな熱を残してすっと消え去ります。子供たちが思わず立ち上がってそれを追いかけそうになり、大人たちにたしなめられます。――そしてその光景は、かつてリームの見たことのある光景そのものでした。

 リームはふとこちらを見つめる視線に気がつきました。それは壇上の『星巫女』からのもの……リームははっとして『星巫女』をまじまじと見た。して衣装に合わせて作られた黒いケープを見て、リームはようやく気づきました。そこにいるのが、彼女であることに。

 二人の視線がゆっくりと交わります。それだけで、長い時間などなかったかのように、二人は互いのことを理解しました。彼女はにこりとやわらかな笑みを浮かべると、リームに背を向け、そのまま去って行きます。

「あ、リームさま、泣いてる! ……だいじょうぶ?」

 リームの顔を見た子供の一人が、心配そうに問いかけます。

「……大丈夫だよ。とても綺麗なものを見せてもらったから、涙が出てしまっただけだよ」

 リームは目元を拭いながら、子供の頭を撫でてやります。そして、心の中でそっと呟きました。

(ありがとう、ミア。……ありがとう)

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 ヴィンデミアとスピカの二人は、村の外に続く道をゆっくりと歩いていました。

「……いいんですか? おばあちゃんにちゃんと会わなくても」

「ああ。まあ、さっき目を見てだいたい分かったしね」

 儀式が終わるとあとはもうただの宴会です。村人たちの騒ぎに乗じて、ヴィンデミアとスピカは、こっそり祭を抜け出していました。

「それより、あんたは自分の心配をした方がいいんじゃないのかね

「あ……そうでした」

 急に顔を暗くするスピカを見て、ヴィンデミアは大声で笑います。

「ははは、なに、取って喰おうってわけじゃないんだ。……何ならここでもらったっていいんだよ?」

「えっ――そ、それはちょっと、心の準備が――」

 まるでキスを求められた少女のように頬を染めるスピカ。

「心の準備ね。はは、わかったわかった。それじゃあ、また近いうちに――」

 その時、二人の後ろの方、恐らく広場の方から悲鳴のような声が聞こえました。

 二人は顔を見合わせると、元来た道を急いで戻ります。

「はぁ、はぁ……」

「……スピカ、顔を出すんじゃないよ」

 先についたヴィンデミアが、スピカを制します。二人が見たのは、リームを人質にする男達の姿。スピカには男達のどれにも見覚えはありません。きっと、盗賊団のようなものなのでしょう。

「人質か……面倒だね」

 どうしたものかと考えながら、ヴィンデミアは爪を噛みます。彼女の魔法ならもちろん人を消すこともできますが、人質を救うには余波が大きかったり、制御が難しいものばかりでした。

「いいから黙って食料を持って来いって言ってるんだよ!」

「だめだよ、みんな。こんな老いぼれのことはどうでもいい。それよりはやく、こいつらを追い払うんだ!」

 リームを人質にする男と、リーム自身がそれぞれが叫びます。村人たちは男の命令と、リームの言葉で板挟みになって身動きが取れません。

「ちっ……だったらお望み通りにしてやろうじゃないか!」

「おばあちゃん!」

「あ、こらっ――!」

 業を煮やした男がその手に持ったカットラスを振りあげるのを見て、ヴィンデミアが止める暇もなく、スピカは走り出していました。

 そこから先は、まるで夢の中の出来事のようでした。リームに向けて、一直線に駆けてゆくスピカ。振り下ろされるカットラス。間一髪で、祖母を突き飛ばすスピカ――けれど、その代わりに男のふり下ろした刃が、スピカの身体を切り裂きます。そうして、ゆっくりと倒れていくスピカ――ヴィンデミアが我に返ったのは、スピカが地面に倒れた音を聞いてからでした。

「ちっ、邪魔しやがって。おい、お前ら、こいつのようになりたくなかったら――」

「……許さない」

 ヴィンデミアはゆっくりと立ち上がると、ふらふらと物陰から姿を見せました。その姿は先ほど『星巫女』として見せた雰囲気は何処にもなく、怒りに燃える魔女そのものでした。

「何だお前? お前もこいつのように――」

 それ以上、彼は言葉を続けることができませんでした。なぜなら彼の存在は、ヴィンデミアが手を振るった瞬間に、この世から消失してしまったから。

 何が起きたかわからず呆然とする盗賊達、そこに向けてヴィンデミアが手を振るうと、一人、また一人と魂ごと存在を破壊されていきます。

「あたいは魔女、ヴィンデミア。死にたいやつがいたら他にいるかい?」

「ヴィ、ヴィンデミア!? お、おい、逃げろ。奴は本物の魔女だ!」

 盗賊達の一人がそう叫ぶと共に、盗賊たちは散り散りになって逃げていきました。ヴィンデミアは視界に残る不幸な何人かを消滅させると、急に皺ができた顔で大きく息を吐きました。

「スピカ、スピカ!」

 リームの声に、ヴィンデミアはスピカの元へ駆け寄ります。

 ヴィンデミアが見たとき、スピカは大切な祖母の腕の中で、かろうじて息をしているような状態でした。背中から流れ落ちる血が、地面に大きな血だまりを作っています。

 スピカはヴィンデミアに気づくと、弱々しい笑みを浮かべます。

「あは、ミア……ごめんなさい。わたしの大切なもの、あげられなくなっちゃった」

 そう言うとスピカは血を吐きました。

「おい、勝手に死ぬんじゃないよ。あんたにはまだこれからやってもらうことが沢山―」

「……ごめんなさい。約束、破って――恨むなら、恨んで下さい。けれど――」

 スピカはリームをちらりと見ました。

「おばあちゃんのことは、どうか許して……あげて」

「わかったよ。許す、だから――」

「よかっ、た……」

 スピカはそれを聞くと、優しい微笑を浮かべると、それきり動かなくなりました。

「おお、スピカ、スピカ!」

「……どきな、リーム」

 狼狽するリームを押しのけると、ヴィンデミアは床にスピカを横たえます。

「あんたは死なせない――あたいの命にかけても、必ず」

 そう言うと、ヴィンデミアは一言、二言呪文を唱えると、その手でスピカの傷口を撫でるように触れます。するとどうでしょう、スピカの身体から傷が消えていきます。

「……これでよし。後は――」

 その時、ヴィンデミアの身体を痛みが襲いました。ヴィンデミアの顔は今や壮年期の女性のそれになっています。これ以上魔法を使えばどうなるのかは、彼女にもわかりません。きっとまた、あの時のように――ヴィンデミアの脳裏にあの痛みが蘇ります。

(だけど)

 とヴィンデミアは首を振ります。自分はもうリームを許すと言いました。だからもう、過去のことなど関係はないのです。それに今大切なのは彼女を救うこと――その後のことなど、関係はないのです。

 ヴィンデミアは今度は長い詠唱を始めました。命を扱う魔法には、それなりの準備が必要なのでしょう。

 リームもただ祈ります。次第に村人たちも集まってきて、たった一人の少女のために祈ります。

 長い長い詠唱を終えると、ヴィンデミアはそっとスピカの唇を指で開けると、そこに息を吹き込みます。緑色の優しい光が流れこんでいきます。

 ヴィンデミアは何度も何度もそれを繰り返します。スピカに再び生命を吹き込むために。そしてそのたびに、ヴィンデミアの綺麗な黒い髪は一房ずつ白く染まっていくのでした。

 ……どれだけそれが繰り返されたことでしょう。

 空はもう、明るくなり始めていました。けれどその場の誰一人として、眠ろうとはしませんでした。ただ目の前で行われている行為をじっと見守り続けていました。

 何度目かの息吹を吹き込んだその時――少女の眉がぴくりと動きました。

「スピカ……」

 ヴィンデミアは声をかけようとしましたが喉が痛くて、声がうまく出ません。それどころか手も足も、棒になってしまったかのように硬く、そして医師が乗っているかのように重くて、動かすこともできません。

「ううん……」

 スピカの目がゆっくりと開かれます。彼女はずっと、誰かの声を聞いていました。戻っておいでと自分を呼ぶ、優しくて暖かい声。

「ミア――」

 それがヴィンデミアのものであることは、何となくわかりました。そして目を開ければ、彼女がすぐそこにいるんだということも。

 けれど目を開けたスピカの目に映ったのは、見るも醜い白髪の老婆の姿でした。そこにはもう、かつてのヴィンデミアの面影はどこにもありません。

 ヴィンデミアはスピカの口から発せられるであろう言葉に対して身構えます。……けれど、スピカの口から漏れた言葉は想像していたものとはだいぶ違いました。

「きれい――」

 そう言って、スピカはにこりと微笑みます。

「……どこが綺麗なものかい」

「いいえ、綺麗よ。……まるでお星様みたい」

 そう言いながら、少女は魔女の目元に光る雫を掬い取り、そっと口に運びました。

「ふふ、少ししょっぱい。お星様って、お塩でできているんですかね」

「……そんな馬鹿なことがあるかい」

「あはは」

「ふふふ」

 一人の少女と、一人の老婆は声を上げて笑いました。

 その二人の様子を見て、リームはそっと涙を流しました。自分には成し得なかったこと――それを自分の娘が成し遂げてくれたことが嬉しくて――。

-7ページ-

 

 7

 

「ねえ、ミア。どうしてわたしを助けてくれたの?」

 村で一番高い建物に登り、二人は村を見下ろしていました。眼下では横槍などなかったかのように、『星祭』の続きが盛大に行われています。

「……さあ、どうしてかねえ」

 ヴィンデミアは誤魔化すように首を傾げます

「ただ……そうだね。あんたには幸せになる権利があるって思ったからかもね」

「それだけ、ですか?」

「あとはそうさね。まだ、もらうものをもらってなかったからね。……言ったろう? あの世の果てまでだって、ちゃんと取り立てに行くって」

 そう言って、ヴィンデミアは軽くウィンクしてみせる。

「さて、それじゃあ頂くとしますかね」

「え? 今からですか?」

「そうだよ。……一回死んでおいて、今更覚悟がどうのとか言うんじゃないだろうね?」

「そ、それとこれとは――」

「いいから眼を閉じておくれ」

 スピカが素直に瞳を閉じると、しばらくして何か温かいものがスピカの唇に触れました。

 驚いてスピカが目を開けると、そこには頬を染めたヴィンデミアの顔がありました。不思議とスピカの胸が高鳴ります。

「え、今のって――大切な物って、キス、なんですか?」

「女の子にとって大切な物と言ったら、これだろう?」

 ヴィンデミアはにこりと笑いますが、スピカはゆっくりと首を振ります。

「……もっと大切なものがありますよ」

「え?」

「それは、わたしの心です」

 耳まで真っ赤にしたスピカは、ヴィンデミアをそっと見つめます。

 年甲斐もなく星空の下、二人はもう一度くちづけを交わします。

 

 さてこれで、わたしのお話はおしまいです。

 この二人がこの先どうなったのか。それは読者の皆様のご想像に委ねるといたしましょう。

 それでは最後にこの台詞でおいとまさせて頂きます。

 

「めでたし、めでたし」

 

 

説明
昔々あるところ一人の魔女がいました。
あるとき、その元を一人の少女が訪れます。
願いを尋ねる魔女に、少女は答えます。
「おばあちゃんに『星祭』を見せてあげて欲しい」と。
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文学フリマにて発行しました短編ファンタジー小説です。
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小説 短編 ファンタジー 

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