不思議的乙女少女と現実的乙女少女の日常3 『ユニコーン』 |
眼前に広がるのは陸上競技場。良く整備されたレンガの地面が遠くまで続いて
おり、名も知らない木々が遠くの景色を遮っていた。夏らしく、セミの鳴き声が
そこかしこから聞こえる。セミの勢いに負けじと、ランニングをしている中年か
ら部活動の練習で走っている少年の姿が見られる。
ここはヤカ宅から自転車で十分ほど離れた場所にある運動公園。今居る場所は
その、数ある入り口の一つ。陸上競技場が最も近い場所だ。
何故そんな場所にいるのかというと、それは昨日のヤカの発言にあった。とも
すれば正気を疑う内容だったが、ヤカはこの運動公園の木々深い場所に、ユニ
コーンが居ると信じ込んで居るのだった。そのために本日、リコは引っ張り出さ
れているのだった。
「今日も暑い。良い天気だっ」
「なんでこんな暑いのにそんなテンション高いのよアンタは…………」
声を張り上げたヤカに対して、リコは辟易した様子で力無げに言った。何に辟
易しているのかと言うと、この暑さにも圧倒されていれば、もちろんヤカのテン
ションにも圧倒されている。少女趣味満開のヤカは意外にもアウトドア派で、夏
の陽射しにも異常に強い。対してインドア派であるリコは、冷房の効いた涼しい
部屋で本でも読んで居たいのだった。
ヤカは何時ものゴスロリ趣味満載の服で、関節部にヒラヒラがやたら付いてい
る。ワンピースタイプで、スカート部分は三段のヒダで構成されている。長い髪
を縛ってポニーテールにしており、そのリボンもまたゴスロリ調だ。なんと動き
難そうな服装だろう。
対して、リコはTシャツにジーンズという活発的な衣装だった。
「全く…………昨日はあんなにだらけてたって言うのに」
「ぬぅ? なんか言ったぁ?」
「別に」
リコは投げやりに返答しつつ、空を仰いだ。
ああ、神様。どうして今日という日を雨にしてくださらなかったのですか。
雨だったら余計酷い事になっていたかもしれないが。傘を差して意気揚々と自
分を引っ張るヤカの姿を思い浮かべて、それは如何にも有りそうな事だと嘆息し
た。
「どうした? リコ」
「なんでもないわよ…………」
そうだった、今日はコイツも居るのだ、とリコは再確認した。というよりリコ
が呼び出したのだった。
彼の名はクチルという。リコやヤカとは小学校時代からの付き合いだ。高校は
別々になってしまったが、付き合いが無くなったわけでは無く、たまにヤカの気
まぐれに振り回されている。端整な顔立ちをしていて、小学校時代から女子には
非常に人気があった。だが、彼女は居ないだろう。
何故なら…………。
「そ、そうだヤカ」
「ん、なーに? クチル君」
「俺が荷物を…………荷物を持ってやるよ」
「ほんと? ありがとっ」
ヤカの振舞った笑みに、クチルの顔がやや赤みを増した。
そう、クチルはヤカに惚れているのだった。それも、おそらくは小学校時代か
ら。ヤカの方はその想いに全く気付いていないが。恋とは全く残酷であるという
事実を、リコは10年近く見続けてきたのであった。
「じゃあ、私の荷物もお願いね。クチルったらほんと、優しいわねー」
「え? ちょっ…………」
言いつつ、リコは自分の荷物を押し付ける。ちょっとしたトートバッグだが、
少しでも汗をかく負担を減らしたいのだった。詰まる所、リコがクチルを呼んだ
のはそのためだった。クチルならヤカの荷物を持ちたがるだろうし、ヤカの荷物
を持った以上、リコの荷物も持たざるを得ない。クチルの恋心を利用した実に残
酷な作戦だった。
「じゃあ、行きましょうかぁ」
この先に待ち受けている何かに対して、膨らませた期待を抑えきれないかの様
に上ずった声で、ヤカは号令をかけた。まるで、アスファルトを照りつける太陽
光の様に、輻射熱すらもこちらに届いてきそうな期待感だ。
ユニコーンなんていねぇよ。
そう言いかけた言葉は、しかし場の空気にアッサリと押し流されたのだった。
植物園の入場料は200円。リコには、それが高いのか安いのか分からない。
まあ、望んで入園するわけでは無いリコにとっては、1円ですら高いと言わざる
を得ないだろうが。
近所に住んでいるにも関わらず、この植物園への入園は初めてだった。クチル
は一度経験があるらしいが…………相当前らしく、先ほどから懐かしげにヤカに
説明している。ヤカの頭にその説明が入っているかどうかは分からないが。
暑さ厳しいこの季節、青々と茂った葉が形作る木陰はその暑さを若干緩やわら
げてくれる。土で舗装された地面の両側には30センチ程度の壁がレンガで作ら
れている。そのレンガの向こう側にはさらにレンガで囲いが作られており、それ
が花壇になっている。
夏という季節は植物園もあまり繁盛しないものらしく客数が…………というよ
り、そもそも花が少なかった。そのため、訪れる客も必然的に少ない。リコが見
る限り、現在この植物園を利用しているのは自分達だけだった。
咲いている花といえば、リコには見覚えの無いものばかりだった。酔芙蓉(す
いふよう)だとかミソハギだとか、ほんのりとピングがかったそれらはとても美
しかった。しかし、花の形だけで名前が判別できるものは向日葵だけで、とても
では無いが植物園に盛っている花々の全てを覚えきるのは不可能だと思えた。お
そらく明日になれば、名前を覚えている花は向日葵だけになるだろう。
「で、何処にそのユニコーンとやらが居るのよ」
リコが言うと、ヤカはある方向を示した。
「あっちかなぁ」
「……………………」
その方向は植物園が有する敷地の向こう側であり、つまり2メートルはありそ
うな柵の向こう側であり、つまり立ち入り禁止区域であった。何故立ち入り禁止
なのかというと、危険だからだ。私有地だからなんだとか、色々と理由は有るか
もしれないが、第一番は危険だからだった。
「クチル」
「なんだ、リコ」
「これはどういう事?」
「俺に聞かれても」
クチルは遠い目をして、あらぬ方向を見ている。さすがのクチルも、この先に
向かうのは御免だ、と言わんばかりだった。2人で説得すればなんとか考えを改
めてくれるかもしれない。
だが。
「クチル君。私を肩車して、あの柵の向こうへ!」
「了解した!」
クチルは役に立たない。
0.5秒で分かりきった事を悟ったリコは、右手を腰に当てて嘆息した。
「やっぱり、私も行かなきゃいけないわけね…………」
リコは鉄製の頑丈な柵を登ろうと頑張った。クチルに肩車をしてもらってまで
柵を越えようとは思わない。幼馴染とはいえ、クチルは男なのだ。少しの抵抗感
がその行為を邪魔する。良い事だと思う。
「よっ…………」
思い切りジャンプして、柵の上部を掴む。長年雨風にさらされてきたのだろ
う。眼に見えるほどに錆びたその柵は、掴んだ瞬間、言いようの無い感覚を手に
伝えてきた。
柵を掴んだ勢いそのままに、身体を持ち上げる。昔、ヤカに教えてもらった鉄
棒のテクニックだ。少し勝手は違ったが、それは十分に通用した。
私もこのくらいは出来るんじゃない! と、少し得意になりかけたリコだった
が、柵から飛び降り様とした時にバランスを崩して尻の方から落ちてしまった。
「…………っつつつ」
涙が出そうな衝撃だったが、あまり痛くは無かった。衝撃を受けた場所が良
かったのかもしれない。
視線を受けた気がして、リコはそちらを振り向いた。
すると、視線の主である2人、ヤカとクチルはサッと明後日の方向を向いた。
「…………なによ」
「なんでもないよぅ」
「俺は何も見てない」
「せめて心配くらいしなさいよ! ええい、笑うな!」
立ち上がり、ジーンズに付着した土を手で落としていく。
なんというか、この反応は笑われるよりも恥ずかしいのだった。
こんな事では先が思いやられる…………。やれやれと、胸中で疲れた想いを吐
き出した。
「さぁ、それでは気を取り直して行ってみよぅ!」
ヤカが元気良く道なき道への一歩を踏み出して、二歩目でつまずいて転んだ。
「…………私は何も見て無いわよ」
「俺も」
「…………なんだか無性に恥ずかしいよぅ」
全く、先が思いやられる。
立ち入り禁止の垣根を越えてしまい、今はこの場を一刻でも早く立ち去りたい
気分だった。
端的に言うと、ユニコーンは見つからないまま午前中は終りを迎えた。リコに
すると当然の結果だが、ヤカは不満らしく、肩を落としていた。
舗装されていない、足場の不安定な、非常に危険な道。道なき道。目印を付け
ていなければすぐにでも迷ってしまいそうな場所。木々の間を通り抜け、一時間
と少し。すでに昼食の時間帯だ。もちろん弁当は持ってきてある。ヤカに弁当を
用意して来いとは言われなかったが、集合時間から考えて昼をまたぐ事は予想で
きた。というより、休日にヤカと行動する時は、大抵そうなる。
もちろん、その事はクチルも了承済みで、彼のバッグの中には持参した弁当が
入っていた。
だというのに。
「…………なんでヤカが忘れてるのよ」
不安定な地面にブルーシートを敷いて、3人は不安定な座り方で腰をおろし
た。その辺りから拾ってきた石をシートの端に置いて、固定していた。
「むうぅ…………家に出るまでは確かにあったのに」
首を振ると同時にリボンも同時に揺れた。それがリコの鼻に辺り、むず痒い感
覚を残した。
リボンを払い、リコは自分の弁当箱を開けて、
「家から出るまではそりゃあ有るでしょうよ。ほんと抜けてるんだか
ら。…………ほら」
「みゅ?」
「2人で食べるわよ。どうせ私一人じゃ食べきれないし、あんたお腹減ったら動けないでしょ」
「リコってツンデレ〜」
「ええい、くっつくな」
誰がツンデレだ。胸中でそう突っ込みながら、頬を摺り寄せてきたヤカを引き
離す。暑くるしい。
「あ…………お、俺のも分けてやるよ」
「え、ほんと、クチル君。ありがと〜」
両手を広げて喜ぶヤカ。
それとは対象に、何処か残念そうな表情のクチル。
抱きついてもらえるとでも思ったのだろうか。そんなわけがあるかアホ、と喉元まででかかった言葉をリコはなんとか押さえた。
「誰がアホだ」
…………どうやら押さえ切れていなかったらしい。
とまれ、どうにかこうにか、全員が昼食にありつく事は出来そうだった。リコは体質的に少食である。なのに、母親がリコに弁当を作るときは、到底食べきる事の出来ない量を入れてくるのである。
セミの喧騒慌しく、セミで無い虫の鳴き声も聞こえてくる。蒸し暑い風が木々の間を縫い、樹上の葉をざわめき立たせた。
リコが母親手製の玉子焼きを口に含んだ時である。
「……………………?」
セミの鳴き声に混じって、他のどんな虫でも無い鳴き声が…………馬の嘶きが聞こえた様な気がしたのである。
嘶きは風に乗って、あるいはセミの声にかき消されてすぐに聞こえなくなった。
「ねえ…………今の、聞こえた?」
リコがヤカとクチルの2人に聞くと、
「ほぇ?」
「何がだ?」
これがどうやら、リコにしか聞こえていなかったらしい。かすかに聞こえただけだったので、無理も無いかもしれない。だが、リコにはそうした事に関して、思い当たる節はあった。
「ん。なんでもない」
他の2人が聞こえていないなら気のせいだろう。そうに違いない。リコは頭を振って、気分を変えるべく弁当の残りに集中した。
まもなく昼食が終り、恐らくは不毛であろう探索が再び始まった。
この道は何処に通じて居るのか。老子によれば、道とは名付けることのできないもので、どうやらこれは便宜的に付けて居るに過ぎないらしく、それは礼や義などを超越した真理そのものなのだとか。とはいえ、リコが四苦八苦しているこの道はそんな抽象的な概念ではなく、もっと遥かに現実的で物理的で、そしておそらくそれ以上でもそれ以下でもない道なのだろう。
駄目だ。
リコは首を振った。老子の中国的哲学などどうでもいいのだ。問題は、ヤカをどの様に説得して早く家に帰れるか。その一点にかかっている。
「ふーんふんふん道なき道ー」
とはいえ、当のヤカは道なき道を進む事に喜びを感じてきて居る節があった。ユニコーンという伝説上の存在が、果たして彼女の頭の中に残って居るのかどうかは甚だ疑問だった。
「ねぇヤカ」
「ん? なんでしょうかぁリコ姫様」
「ユニコーンなんて居るわけ無いからさ、もう帰ろうよ」
「ゆにこーん…………?」
先頭を歩くヤカは足を止め、それが故にリコ、クチルもまた足を止めた。
「…………………………」
「ヤカ、あんたまさか本当に…………」
「い、いやほらさ、居るよユニコーン。もう今にでも発見できそうな勢いっ。どうしたのリコ。もしかして私が忘れてるとでも思ったの?」
ヤカが控えめに笑いながらリコに擦り寄ってきた。
リコは肩を落として嘆息した。
信じられない。本当に忘れてやがったコイツ。
だが、早めに気付いてよかった。ここでヤカの記憶をユニコーンという対象に定めておかないと、ユニコーンを探すという目的を諦めさせる事すら出来ない。
「ねえ、今更だけどさ。もう戻らな…………」
リコがそう言った時。
一陣の風が吹いた。それもかなり強めな。
吹き上がる土煙に、リコは思わず眼を閉じた。
「きゃっ?」
「うぁ?」
「うおぉ」
3人は思い思い小さく叫び。
「す、凄い風だったわね…………」
リコがそう言って眼を開けた時。
「…………………………」
他の2人の姿が煙の如く消えうせていた。
リコが眼を閉じて居る間に何処かへ行っただとか、隠れて脅かそうとしている
だとかそういう事ではなさそうだった。眼を閉じて居たのはほんの一瞬であり、
その一瞬でその様な行動に移る事は不可能である。
それに、そういう悪戯はヤカの趣味では無い。クチルの事を考えに入れてないのは、あの男がヤカ以外の誰かに何かをする所が思い浮かばなかったからだ。
それに。
「ていうか、ここ何処よ…………」
先ほどまで立っていた場所とは明らかに違う所だった。森である事には違い無いのだが、リコが現在立って居るのは木々の間では無い。言わば樹木の空白地帯であり、雑草は生えて居るのだが、何処か物悲しさを感じさせる場所だった。その空白地帯は直径十数メートル程あり、そこから先は再び木々が生い茂っている。
先ほどまで節操無く鳴いていたセミも、世界からその存在が忘れられでもしたかのように聞こえてこない。代わりに、涼やかな鳥の囀りが僅かに聞こえてきた。
ここは何処だ。
リコが感じた感想はそのままの意味であったが、それは先ほどまで居た植物園から繋がる森とは関連性を持たなかった。
この森は、一体地球上の何処に存在する森なのだろうか。そういう意味である。
何故そう感じたかというと、吸い込んだ空気に起因する。明らかに先ほどまで吸っていた空気とは異なる質のものだったからだ。現代文明とは共存し得ない清浄な空気だった。
ここから見える森は明らかに美しく、明らかに綺麗で、そして………………明らかにこの世のものとは思えなかった。
「ど…………どうしよう」
途方に暮れるとはこの事だ。
一体どうしたら良いのかわからない。動くべきか動かざるべきか、それすらも分からない。呼吸をする事すら躊躇われる。
…………泣くべきだろうか。何処とも知れぬ場所で、いきなりの一人ぼっち。
これはもう泣いて良いと思われる。いや、泣くべきだ。
だが、残念な事に、現実に対して思考の働きは酷く鈍かった。泣くような感情の揺れは観測されず、放心状態に近かった。
「………………あ、携帯」
文明の利器だ。使わない手は無い。
ポケットから取り出し、液晶を覗く。
予想通りに圏外だった。
「うわ」
最後の砦すらアッサリと瓦解し、これはもうやはり泣くべきかもしれないと、本気で思い始めたりした。
だが、その時。
「……………………え?」
何処かから音が聞こえる。
それはちょうど、戦国ドラマで聞くような音。馬の蹄が地を歩くような音に似ていた。
それは遠くから聞こえるようでもあり、有り得ない事ではあるが、すぐ側から聞こえるようでもあった。
ユニコーン。
リコの脳裏に、先ほどまで探していた…………探していたと思われる対象の名が思い浮かんだ。
ユニコーンは、リコのイメージとしては馬のそれに近い。そのイメージが異なる事は知って居るのだが。馬の形はしていても、実際はライオンの尾を持って居るし、牡ヤギの顎鬚を持って居る。馬の形を取っているとも限らないし、共通している事は角を持って居るという事だ。
リコは誘われるように歩き出した。
前へ、前へと。
さく、さく、と草を踏み分ける。良く見てみると、とても美しい地面だった。
そういえば、クチルが以前こんな事を言っていた。ミミズが住む地面はとても素晴らしい地面なのだと。この地面にもミミズは住んで居るのだろうか。
リコには、この地面には何も住んでいない様な気がした。ありとあらゆる微生物の何もかもがこの世界の地面には住み着いていないのではないのだろうかと。先程聞こえた鳥の囀りも、本当にそれが鳥だったのかどうかが疑わしい。
だが、不思議とそれがおぞましい事だとは感じられなかった。
リコが十数メートル歩いて、森の入り口に足を踏み入れようとした時。
前方の樹木が夢幻の様に消失していき、別のものに変質していた。
ライオンの尾、牡ヤギの顎鬚。二つに割れた蹄。額の中央には、螺旋状の筋の入った一本の角が…………それは恐ろしいまでに鋭く、長く、美しいまでに真っ直ぐに聳え立っていた。ダークブルーの目をした白いウマ。
ユニコーンだった。
ヤカが望んで止まなかった目的のそれが、今、リコの眼の前に居た。
「………………」
リコは言葉も無かった。
ユニコーンが現れた事に、では無い。
その、あまりの美しさにだ。
ユニコーンは獰猛で、力強く、勇敢で、そして…………傲慢だと言う話だ。
だが、その話は甚だ間違いだと言わざるを得ない。
リコが清潔な乙女であるという事を…………自分をそんな風に評価するのは正
直どうかと思うが…………差し引いても、眼の前の生き物は優しすぎた。ダークブルーの瞳は、リコにそれを悟らせるには十分だった。
「あ…………」
リコが呆気に取られていると、ユニコーンは頭を垂れて角を突き出した。しかし、それは攻撃の動作というわけでは無く、むしろ…………。
「触って欲しいの?」
ねだるかの様な瞳を向けてきた。
恐る恐る角に触れると、それは思ったよりもずっと柔らかな熱を持っていた。
ユニコーンは満足そうに頭を振り、その場に身を伏せた。
『祝福させていただきます』
突如、響いた声にリコは身体を奮わせる。
どう考えても、目前のユニコーンからのアクセスだ。ユニコーンは頭を垂れ
て、リコに感謝の意を表しているかのようだった。
リコはどうすれば良いのか分からず、とりあえず座ろうかと考えたが…………そこで気付いた。
周囲の木々が全てユニコーンに姿を変貌させている事に。
おびただしい数のユニコーンが、リコの眼の前のそれと同じ様に地に身を伏せていた。
リコが驚いて声を上げかけた所で。
再び一陣の風が吹き、思わず眼を閉じてしまい…………。
リコが眼を開けると、そこには。
「ふうぃ…………凄い風だったねぇ」
「夏だってのに、妙に涼しい風だったな」
ヤカとクチルの2人が立っていた。
場所も、リコがあの森へへ行く前の所だった。セミの喧騒が辺りを包み、蒸し暑い空気が肺を満たす。
風が吹いて何処かへ飛ばされて、また風が吹いて戻ってきて。しかし、あの場所に居た時間は、時間という概念ごと何処かへ消失していた。
リコは、思わずそこに尻餅をついた。さきほど眼にした圧倒的な光景に、今更ながら現実感を持ったのだ。
「え? り、リコどうしたの?」
ヤカが慌てた様に、肩に手を置いてきた。
「…………ごめん。なんか疲れちゃった。ねえ、もう帰ろ」
「帰るって、お前な…………」
クチルが反論しかけたが、リコの放心した様子に気付いたのだろう。途中で言葉を止め、ヤカに視線を向けた。
「ど、どうする? ヤ…………」
「う〜ん。リコがそう言うなら、帰ろっか」
ヤカのリコに対する気遣わしげな瞳に貫かれたのか、クチルはそれ以上なにも言えなかった。
そうして、3人のユニコーン探しは呆気なく終りを迎えたのだった。
ただ一人に大きな衝撃を与えて。
帰り道。
夕暮れにはまだ遠い昼下がり。
クチルと分かれたヤカとリコは、2人で家路についていた。
「ねえ、ヤカ」
「なぁに、リコ」
「ユニコーンが見つからなくて残念だったね」
「リコのせいだよぉ」
「ごめん」
リコが乾いた声で笑った。疲れているのだ。
「クチル君だったら怒ってるよ」
「………………」
哀れなクチル。彼の想いがヤカに届くことはあるのだろうかと、胸中で適当に残念がってやった。
「まあねぇ。あそこにユニコーンが居るって書いてた雑誌はさ、あんまり信用できないトコだからね。私も期待してなかったり」
「その雑誌、大切にした方がいいかもね、ヤカは」
「え? なにか言った?」
「ううん、なんにも。…………ていうか、そんな信用性低い情報に私を振り回さ
ないでよね」
何時もの事とはいえ、肩を落とす。そもそも、ヤカが信じた信用性などというものに、何かの保障が有った試しが無い。
「でも、楽しかったでしょ? 皆でお弁当食べてさ。山も歩けたし」
「………………そうね」
そんな期待するような瞳で見られたら、否定の仕様が無い。というか、一々否
定するのも面倒臭い。
嘆息して、リコは右手をチラリと見た。
いまだ手に残る角の感触が、あの出来事が紛れも無い現実であった事を証明している。白昼夢で無ければ、の話だが。
この世界にユニコーンは存在するのか。
それともしないのか。
リコはすでに、ユニコーンの存在に異を唱えるつもりは無かった。体験したあの現象を、幻で片付けるには、あまりにも衝撃的だったからだ。
あの場所にユニコーンがおそらく存在していた事をリコは忘れないだろう。そして、それをヤカに言う事は無い。ヤカに話したら、山狩りを開始しかねないからだ。それに付き合わされるのは、正直勘弁願いたい。
「あ、そうだ。明日は料理でも教えてよ」
「…………急にどうしたのよ。今まで料理の『り』の字も手に取らなかったのに」
「乙女と言ったら、料理でしょ」
首を傾けてそんな事を言ってくる。
何を今更、という気持ちは有るし、ヤカの言葉には多分に偏見が含まれていないような気がしないでも無かったが、まあ、ヤカがそう思って居るのならそれで良いだろう。明日は日曜日。残念ながら、特に予定は入れていない。
真夏の太陽が西に傾きかけた空の下を、2人は歩いていた。
それが素晴らしい事だと気付かずに、ただ歩いていた。
遠くから馬の嘶きが聞こえてきた様な気がしたが…………。
「どうしたの? リコ」
それは気のせいだったのかもしれない。
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