TOXアルエリ「ティポは置いてきました」編
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 世界中から人と物が集まるカラハ・シャールの当主シャール家の屋敷は、ようやく普段通りの静けさを取り戻しつつあった。

 何せ、空から突如魔物と人が落ちてきたかと思えば、空の王者と謳われる巨大な魔物が飛来したのである。飛竜の方は何とか撃退したが、街には少なからぬ被害が出てしまった。空の王者の撃破といい、人に使役される空飛ぶ魔物といい、騒ぎにならない方がどうかしている。

 日常を取り戻しつつあるカラハ・シャールの中央、シャール家の屋敷の二階に、この日もエリーゼはいた。寝台の中に眠る人を見つめる顔は、ひどく暗い。

 アルヴィンが石畳の上に膝を突いたのは、空の王者との戦闘が終わった直後のことだった。彼は、ワイバーンから振り落とされた仲間を庇っていた。空の王者の鉤爪は鋭く、傭兵は激痛と失血に耐えながら戦っていたのだった。

 当主ドロッセルの機転で屋敷に担ぎこまれたものの、アルヴィンは運び込まれてから一度も目を開けていない。当然、治癒は終わっている。傷の状態は、医師の卵ジュードのお墨付きだ。

「もう大丈夫だよ。掛けてくれた治癒術もきちんと効いてるし、今は体力が消耗した分を睡眠で補っているところだから。……エリーゼも、少し休んだ方がいいよ?」

 少女は、無言で金髪を左右に振った。それから、項垂れたまま言葉を零す。

「……ごめんなさい。あの時、近くにいたのにわたし、何にもできなくて……」

「ううん。仕方ないよ」

 ジュードは優しく慰める。予想外の事態に体が動かなくなることは、良くある話だ。いくら治癒術が扱えるとはいえ、エリーゼの年は十二。まだまだ幼い彼女が身を竦ませてしまったのも、致しかたないことである。

 だが、少女はそんな自分が許せなかったのだろう。エリーゼは彼がここに運び込まれて以降、文字通り不眠不休で看病に当たっている。多少なりとも休息をとらないと少女の方が参ってしまいそうなのだが、ジュードは敢えて無理強いをしなかった。自らを省みずに献身することは、自分にも覚えのあることだったからだ。

 それに増幅器であるティポは、既に別室に置かれている。彼女にこれ以上の無理をさせまいと、ローエンとジュードが説き伏せ、ティポを『休ませ』たのである。これでエリーゼは高度な術を使うことはない。

「疲れたら、空いてる寝台に横になるといいよ。眠らなくても、身体を休めるだけで随分違うと思うから」

 ありきたりな助言を残し、ジュードは客間を後にした。

 部屋の中が、急に静かになった。

 爽やかな風を感じて窓辺を見上げたエリーゼは、少しだけ目を細める。こんなにも外は明るく、日差しが差し込んでいるというのに、男は微動だにしない。アルヴィンは眩しさを感じないほど、昏々と眠り続けている。

 少女はおもむろに手を伸ばした。男の顔付近へ翳した手のひらに、暖かな温もりがかかる。

(息……してる……)

 生きているというこの確認を、エリーゼはことあるごとに行っていた。その度に安らかな吐息が確かめられるのだが、それでも尚繰り返してしまうほど、病的な不安に駆られていた。それほどに、彼が倒れたことが衝撃だったのだ。

 仲間が瀕死の状態に陥る事態には、過去何度か遭遇している。例えばミラが足枷を物ともせずにナハティガル王に特攻した時だ。一歩間違えれば即死していたであろう爆発に巻き込まれた、黒焦げ状態の彼女を見つけても、咄嗟に駆け寄り治癒術を施すだけの行動を起こすことがエリーゼには出来ていた。

 だが、アルヴィンの時は違った。

 空の王者を何とか退治し、ほっと胸を撫で下ろした彼女の横で、男の体が揺れた。何、と思う間もなく、問いかける暇すらないまま、傭兵は青白い顔でその場に崩れ落ちた。仲間達が駆け寄る中、自分は彼を、呆然と眺めているだけだった。

 何も考えられなかった。何が起きたのか、彼の身体に一体何が起きているのか、そんなことに思いを巡らすことすらままならなかった。ただ彼が倒れた。それしか認識できなかった。

 まるで足元に突如、ぽっかりと穴が穿たれたように、地面に立っているという感覚がまるでなかった。宙に浮いているかのような、なのに手足は糊で張り付いたように動かない。嘘という言葉だけが頭を占めていて、気がついたら寝台の脇に腰を下ろしていた。

 その後は、もう夢中だった。とにかく傷を癒さなければならないと思い、治癒術を連発した。残量など、ジュードに指摘されるまで気づかなかったほどだ。

 やれることはやった。でも、男は目を瞑ったままだった。エリーゼの絶望は深くなる。

(このまま、目を開けてくれなかったら、わたし……)

 急に視界が滲んだ。瞼を閉じると、頬に涙が伝い落ちた。咄嗟に歯を食いしばり、嗚咽を堪える。どうして泣いているのか、自分でも良く分からなかった。

 エリーゼは己の感情を、完全に持て余していた。持て余したまま、気を失うように眠りの中へ落ちていった。

 再び意識が戻ったのは、己の頭に覚えた違和感のお陰だった。何かが頭に触れている。温かい、大きな感触だ。それが手のひらだと分かった途端、彼女は跳ね起きた。

「あ……」

 目が合った。アルヴィンは感情の伺えない瞳で、こちらを見ている。自分はどうやら、寝台の上にうつ伏せになっていたらしい。顔が赤くなるのが、自分でも分かった。

「す……すみません」

 エリーゼは、看病を買って出ていながら、いつの間にか寝てしまっていた自分を恥じた。消え入りそうな声で謝っていると、男は何故か不思議そうに首を傾げた。

「あ、あの……」

「珍しいな」

「え?」

 何を言われるかと身構えていたエリーゼは、思わず目を瞬いた。

「ティポがいない」

 ああそのことか、と少女は詰めていた息を吐く。同時に、長年の友人に対し、少しだけ疎ましさを覚えた。

「もう、治癒術の必要はないそうですから」

 アルヴィンに治癒術を施す必要がなくなったから、側に増幅器がいる必然性はなくなる。だからティポが一緒でなくても大丈夫なのではないですかとローエンに指摘された時は、確かにその通りだと思った。さらに執事の傍らにいたジュードは言いにくそうに、ティポの騒がしさは病人の傷に触るかもしれないと告げてきた。これもまた筋は通っている。

「ふうん……」

 アルヴィンが何かを考えるような顔つきになった。少女は不安のあまり早口になる。

「いた方が、良かったですか?」

「いや、そういうわけじゃねえけどよ」

 彼の興味薄そうな言葉を聞いて、エリーゼは内心ほっとしていた。これでもし、ティポに会いたかったのになどと言われようものなら、彼女の自尊心は粉々である。

 エリーゼが今、ティポを連れていない最大の理由――それは口封じであった。

 ティポは彼女の友人だ。同時に彼女の代弁者でもある。口下手な彼女に代わり、その心情を外部に発信してくれる貴重な存在であった。だが今だけは、代弁者が隣にいられては困るのだ。彼が目覚めた時、お喋りティポはエリーゼの何を言い出すか分からなかったからだ。

「でも……良かった」

(アルヴィンが起きてくれて、嬉しい……)

 これは本当に嬉しいことだった。同時に、素直な気持ちを自由に想うことができる新鮮さに驚いていた。

「本当に、良かった、です。……、……」

 口を半開きにしているのに、言葉は結局出てこなかった。今の気持ちを形容する単語が思いつかなかったというのもあるし、そもそもこの気持ちを言葉にして喋ってしまっていいものか、迷ったのだ。

「どうした?」

 病み上がりで掠れてはいたが、それでも深くて優しい声だった。促されているとエリーゼは思った。だからつっかえながらでも、紡いでゆくことができる。そう思えた。

「何だか、すごく、っ……」

 少女の膝の上、重ねられた小さな手の甲に、水滴が落ちた。

「お前……」

 泣いているのか、という呟きが聞こえた。泣いていることを認めたくないわけではなかったが、エリーゼは無言を貫き通す。

 すると、まるで自嘲するような苦笑がきた。

「裏切り者が生きてるんだもんな。そりゃ悲しくもなる……」

 エリーゼは思わず声を上げた。

「違います! なんで、なんでそんなこと、言うんですか!」

 少女は急いで涙を拭う。めそめそと泣いている場合ではない。そんな勘違いをされて、困るのは自分だ。

「すみません。泣くつもりはないん、です。ただわたし……わたし、は」

(わたしは、アルヴィンが)

「アルヴィンが目を開けてくれた、から」

 貴方が、生きていてくれた。それだけで。

「それで、ほっとしちゃって、そうしたら急に、涙が」

 弁明しておいて何だが、泣く要素が一つもない。我ながら何を訳のわからないことをしているのだろう。言い訳にしたって、もう少し筋が通っているものだ。

 気まずさのあまり身じろぎした所へ、男の声が降る。

「あのな、お姫さんよ」

「は、はい」

 呼ばれてエリーゼは思わず居住まいを正す。

 そういうえば、彼から名前を呼ばれたことがあっただろうか。彼が自分のことを、エリーゼと呼びかけたことが、出会ってからこれまで、一度でもあっただろうか。

(……呼ばれたい、な)

 今すぐでなくてもいいから、いつか。姫さんやお姫様じゃなくて、ちゃんと名前を呼んで欲しい。そうしたら、何かが変わる。そんな気がする。

 そんなエリーゼの内心など知る由もないアルヴィンは、人の悪い笑みを浮かべて、少女の顔を、ぴっと指差した。

「涙見せるのは、好きな奴の前だけにしとけ」

 エリーゼは顔を引き攣らせた。

「き……気をつけ、ます」

 無難な返事をしながら、ティポを置いてきたのは本当に正解だったと改めてエリーゼは思う。

 そうでなければ今頃、とんでもないことを口走っていたことだろう。

(す……好きな人の前で、だけって……そんなの)

 現に今、そうしているから構わない――。

 エリーゼは思わず両手で頬を挟む。穴があったら入りたいとは、まさにこのことだろう。そんなことを公言された日には、間違いなく部屋に閉じこもってティポの首を絞め続けることだろう。

(ティポなら、絶対言ってました……!)

 勿論、好意を知られるのだって恥ずかしいが、知られて関係が気まずくなるのはもっと嫌だった。

 エリーゼは、まだ旅を続けたかった。皆と共に世界を巡り、見知らぬ土地へ行ってみたかった。この世の中のこと、男のことを知りたかった。この先、今までと変わらぬ旅を進めるためには、今のままの関係を維持し続ける必要がある。変化を求めてはならない。

「俺、どんくらい寝てた?」

 寝台に横たわったままの男の質問に、エリーゼは指を折る。

「ええと、確か……。あ、アルヴィンが目を覚ましたってこと、皆に伝えてきますね」

 返事を待たずに、少女は客間を出る。ともかく本音が知られずに良かったと、扉の外で、エリーゼは胸を撫で下ろしたのだった。

説明
レッツ本音隠し。 この作品は次の企画にタイトル「ティポは置いてきました、(だって本音がバレちゃうから)」参加させていただいたものの転載です。 「嘘吐き傭兵と純情お姫様」http://aleli.yukihotaru.com/
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