魔理沙と霊夢のいつもどおり。
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「よぉ、霊夢」

 いつものように縁側でお茶をすすっていた霊夢に、魔理沙は同じくいつものように軽く挨拶をした。

「なに、またきたの」

「ああ、まただぜ」

 いつものようにホウキを立てかけ、霊夢の隣に腰を下ろす。

「今日もいい天気だな」

「そうね」

「知ってるか? お客にはお茶と気の利いた茶請けのひとつでも出すものなんだぜ」

「知ってるわ。それに、そういうあてこすりみたいな催促をする品のない相手にはそんなことしてやる必要はないってこともね」

「催促とは心外だな。世間知らずの巫女さんに親切な魔理沙さんが教えてあげただけだぜ?」

「それはお世話様」

 言いながら立ち上がり伸びをする霊夢。

「まあ、しょうがないからお茶ぐらいは淹れてあげるわ。ただしお茶請けはナシ。出せるようなものはあらかた食い尽くしちゃったし」

「おいおい、そういうのは不意の来客用にちょっとでも取っておくもんだろ?」

 魔理沙は縁側に背中から倒れこんだ。イヤイヤをするように伸ばした足をバタバタと振る。

「おあいにく様。今日にでも里に行って買おうかと思ってたのよ。ここのところ紫も来てないし、誰も差し入れを持ってきてくれる人がいなかったのよね」

「そうか。それは運が悪かったな。それじゃあお茶だけで我慢してやることにしよう」

「あいかわらず厚かましいわね……」

 憎まれ口を叩きながらも、しかし霊夢の足取りは軽く、滑るように奥へと入っていった。

 いつもどおりのやりとり。そう、ここまでは寸分の狂いもなく予想できたことだ。さて、ここからどうしたものか。こんないつもどおりな雰囲気にしてしまうべきではなかったかも知れない。やり方を間違ったか。日を改めるべきか。いや、余計なことは考えるな。今日は、今日こそは、霊夢に伝えなければならない。伝えるためにここに来たんだろ? そう決意してきたんだろ? だが、でも……。

 ひとり軒下に残された魔理沙の思考は、まるで底なし泥に脚を取られた羊のように、次第に深みへと引きずられていくのだった。

 

 

 

 霧雨魔理沙が博麗霊夢に特別な感情を抱くようになったのは、いったいいつからのことだろうか。

 彼女が彼女とであった頃、すでに彼女は博麗の巫女だったし、彼女は魔法使いであった。出会い頭にこっぴどく負け、屈辱とともに博麗の巫女という存在を胸に刻んだ魔理沙だったが、彼女を巫女という記号から霊夢という個人として認識するようになるまでに時間はかからなかった。

 いつの間にか神社に入り浸るようになり、いつも隣にいる存在へ。その立場から性格から、あらゆる点で異なっていたにも関らず、波長が合ったとでも言うべきか、ふたりはそれがまるで自然のことであるかのように、一緒でいることが多くなっていった。

 

 自然。いや、考えてみればこれほど不自然なことはない。霧雨魔理沙は努力の人間だ。本人は決してそれを認めようとしないが、ただの人間から家を捨てて悪霊へと弟子入りし、修行と研鑽を経て<ただの魔法使い>になって後も、さらなる知識の蓄積に勤しみ、研究に打ち込み、己を高めることに邁進してきた。今の魔理沙の立ち位置や周囲からの評価がすべて魔理沙自身の手で掴みとられたものだということは、彼女を知るあらゆる者が認めることだろう。

 だが博麗霊夢は違う。彼女は真の天才だ。巫女になるべくして生まれ、なるべくして巫女になった。幻想郷の守護者であるべく圧倒的な力をもち、騒乱の調停者であるべくスペルカードルールを考案し、あらゆる必然を以てこの世に存在する、破格にして中庸の巫女。それが博麗霊夢なのだ。あらゆる点で異なったふたりがかけがえのない友達同士となったのは、お互いが自分にないものを相手に求めていたからかも知れない。

 

 

 

「はい、お茶」

 思考の泥沼から現実へ引き戻される。ずいぶん長く考え込んでいたように思えたが、じっさいのところ数分も経っていなかったのだろう。

「ずいぶん早いな」

「実を言うとさ、もしかしたらあんたがひょいとここに来るんじゃないかと思って、先にお湯を火にかけといたのよ」

 手際よく急須から湯呑みへとお茶を注ぎながら器用に胸を張る霊夢。

「えらく勘がいいな。こわいくらいだ」

「私の勘はよく当たるのよ」

 注ぎ終わった湯呑みを魔理沙の方へ付き出す。魔理沙はそれを受け取りながら、

「どうせならその勘とやらで茶菓子も用意しといてほしかったところだ」

「しょうがないじゃない。あんたが来そうだなっと思ったのはさっきだし、お湯を沸かすぐらいしかできないわよ」

「役に立つんだか立たないんだかよくわからん勘だだな」

「あら、当たらないよりはずっとましじゃない」

「そうだな」

 気のない返事をしてみせ、お茶をすする。

 たしかに霊夢の勘はよく当たる。いや、正確に言おう。霊夢の勘は外れたことがない。少なくとも魔理沙の知る限りではあるが。何でもないことのように相槌を打ってはみたものの、魔理沙は霊夢の天才をまざまざと見せつけられた気がして、気が気ではなかった。

「でも、本当に今日はいい天気ね。雲ひとつない陽気ってのも久しぶりじゃない?」

 顔をあげて空を仰ぐ霊夢。

「私はどこかの暇な巫女とちがって毎日ぼけっと空を見てるわけじゃないが」

「なによそれ」

「でもまあ、こんな気持ちのいい空を見るのは久々だ」

 二人でしばし空を見上げる。お茶を啜りながら、霊夢の横顔へちらと目をやった。空の向こう、どこか遠くを見ている目。深く澄んだ焦茶色の瞳に蒼が映りこんでいる。魔理沙ほどではないが長く、しなやかに延びそよぐ黒髪。凛とした、しかし柔和さを表す面立ち。極めて日本的でありながら、どこか遠くの生まれであるような、気高さと愛らしさを併せ持つような、見るものを安心させ、また幻惑させるような・・・・・・。

 再び思考の渦に吸い込まれそうになったところでどうにかこらえる。いつの間にか霊夢の両の瞳がこちらを向いていることに気づいたからだ。

 思わず目をそらしてしまったのは、後ろ暗さからだろうか。

 とにかく、博麗霊夢は美しい。霧雨魔理沙が心奪われる程度には。姿形、言動、性格、日常でのふとした仕草、そして何よりその強さに、魔理沙はその心を振り回され、掻き乱された。

 霊夢に向ける感情が友達に対するそれとは異なることに魔理沙自身が気づいたのは、最近のことだ。

はじめは憧れであったはずのその想いは、気づかぬままに少しずつ大きくなっていき、魔理沙の胸の奥へ、ずっと奥深くへとじわじわ根を張っていった。

 あってはならない感情だった。霊夢と魔理沙は仲のよい友人であって、それ以上でもそれ以下でもない。だが、この思いを明らかにすれば、どうしたとしても長く続いたこの関係は変わらざるを得ない。そして、その変化が二人にとってよい方へ向くとは、魔理沙にはどうしても思えなかった。霊夢が魔理沙のことを友人として見ているだろうことは、彼女の普段の言動からして明らかだ。そう魔理沙は予測をしていたし、この想いを伝えれば、霊夢はそれを拒絶することは明らかだとも思っていた。つまり告白すればそれだけで二人の関係は決定的に破壊されてしまう、そう魔理沙は確信していた。

 いや、霊夢であれば、それでも今のような付かず離れずの関係を維持することはできるかもしれない。怠惰で陽気な巫女ならば、ひとしきり笑うなり叱り飛ばしたあとで、まるでなかったことのように自然に振る舞えるかも知れない。だが、魔理沙にはそのような器用な真似ができるはずもなかったし、なにより、彼女自身の精神がそのようないびつな状況には耐えられないだろう。

 だからこそ、魔理沙はこの想いを伝えることなく来ていたし、その状況に満足していた。

 いや、そう思い込もうとしていただけだろう。

なぜならその想いはまるで発作のように都度都度魔理沙を襲い、彼女を苦しめるようになったからだ。共に異変退治に出掛けた夜に、縁側で他愛ない話をする昼下がりに、 夕闇を切り裂いて飛ぶそのシルエットを、無垢に爛漫に輝く虹を繰り出すその弾幕を、 明朗で優しく人を引き付けるその声を、静かな音色で脳を冒すその囁きを、そして何より博麗霊夢を博麗霊夢たらしめるその笑顔を……。それらすべてを目にするたびに、魔理沙はまるで心が引き裂かれるような思いを覚えるのだった。

 もう限界だ。何度そう思ったか。告白などという過程を経ずに、直接想いを遂げようと思ったことすらあるが、それを実行するには魔理沙は霊夢を尊敬しすぎていたし、またひとりの親友としても絶対に許されることではなかった。

 告白という決断を魔理沙が出そうとするたびに、霊夢の笑顔が困惑へ、そして自分に対する軽蔑と拒絶の表情へと変わっていく様がありありと胸に思い浮んでしまい、実行を思いとどまる。そのような逡巡を幾度繰り返したか。

 しかし、その堂々巡りもいい加減に終わりにしなければならない。古くからの友に対して仮面を被った付き合いをするという行為それ自体が、魔理沙には耐え難いものになってきていた。お互いのためと自分に言い訳をしつつ自己を保身する。他人に見せたがらないとはいえ芯は直情で努力家、そしてとびきり友達想いな魔理沙には、これもまた矜持に反する行為以外の何物でもなかった。

 

 だから、今日なのだ。たまたましばらく異変も起こっていない、たまたま暑くもなく寒くもなく平穏無事な日和であるところの今日、あのいつどこにでも現れるうさんくさい存在を除けば(彼女の介入の可能性を排除して霊夢と完全に二人きりになることは不可能だという絶望的な結論を魔理沙は出さざるを得なかった)、たまたま境内には邪魔者がいないと思われる今この時、たまたま霊夢がこちらに目を向けている今この一瞬こそ、思いを打ち明けるべき機会である。そう魔理沙は決意したのだった。

 

「ねえ、魔理沙」

 魔理沙が意を決したちょうどその瞬間、先に口を開いたのは霊夢だった。この巫女はいつも、いつもいつも私の一歩先をいく。機先を取られた魔理沙は、黙って先を促すしかなかった。

「ん……そうね」

 もじもじ。所在なさ気に首を掻く霊夢。

 珍しい。霊夢が何かを言いよどむことがあるとは。

魔理沙は感嘆すると同時に、こんなに切羽詰まった状況でさえ霊夢の仕草が気になって仕方がない自分に、苦笑するしかなかった。

「ねえ、魔理沙はさ、友情って、永遠に変わらないものだと思う?」

『ねえ、魔理沙はさ、友情って、永遠に変わらないものだと思う?』

 何を言い出すのだろうか。霊夢の口からこんな意味不明で支離滅裂な質問が出てくるとは思いもしなかった。友情? 永遠? 霊夢がそんな観念的で青臭くておんなのこっぽい文言を口にするはずがない。これは何かの間違いか、あるいは夢? 目の前に居るこれは妖怪かなにかが化けて出てた姿なのだろうか? いやそんなはずはない。ずっと霊夢と一緒にいた魔理沙が、そんなつまらない誤認をするはずがない。これは霊夢だ。彼女は霊夢だ。そんなことはわかっている。だからこそ、魔理沙には霊夢の言葉が信じられなかった。

「なによ、そんな顔して。私がこんな質問するのがおかしい?」

口をとがらせるる霊夢。

「ああ、いや なんでいきなりその質問なんだって……」

「なんででもいいでしょうが」

 なぜだ。そう、重要なことは、そもそも霊夢がなぜこんな話をするかだ。魔理沙が友情の一線を超えようと決意したこの瞬間に、見計らったようにこの問いをぶつけてきたのはなぜか。たまたまか、それとも魔理沙から何かしらの空気を感じ取ったか。あるいは浄玻璃鏡のごとき彼女の「勘」とかいうものによって、魔理沙の胸の奥底に渦巻く劣情を覗かれてしまったのだろうか。いや、きっとそのとおりだろう。魔理沙の心を覗いてしまった上で、答えを求めているのだ。

 冷や汗がにじみ出る。自分は一体何を問われているのだろうか。魔理沙の想いを知りながら、霊夢はこのうえ何を問おうというのだろうか。魔理沙はいつもどおりに、必死にいつもどおりであろうとして、ぶっきらぼうに口を開いた。

「……さあな。変わる友情もあれば、変わらない友情もあるだろ。要は、それがお互いにとっていいことかどうかってことだ」

 こんな答えでいいのだろうか。

「……そうね」

 かるく息を吐く霊夢。ほっとしたように、魔理沙には見えた。その「ほっと」は、何に対するほっとなんだ? 魔理沙はだが、そう尋ねることすらできない。

「あんたって昔からそういう人間よね」

 ふふ、と霊夢は苦笑に唇を歪ませる。その笑みを見ただけで、魔理沙はもう何も言えなくなった。

「そうよね、みんな本人たち次第なのよね」

 霊夢は笑う。今までに見たことのない、朗らかな笑顔で。

 ああそうだ。「あの」霊夢のことだ。はるか前から、魔理沙の自身に対する想いに気づいていたに違いない。それでいて、それを今までおくびにも出さずにいてくれたのだ。魔理沙が決意をしたこの瞬間にはじめて、そのことを教えてくれたのだ。私はすべてを知っていて、そして最後の一線を、友情という軛を乗り超える決断を、あなたに委ねる、と。

 霧雨魔理沙はただの人間だ。ただの人間でしかない。いくら努力しても追い付けない高い壁である霊夢に、憧れとともに劣等感を抱き続けてきた。霊夢はそんな魔理沙の暗い本性に気づきつつも、私と友達でい続けてくれる。もし霊夢と魔理沙の力関係が逆であったとしたら、きっとこんな関係は成立し得なかっただろう。

 ああ、霊夢はやはり、魔理沙にとっての最大の理解者であり助言者で、そして得難き最高の親友なのだ。霊夢はいっこうに一歩を踏み出せずにいた魔理沙をずっと待ち続けていてくれていた。その一歩が関係の決定的な崩壊であることを理解した上で、魔理沙に踏み越える決断を任せてくれていた。魔理沙の絶望と苦悩を、そして自分の余計な手助けが魔理沙を追い詰めることを理解し、その上でその苦悩にそっと寄り添ってくれていたのだ。

 かなわない。このひとには、絶対にかなわない。

 だからこそ。

 だからこそ彼女を傷つけるわけにはいかない。霊夢が魔理沙のために自らも苦悩し傷つくことを覚悟してくれている、だからこそ、彼女を魔理沙の手で傷つけることだけは、絶対に許されない。今ここでこの想いを伝えてしまえば、そこで二人の友情は終わる。霊夢は悲しむだろう。そんなことには絶対にしてはならない。霊夢を悲しませてはならない。悲しませたくない。そのためにはどんな努力も惜しんではならないのだ。たとえそれがこれからまた友情という仮面を被り、秘めた想いを隠し通し続けることを意味するとしても。それが出すはずだった答えの永遠の保留を意味するとしても。それを喜んで受け入れよう。霊夢のために。魔理沙はそう、決意した。

 

 

 

 

 ほうき星のように光の尾を引きながら、黄昏の夕空を、魔理沙はただまっすぐ無心に飛んでいた。舞い散る星屑が、銀河のように淡く、空に溶けていく。いずれ陽が完全に落ち、夜の星が森を照らすころ、魔法使いは住処へと帰るのだろう。

 結局のところいつだって、いつものように終わる。

 いつものように、霧雨魔理沙は今日も。

 

 

 

 霧雨魔理沙は今日も、博麗霊夢を殺したいというその想いを、彼女に伝えることができなかった。

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