道草ノススメ |
自転車に乗って沙都子は興宮に行く。
きぃきぃがたがたと鳴る自転車に乗って興宮のスーパーに行く。
「もうこの自転車も相当古くなって来ていますわね……」
興宮からの帰り道、沙都子はひとり呟いた。
買い物の荷物を満載して、きぃきぃがたがたと鳴る自転車は、それはとてもみすぼらしく沙都子には思えた。
しかし、自転車を買い換える金銭的余裕など今の沙都子にはない。
圭一や魅音が乗り回す、最新型のBMXが羨ましかった。
きぃきぃがたがたと鳴る自転車をいつもの十字路で止める。
真っ直ぐ進めば沙都子と梨花の住む家へ。
右に曲がると遠回りの小道を通って前原屋敷、つまりは圭一の住む家へ。
沙都子は一瞬躊躇すると、きぃきぃがたがたと鳴る自転車をいつものように右に向かって走らせた。
「相変わらず立派なお宅でございますこと……」
沙都子は前原屋敷の前で自転車を停め、ため息をついた。
別に何かを期待している訳でもない。
もしかしたら圭一の姿が見えるかも、などとは思ってもいない。
ちらっと見て、すぐに通り過ぎるだけでいいのだ。
圭一の住む家。
たまに窓際に影が動くと、それだけでほんの少し嬉しくなる。
ただそれだけのことなのだ。
「あまり道草を食うと、梨花が心配しますわね」
沙都子はよいしょ、と自転車のペダルに力を込めた。
からん。
間の抜けた音を立ててペダルが空回りする。
「!」
な、なんという最悪のタイミング!
こんなときに限って!
チェ−ンが外れた。
興宮から家へと帰るのには、遠回りになってしまう前原屋敷の真ん前。
沙都子がここにいる必然性はまるでない。
沙都子は思う。
こんな場所でチェーンを直していたら……
もし、そんな姿を圭一さんに見られたら……
……わざわざ遠回りをしたことがバレバレでしてよ?
沙都子は泣きたくなった。
圭一からどんな意地悪なツッコミが入るか容易に想像できてしまう。
いっそこのまま自転車を押して家に帰ろうかと思ったその矢先。
「お、沙都子。こんな所で何をしてるんだ?」
ひぃぃぃぃぃぃ!
圭一の声がした。
どこかに出かけようとしていたのだろう、ご自慢のBMXを押しながら、圭一が沙都子に近づいてきた。
「お、買い物の帰りか。カリフラワーとブロッコリーの区別はちゃんとついたか?」
ひゃぁぁぁぁぁ!
それでなくても落ち込んでいますのよ〜!
それ以上のツッコミは勘弁してくださいまし〜!
沙都子は内心で懇願した。
「お、おい、沙都子。自転車のチェ−ンが外れているじゃないか! まさか興宮の方から俺の家まで押してきたのか? 大変だったろ?」
「あ、いや、その……」
ちょっと予想外の展開だった。
どうやら圭一は、沙都子がチェーンの外れた自転車を持て余して助けを求めに来た、と思ったらしい。
これは存外にラッキーでしてよ?
さっき泣いたカラスが何とやら。
沙都子はこっそりとほくそ笑んだ。
「どこかへお出かけではありませんでしたの、圭一さん?」
沙都子は庭に置かれた圭一のBMXを見ながら問う。
「あ、いや。別にいいんだ。それより自転車見せてみろ」
工具箱を手にした圭一は、わしわしと沙都子の頭に手を乗せた。
圭一はよほど手馴れているのか、てきぱきと作業を進めていた。
チェーンはすぐに元通りになった。
その上。
あちこちに潤滑スプレーを吹きつけ、錆取りクリームを塗っては磨き、タイヤの空気圧のチェックとブレーキの調整までした。
「これで良し、かな?」
沙都子は目を疑った。
あんなにみすぼらしかった自転車が。
「時々手入れはしろよ? 整備したらまだまだ使えるんだから」
圭一の手によって、中々に魅力的な姿に戻っているではないか。
「うわぁ! 圭一さん、ありがとうでございますですわ! 圭一さんって本当に器用でいらっしゃいますわねぇ」
「まぁな。俺の自転車もメンテは自分でやっているし。ちょっと試し乗りしてみろよ」
沙都子は自転車にまたがった。
嘘のようにペダルが軽い。
軋みもなくすいすいと走る。
錆や汚れもキレイに落ちて、メッキの部分もピカピカだ。
もう、あのみすぼらしかった、きぃきぃがたがたと鳴る自転車ではない。
沙都子は有頂天になる。
なんて素敵な私の自転車!
「どうだ。調子良くなったろ?」
「ええ、勿論ですわ! 最高ですのよ!」
思わずこぼれ落ちる満面の笑み。晴れやかな気分。
大切に乗ろう。
大事に乗ろう。
圭一さんが直してくださった私の自転車!
満足そうに、圭一は沙都子の鼻のアタマを指で突っついた。
そんな仕草さえも、今の沙都子には楽しかった。
うふ。
うふふ。
「ところで、沙都子。今日は遅かったな」
うふ?
「いや、最近スーパーからの帰りに、道草食って俺の家の前を通るだろ、お前」
え?
「今日は遅いからどーしたのかなー、途中でトラブったのかなー、と思ったから自転車を出して見に行こうと思ったら案の定だ。さすがは沙都子、期待を裏切らないヤツだ」
わっはっは、と豪快に笑う圭一。
沙都子の顔面から滝のように血が引いていく。
……そ、それって。
もしかして。いや、もしかしなくても。
すでにバレバレでしたのぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
「道草かぁ……楽しいよなぁ」
青くなったり赤くなったり、そんな硬直しきった沙都子を見るでもなく、圭一は言った。
「学校からの帰りにレナと一緒にゴミ山へ行ったり……魅音とジュース飲みながら話をしたり……雛見沢に来るまでそんな道草が楽しいなんて思わなかったよ、俺」
「圭一さん……」
ふと、沙都子は都会暮らしだった頃の圭一を想像してみた。
決まった時間に登下校。決まった時間に塾通い。
決められた将来に向かって。
決められた道をぐるぐる回るだけ。
それはとても寂しくて、つまらない道なのかもしれない。
「道草っていいよな。わざと遠回りして違う道を通ると、また違う景色を見せてくれる。
はそんな雛見沢が好きだなぁ……」
「私も……道草は大好きですわ。圭一さんと同じでしてよ」
こんな素敵なことが起こるなら。
遠回りもまんざら悪くない。
「ただいまですのよ。遅くなりましたわ、梨花」
「おかえりなのです、沙都子。ん……?」
「どうかしましたの、梨花?」
「とても面白いのです。鏡を見るのですよ、沙都子。にぱ〜☆」
あわてて洗面所へと走る沙都子。
そこの鏡の中に見たものは。
油汚れで鼻の頭を真っ黒にした自分の顔だった。
自転車が直ったあの時。
圭一さんは私の鼻のアタマを指で突っついた。
あの時。
あの時でございますか!
その後、こんな恥ずかしい顔をさらして私は自転車に乗っていたのでございますか!
やっぱり。
やっぱり圭一さんは意地悪なのですわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
自転車に乗って沙都子は興宮に行く。
すいすいと走る自転車に乗って興宮のスーパーに行く。
自転車に乗って沙都子は雛見沢に帰る。
もう、きぃきぃがたがたとは鳴らない自転車。
自転車をいつもの十字路で止める。
今日も右に曲がろうか。
いつか圭一さんに自転車の整備を教えてもらいますわ。
そして、お礼に圭一さんの鼻のアタマを油汚れで真っ黒にしてさしあげますのよ!
そんな夢想を胸に秘めて。
沙都子は今日も道草を食う。
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「ひぐらしのなく頃に」 北条沙都子と前原圭一の自転車をめぐる物語です。 |
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