黒髪の勇者 第十二話
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第二章 海賊 (パート3)

 

 やがて日没を迎える頃、煌々と篝火が焚かれた造船所にはグレイスたちがどこからともなく調達した酒類や飲み物、それに豊富な、今朝取れたばかりの海産物がふんだんに用意された。乾杯の音頭を任されたのは当然という評価であろうか、設計者であるフランソワである。手狭な、必要最低限の設備しか供えていない造船所であったから、宴会の場所は自然と造船所の外に設けられることになったが、舞台代わりとして用意されたものは空の木箱一つだけ。それだけでも、フランソワは十分過ぎるぐらいに栄える。それが公爵家という高貴な血がなせる業であるのかもしれない。

 それはワイングラス代わりに酒で満たした木製のマグカップを片手にした瞬間でも尚、フランソワは堂々と輝いていた。そして年齢でも、体格でもフランソワを圧倒している、百名近くに及ぶ男供に向かって、臆することもなく、こう言ったのである。

 「皆、今まで私の我侭につき合わせてしまって、本当にごめんなさい。そして、本当にありがとう!おかげで小さいけれど、アリア王国一番の船ができたわ!さあ、今日は沢山飲んで、作業の疲れを癒してください。では、シャルロッテ完成を祝って、乾杯!」

 篝火に照らされたフランソワの横顔に詩音がぼんやりと視線を奪われていたのも束の間、その直後に一斉にグラスが弾ける音が、そこら中に、それも遠慮なく響き渡った。ひたすらに笑いながら、酒を呷るもの。新鮮なうちに、と魚介の刺身に手を出すもの。中には互いの苦労を称えて抱き合う男たちもいる。

 本来、彼らの専業は造船業ではない。どうやら一部は専門職人が混じってはいた様子だが、フランソワと同様に、港湾業務員や船乗り、そして漁師といった肩書きを持つ彼らの殆どもまた、新しい経験に対する挑戦であったのである。後は進水と処女航海という、最後の工程を残すのみとなって、今までの苦労が報われるような気分を誰もが味わっていたのだろう。

 無論、それは詩音も同様であった。

 造船への参加自体は他のメンバーよりも遅れたものの、ちょっとした偶然からフランソワと長い時間を共有することになった詩音は既に、他のメンバーとも負けず劣らずの思考回路に、要するにフランソワの支援者の一人という立場を自身で見つけていたのである。

 「今からこんなに騒いでいたら、一体処女航海はどうなるのかしら。」

 乾杯から暫くの時間が経過して、気付けば詩音の隣で焼き魚を摘んでいたフランソワが、周囲の様子を楽しげに見つめながらそう言った。これまでフランソワが酒を飲んでいる姿を見たことはなかったし、先日ビックスの酒を咎めていた姿から酒は嫌いなのかと推測していたが、節度を守った飲酒に関しては自らも嗜んでいるらしい。軽く頬を染めたフランソワは焼き魚に合わせて用意したらしい白ワインをもう一度、丁寧な手つきで口に含んだ。

 「これ以上の騒ぎになるだろうね。」

 宴会での酒を十分に楽しんでいるらしいフランソワとは異なり、詩音は初めて口にする麦酒の苦さに思わず顔をしかめながら、そう言った。口直しに、と箸を伸ばすと、フランソワがさりげなく、どうやら鯵らしい焼き魚が入った皿を詩音に向けて差し出してくれた。それを摘んで一口噛む。鯵とはよく言ったもの、改めて確認するまでもないが、魚肉から豊富な味が湧き出してくる。そんなやり取りをしながら詩音とフランソワがのんびりとした雑談を楽しんでいるうちにも、宴会への参加人数が徐々に増加して行っている。詩音が見慣れない顔が散見されるところを見ると、恐らく宴会と聞いて飛び入り参加した人間がそれなりに存在しているのだろう。

 「おい、若造。」

 唐突に、ぽん、と背中を叩かれて振り返ると、ウィスキーの瓶を片手に掴んだオーエンの姿がそこにあった。詩音よりも遥かに身長の低い男だが、軽く叩かれただけでも結構な衝撃を受ける。軽い痛みを覚えながら詩音は背中に手を回して、叩かれた箇所を撫で始めた。オーエンにとっては軽く叩いたつもりでも、そこは怪力のドワーフ、そこらの人間のパンチよりもよほど痛い。

 「どうしました、オーエンさん。」

 「とりあえず、飲め。」

 有無を言わさず、という様子で、オーエンは詩音が手にした麦酒グラスに向かって顎をしゃくりながらそう言った。正直、これいじょうこの苦い麦酒を飲む気にはなれなかったが、オーエンは飲むまで許さない、という勢いで詩音にぐい、と一歩迫った。麦酒が不味いのは自分がまだ子供だからだろうか、と考えながらも詩音は覚悟を決めて、残された麦酒を一気に喉へと流し込む。

 「うむ、見事な飲みっぷり。次はこれじゃ。」

 オーエンは続けて、嬉々としながらそう言うと、手にしたウィスキーを詩音の空いたグラスになみなみと注ぎ始めた。注がれている間に立ち上る香りからでも分かる。アルコールの度数が麦酒よりも数倍強いらしい。これは厳しい、と詩音が考えて口元を引きつらせていると、オーエンは先ほどとは打って変わって、まるで宥めるような、ゆったりとした口調でこう言った。

 「ゆっくりでええぞ。麦酒とは強さが違うからの。」

 そう言って瓶を詩音のグラスから放すと、オーエンはその瓶を直接口につけて、まるで水でも飲んでいるような勢いでウイスキーを喉の奥に流し込み始めた。その様子に詩音が呆れながら、ちょっとした好奇心でグラスに注がれたウィスキーを舐める。どうやら原液そのままらしく、一口含んだだけで喉が焼けるような感覚を詩音は味わった。

 「いや、今日の酒は旨い。アリア王国に訪れて五十年、ここまで盛大な祭りは久しぶりじゃて。」

 やがて瓶の三分の一程を飲み干したところで、オーエンは漸く口から瓶を離し、満足した様子でそう言った。

 「五十年、ですか。」

 単純に驚いて詩音がそう尋ねると、オーエンは何事もなかったような様子で頷く。

 「と言っても、儂らドワーフは人間よりも寿命が三倍近く長いがの。儂は今年で85歳になるが、ドワーフ族から見ればようやく中年と言ったところでな。」

 「どうしてまた、アリア王国に?」

 詩音のその問いに、オーエンは軽く瞳を細め、まるで遥か過去のことを懐かしむように小さく瞳を瞬かせた。やがて、重々しく、時を重ねた男だからこそ出せる落ち着いた口調で答える。

 「ドワーフ族はここから遥か北、ここから海を渡ってシルバ教国とフィヨルド王国の国境に位置するアルペ山脈の山深くをその住処としておる。ミルドガルドの背骨とも呼ばれる山脈でな。鳥ですら届かぬほどの高度を誇り、山頂は雪が夏でも解けず、ろくに土もない、岩と崖だけで構成されているような厳しい山脈じゃ。だからこそ儂のような怪力の主が多く生まれたのじゃろうな。儂らは山脈の洞穴を住処としておるのじゃから、多少の岩石なら動かせなければ生活が出来ぬ。ともかく、多くのドワーフはこの場所で平穏な一生を過ごすが、時折儂のような変わり者も現れるのじゃ。好奇心の塊のようなドワーフがな。」

 そこでオーエンは一度口を止めると、代わりにもう一度ウィスキーの瓶に口をつけた。今度はただし、喉を潤す程度に軽く。

 「儂は一度でいいから、海を見てみたかった。あの巨大なアルペ山脈すら飲み込んでしまうような広い、際限の無い場所であるという。ドワーフ族は順応力にも優れているのか、一度故郷を飛び出すとそのまま他国に居ついて里に戻らないのじゃ。そんな状況だから海についてかかれた文献も、噂話以上の知識を持っているドワーフも存在しない。結局、三十歳を過ぎる頃に儂の我慢もとうとう限界を迎えた。海を見たい。その一心で里を飛び出したのじゃ。」

 「どうでした、初めて見た海は?」

 オーエンの昔語りを楽しむように頷きながら、詩音がそう訊ねた。気付けば、フランソワの姿が見えない。何しろフランソワはこの集団の中心メンバーだ、他の誰かに献杯でも誘われたのかも知れない。そう考えた詩音には構わず、オーエンは朗々と言葉を続けた。

 「驚いた、という表現では不足しておるな。まず儂は恐怖した。この海の前では、儂なんざちっぽけな、無力な存在でしかないと容赦なく気付かされたからな。だが、同時に興味も抱いた。初めて海を見たのはシルバ教国にあるスプリト港じゃったが、この場所から海を渡って対岸には、周囲を海に囲まれたアリア王国が存在しているという。儂が心底恐怖したこの海と平然と付き合っている、それどころか海を上手い具合に使いこなしている人間がいるという話にまたもや儂の好奇心が刺激されてな。ちょいと港湾業務を手伝いながら資金をためて、儂は小型商船に乗り込んでこのチョルル港へと辿り着いたのじゃ。といっても、初めての船旅は散々じゃったがな。船はよう揺れるし、おかげで何度も吐いた。今でこそ船酔いなぞ朝飯前じゃが、当時はただ苦しかったな。だが、アリア王国に到達して、海男たちと付き合ううちにこの場所が気に入ってな。そのまま、ここに居座ってしまった、というわけじゃ。」

 そこでオーエンはほう、と一度吐息を漏らした。アルコールの混じった吐息がふわりと空間に舞う。その姿を眺めながら、詩音はもう一度ウィスキーを舌先で舐めた。相変わらず、ウィスキーが通過した直後の喉が発熱するように熱くなる。

 「ふむ、ちょいと話すぎたのう。ところで詩音、主が毎日持ち歩いている包み、あれは刀かの?」

 もう一度、酔いを吹き飛ばすように息を吐いたオーエンは、詩音が今も片手に掴んでいる、木刀の入った包みを見ながらそう言った。

 「真剣ではありません。木刀です。」

 詩音が日本から必然として持ち運んだ木刀は、作業の場合などを除いて基本的には肌身離さず持ち歩くようにしている。フランソワやビックスの話を聞く限り、現代日本ほど治安は良くないと判断したからであった。最低限、わが身と、何よりも恩人であるフランソワの安全程度は自力で守らなければならない、という責任感も詩音にはある。

 「儂に限らず、ドワーフは鍛治が得意でな。」

 ふむふむ、と詩音の言葉に頷きながら、オーエンはそう言った。そのまま、言葉を続ける。

 「勇者の影響か、アリア王国には大陸には無い独特に発展した片刃の剣がある。確か、タチとか言ったか。」

 「太刀、ですか。」

 なるほど、と頷きながら詩音はそう答えた。八百年前の勇者が義経であるならば、確かにまだ日本刀と呼べるような剣は登場していないだろう。当時の武士なら、誰もが太刀を所有していたはずdeであるから。

 「そう、それじゃ。ちょいと興味があって、タチを自分なりに複製してみたんじゃが、シオン、お主タチは扱えるかのう?」

 その問いに対して、詩音は軽く首をかしげた。居合の経験も一応ながら積んでいるが、それ以外に本格的な真剣を扱った経験は詩音にはない。木刀とはまた勝手が違うだろう。何より、真剣で戦えば確実に人を殺してしまう。たとえ自分やフランソワに危害を加えようとする者が相手だとしても、今の詩音は殺人を許容するほどの精神を持ち合わせていたわけではない。

 「真剣を扱ったことがないので、なんとも・・。」

 詩音は結局、申し訳なさそうにそう言った。それに対してオーエンは納得したように頷くと、もう一度、少し残念そうに、ウィスキーを浴びるような勢いで飲み始めた。

 

説明
第十二話です。

よろしくお願いします。

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