死神は学生 |
私が仕事をする時はいつだって天候に恵まれない。
今回も例に漏れず、雨音が街を包んでいた。時刻は、まだ午後四時半を過ぎたばかりだというのに、辺りは既に暗くなっている。
北の大地は陽が落ちるのがずいぶん早い。ただ単に、季節柄というだけかもしれない。今は十一月だ。
突然だが、私は人間ではない。今こそ人間の姿をしてはいるが、これは仕事をスムーズにするために与えられたものだ。
私たち死神の、正しく言うと私が所属している調査部の仕事は、調査対象となる人間と接触し、「可」とするか「見送り」とするかを担当部署に報告する、というものだ。
調査期間は七日間。その間に「可」と報告すれば、八日目にその人間には何らかの形で死が実行される。
私たちの仕事は、その実行を無事見届ければ、そこで終わる。仕事終了だ。
その場合、死は必ず八日目での出来事が死因となる。八日目までに負った怪我や、罹った病気が悪化して死ぬ、ということはない。
逆に、滅多にないが、「見送り」と報告すれば、その時点での死は見送られることになる。
人間はいつか必ず死ぬ。それは当然のことで、ずっと繰り返されてきたことだ。これからも変わることはない。
だから私は、人間の死には興味はない。仕事だから関与しているに過ぎないのだ。
私は事前に指定された場所へ行くために、人と人との間をすり抜けつつ歩を進み始めたが、程なくしてうんざりした。
渋滞には本当にうんざりさせられる。人の場合は人混み、と呼ぶらしいが。
やがて指定された場所、CDショップにたどり着き、私はほっと息を吐き出した。
人混みから解放されたこともあるが、何より、私たち死神はここが好きだからだ。
ミュージックは素晴らしい。人間が発明したもので一番醜いのは渋滞だが、一番素晴らしいのはミュージックだ。
だが、残念ながら、今回はミュージックを楽しむためにここへ来たのではない。仕事をしに来たのだ。
店に近づくと自動ドアが開き、ミュージックが私の耳を刺激した。頬の筋肉が緩むのを感じる。
今回の調査対象はここにいるはずだ。私は、事前に受け取っていた写真を取り出した。
私には、人間の美的感覚などわからないから、断定は出来ないが、いわゆる平凡な顔、といったところか。
今回の私も、どこにでもいるような顔立ちをした若者の姿をしている。
私たち死神は、調査をやりやすくするために、調査対象が最も好感を持つと思われる外見の人間の姿を与えられることがある。
今回の調査対象は、自分と同じく平凡な顔立ちの人間に親近感を覚えるらしい。
私は、ズボンのポケットに写真をしまい、店に入るとゆっくりと辺りを見回し、腕時計を見た。
既に入店予定時間を過ぎている。
私は、店内に流れるミュージックに耳を傾けながら、陳列棚を素通りし、奥の視聴コーナーに向かった。
学生ひとり、背広姿の男ふたりが視聴にいそしんでいた。
全員が全員、ヘッドフォンを耳に当てて、一心不乱にミュージックを聴いている。
出来れば、私もそうしたいところだったが、仕事をさぼるわけにはいかない。
情報部によると、調査対象は、ひいきにしているバンドの新曲を聴くために、学校帰りにCDショップに寄っているのだという。
そこで接近しろとの指示だ。学生の背後に立ち、手袋をはめた手で肩を叩く。
写真と同じ顔がヘッドフォンを外し、こちらを振り向き、怪訝な表情を見せた。私はとっさに、しまった、という顔を作った。
「なに?」
「すまない。人違いだ」
「あ、そう」
学生―――久藤亮介はぶっきらぼうにそれだけ言うと、再びヘッドフォンを耳にはめ、ミュージックの世界に戻った。
久藤亮介、17歳。私も彼と同い年の設定である。
私は、久藤亮介が視聴を終えるまで、店内をぶらぶらすることにした。
本当は視聴をしたかったのだが、それでは、久藤亮介が退店するのに気付かないおそれがある。
私たち死神は、人間と違って、疲れることはない。たとえ、久藤亮介が何時間視聴を楽しもうと、何ら問題はない。
数十分後、久藤亮介がヘッドフォンを外し、出口へと足を向けたのを目撃した私は、彼に続いて外へ出た。
雨は未だ降り続いている。久藤亮介は傘を持っていないのか、不満そうに口を尖らせて、黒い空を見上げていた。
「電車に乗るのか」
話しかけると、心持ち驚いた顔で、久藤亮介は振り向いた。表情がころころ変わる。
「いや、バスだけど」
「なら、俺と同じだ」私はしれっと嘘をつく。
「男と相合い傘って」久藤亮介は、苦笑する。
「待っていても雨は止まない」
私は傘を開き、雨の中に身を投じた。雨脚は先程よりも強くなっている。
久藤亮介を振り返る。どうすべきか迷っているようだった。
「お前がいいならそれでいいけど」
若者の口調を真似てみる。彼は、空と私とを見比べた後、「わかったよ」とまた苦笑して、傘の中に駆け寄ってきた。
「俺、久藤っていうんだけど。お前は?」
「千葉だ。お前、さっき、何を聴いていたんだ」
「新曲だよ。あー、千葉は知ってるかな」
そこで彼は、バンド名らしき単語を口にしたが、私が知ってるはずもない。
適当に話を合わせてもよかったが、嘘がばれた後の弁解は非常に面倒だ。私は正直に首を横に振った。
「他の奴にも聞いてたんだけどさ、みんな知らないっていうんだよな。
無名なわけないんだけどなぁ。視聴機で聴けるんだから」
「視聴機で聴けると有名なのか」
「そりゃ、まあ。ある程度はそうだろ」
久藤亮介は、困った顔をして笑い、お前変わってんな、と言った。それは私が人間ではないからだ、と喉まで出かけたが、飲み込む。
目的のバス停に着くと、久藤亮介は足を止めた。
「俺、このバスに乗るから」
「俺もそうだ」
「え、マジで!」
アーモンド型の目を瞬きながら、久藤亮介は嬉しそうに笑う。何がそんなに嬉しいのか、私にはよくわからない。
屋根がついているバス停だから、傘はいらないだろう。列に並んだ後、傘を閉じ、しぶきがあまり飛ばないように傘を軽く振った。
「にしたって、いきなり雨なんて降るかよ。天気予報では晴れのち曇りって言ってたのに」
「それはすまないな」
「……お前の親父、天気予報士かなんか?」
「いや、俺が仕事をするといつも降るんだ」
「フーン。バイトやってんのか、いいなぁ」
言ってしまった後で、学生は仕事には就かないと気付いたが、久藤亮介はアルバイトと解釈し、納得したようだった。
バスが到着したので、私たちは乗り込み、一番後ろの座席に腰掛けた。
水しぶきを飛ばしながら向かってくるバスは、こちらを威嚇しているようだな、と思う。
「俺の学校、厳しくてさぁ。家庭的な事情がないとダメなんだよな」
「家庭的な事情?」
「学費を稼ぐためとか、家計を助けるためだとか、そういうのだよ。まぁ、みんな隠れてやってるけどさ」
「なら、久藤もやればいい」
「ばれた時が大変なの。停学にされちまうし、内申に響く。
やらなくてもいい家庭に生まれたんだから、こんなこと言うのは贅沢ってのはわかってんだけどさぁ」
社会勉強って理由でもダメって何だよな、と不満そうにブツブツつぶやく。かと思えば、隣の私を振り返り、不思議そうに目を瞬いた。
「千葉ってさ、どこのガッコ行ってんの?」
「何故?」
「何故って……高校生がんな言い方するか?フツー。
ってかさ、千葉の制服、どこのガッコって言っても通じそうなんだけど」
「そうか?」
とぼけたふりをして、私は自分の首から下を見下ろした。私は今、俗に言う学ラン、というものを着ている。高校生男子が着る中でも、最もポピュラーなものらしい。
情報部によれば、まさしく今久藤亮介が言ったように、どこの学校に通っていると言っても通じる、よくありふれた形の制服なのだそうだ。
だから、私が適当な学校名を口にすれば、あっさりと納得してしまうはずだ。
けれど、幸いと言うべきか、久藤亮介はそれ以上何も尋ねてはこなかった。
無意識に私の正体を感じ取っていたのかもしれない。そういう人間も、たまにいる。
ただ、それは、何だか寒気がするだとか、自分はもうすぐ死ぬかもしれないと口にするとか、あくまで抽象的なものでしかない。
もし、私を指さし、「死神め、理不尽だ!」と糾弾できる人間がいるなら、会ってみたいと思う。「勝手に人の寿命を決めるなんて!」と。
「理不尽だよな」
その言葉はあまりに絶妙なタイミングで発せられ、ほう、と言いそうになった。けれどもそれは、若者は゛フツー゛使わないだろうから、私は代わりに言った。
「世の中は理不尽なことだらけだ」
「わかってるよそんなこと。だけどさぁ」
演出のつもりではないだろうが、久藤亮介はそこでため息を吐いた。思わず吐き出した、といった感じだ。
「ニュースとか見てっとさ、人が死なない日ってないんだよね」
「人はいつか死ぬ」
「わかってるよ。日本って、戦争はないけど、犯罪だらけだよな。
政治家はまともに仕事しない、っつかできない能無しばっかだし。
国会中に、携帯いじったり居眠りしてんじゃねえよって感じじゃねえ?」
お前らは学生かっつうの。学生気分で政治家やるなっつうの。久藤は真剣な顔でぶつぶつ呟いた。
「しかもさ、いじめはあるし、自分の子どもを虐待する親はいるし、あげればきりがない。
腐ってるよ。犯罪者や無能政治家は、みんなまとめて死んじゃえばいいのに。そうすりゃすっきりするだろ」
そこで彼が降りる停留所になり、会話は終わった。
だんだん速度を落とすバスの中で久藤亮介は立ち上がり、私を振り返って、傘の礼を言って手を振り、バスを降りていった。
犯罪者や無能政治家は、みんなまとめて死んじゃえばいいのに。久藤亮介の言葉を胸中で繰り返してみる。
私は、以前聞いたある話を思い出していた。蟻の話だ。蟻の中には、必ず、働かずに怠けている者が三割ほど存在するらしい。
怠け者はリストラだ。その三割を取り除いても、不思議なことに、先程まで真面目に働いていたはずの七割の中の三割が怠け始めるのだという。
蟻を人間に、怠け者を犯罪者に置き換えて考えるのは、あながち間違っていないのではないか、と思えた。
終点の駅で降り、私はCDショップを探しに、夜の町をさ迷った。
高校生がこんな時間に出歩くのはやはり好ましくないのか、擦れ違い様に私を横目に見てくる者も少なくなかった。
が、実際に注意したり、早く帰るよう促す者はひとりとしていなかった。
他人への興味はしょせんその程度なのか、かっとなった若者に殴られたくなかったのかはわからない。
ほどなくして、24時間営業のCDショップを発見した。
年中無休とは珍しい。そして素晴らしい。死神に好かれていそうな店だな、と思った。
さっそく店に入り、試聴機からヘッドフォンを取り上げ、耳に当てて再生ボタンを押した。
キュルキュル、とCDが回る音とともに、ミュージックが溢れ出す。ドラムのスティックがリズムを取り、ギターが、ベースが、キーボードが弾けた。荒々しく、力強い音だ。
ロックかパンクか。私はミュージックのジャンルの定義にそれほど明るくない。一分弱ほどの前奏の後、すべての楽器が爆発し、ボーカルが歌い始めた。森のように静かに歌い続ける。
いよいよサビに差し掛かろうとしたところで、肩を叩かれた。
名残惜しい気分でヘッドフォンを外し、振り返る。初老の男性がそこに立っていた。
てっきり、不良学生を取り締まる警官かと思ったが、どうやら違ったようだ。
私の同僚だった。やはり、この店は死神に好かれているな、と思った。
「よお。面白い格好してるな」
眉を上げて、彼は言う。私は肩をすくめた。
「どうだ、調子は。今回はどんな人間だ?」
「今日が一日目だ。対象は、17歳の学生だ」
「そりゃあ若いな。結構珍しいじゃないか」
そうだな、と私は頷く。20歳ちょうどはあっても、20歳以下の人間を担当したのは、ずいぶん久しぶりだった気がする。
20歳以下の若者は死ににくい、というわけでもないだろうが、他者からの恨みが積まった中年や、弱った足腰で車道を横断する老人よりは、幾分可能性は少ないはずだ。
それでも、殺される時は殺されるし、事故に遭う時は、遭う。どんな人間だろうと、それは変わらない。
「若い身空で死神に憑かれるなんて、その若者も災難だな」
「人間はいつか死ぬ」
「まあな」
さほど興味もなかったが、私も、彼に今回の調査対象を尋ねてみた。
「中年の女だよ。とりたてて取り柄もない。生き甲斐は、近所に住む家庭の噂をでっちあげて、周囲に撒き散らすことかな」
「可か?」
試しに尋ねてみる。すると、「お前は見送りにするのか?」と聞き返されたので、「まだわからない」と答えた。
翌日、私はまた久藤亮介と会った。今度はバスの中だ。
彼は偶然だな、と目を輝かせたが、私が会いに行っているのだから、これは作為的な偶然なのだ、と教えたくなった。
CDショップから出てきたばかりの彼は、右手の黒くて小さなビニール袋を、私に見せるように持ち上げ、左右に振った。
昨日試聴していたCDのようだった。
「やっぱ、買うなら初回版だよな。特典がつくとちょっと高くなるけど」
久藤亮介は嬉しそうにビニール袋を見つめる。私はふと、同じグラビア雑誌を二冊買う男を担当したことを思い出した。
何故そんなことをするのか尋ねてみると、鑑賞用と保存用のためだ、と彼は答えた。
可と報告したので、例に漏れず、数日後にその男はトラックにひかれて死んだ。
だが胸にしっかりと紙袋を抱いていて、自分の身よりも、紙袋の中の二冊を守ったのは、ある意味では見事な執念と言えた。
ただ、どうせまた買えるのだから、そんな物よりも自分の身を守った方がよっぽど得策だとも言えた。
久藤亮介も、その男と同じ種類の人間なのだろうか。
「お前は、同じCDを二枚買ったりはしないのか?」
「は?」
「鑑賞用と、保存用に」
「ああ、そういうこと。やらないよ、俺は。
まぁそういうことする奴も、ファンの中にもいるんだろうけどさ、そこまでいくとやりすぎって感じじゃねえ? ファンってよりは、何か信者っぽいってかさ」
「信者?」
「信じる者って書いて、儲けるって書くだろ?つまりはそういうことだよ」
何がそういうことなのかは理解できなかったが、私はそれ以上の説明を求められなかった。
彼が話題を変えたからだ。
「なぁ千葉。お前、音楽で好きなジャンルってある?」
「ミュージックなら何でも」
私の答えに、久藤亮介はぱちぱちと目を瞬いた。
驚いているのか、呆気にとられているのかどちらかなのだろうが、本当なのだからしかたない。
「まあいいや。俺が好きなのはロックなんだけどさ。お前も聴いてみろよ。マジ良いからさ」
「そんなに良いのか」
「抽象的な歌詞がたまんないんだよな。ギターもドラムも良いし、いつでも新しい技法に挑戦してるしさ。聴かないと損だ」
「そんなに薦められると、いやでも聴きたくなってくる」
「だろ? 試聴でもいいから聴いてみろよ」
私が頷くと、彼は嬉しそうに、贔屓にしているバンドの名前を再度口にした。正直忘れていたので、今度はしっかりとその名前を覚えた。
「長い名前だな」
「そうだな、略した方が覚えやすいかもな。すすめた奴はことごとくそれは缶詰か、ってからかってくるけど。この前、部活の先輩にも言われちゃってさ」
と言いつつ、その略称を口にする。なるほど、それは確かに缶詰の名前のように思えた。
やがて、窓から牛丼屋が見えると、久藤亮介は降りますと書かれたボタンを押した。
学校へ行って勉強し、部活で汗を流し、自宅で好きなバンドのミュージックを聴く。彼の毎日は、それなりに充実しているようだった。
私は、久藤亮介を可にするべきか、見送りにするべきかを考えた。見送りにする必要性は感じられないように思える。
だが、まだ二日目だ。そう急いで結果を出すこともないだろう。
四日目。私は町中で、ふらふらと歩いている久藤亮介を発見した。
声をかけても、今度はさほど驚かず、力無く笑って軽く手を挙げて挨拶をした。
「何かあったのか」
尋ねてみると、久藤亮介は私を見て、ゆっくり目を瞬いた。なぜわかったのだ、と言いたそうな顔をしている。
「今にも死にそうな顔だ」
「そう見えるかな」
「ああ」
「……振られたんだ」
「振られた?」
とっさに、バットのような鈍器を思い浮かべた。
「殴られたようには見えない」
「どういう勘違いだよ、それ」
彼は噴き出して少し笑ったかと思うと、ぐったりとうなだれた。
「失恋した方の゛振られた゛だよ」
ああ、と声を挙げた。なるほど、久藤亮介はカタオモイをしていたらしい。
相手の発言に、いちいち一喜一憂するという、アレだ。
「久保さんって言ってさ、すっごい可愛いんだ。ぱっちりした目で、抱き締めたら砕け散るんじゃないかってくらい儚い感じなんだ!」
「そうなのか」
「そうだよ。美少女って言葉は彼女のためにあるんじゃないかってくらいだ。……でも」
「でも?」
「振られたんだよなあ」
久藤亮介は、そのまま崩れ落ちるんじゃないかと思うくらいうな垂れ、大きなため息を吐いた。
私は、平凡な顔立ちをしている久藤亮介と、久保という美少女のツーショットを想像してみた。
なるほど、あまり釣り合いそうにない。久保という少女も、同じようなことを考えて、彼を振ったのかもしれない。
平凡な男と付き合うなど、美少女である自分の価値を下げるだけだ、と。
考えて私は、関係ないな、とひとり頷いた。何故ならば、彼は四日後に死ぬからだ。
「なんかさあ、今ならいつ死んでもいいような気がするよ」
それはよかった。私は心の中で手を叩く。
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伊坂幸太郎さんの小説、「死神の精度」の二次創作です。 昔書いたけど書ききれなかったものを供養。 |
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