命日2 |
五月二日。この日の菊は、一般に知られる彼ではない、と王耀は勝手に台所を使って淹れた玉露を嚥下しながら溜息を吐いた。
普段の彼とは、例えば冷静である、とか。
他には、食べ物とお金の話だけには熱くなる、だとか。
そう、仲の良い国ではもうお馴染みになっているオタク文化、だとか。
今日の彼は突然泣き出すし、ブツブツと意味を成さない言葉を吐くし、食事を平気で抜くし、アニメも漫画も見ようとはしない。
それに、もしも彼がいつも通りならば、まるで幼い頃のように(いや、幼い頃もこんなことはなかった気がする)肩口に顔を埋めたまま動かなくなるようなことはない。
右斜め後ろに正座し、グリグリと肩口に額を擦りつけてくる菊の頭を左手で軽く撫でてやりながら王耀はフッと笑った。
こうなった原因を思うと心が痛まないとは言えないが(むしろ、現在進行形でズキズキと痛みを訴えているが)今目の前にいる彼が可愛くてしょうがない。
普段、家にいる際には開け放たれている玄関の鍵も開いてはいない。
「菊。きーく」
できる限り甘く優しい声を作って呼びかける。
しかし、縋る手が強くなるばかりで顔は上げられない。
「きくー?」
「兄、上……」
不意に零れたその呼称は自分を指すものではない、と王耀は知っている。
この間……そう、人間にしては大昔の出来事であろうあの出来事は、自分たちにとってはつい先日の出来事なのだが、兎にも角にもこの間、日本国に新たな憲法が発布、施行された。
確か六十四年前、だったか。
六十四年前の、明日。
その憲法で、彼の半身が死に絶えたのだ。
五月三日。丁度日付が変わった、その瞬間だった。
絶対的な平和を謳ったそれは、日本国から戦を……戦の化身である彼の半身を奪った。
それでも、二人は笑っていた。
最期の最後の瞬間まで、笑っていた。
菊の兄だと自称する王耀は、勿論彼の半身の兄も自称していた。
二人とも、王耀が育てあげたようなものなのだ。
血にまみれた日本刀を突きつけられた時、思わず素直に目を閉じてしまうほどには愛した、大切な弟。
あの日……あの、六十四年前の今日。泣き喚いたのは、自分だけだった、と王耀は思い返す。
二人とも、笑って。笑ったままで。
そっと抱き合って、弧を描いた唇を重ね合わせて。
まるで、一枚の絵を見ているようだった。
綺麗な、綺麗な。時が止まってしまいそうな。
しかし、時が止まるわけもない。
彼は消えて逝った。
王耀が愛した。
王耀を愛した。
菊が愛した。
菊を愛した。
ふたつの愛は、込められた意味合いが異なってはいたが、そこにあったのは確かな愛。
菊が壊れてしまったのは、あの日から一年後の今日。
最後の夜を過ごした、今日。
兄上、と泣き喚いて、暴れる菊を抱きしめて、宥めて。
どれほど辛かったか、と王耀は体の向きを変えて菊を抱き寄せながら、目を閉じた。
今ではゴールデンウィークなどと呼ばれ、ただ単に連なった休みを喜ぶ国民がほとんどであろうが、当時は戦が無くなったことを喜ぶ日でもあったのだ。
戦が、消えたことを。
彼が、消えたことを。
「あに、うえ……」
普段は声が小さいくせにしっかりと響く菊の声が、掠れている。
普段はまっすぐに前を見据える烏の濡れ羽色をした瞳が、水分過多になって彷徨っている。
頬に手を添え、もうどこを見ているのかすら分からない菊の名をもう一度呼んだ。
「菊?」
「やお、さん……?」
王耀は努めて優しく微笑んだ。
「そうあるよ。ほら、菊。もうお外も暗くなってきたある。そろそろ、夕飯でも食べるあるよ」
まるで幼い子供に話しかけるようになってしまった口調にも、普段なら怒る彼は、しかし大人しく頷いた。
(嗚呼。"普段"は一体どこあるか……?)
眉が寄るのを悟らせないようにそっと腕の中に閉じ込めて、そのまま立ち上がる。
一歩前に立って、手を差し出すと、まるで幼い時のようにその手がギュッと握られた。
『貴様……俺の可愛い可愛い菊の手を取ろうとするとは、何様のつもりだ?』
そう言って邪魔をする彼はいない(その台詞を毎回毎回真顔で言うからこちらとしても反応に困ってしまう)から、と王耀も手に力を込めた。
「なにか食べたいものはあるあるか?」
王耀はこの問いの答えを知っていた。
それでも、今年こそはと願いを込めて聞かずにはいられない。
「肉じゃがと、麻婆豆腐……」
続けて何品か告げられた和食と中華がごちゃ混ぜになったそれは、六十四年前の今日の夕食だ。
深夜、丁度日付が変わった瞬間。
五月三日になった瞬間に、彼は消えた。
王耀は知っている。
前日の夕食を……一緒に食べた最後の食事と同じ献立を食することでもう一度あの夜をやり直せると菊が信じているということ。
しかし、そんな筈もなく。
毎年、零時を過ぎた瞬間に泣き崩れて意識を失う彼を見るのも、王耀は限界だった。
それでも。
違うものを作ろうものなら、最後の希望まで奪ってしまう気がして。
今日も王耀は、去年の、一昨年の、一昨昨年の……この六十三年の五月二日と同じように得意の中華と、それだけは完璧になってしまった和食を作る。
恐らく、それはずっとずっと、永遠に続いていくのだろう。
王耀は菊の"恋人"だ。
それに、彼の存在を知っている。
だから、世話を焼くのは当然だ。
そう言い聞かせる度に、王耀の中に住むナニカが問いかける。
『おまえが本当に好きなのは"彼"だろう?』
王耀は首を横に振る。
『あれは、兄弟愛ある。恋情は、菊に対してのものあるよ』
しかし、そのナニカは薄ら寒い笑みを浮かべる。
『逆、だろう? いや、むしろ……菊は彼の身代わ、』
最後まで聞くことなく、シンクを拳で叩きつける。
ビクリと身を震わせた菊を抱きしめて、謝って。
脳内で高笑いするナニカから、王耀は顔を逸らした。
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