病葉ではなく |
『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲(なげう)て』
(ヨハネによる福音書 第八章七節)
季節は流れ、景色は移る。人もまた変わる。
白いドレスはもう似合わない。
「こんな……場所が……あったんだ」
雛見沢に戻ってきてから一週間。私、竜宮礼奈は目を見張った。
遠くに雛見沢山系。指先まで染まりそうな緑。未だ六月の若々しさを残して、穏やかな日差し。私の故郷、雛見沢。
だが、ここは違う。
えぐった急斜面の底に荒れた地。その役目を半ばで終えた重機の群れが、亡霊のように影を落とす。かつて、「雛見沢ダム闘争」と呼ばれた事件の古戦場。そして目の前には、うず高く積もった混沌の群れ。廃棄物不法投棄現場。通称ゴミ山。
私は目を背けた。鏡で自分を見ているような気がした。
ダム闘争の件は茨城にいた頃、新聞で読んだ。しかし、それは当時の私にとっては遠い話だった。今、こうしてその爪痕を見るまでは。
見るがいい。この地もかつては確かに緑なす野原だったはずだ。このあたりで遊んだ記憶がある。今では急斜面にしがみ付くように生える雑草と、老醜を晒すように立枯れかけた木々。わずかに葉を茂らせてはいるが、梢の黄変した病葉(わくらば)が痛々しい。
あの頃は良かった。同じ年頃の友達と、日が暮れるまで遊んでいた。
明日の事など考えず、考えられず、ただひたすらに遊んでいられた。
それなのに、お別れの挨拶はいつも一緒。
「じゃぁ、また明日」
この場所には、明日はない。病み、痛んでいる。私と同じく。
礼奈の名は捨てた。
私は、虚しい人間だ。
私もあの病葉のように。
生きながらに朽ちるのだろう。
「おんや〜、竜宮さんじゃないの?」
不意に声をかけられた。自転車を押してくるポニーテールの少女。
園崎魅音。「雛見沢分校」の委員長。そして「園崎家の次期当主」。
「こんな所で会うなんて奇遇だねぇ。何? 村の探検?」
「う、うん……懐かしい場所を探しに、かな?」
「この村も変わっちゃたからねぇ、色々と。あ、スルメ食べる?」
正直言って私は彼女が苦手だ。良く言えば大らか、悪く言えばガサツ。こんなゴミ山で物を食べるという神経が信じられない。しかも彼女は「園崎」だ。この村の出身ならば、「園崎」の意味は嫌というほど判っている。スルメは丁寧に辞退した。
「ねぇ、竜宮さん。良かったら茨城の話、聞かせてくれないかなぁ?私ゃずっと田舎暮しだから、都会に興味あってさぁ。やっぱり、かっこいい男の子っている?」
スルメを食べながら彼女が話しかける。
気安い。馴れ馴れしい。
この、他人の領域に触れるような話し方が不快だ。
ならば聞かせてやろうか。
私が茨城で何をしたか。何をしでかしたか。
何故、石もて追われるが如く、この雛見沢に帰って来たのか。
あの傷みは私だけのものだ。誰にも触らせはしない。
あの痛みは私だけのものだ。誰にも解りはしない。
一切の躊躇も微塵の感傷もなく、あの日、私は私自身の正義を遂行した。
そして。
それを彼女が聞いた後。
彼女は私に怯えるのか。私を憐れむのか。
もしそうならば。
彼女も茨城の彼らと同類だ。
腹の底で侮蔑してやる。
私は訥々と話し始めた。
彼女は身じろぎもせず聞いていた。
目の光も変えずに聞いていた。
白いドレスはもう似合わない。
そんな事くらい、誰よりも私自身が知っている。
全てを語り終えた時。
彼女は言った。
「やるじゃん、レナ」
「いや〜、あのぽわぽわしたレナがねぇ……やるもんだねぇ」
私は耳を疑った。いや、疑ったのは彼女の正気かもしれない。
私のしでかした事件の顛末を聞いて、そう言い放つ神経が信じられない。
「ほらぁ、レナって泣き虫だったからさぁ。都会に行っても泣いてばかりじゃないかとちょっと心配してたんだよ、私ゃ」
でもぼーりょくはいかんよ、暴力は、と付け足すように彼女は言った。
何を言っている?
彼女は何を言っているのだ?
子供の頃、確かに私は泣き虫だった。
野原を走って転んでは泣いた。
私は「れな」と呼ばれていた。
同じ年頃の友達。
日が暮れるまで。
遊んだ。
まさか。まさか……!
「魅ぃちゃん? オキノミヤのみぃちゃん?!」
「あれぇ? もしかして気付いてなかった? つーか、忘れてた?」
私は頷いた。頷くしかなかった。
「うっわー、信じられない! 友達がいのないヤツ! 私ゃすぐにレナだ、って分かったのにぃ!」
園崎魅音、いや、魅ぃちゃんは口を尖らせて拗ねた。
「ほら、『園崎の娘』相手だっていうのに、全然こだわらずに遊んでくれたのってレナだけだったからねぇ。レナのこと、忘れられるわけなんかないよ」
私は動揺する。
私は魅ぃちゃんが「園崎の娘」だった、なんて知らない。知らなかった。
ただ、知っていたのは、家が興宮にあるっていうことだけ。
黒い、大きなクルマに乗って雛見沢に遊びに来ていた。
「嬉しかったなぁ……」
遠くを見つめて、魅ぃちゃんは言った。
長くてきれいな睫毛が震えていた。その先に宿る面影。
「魅ぃちゃんは、私のこと、怖くない、の、かな? かな?」
白いドレスはもう似合わない。
それなのに。
「レナは怖がって欲しいのかい? 違うよね?」
この人は。魅ぃちゃんは。
私に石を投げなかった。
他人の領域には触れても、心の領域にまでは踏み込まない。
突き放すことも甘やかすこともなく。
私が求めていた態度で接して来る。
それが、頑なな私を打ちのめした。
なんと心地よい敗北感。
「レナがいない間、私にも色々あったのさ。色々ね……」
魅ぃちゃんの苦い微笑みが刺さる。
「私の場合は……どこで間違ったんだろうねぇ……」
何かを悼むような魅ぃちゃんの声だった。
問いかけそうになって、私は慌てて口をつぐむ。
そうだ。
その傷みは彼女だけのものだ。誰も触れてはならない。
その痛みは彼女だけのものだ。誰も解ったつもりになってはならない。
魅ぃちゃんの夜もまた、冥かった。
私は、それが判らないほどの虚しい人間にはなりたくない。
ぽつり、と顔に冷たい感触がした。水滴。飽きるくらいに青空。戯(そばえ)だ。
「ありゃ、天気雨だねぇ。私ゃ傘持ってきてないよ」
私たちはゴミ山の一角、廃車の陰に隠れて雨を逃れた。
戯はすぐに止んだ。しかし、わずかな雨でも、それは驚く程に大地を潤す。
雑草の緑が一気に濃くなる。
立枯れかけた木々の葉さえもが、喜びを表している。
その時。
梢の病葉が空中に舞った。
舞い落ちるのではなく。
空へ向かって羽ばたいた。
蝶だ。
病葉ではなく、それは鮮やかな黄色の蝶。
私は呆然としながら、青の中に遠く溶けていく黄色を見送った。
「あは。あはは。あははははははははははははは」
私は知らずに笑い出していた。
何のことはない。
思い込んでいたのは私だ。気が付いていなかったのは私だ。
戯。それは青空。
病葉。それは黄色い蝶。
昔遊んだ友達。それはオキノミヤのみぃちゃん。
園崎の娘。それは魅ぃちゃん。
背いたもの。それは求めていたもの。
季節は流れ、景色は移る。人もまた変わる。
ならば。
また私も変わってもいいのかもしれない。
もう何もかも全て終わったつもりだった。
でも、何もかも始まってさえいなかった。
なぜ、私は雛見沢に戻って来たのか。雛見沢でなくてはいけなかったのか。
その答えがすぐ隣に、在る。
「ど、どうしたの、レナ。びっくりしちゃったよ。いや〜、つるかめつるかめ」
「あは。あはは。何でもないよ。それより、魅ぃちゃん。喋り方がおじさんっぽいよ」
「そうかねぇ。じゃぁ、私ゃ自分のことを『おじさん』って呼んじゃおうかね」
ひとしきり、二人で笑いあった。かつての日のままに。
「じゃぁ、改めまして。ただいま、魅ぃちゃん」
「おかえり、レナ」
白いドレスはもう似合わない。
本当にそうなのか、試してみよう。
そして、おどけてみせよう。
道化を演じさせられるのはゴメンだが、自分から演じてみるのなら面白い。
人はたまさかに出会い、たまさかに別れ行く。
その邂逅を奇跡とか偶然とか語るのは容易い。
ただ、私は魅ぃちゃんから受け取ったものを、次の人に渡したいだけだ。
手を取り合って。
再び季節と、景色の扉を叩くために。
新しい転校生が来ると嬉しい。
それが、やんちゃで、でも優しい男の子ならなお嬉しい。
今度は、私から話しかけてみよう。
魅ぃちゃんがそうしてくれたみたいに。
まずは挨拶から。
最初はこう切り出そう。
初めまして。
私の名前は竜宮レナ。レナって呼んでくれるかな? かな?
あなたの名前を教えてね。
おはよう。
こんにちは。
さようなら。
じゃぁ、また明日。
説明 | ||
「ひぐらしのなく頃に」より、レナと魅音の出会いの物語です。 | ||
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