黒髪の勇者 第十五話
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第二章 海賊(パート5)

 

 「フランソワお嬢様、お待ちしておりました。」

 造船所の入り口に到達したフランソワと詩音を迎え入れたのは、今回の処女航海で船長に任命されているグレイスであった。だが普段とは異なり、彼の腰には先端が深く婉曲した刀剣が収められている。

 「久しぶりね、グレイスの剣を見るのは。」

 先ほどの暗澹とした表情は既に捨て去り、普段通りの笑顔を見せながらフランソワはグレイスに向かってそう言った。フランソワは少なくとも、彼らの前で弱音を吐くようなことはしないし、また表情を曇らせることもない。それが自らの、公爵家としてのプライドなのか、或いは余計な心配をかけさせたくないという彼女の優しさに起因するものなのか。それを図りかねながら詩音は、フランソワと同じようにグレイスの左腰へと視線を動かした。

 「何、海に出たら何が起こるかわかりません。念のため、シミターを用意したまで。」

 シミターとは別名シャムシールとも言う。切れ味の優れた刀剣であり、ミルドガルドのみならず、地球においてもかつて大航海時代の頃に船乗り達が愛用した刀であった。世界が異なっていても、技術の発展は似たような進化を遂げるものであるらしい。

 「それじゃあ、今からお祈りの準備をするわ。」

 フランソワはそう言うと、彼女が館を出る時から手にしていた細長い布の包みを丁寧な手つきで解き始めた。その中から現れたものは、麻らしい布が先端から幾重にも垂らされた、透き通る程に丁寧に磨かれている見事な白木であった。日本ならばお祓いを行う際に神主が用いる、所謂大麻(おおぬさ)にそっくりの物体である。

 「そいつも義経の影響か。」

 一体どこまで義経は日本文化を伝えたのだろうか。呆れながら詩音がそう訊ねると、詩音の思惑とは異なり、フランソワは少しきょとんとした表情を見せながら、こう答えた。

 「そうなのかしら。昔からあるもの、としか知らなかったけれど。」

 実際、大麻に似た物体は仏教にも払子(ほっす)という物が存在している。それに、錫杖や杖と言ったものが宗教界で跋扈している観点から考えて見れば、長さの大小はともかく、杖に似た構造に対して信仰心を抱くことは人類に共通した観念なのかも知れない。

 「日本にも、似たようなものがあるからさ。」

 肩を竦めながら詩音はそう答えた。それに対して、フランソワは今一度まじまじと大麻を見つめ直す。

 「そうだったら、なんだか素敵だね。」

 やがて口元を軽く持ち上げて、可愛らしい笑顔を見せながらフランソワはそう言った。そこで一度精神を落ち着かせるように深い呼吸を吐いたフランソワは、そのまま真摯な眼差しで造船所へと足を勧める。先ほど梱包を解いた布はいつの間にかグレイスの手元に渡っていた。

 造船所の内部には全ての作業工程を終えたシャルロッテが威風堂々と鎮座していた。その位置は進水をスムーズに進めるために、造船期間よりも更に海側へと移動させられている。その足元、進水台には既に既にオーエンを始めとした、手斧を手にした男達が数名控えていた。シャルロッテを進水台に固定させている支柱を倒して、海面へと滑走させるためだ。

 「皆、お待たせ。」

 フランソワは進水式の準備が整っていることに満足そうに頷くと、全員に聞こえるようにと、普段よりもより張りのある声でそう言った。その瞬間、周囲から盛大な拍手と歓声が巻き起こる。その背後からは、先ほどから集まっていた進水式の見物客が続々と操船所への入場を開始していた。必要最低限の手狭な造船所であるためにどうしても狭苦しさを感じてはしまうが、暫くの間はこのまま我慢してもらうしかない。

 その喧騒がやがて収まるころ、フランソワは真正面にシャルロッテを眺めて、グレイスに向かって小さく頷いた。それを合図に、グレイスが威勢のある声を上げる。

 「これより命名式並びに進水式を行う!」

 その言葉に当たりは緊張感のある静粛に包まれた。フランソワは相変わらず、普段よりも遥かに多い人数に対して怖気づく様子も見せずにグレイスより一枚の羊皮紙を受け取ると、それを両手に広げて高らかに宣言した。

 「当艦艇を、シャルロッテ号と命名致します。」

 再び、盛大な拍手。その声にフランソワは軽く手を挙げて答え、羊皮紙をグレイスへと差し戻した。そのまま、フランソワは腋に挟んでいた大麻を取り出し、両手でそれを真正面に掴むと、シャルロッテへと向けて深い礼を行った。二拍ほどの時間をかけて。やがて拍手も収まり、呼吸をも憚られるような沈黙が訪れる。さわり、と波の音だけが小さく響き渡る。大麻をぴくりとも動かさずに胸元に構えたまま、フランソワはやがて意を決したように口を開いた。

 「アリア王国シャルロイド公爵家三女フランソワ=ラーヴェル=シャルロイドが海神様シャルロッテにお祈り申し上げます。大海原の安定を保ち、平和を愛する貴女の元へ、このたび一隻の船を遣わすことをお許しください。船名はシャルロッテ、恐れながら貴女と同じお名前を拝借させて頂きました。どうか船旅の安全をお守りください。」

 その言葉を終えると、フランソワは胸元に置いた大麻をしなやかに上空へと持ち上げた。そして両腕が伸びきったところで一度ぴたり、と止める。その直線状に船首の穂先を捕らえながら。

 その一拍の呼吸の後、フランソワは大麻を左に一度、そして右に一度大きく振った。先端に咲く幾重もの麻が柔らかく、そして力強くしなる。その行為を終えるとフランソワはもう一度大麻を胸元へと戻し、今一度、シャルロッテに向けて深々と頭を垂れた。今度は先程よりも長く、ゆっくりと。

 やがてフランソワが顔を上げると、緊張から漸く解き放たれたものか、一度肩で大きく息を吸い込んだ。そして振り返り、グレイスに向かって口を開く。

 「グレイス、鐘をお願い。」

 「アイ・サー。」

 威勢良くグレイスはそう答えると、備え付けの小振りな鐘を盛大に三度、高らかと叩き鳴らした。天井の無い造船所を越えて、遥か高く、遠くまで。その鐘、進水の合図でもある響きと共にオーエンら力自慢の男達が、構えた手斧を一斉にそれまでシャルロッテを支えていた支柱に向けて振り下ろした。小気味の良い音を立てて支柱が真っ二つに折れ、同時に勢い良く、シャルロッテが船尾から海面へと向けて滑走し始めた。まるで大海を見て興奮し、そのまま飛び込もうとする幼子のように。

 シャルロッテはまるで砲声のような強い打撃音と共に海面へと着水を果たした。そのまま船腹、そして船首へ。勢いに巻き込まれた水しぶきが空を舞い、陽光に照らされてきらきらと輝いた。初めての海に驚いたものか、着水の直後に僅かにふらついたシャルロッテであったが、やがて何事も無かったかのようにその姿勢を復元し、水しぶきが収まる頃、誰とも言わずに一斉の歓声と大きな拍手が沸き起こった。フランソワも何処か安堵した様子で、右手を胸元に当てて小さな吐息を漏らしている。詩音はそのフランソワの表情を横目に眺めながら、小さな笑みを見せた。なぜかは知らない。だが、大仕事を終えたフランソワを称えたい、そう思ったのである。

 「よし、お前ら、ボートに分乗してシャルロッテに乗り込め!待ちに待った処女航海だぞ!」

 やがて拍手が落ち着く頃を見計らって、グレイスが大音声でそう叫んだ。応、と答えた海男達の歓声が一体となって響き渡ったことは、勿論言うまでも無いだろう。

 

説明
第十五話です。
よろしくお願いします。

黒髪の勇者 第一話
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