マンジャック #9 |
マンジャック
第九章 解き放たれる野望の群
セイタカアワダチソウを蹴っ飛ばしながら、宇羽は退屈を紛らしていた。彼も今を去ること半年前に、上司から特拘の夜勤に廻るよう配転辞令を受け取ってから暫くは、四十年間の人生で我が身に起こった最大の不幸に神を恨んだ程だった。が、それも今となっては苦笑いの思い出だ。世間ではタヒチの放射能やエボラウィルスより怖いとされるジャッカーも、ここでは尻の毛を抜かれたようにおとなしい。本体に戻ったジャッカーは、みんな気が小さくなってしまうらしいのだ。それが解ってからというもの、彼には独りで外を見回ることが、時間を潰す絶好の口実になっていたのだった。
何よりここは空が綺麗だ。宇羽は空を見上げた。人から忌避される代償として、ここでは文明の魔の手から逃れることができる。今日は月夜だからあまり見えないが、新月の晩の星空はとても東京とは思えないほどなのだ。
今日は満月だったろうか。今度俳句でも始めてみるか。宇羽は俗世をしばし忘れて風雅に浸る。背後の人影が自分に近づいてきたことにも気付かずに...。
風流男の血飛沫が月夜を染めた。死の間際、彼にはナイフのサビを感じられたのだろうか。
クール隊の兵士はすぐに草むらの中に消えた。名も知らぬ警備員の死体とともに...。
あろうことか、成木と操乱は特拘正門の横扉から堂々と出てきた。流石に正門を開けるわけにはいかないので、車を出すことはできない。だが、街に続く砂利道を越えていった先にある東京の灯を眼下に臨み、外気が自らを吹き抜けてゆくにつけて、操乱は昂揚感を抑えられないようだった。
「成木さんよ。俺は何をすればいいんだい。」
「私はある人物に酷い目に遭わされたのだが、暴力は趣味じゃないし、私はこれから忙しくなる身でね。」
峰の身体を乗っ取った成木は言った。
「つまり、俺にそいつへ仕返しをしろって言うのか。」
「あぁ。君にとっても悪い話ではないと思うがね。ハンターを倒すというのは。」
ハンターという言葉を聞いて、陽気だった操乱が顔を顰めた。
「そ、そいつはひょっとして。」
成木は不意に顔を背けた。そしてにわかに表情を曇らせた。
「話は後だ。君はちょっと草むらの中に身を隠していたまえ。」
何故だと問う操乱に彼は、「血の匂いがする。」とだけ答えた。
クール隊三番隊の隊長であるトリドは、頭から被っている黒布を通して、前方の砂利道を歩いてくる人影を見た。彼は雑草に身を伏せながら様子を見る。近づいてきたのは制服らしきものを身につけた男のようだ。どうやら先ほど部下の一人が始末した者同様に、あの建物の警備員のようだ。
丁度いい。トリドは思った。頭数は一人でも減っていた方が襲撃しやすいからな。彼は男が自分の脇を通り過ぎるのを待って、背後から襲いかかった。
いつ来るかと待ち構えていた成木は、口を塞がれて内心ほくそ笑んだ。喉笛を掻き斬りに来るだろうが、まだやられる訳にはいかない。
成木は地面を蹴って背後の者ごとのけぞり、ナイフが急所に刺さるのを避けた。それでもナイフは肩口に深々と刺さったが、彼はそのナイフを掴んだ手に触れ、転移を試みた。
トリドはすぐさま相手の肩からナイフを抜いて跳びすさったものの、驚きを隠せないようすだった。何だこいつは、まるで俺が襲うのを知っていたようだ。それに今の奇怪な行動。こいつ、ひょっとして...。
彼がそれを確信したのは、制服の男が自分の肩の傷を全く意に介さずに自分の動向を窺っていたからだ。
「成木黄泉...か?」
「おや。わざわざ私に会いに来たのかね。面会は受け付けを通さないとダメなんだがね。」
トリドは体に震えが走るのを止めることができなかった。こ、これは願ってもない。仲間の仇が向こうから出てきてくれるとは。彼は口笛を吹いた。低く、もの悲しい音は、風にざわつく葉ずれの音にも負けずに周囲に広がっていった。だが彼は部下達が集まってくるのを待つつもりは無かった。当然だ。成木は彼の手に触れたのに、転移できなかったようではないか。つまり転移防止スーツは大成功だったのだ。となればもう、ジャッカーなど自分たちの敵ではない。この獲物は俺が狩る。彼は手にした白刃を月光に閃めかせて、成木と判明した男を襲った。
自分の前を行き過ぎるナイフを、間一髪躱したつもりで飛び退いた成木は、胸から一文字に血が吹き出るのを感じた。くっ、流石に踏み込みが深い。成木はクール隊の実力に感心すると共に、自分が焦燥していることを思い知らされた。転移ができない。このままでは殺される...。
ズン。トリドの体重をかけた一撃が成木の右肺に食い込んだ。トリドはそのまま右腕を横に流し、ためにナイフは肋骨を砕いて外に飛び出した。血流が音を立てて吹き出し、トリドの顔に降り懸かった。彼の顔を覆い隠していた布が朱に染まり、狂気の面差しのひと欠片が垣間見えた。
「!」
「死ね。」
勝負は見えた。トリドは動きの遅くなった成木にナイフで切りつけまくった。超硬の刃先はその度に成木の肉体を切り裂き、彼の体を八つ裂きにする。その度に吹き出す血飛沫を浴びて、トリドはその凶行に更に残忍さを増していった。
草むらから見ていた操乱は、その凄惨さに嗚咽がこみ上げそうになった。倒れることも許されずに攻撃され続ける成木はまるで木偶だ。あの成木って奴、たいそうなこと言ってた割にはだらしねぇじゃねぇか。彼は既に、どうやってこの場から逃げようかを真剣に考え始めていた。
大分弱ってきたようだな。トリドは成木が虚ろな表情で空を見つめだしたことに、満足げな表情を浮かべた。そろそろ最後まで取っておいた楽しみを実行するか。言うまでもなく、心臓を貫くことだ!
トリドは体重を載せ、とどめの一撃を成木にぶち込んだ。刃渡り20cmを越えるアーミーナイフは、体格の良い峰の胸板深く食い込み、心臓を刺し貫いた。
成木は声にならない叫びをあげた。トリドは愉悦の極みに今一度体を奮わせる。成木の右腕は痙攣を起こして中空をもがいた。それは普通の人間ならば断末魔の動きだろうが...。
彼はまだ死んではいない。
今だ!
成木の右腕が天から降りて...トリドの顔面に被さった。
「!」
トリドは全身に激痛を感じて思わず地に座り込んだ。並の痛さではない、彼は呻吟して頭を上げた。その視界に入ったのは...自分。
「転移を防ぐスーツには驚いたが、血に染まるのも忘れるほど遊んだのは、調子に乗りすぎたようだな。」
トリドの体がトリドに言った。
「お前にその体をやろう。自ら傷つけた体で後悔に咽ぶがいい。」
ジャッカー! 声帯をやられた峰の喉は、トリドに憎悪の叫びを出すことさえ許さなかった。
クール隊三番隊の一員であるエントはトリド部隊長に最も近い位置にいたため、彼の召集に最も早く応じることができた。が、トリドが目指す建物に続く砂利道の真ん中にいるのを見て仰天した。何をしているんだ。いくら人気のない場所だからって軽率すぎるぞ。彼ははトリドを諌めようと近づいた時、部隊長が薄い灰色の服を着ている男を取り押さえているのが見えた。
「エントか。」
トリドが言った。彼は灰色服の男を後ろ手にしてエントに見せた。
「ついてるぞ。この男は成木と脱獄してきたところだそうだ。警備員に捕まりそうになっていたので俺が助けてやった。」
エントはトリドの視線方向に、ボロ布のようになっている警備員の死体を見て納得した。
「ということは。」エントは二人に歩み寄った。「こいつを締め上げれば成木の行く先も判るって訳か。」
彼は灰色服の男...操乱の襟首を掴んでせせら笑った。だが彼の笑みはすぐに消えた。トリドに拘束されていた筈の操乱の腕が、雑木を尖らせた杭をエントの横腹に突き刺していたからだ。
「成木の行く先? よーく知ってるよ。」
くっくっく。と笑った操乱はその精神を杭に載せて転移した。
こうして、二人のジャッカーは米軍最強の兵隊の体を手に入れた。この時点で、クール隊三番隊の命運は決した。
ボロボロになったベンツが暗闇の中にあった。それは深夜のビル街の一角、土地不況で廃業した不動産屋の建物の脇に隠れるように止まっていた。表通りからはほとんど判らないが、近づいた者はそんな車に二人の男女が乗っていることに気付いたろう。男の方は、運転席の下に潜り込んで何かやっている。
ふうっ、と頭を出した所で、男の顔が街灯の光で判別できた。大野だ。
今、彼の二の腕からは二本のコードがはみ出し、それは運転席の下辺りに消えている。
「よし。これで動く。」大野は原尾にエンジンをかけさせた。すると、バッテリーから流れてくる電気が、繋げたコードを通して大野に流れ、再び彼の左腕は動くようになった。
「呆れた。わざわざ腕を動かすためにこんな所で車を止めさせたの?」
「まさか、これはあくまで手段の一つさ。も少し待ってよ。」
気楽に言ってくれるわね。原尾が落ち着かないのも無理は無かった。この場所はカタストロフ社日本本社ビルから一キロも離れていないのだ。追手が来る前に警視庁に戻るのが得策なのに、大野はいったい何を考えているのだろう。こんな状況下だというのに、彼は腕の調整ばかりしている。
「ねえその腕、車を止めなきゃならないほど燃料を使うの。」
「あぁ。ホントは足りない位なんだけどね。」
唖然としている原尾を見て、大野は説明する気になったらしい。
「この腕の動力源はね、核磁気共鳴電池なんだ。」
「核磁気共鳴電池...発電所の夜間蓄電に使うっていう...。あれ?」
「流石は理系のマキちゃん。よく知ってるね。」
この小説の中ではそういう利用をしてる技術だと思って下さい。一言で言うと核磁気共鳴というのは、多くの電子のスピン方向が揃うほどエントロピーが小さくなってエネルギーが溜まっていく状態を言います。物事がきちっとしているほど、でたらめな時よりエネルギーが高いってのはちょっと一般に理解し難いところ。だけど例えば学級会なんかでね、学園祭の出し物何にするかって時に、クラスの意見をまとめるのって大変でしょ。つまりクラス全員の意見の一致ってのは、委員長のそうした頑張りエネルギーを吸収して出来上がったと言えないこともないじゃない。量子力学世界では実際にそういうことが起こってて、この原理を利用して熱エネルギーを吸収させ、絶対零度ギリギリまで物質を冷やすなんてこともやってる。で、こっからがSFなんだけど、リチウムなどの原子番号の低い金属でできた合金中の電子のスピンを揃えれば、エネルギーを効率的に蓄える電池のような物が出来るんではなかろうかという考えを勝手に筆者がでっち上げて、こういう設定を造ったと言うわけです。お粗末。
「だってあれってものすごく不安定だから、巨大な制御装置がいるって言うじゃないの。」
「そう。だから俺は心臓と同調させて制御しているんだ。おかげで強心剤がいるけどね。」
大野が舐めてたアメがそうなのだろう。原尾は思った。しかし、この人はそんなものご老人にすすめてたっての。
「じ、じゃあさっき配電室を爆破したのって。」
「当たり。一発三百万円のカオス花火だ。隅田川で打ち上げたかったね。おっ。入ったぞ。」
大野は何やらコードが付いた小さな物を取り出した。イヤホンだった。
「聞いてみな。」
原尾はそれをつけて驚いた。建物の火災に愚痴るパシフィックの声が聞こえたのだ。そうして彼女はハッとした。あ、あの時去っていくパシフィックに投げたのは...。
大野は親指を立ててウインクした。
「大丈夫ですか隊長。」
兵達が駆け寄った。だが中の一人がクールの肩に触れた途端、バックリと傷口が開き、血が吹き出した。河合の腕をもぎ取った一撃が既に、肉を斬らせた結果だったのだ。
「構わん。俺に触れるな。」苛立たしげにクールは立ち上がった。床にうずくまっている河合を見やる。その身には軽く見積もっても百を越える風穴が開いている。尋問中には自白剤すら投与していたという。こんな状態の女にこの苦戦。これがジャッカーの実力か。この分では成木という男に送った暗殺隊も...。
運ばれる河合の死体を見送ってから、クールは決心したように頭を上げ、周囲の兵にむけて言った。
「例の計画を実行する。」兵達の間に奇妙なざわめきが走る。しかしそれは、動揺ではなく、昂揚だ。「お前達に一度だけ選択させる。俺に従いたくない者は去れ。責めはせん。」
その場を動く者はいなかった。
「上等。」
クールは先頭に立って歩きだした。
会議室をうろうろしながら、パシフィックは苛立たしげに部下達の報告を聴いていた。表向きの経済活動をするために連れてきた者や、カタストロフ社の社員で建物内に残っていた者たちを総動員して、地下火災の消火に当たらせたものの、ボイラー室などにも飛び火したらしい火は、一向に静まる気配を見せなかった。クール隊は女一人にいつまで手間取っているのだ。全く役にたたん連中だ。彼は脂ぎったその顔を撫でながら悪態をつく。
そうこうするうちにドアが開いた。クールが入ってきた。
「遅いぞ、クール。」
「言ってくれる。ボスが我が隊を無断で展開しなければこれほどの被害は出なかった。」
パシフィックはクールの物言いに怒りを爆発させた。
「何だと。お前の部下は私の部下だ。さっさと消火活動に迎え。」
「あの火は消えませんよ。」クールは苦笑いした。「あんたの部下は私の部下がみんな始末したんだから。」彼は拳銃を取り出すや、おもむろに撃った。
弾丸はパシフィックの左腕に当たり、二の腕から先が吹き飛んだ。愕然としている彼に、クールは言った。
「お前のおかげで我が隊は十人以下になってしまった。越権行為に対する当然の制裁だよ。」彼はもう一発発射した。パシフィックの右腕が吹き飛んだ。
クールの声と銃声を聞きつけて隣室のヤムだけが驚いて入ってきた。
「何をしているクール。気でも狂ったか。」彼は駆け寄ってパシフィックを助け起こす。
「ドクター。私が一時の感情でこんなことをすると思うか。」
自分の方を振り返ったクールの目を見たヤムは、その冷静さに気付いた。それはまるで...。こいつは、この日を待っていたのか。
「き...、気付いたか貴様。」パシフィックが肩で息をしながら言った。
「ほぅ。察しがいいですなボス。」クールは眼を細めた。
最強の軍隊を目指すクール隊が、ジャッカーの力を手にしたとき、上層部が制御できるのか。今日、ジャッカーの戦闘力をその身をもって思い知らされたパシフィックであれば、その思いが更に強くなったとて無理もない。
不死身の兵隊を掌握するたった一つの方法は、その精神の帰るよすがを人質に置くこと。つまり、ジャッカー兵の離魂体を管理下に置くことである。逆らっても、数時間の命。己の身に帰巣せざるを得ないジャッカーにとって、それは絶対の服従を強要されたに等しい。
が、戻らなくても死なないのであれば...。
「ドクターが自白剤で行った河合の証言を、ボスが聴いてからの行動は、らしくなかったな。何故あんたが直々に作戦を指揮しなければならなかったか。それは奴の正体が、俺達に悟られては拙い存在だったからだ。」
時折雑音が入るが、大野と原尾は夜気の吹き抜ける車の中でこの言葉に耳をそばだてた。
クールは冷笑を浮かべた。そして、パシフィックの隠蔽しようとした核心に触れた。
「成木黄泉。あいつは、ゼロ・ヒューマンだ。」
ゼロ・ヒューマン! 大野と原尾はお互いの顔を見合わせた。どちらの顔にも戦慄がありありと浮かぶ。成木は生物学的にあり得ないと思われていた独立精神体だと言うのか。
人類は、生命は、その進化の方向を変えたというのか。
ゼロ・ヒューマンのことを知っているのはクール隊ではクール一人だ。だからパシフィックは、クールにだけは成木のことを知られてはならなかったのだ。何故なら。
「ゼロ・ヒューマンの存在が可能であれば、俺達もそうなれる可能性があるということだ。そうすればもう、ジャッカーに弱点はなくなる。そしてその力を持った者が暴走したとき、それを止めることが出来る者は誰もいない。」
パシフィックは苦しそうに言葉を紡ぎ出す。
「お、お前達に知らせなかったのは当然だろう。国家とは、己を脅かす力を造り出すために軍を作ったのではない。」
「そこに自己矛盾が生じるのだ。究極を目指す以上、枷となるものは何であろうと邪魔でしかない。」クールはパシフィックの心臓を撃った。
パシフィックが死んだのを確認して、クールは後ずさるヤムに銃口を向ける。
「ま、待てクール。私は命令されただけだ。制裁を受ける謂れは無いぞ。」
クールの浮かべた苦笑いは、正にヤムを凍り付かせた。
「心配するな。ただの私情犯罪だ。」私をこんな姿にしたことに対するね。
彼は引き金を引いた。
もんどりうって倒れたヤムは、激痛にもがきながらクールに言った。
「ば...馬鹿か貴様...。こんなことをして...お前の体は私がいなければ...。」
「心配してくれてありがとうドクター。だがね、期限があった方が仕事に身が入るだろ。」クールはもう一発発射した。
二人の遺骸の前に静かに立ち尽くすクールの背後に、クール隊の連中が集まってきた。クールは彼らに言った。
「我々の目指す究極の前の壁はまた一つ消えた。後はあの力を手にするだけだ。」
階下からもう消すことが出来ないほど燃え広がった業火の音が轟き、やがて大野達の耳にも、音が届かなくなった...。
エントの体から操乱が離れた。眠るように横たわっていた操乱の顔に生気が戻り、その代わりとして彼の頬に触れていたエントが苦しそうに蹲った。操乱の目が開き、その身を起こした。彼が見上げると、クール隊の誰ともしれぬ体に憑いた成木が、中天に達した月を背にして立っていた。見下ろすその表情は影に隠されて窺い知ることができない。
この男は...。成木が差しのべた手を見ながら、操乱は思った。この男の闇の深淵は、例え昼間でも底を見ることはできないんじゃなかろうか。
「よくやったな操乱。」成木は操乱を助け起こして言った。「これなら十分に任せられる。」
「そうだよ。」操乱は急いた。「あんたが倒したがっている奴って、変な左手を持ってる男じゃねぇのか。」
「ふふ。察しがいいな...。だが君は彼の名を知らなかったのか。」成木は眼を細めてから明瞭に言った。「彼の名は大野一色。あのピンぞろハンターだ。」
操乱の大きく開かれた目は、まるでそれが本当のサイズだと言わんばかりに凍り付いた。
「あっ、あの...、一本腕の一色...か?」
成木は頷いた。
「冗談じゃないね。」操乱の怒鳴り声が響いた。「よりによって大野一色だと? あんた頭がいかれてんじゃないか。
「あいつにちょっかい出すジャッカーなんてこの日本にはいないぜ!」
だが彼の言葉を聞いて尚、成木の不敵な笑みは消えなかった。
「確かに、君がそう言うだろうとは思ったよ。だが幸いなことに...」成木は虫の息になっているエントに視線を流した。「彼らの中で面白い能力を持つ者がいたんでね。
「これを君にあげよう。」
彼は操乱の頬に触れた。
血に染まった手袋部分の嫌な感触を操乱が感じるかの間に、その腕から堰を切ったように何かが入り込んで来た。今までに自分がジャックされたことがない操乱は一瞬困惑した。特に、その先に成木の精神を見つけたときはパニックに陥った。想像よりも深く濃く、それは闇だったからだ。
が、送られてきた情報が腕に、肩に、そして脳に到着するや、その能力に目を見張った。これならあるいは...。
手を離した成木に操乱は微笑みかけた。交渉は成立したのだ。
二人が立ち去ろうとすると、背後で音がした。振り返ると、エントが立ち上がっていた。気力で生きている彼に操乱が言う。
「仲間はもういないぜ、悪いがあんたももう駄目だ。」
出血多量で辛うじて立っているであろうエントには、操乱の言葉は届いていないようだった。彼の言葉は誰に言ったのか...。
「何で、何で俺達が負けたんだ。」
成木は言った。
「たとえ屍の山を踏み越えても、私にはせねばならんことがあるからだ。」
そう。私は知って、手にしなければならない。成木は自分に言い聞かせた。
人工転移と、その先にあるあの力を...。
力つきたエントが吐いた最後の疑問...。
「く、そっ。貴様達...だけに...何故そんな力が与えられたのだ...。」
「さぁね。」どちらともなく言い、成木と操乱は暗闇の中に歩み去った。
「まさかね...ゼロ・ヒューマン...。」
「あぁ。ジャッカーはもうそこまでいってしまったんだな。」
シートに凭れかかって原尾は嘆息した。無理もない。自分たちが日々対決している相手は、自分たちの逮捕能力の向上率を遥かに凌駕するスピードで強くなってゆくのだ。
だが大野には、うすうすながらもそのことを感じはじめてはいた。河合に憑いた豹は少なくともロイヤルホテルからずっと彼女の体内にいた筈だ。半日が過ぎてもなお豹の心は何故死ななかったのかが、大野には引っかかっていたのである。それは成木が自分ばかりか、他をもゼロ・ヒューマン(動物だからアニマルか)にできるということを示しているのだから...。
「さて。」腕から配線を外し、元通りに車が動くようにしてから彼女に向かって言った。「じゃあなマキちゃん。俺はもう行くわ。」
「!」
言うなり、大野は助手席から降りた。「ここでお別れだ。送んなくていいよ。」
原尾は大野の突然の言葉に呆然とした。そんな。今あなたに去られては困る。ただでさえ強力になってゆくジャッカーの力に対して、私たち警察だけでは太刀打ちできない。
「ま、待って...」
「忘れたのかい。」大野は原尾の言葉を制した。「俺があんたと行動したのは、利害関係が一致したからなんだぜ。」
...。原尾は戸惑った。彼が何で得をしたの?
「マキちゃんは美人だから、パシフィックさんとの会談も円滑に運んだんだよ。」大野はウインクすると、面食らったように原尾は赤面した。
「さあ。君はカタストロフ社にもう一度乗り出すべきだろ。」
彼は彼我の立場の違いを指摘した。ハンターである大野と、警察官である原尾は、所詮目指すものが違うのだ。
「俺の出番は終わったよ。じゃぁ今日はこれで。もう会うこともないだろうね。」
言い残して、大野は去って行く。
原尾は車から飛び出ると、彼に叫んだ。
「あなたは私を助けに来てくれた...私はまだお礼も言っていないのに。」
大野は振り返りもせず、右手を挙げてバイバイをした。
原尾が大野を引き止められないのは、彼がプロなのだと思うから...。これから先は彼の仕事ではないと思うから...。
それに...、それに。原尾は深く嘆息した。今日の私は、彼の重荷でしかなかったから...。
原尾は今日のことを思い出していた。ジャッカーに初めて憑かれたこと、目の前で多くの者が死んだこと、ソーニャが死んで獣と化したこと...。それは彼女にとって衝撃的なことばかりであった。
原尾はそのことにこの上ないが悔しさを感じる。それらの情景に竦んでしまったことではなく、自分の行動が常に、そうした結果を招くかもしれないということについて、自分があまりにも無知であったことにだ。
彼女はその時、今日一日の大野の自分への処し方に思い至ってハッとした。彼は自分に対して、自分がジャッカーに処するときの甘さを指摘した。ハンターということを考えれば当然企業秘密であろう多くの技術をも見せてくれた。
ここに至ってようやくそれに気付いたことに、原尾は赤面した。彼は、私の形だけの仕事ぶりを窘めてくれていたのか...。
原尾は内から次第に湧いてくるその気持ちに体が熱くなってくるのを感じていた。それが何であるのか、自分に聞かせようと、胸の内のわだかまりから意味のある言葉を紡ぎ出そうと頭を懸命に働かせていたが。やがて...。
彼女は何かに弾かれたように、くっと顎を引いた。そしてエンジンを吹かした。
そう。もし自分が今日のことについて自戒するだけの心があるなら...。彼女は思った。彼にこれ以上頼るわけにはいかない。私にはやるべきことがあるのだから。
心中でそう言うと、原尾は大野とは反対方向に夜の街道を一人走り去っていった。
決意は彼女の更なる力となる筈だ。だが原尾は未だ、自分が今の道に進んだ本当の理由に気付いていない。彼女自身をもう一段強くすることになる彼女の内なる真実は、後の話によって明らかになるであろう。
人々の野望と希望が物語の中を疾走していこうとする中にあって、一人失速してしまった男がいる...。
原尾の気配が消え去ったことが判ると、不意に大野は道端のゴミ置き場の中に倒れ込んだ。いつのまにか曙光が何処ともなく光っており、縄張りを荒らされたカラス達が不機嫌に彼を取りまく...。
堪えていたものが切れたのだ。身体や脚部の銃創や、至る所の打撲からくる疲労が原因のひとつであることは勿論だが、今の大野はそれ以上に、精神的なダメージが大きかったのである。
大野は河合を救えなかった。その事実が、彼の心を酷く痛めつけていたのである。
俺は賞金稼ぎだろう? 彼は自問していた。悪いジャッカーをひとひねりで倒して、恐怖におののくおねいちゃんを解放する...。それが何てざまだ!
彼は地面に拳を打ちつけて八つ当たりをしようと思ったが、エネルギーの供給を停止した左腕はぴくりとも動かなかった。ひとしきり彼は笑った。腹の底からの自虐を込めて...。
大野は自分一人でゆっくりと起きあがった。そしてまた脚を引きずりながら歩きだした。
不意に彼は、河合の言葉を思い出した。
「同じ匂いがする...か。」
俺は所詮ジャッカーと共に生きねばならない、追うものがあってこそのハンターなのだから...。
俺の求めるものが、そこにしかないのだから...。
彼の姿を包む朝靄は、まるで心象風景の様に彼と同化していった。
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第十章(第2部)へ続く
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精神レベルで他人を乗っ取れるマンジャッカーという特殊能力者を巡る犯罪を軸にしたアクションです。 | ||
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