ペッパー・アンド・ソルト |
それは――ボクが初めて感じる類の恐怖だった。
神として過ごした歳月、そして再び身体を得て市井に暮らす日々。そのどちらにおいても、これほどまでの戦慄を目の当たりにしたことはない。
ボクの足元では、無慈悲な針がピクピクと蠢いていた。いくら怯えようとも、冷たくも厳かに一つの事実をボクに突きつける。
――あぁ、何故。何故なのか。ボクが何をしたというのだろうか。
思わず、ボクは叫んでいた。体重計の上で。
「りぃぃぃぃぃかぁぁぁぁぁっ〜!」
「何よ、うるさいわね! 羽入」
「た……体重が……2キロも太ってしまったのですよ! あぅあぅあぅぁう!」
「そりゃあんだけ毎日毎日シュークリームを食べてりゃ太りもするわ」
無慈悲なヤツがここにもいた。
「羽入、今夜のご飯なんだけれど」
「いらないのです」
「え?」
「今日からボクはダイエットを始めるのです! 強い意志は運命を強固にする。あの惨劇の六月を越えたボクの意志はもはや鋼鉄のように硬いのです!」
「鉄ってガスバーナーで焼きなますと軟らかくなるわね」
「ボクをバーナーで炙る気ですか!」
「そしてハンマーで叩くと容易に形が変わるわ」
「ハンマーで撲殺なのですか! そんな惨劇は本編にはないのですよ!」
いや、どこかの世界ではあったかもしれないが、そんなことは気にしない気にしない。
「食事はちゃんと食べて、シュークリームを減らしなさい。そうすればすぐに体重は元に戻るわ」
食事<<<<<<<<<<(越えられない壁)<<<<<シュークリーム。
「仕方ないわね。今日の晩ご飯のおかずは海藻サラダとキノコにしてあげるわ。どっちもローカロリーよ」
あぁ、梨花。あなたのお慈悲に感謝しますです。
「勿論キノコはバター炒めで」
「意味がねーのですよ! カロリーを増やしてどーするのですか!」
前言撤回。やっぱり無慈悲だ梨花は。身をもって知り尽くしてはいたけれど。
「じゃぁ茄子でも入れましょうか」
「茄子は油を吸うのですよ! これ以上のカロリー増加はやめてくださいなのです!」
「……茄子とキノコと言えば」
あ、イヤな予感。英霊ですか? 直死の魔眼ですか? カレーの王女様ですか? 妹最強ですか? ちょっとやそっとのネタでは、ボクは驚かないのですよ。
「吉○家が近所にあるならば、そこへ行ったのは昨日の事だっただろうか。
そこは溢れんばかりの人だかり。故に座る場所すらも無い。
よく見れば、垂れ幕が下がっている。『150円引き』と。そう、書いてある。
ああ、アホかと―――馬鹿かと。
150円引きごときで、普段は目もくれやしない吉○家に、足を運ぼうだなんて―――。
否。150円。それは断じて、たったの150円なのだ。
親子連れなども来ているあたり、そのおめでたさといったら、ない。
『ヨーシ、パパ特盛頼ンジャウゾー』
もう、見ていられない。
お前ら、150円をくれてやるから―――即座にその席を空けろ。
元より吉○家というのは、もっと殺伐としているべきなんだから―――!」
……そう来たかぁぁぁぁぁっ!
「そんな有名なコピペ張ったらマズイのですよ! どの方面からツッコミが入るか分からないのです!」
「大丈夫よ、ちゃんと一部伏字にしておいたから」
「ツッコむ所はそこじゃねーのです!」
「ところで……そろそろお腹が空いてきたんじゃない、羽入? 夕食にしましょう」
――あぁ、それで梨花は。梨花は、延々と――延々と食べ物の話をしていたの、か――
って、自分が茄子やらキノコやらの語りになってどーする。
「夕食はいらないのです」
ちっ、とか言って横を向く梨花。梨花の思惑なんぞには引っ掛からねーのですよ。ボクは続ける。
「チェス板をひっくり返すのですよ、梨花」
「ちゃぶ台返しみたいに?」
いや、そーじゃなくて。でも、実はボクもそーゆー意味かなー、と最初思っていたのは内緒だ。
「発想を変えるのですよ。人体に必要なカロリーは成人女性で一日あたり1500〜2000Kcalなのです」
「うん。そんなところね」
「シュークリーム一個あたりのカロリーを250 Kcalと仮定すると、なんと! シュークリームを一日六〜八個食べるだけで一日の必要カロリーが摂取できてしまうのですよ! ボク、天才! 我を崇めよ! げーへーへーへーへーへー! ぶべっ!」
「ちぇりおーっ!」
思いっきり顔面を蹴られました。
「あんた、その余っている2キロの肉、わたしによこしなさい! つーかよこせ、特に胸!」
おぉぉぉ、梨花の目が据わっている。
「わたしは太れない体質なのよ! 相撲取りなら致命的な体質なのよ!」
「北の○に成れなければ千代の○士に成ればいいのですよ? 古手‘ウルフ’梨花、なんてカッコいい二つ名なのです。あぅあぅ」
「やかましい! それは二つ名じゃなくて四股名だ! そんなボケが聞きたくて『狼になりたい』ネタ振ったんじゃないわ! あんたや沙都子の胸を見るたびにわたしがどんな思いに苛まれてきたか、あんたには分からないでしょうね」
わ、分かったから、いや、分からないんだけど、手をわきわきさせながらにじり寄るのは止めてくだされ! 殿中、殿中でござるのですよ! あぅあぅ!
「わ、わたしの胸なんかアイガー北壁よ! クリフハンガーなのよ! 前人未到人跡未踏断崖絶壁遭難続出登頂不可能なのよ!」
うわぉ! ついにぶっちゃけたのですよ! ついでに言うと「登頂」ではなくて「登攀」なのです。ここ、テストに出ますので。
「くっそー、あともうちょっと胸があれば、赤坂を落とすことも可能だというのに!」
「つーか、落とし所はそこですか! 梨花、胸なんて飾りです。えろい人にはそれがわかりゃぎっ!」
「ちぇりおぉーーっ!」
いい按配に拳が鳩尾に入りました。
不意に、ボクは、至ってしまった。
――あぁ、梨花は。
梨花は、もうボクの考えることを分からないのだ、という想像に。
それは、同じく。
ボクも梨花の考えることが分からないのだ、という現実に。
それは、ボクが。
肉体、という器を得てしまえば当然の経過なのに。必然の結果なのに。
百年を、いや百年を越えてなお、想いを共有し合ってきたボクと梨花。
それすらも幻想である、という失望がボクの前に横たわっている。
ぐらりと――目の前が暗くなる。
――血ノ気ガ引キ、寒サデハナイナニカガ、ボクノカラダヲ凍ラセル。
「ちょ、ちょっと羽入! あんた、大丈夫!?」
遠くに梨花の声が聞こえる。
ボクは、ボクは薄れていく意識の中で。精一杯の心を、万感の思いを込めて。
――せめて、梨花に、梨花には伝わりますように、と。
呟いた。
「……シュークリーム分が足りない」
「いつまでキノコるか! ちぇりおーっ!」
……臀部を踏んづけられたことだけは憶えています。
「血糖値が下がりすぎて倒れるなんて、あんた今日はどうかしているわ。どうかしているのは今日に限ったことではないけど」
憎まれ口とセット販売で梨花がわざわざ買ってきてくれたシュークリームのパック。
ボクはそれを膝の上に乗せて、しかし封を切らずに眺めていた。
いや、そのシュークリームがスーパーの売れ残りで特売半額のシールが付いていたのが気に入らなかったワケではなく、さらにはキノコというよりは回文PNの人の語りで、ついでにシュークリームネタでは有名なオチまで使ったというのに華麗にスルーされたのを根に持っているのだけが決して理由ではない。ガッデム。
――ボクは梨花の考えることが分からない。梨花も、また、同じく。
なのに、梨花は。梨花は――それこそ、考えたって分からない。
梨花はふて腐れたように冷凍食品のピラフを食べていた。梨花にしては思いっきり手抜き料理な、暖めただけの冷凍食品のピラフ。
いや、料理とすら呼べないだろう――ピラフの上に載った、半熟の目玉焼きがなければ。
たっぷりと塩コショウを振った、半熟の目玉焼き。
「何よ。あげないからね」
じっと見つめるボクの視線に、梨花は答えた。
「……梨花まで粗食になることはないのですよ。なぜ、ちゃんとした料理を食べないのですか?」
「別にあんたに付き合っているわけじゃないわ」
冷たく言い放つ梨花。
ボクは思う。
他の家事はともかく、料理には自信のあった梨花がなぜ、今日に限って料理を作らないのだろうか。
いや、そもそも――なぜ、梨花は料理を作っているのだろうか。
「なぜ、梨花はいつも料理を作っているのですか?」
それも楽しそうに――あんなに楽しそうに。
「決まっているじゃない。あんたや沙都子の喜ぶ顔が見たいからよ」
当然のように――それが何かの公式でもあるかのように梨花は言った。
料理は誰かのために作って、美味しいと言われるのが嬉しいのよ、と。
――あぁ、それはボクのことだ。まさしく、ボクのことだ。
半熟の目玉焼き。
確か、ボクが始めて梨花に教えた料理が目玉焼き。最初は失敗してスクランブル・エッグになってしまったけれども。しかも、塩コショウが効きすぎの。
だけどそれは、紛れもなく――梨花が最初に作った料理だった。
あの時、梨花は。
梨花は、笑っていた。お母さんに食べてもらうんだ、と笑っていた。
故に、梨花にとっての料理とは、まさしく家族の団欒。
否、家族の肖像。
梨花にとって料理とは――おそらくは幸せなことばかりではなかったにせよ――きっと誇るに値する行為なのだ。
それをツマラナイモノにしてしまったのは――あぁ、まさしく、ボクのことだ。
梨花が笑顔ならば、ボクは幸せだろうか。
答えるまでもなく。
ボクが笑顔ならば、梨花は幸せだろうか。
問うまでもない。
ボクも梨花もお互いの考えることが分からないのだ、という現実は。
しかし。
食卓を囲みながら言葉を尽くして話し合う、という理想からはさほど遠くはないだろう。
だからこその、料理。だからこその、食事。
だからこその――家族。
願わくは。
今からでも――間に合うだろうか。
梨花――ボクの家族。
「……梨花。ボクにも目玉焼きを作ってくれませんか? できれば、少し失敗してスクランブル・エッグになりかけの目玉焼き。塩コショウを効かせて。そして、海藻サラダも」
「注文が多いわね! 作ってあげるわよ! ちゃんと食べなさいよ!」
梨花はちゃぶ台を叩いて立ち上がると、台所に向かう。しかし、その足取りは軽やかで。表情は見えなかったけれど、きっと梨花は――に違いない。
そんなツンデレってる梨花が楽しくて、ボクがひょこっと台所を覗くと、梨花は大量のタマネギを刻んでいる最中だった。
「り、梨花? そんなにタマネギを入れるとサラダが辛すぎるのですよ!」
「いいのよ! わたしも食べたいんだから」
梨花の答えは少し鼻をすすりながら。ちょっと肩が震えている。
タマネギを刻んで嬉し涙を隠そうなんて、ボクには百年早いのですよ、梨花。
そして。
料理にそんな意味があるなんて、知るのが百年遅かったのですよ、ボク。
2キロ増えた体重はひとまず棚上げにしよう。
人生、甘いだけでは物足りない。時には辛さも塩味も必要なのだと。
Pepper and Salt.
「辛いのですよ、しょっぱいのですよ。まだ舌が痺れているのです。あぅあぅ」
「あんた、塩コショウのかけすぎ。血圧上がっても知らないわよ」
ことん、と梨花が置いてくれたコップの水をぐびぐびと飲み干すボク。
「水太り、ってこともあるかもしれないわね」
ボソッと梨花が言う。
「水で2キロも体重が増えるわけはないのですよ。HAHAHA!」
「いや、水の中のプランクトンが栄養となって」
「ちょっとマテぇーっ! ボクは小魚ですかそれともジンベイザメですか! それよりプランクトンって何なのです! ボクにどこから汲んできた水を飲ませたのですか!」
「……水槽? と言うか用水路?」
「疑問形で答えるんじゃねーのです!」
梨花の冗談は本当に聞こえるから始末が悪い。本当の時もあるから尚更始末が悪い。
「羽入、水の波動が身体に影響を与えるのは知っているわね?」
うわっ、別の意味で知っているのですよ。すっげーエセ科学。
「わたしは水を飲むとき、胸が大きくなりますように、って念じながら飲んでるわ」
「信じてたのですか! てっきりネタ振りだと思っていたのですよ!」
「信じてるわよ。少なくともオヤシロサマ以上には」
……エセ科学に負けてる神様の存在意義って一体。どこかの共産主義国家みたいな。どーせ、もうダメ神呼ばわりも慣れたからいーのですよ。あぅあぅ。
「どこかのダメ神と違ってシュークリームをお供え物に要求しないだけ、水の方がまだマシだわ」
「傷心のボクに止めを刺すんじゃねーのですよ!」
―― nice boat ――不意にそんな単語が脳裏に浮かんだ。
「ついでにこのお話がアニメ化になるといいわね」
「何のついでなのですか! なっているのですよ! もうすでに『ひぐらし〜』はアニメ化されているのです! DVD絶賛発売中なのです!」
「さしずめタイトルは『食物語』」
ぐはぁ! そっちのオチなのですか! つーか引っ張りすぎなのですよ!
「と言うわけで」
……どーゆーワケなのかとっくりと訊きたいのですが。
「食器洗っておく間に沙都子を迎えに行ってくれないかしら。あの子、ほっとくといつまでも長居しちゃうんだから」
「あいあいさー、なのです」
これ以上梨花に突っ込みを入れるのも疲れたので、ボクは出かける仕度をする。まぁ、行き先はよく知っている場所なんだけれども。
そのとき。
「羽入、されど、人はパンのみにて生きるものに非ず、よ」
そう言った梨花は――確かに、笑顔だった。
自転車を漕いで数分。やたらとデカいハイソなお宅へ到着。このまま呼び鈴を押すのもつまらないので、ちょいと悪戯心で窓から様子を伺ってみる。
「やっぱり沙都子の作る野菜炒めは美味いよなぁ。ホント、毎日でも作りに来て欲しいくらいだぜ」
「まっ、圭一さんったらお上手ですこと。……ちょっと圭一さん、お塩のかけすぎですわ! 後、コショウも! 薄味の方が健康によろしいんですのよ! 聞いてらっしゃいますの!」
「う。沙都子、すまん」
……えーと。あぅあぅ。どこから突っ込んでいいのか、よく分からないんですけど。まぁ、これはこれで。ちょっとアリかも、な。
Pepper and Salt.
説明 | ||
「ひぐらしのなく頃に」より梨花と羽入のノリツッコミ。どこかで読んだような文体を目指しましたw | ||
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ひぐらしのなく頃に 古手梨花 羽入 ノリツッコミ | ||
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