願わくば |
冴える空気に月が優しい光を投げかける。
星影がちらちらと瞬く、おだやかな冬の光景がそこにあった。
白い吐息がふわりと舞い、空に解けてゆく。アスフェリートは寒さを気にする風でもなく、またほう、とため息をついた。
黎明の城の頂、あまりひとの寄りつかないそこに、彼はただひとりで立っていた。
遠くに望めるは落日の輝き。
未だ取り戻せない『しあわせ』の象徴だ。
あれを、早く取り戻さなければ。
いまごろ、あの輝きのもとではどんな時間が流れているだろう。
いつもなら、太陽宮の中心にある大きな鐘の音を聞きながら、家族五人で過ごしたはずだ。
母が手ずから茶を淹れてくれ、父がそろそろ酒はどうだとすすめてみる。
(そして、母はそれを見て怒るのだ。その光景すら、もう懐かしい手に入らないおもいでだった)
妹はあれこれと菓子を選ぶのに忙しく、それを笑いながら自分は見つめていた――。
暮れゆく、去りゆくこの年、一年前からは想像の付かないことが起こり、アスフェリートを嵐の中に投げ込んだ。
思い出せる光景も、いまは夢のように遠い。
この城に集まってくれた者たちの疲れを癒すため、と、年越しの宴の話が持ち出されたのはごく最近のことだ。戦いは予想以上に長引き、故郷に長く帰れない者は数多かった。
城の下からは、賑やかな宴の声が聞こえてきて、アスフェリートはふっと口許を緩ませる。
こんなときでも明るさを失わない仲間たちが、彼はなにより大切だった。
女王崩御の喪はまだ明けていなかったが、去る年が悲しみに満ちたものばかりだったからこそ、来る年の明るいことを望み、祈る気持ちは大きい。
だから、この日ばかりは戦いを忘れ、皆それぞれ今年最後のこの夜を楽しんでいるはずだった。また、明日からは戦いの日々が続く。
それぞれ、うしなわれた『何か』を取り戻すために。
しかし、アスフェリートはそのかりそめの明るい雰囲気の中、どうしても自分の気持ちを抑えられずにいた。
だからひとり、飲み物だけを持って宴を抜け出した。
あの賑やかな光景に、取り戻せない光景を思いだしてしまうのだ。
いろあせてゆく、取り戻せない過去。
年を越してしまえばそれは、本当に、永遠に手に入らない幻になってしまいそうだったから。
外気に触れて、冷え切ってしまった茶をすする。吐息が雲のようにふわりとちいさな形を作り、アスフェリートのちいさな憂いがほどけて消えた。
星を見上げたそのとき、背後に誰かの気配が現れて、アスフェリートは目を瞬かせた。
「……だれ?」
「あ、あの、わたしです。ルセリナです。殿下」
振り向けば、さやかな星の輝きに似た繊細な声がして、戸口のほうから夜闇にきらめくはしばみの色が見えた。控えめに、ばら色のドレスがひるがえる。
「ルセリナ? どうして、ここへ」
「……おそばに行ってもよろしいですか?」
「あ、うん」
雰囲気に押されて思わず頷くと、ルセリナはほっとした様子で歩き出した。その手に、湯気の立つなにかが握られているのに気づいて、彼は首を傾げる。
その視線に気づいたのだろう、ルセリナはふわりと笑って、『寒いですから』と言った。
「不寝番の皆さまに、差し入れを配っているところだったのです。宴に参加できない方も、たくさんおいでですから。殿下のお姿も見えませんでしたので、勝手ながら殿下の分もご用意いたしました」
付け加えて、温かい茶をルセリナは彼に差し出す。
「……ありがとう」
「いいえ、そんな」
さりげない気遣いをしてくれたルセリナは、どこまでも謙虚だった。
アスフェリートが向けた感謝のことばも、とんでもないとばかりに首を振る。その様子が少しおかしくて、アスフェリートはくすりと笑みを漏らした。
「きみはいつもそうだね。少しくらい、自分に甘くったっていいと思うよ?」
「殿下、それは……」
恐縮しきりのルセリナに、そんなところもきみらしいのだけれど、とぽつりと呟く。
あくまで控えめに、こちらの邪魔をしないようにルセリナは佇んでいる。その配慮がアスフェリートは嬉しく、そして少し、もどかしかった。
ルセリナなら、もっともっと近づいてくれて構わないのに。互いの温度がわかるくらいに、こんな寒い夜くらい、近づいてみたい。
思いだしてしまった家族の思い出に、少し心細くなっている自分がいた。
「ねえ、ルセリナ?」
「……はい?」
背後に、ただ、いてくれるルセリナに呼びかける。
「これから、どんなことがわかるかわからないけれど、明日をもしれない命かもしれないけれど、でも、絶対に絶対、大切なものを取り戻したいんだ。だからルセリナ、助けてほしい。ぼくの味方で、ずっとずっといてほしい。側にいて、くれるよね?」
深いところまで言い過ぎたか、という気がしないでもなかったけれど、それはアスフェリートの紛れもない本心だった。
触れられないぬくもりだけれど、彼女はなにより自分の支えになってくれる。家族でもない、女王騎士でもない、ほとんど初対面に近かったルセリナが、こんな短い期間に彼にとってのかけがえのないひとになろうとしている。
それが不思議でたまらない。
あの悲劇がなければ、彼女にここまで惹かれることはなかったかもしれない。
失ったものと、得たものと、なんて奇妙でせつない巡り合わせだろう。
「ねえ、ルセリナ」
「はい?」
笑ってみせれば、ルセリナは戸惑いながらもぎこちなく、笑みを返してくれる。
問いの答えは返ってこないけれど、この笑顔があるだけで、いまの自分たちには精一杯かもしれなかった。
吐息の白いもやが、ふたり分混じり合って、優しく広がっていく。
笑みを交わしたところで、ふとルセリナがなにかに気づいたように遠くに視線を向けた。耳を澄ませるしぐさをする。
「鐘の音が……」
「ああ、これは、太陽宮の鐘の音だ」
ソルファレナの、白亜の城。そこの中央にひっそりと佇む大きな鐘の音は、行く年を送り、来る年を迎える最初の音だった。
遠く近く鳴る鐘の音が、過ぎ去っていく日々を思い出させる。
去年は家族と、太陽宮でこの音を聞いた。
今年はルセリナと、この黎明の城で。
そして来年は――。
「来年は、いい年に、なるといいね」
「はい。でも殿下、『いい年』には、『なる』のではなくて『する』のだと思います。自分たちのちからで。わたしの力などささやかなものですが、殿下のお役に立つために、おそばにいます。ですから」
「……うん、そう、だね」
空を見上げる。数え切れないくらいの星が瞬く。
導きの星はこの手の中に。
それを支えてくれるあたたかいぬくもりがある。
――だから。
この手に勝利を、何にも負けることのないちからを、そして。
『しあわせがこの国に、どうか訪れるように』
かけがえのないものたちへ、祈りを――。
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以前、サイトにて公開していた年末年始用SSです。 幻想水滸伝5 王子×ルセリナ ゲーム中のあるひととき。 |
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ルセリナ 幻想水滸伝5 王子 | ||
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