お題:恐怖、異形、花壇
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「神父様……お時間よろしいでしょうか」

 私が花壇の世話をしていると、背中から躊躇いがちな声が掛けられた。 

 笑顔を作り、ゆっくりと振り返る。そこには朝焼けの朱色を背景にして、華奢な体つきの青年が立ちすくんでいた。彼の着ている学生服は、ここの教会にほど近い高校のものだ。加えて今は平日の午前五時。『登校前になんとなく寄ってみた』なんて訳でもないだろう。

「どうしました?」

 青年は目を伏せ、か細い声で言った。

「告解というんでしょうか、懺悔というんでしょうか、そこまでの話でもないんですが……」

「なるほど……なに、ちょっとした人生相談でも大歓迎ですよ。さあ、こちらへどうぞ」

 あまり珍しい話でもない。このくらいの年頃だと、つまらないことでも周りに打ち明けられず溜め込んでしまうものだ。

 ちょうど一通りの作業が終わったところだったので、土弄りもここで切り上げることにする。朝っぱらから作業を始めた甲斐もあって、花壇はまるで淡紫色の絨毯のようだった。我ながら上手く行ったな、と得心した。

 土のついた手袋を脱ぎ、スコップや草刈鎌を突っ込んだバケツの中へ投げ入れて、私は青年を教会の中へと導く。木で出来た古めかしい扉を開けると、その先には質素な聖堂がある。

「映画のように懺悔室があれば便利なものなのですが。――いえ、安心して下さい。日曜日でもないのに、教会へ通うような熱心な信徒はいませんのでね」

 そう言いながら笑顔を見せる。

「はぁ……」

 と不安そうに呟く青年に長椅子を薦め、私も隣に座る。

 彼の仕草の一つ一つから、どうにも神経が細そうな印象を覚えた。あまり急かさない方が良いだろう。

 どうでもいい話題から始めようか、と外に植えたスターチスの花言葉を思い出そうとするが、私が喋り出すのを待つでもなく、青年は俯きながらも口を開いた。               

                

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 どこから話せばいいんでしょうか……。そもそもの始まりは、五日前の、日曜日の夜です。

 僕は作家になるのが夢で……。それで、この街を舞台にした小説を書いていたんです。

 その夜も、僕は机に向かっていました。でも、あまり納得のいくものが書けなくて……それで、実際に、書いているシーンの場所に行ってみて、キャラクターと同じことをしてみればイメージが沸くんじゃあないか、って思ったんです。

 深夜の三時よりも少し前だったと思います。急いで家を飛び出ました。小説で、そのシーンがちょうど三時の出来事でしたたら、それに間に合わせようとしました。

 場所は旧公会堂の裏道、主人公が消えたヒロインを追って街を疾走する中、意外な人物に遭遇する、というシーンです。

 それで、ほら、公園前の坂から一本入った裏通りがあるのでしょう。ちょっとした近道をしようと思って、僕はあの道を走り抜けようとしました。それで、『あれ』に気づいたんです。

 ……最初は、黒いゴミ袋か何かと見間違えたんだと思いました。

 でも、そうじゃなかった。そこには人が倒れていたんです。僕は慌てて駆け寄りました。

 暗くて顔はよく見えませんでしたが、体格の良い男の人なのは分かりました。

 その人はもう虫の息で、急いで救急車を呼ぼう、とも思ったんですけど……。携帯電話を持ってきてなくて……。鞄がすぐ傍に落ちてたから、その人の物だ、って直感して中を調べてみたんだですけど、入っていたのは書類だけでした。

 それで、その……。ちょっと話が変わるように聞こえるかもしれませんが……。 

 ……僕は、人を殺してみたいと思っていたんです。

 

 二年ほど前のことです。母方の祖母が癌で亡くなりました。

 僕の両親は駆け落ち染みた結婚をしたと聞いています。だから、父方の親戚にも、母方の親戚にも、あまり歓迎された扱いは受けたことがありません。

 それでも、僕を可愛がってくれたのが母方の祖母でした。僕は祖母が大好きでしたし、祖母も僕を好いてくれているものだと思っていました。

 でも、祖母の訃報を聞かされたときは、「悲しい」より「何故」の方が大きかったんです。

 何故、癌を患い入院していたことを誰も教えてくれなかったのか。

 何故、両親はそれ淡々と語ることができるのか。

 何故、祖母なのか。

 葬式もごく狭い身内で済ませてしまったと言います。あんまりにも馬鹿馬鹿しくて、親に食ってかかることも思いつきませんでした。現実感がちっとも足りないからでしょうか、涙の一滴も流れない自分が何故だか笑えました。

 それから、四十九日が過ぎ、納骨式まで段取りが進みました。

『最後のお別れ』って奴です。親戚の間でどんな気まぐれがあったかなんて知りませんが、僕もそこに顔を出していいってことになりました。

 きっと、『いよいよ』ってことになれば、僕も泣けるんだと、火葬場に向かう車の中で自分に言い聞かせました。

 でも、いざ棺桶の中に横たわっている祖母の顔を見ても、やっぱり悲しくならなくて。

 それで、僕はふと――本当に、『ふと』です――祖母の頬にそっと手を伸ばしてみたんです。

 そして肌が触れ合ったその瞬間を、僕は一生忘れられないと思います。

『死体』の感触は、気取った推理小説で描写されているそれとかけ離れていました。

 祖母の頬は、例えるなら『粘土の入っている、冷え切った取れたてのトマト』でした。

 ……例えになってない、って顔ですね。すいません。でも、他に言いようがないのです。

『あの』手触りに似ているものを、僕は知りません。それくらい独特で、衝撃的でした。

 あとちょっとでも強く押したなら、肌が破れて果肉が溢れ出てくるような気がして、名残を惜しみながら僕は腕を引きました。ほんの一瞬だけ、手のひらに残っていた感触も、まるで雪のように融けてしまいました。

 祖父は「ありがとう、ごめんな」と呟きながらハンカチで涙を拭っていました。僕が祖母を愛おしんで肌を撫でたのだと思ったのでしょう。一瞬、重い罪悪感が心に圧し掛かりましたが、それを上回る感動が、すぐに他の全てを消し去ってしまいました。

 いま考えてみれば、祖母の遺体には防腐処理やらが施されている筈ですから、本来の死体とは感触が違うはずで、ですから小説の中で『死体』が全く違う描写をされていても不思議ではありません。

 でも、そのときは『自分の経験』が広がった衝撃の方が重要だったのです。それからの僕は、気になったことは、積極的に調べて、体験してみるようになりました。

 それは小説を書く上で、とても役に立っています。

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 話を戻しますね。その夜はとても冷え込みましたから、僕は手袋をしていました。

 家族の中で、遅くまで起きている習慣があるのは僕だけですし、その夜は偶然にも、それまで誰かとすれ違うこともしていなかったのです。

 僕は周りに誰もいないか、何度も何度も何度も確認しました。

 そうして、大きく肩で息をして、「僕の頭はネジが何本か抜けているんだろうなぁ」なんてことを考えながら、男の首を両手で強く締めました。

 うめき声で彼の喉がぷるぷる震えていました。肌の上から触った血管は、意識しなきゃ分からないような極細の線みたいなもので、祖母の頬のような衝撃は得られずガッカリしました。もっと深く手触りを味わおうにも、硬いだけで何の面白味もない骨にそれを邪魔されます。

 いらいらした僕はより一層、腕に力を込めました。

  男の肌がどんどん冷たくなるのと対照的に、僕の全身が熱くなっていきました。血の流れがみるみる早くなって、指先が痺れて上手く力が入らなかったのを覚えています。そのときの僕は、ただ『首を絞める』という大きな意思に心を塗りつぶされて、他に具体的なことを考えることが出来ませんでしたし、その必要性を感じませんでした。

 勘違いしないで下さいよ? 人殺しが楽しくなったんじゃありません。『人を殺す』という経験の真っ只中にいることに幸福を感じたんです。『やろう』と思って出来ることではありませんからね、僕は大勢の人間が望んでも得られないものを手に入れたのです。

 どれだけの間、そうしていたのかは分かりません。

 いつの間にか、その男の人はぴくりとも動かなくなり、うめき声も聞こえなくなりました。

  

 それから、どこをどう歩いて家まで帰ったのかはよく覚えていません。

 気がつくと僕は、家を出た格好のまま、自分の部屋のベットの上で横になっていました。

 朝日を浴びて、一番最初に思ったのは、『僕は夢でも観ていたんじゃあないのか』ってことです。手のひらには生々しい感触が未だに残っていましたが、そんなものは夢の中で簡単に捏造できますからね。

 事実、その日の朝刊の、隅々まで目を通しましたが、あの男と関係がありそうなことは何も書いてはいませんでした。

 考えているだけでは埒が開きませんから、その日の学校の帰りに恐る恐る旧公会堂の裏道に行ってみました。案の定、と言いましょうか。そこに男の死体なんてものはありませんでした。

 肩透かしを喰らったような……とも違った気分で。なんとも腹の据わりが悪いというか。

 仕舞いには執筆にも集中できなくなってしまって。それで、ここに来てみました。自分の中で溜め込んでるのが駄目なのかな、って思って。かと言ってネットで顔の見えない相手に相談するのも味気がありませんし、『夢の所為で気分が悪い』なんて、家族や友達には言えませんからね。

 あの、ご迷惑だったかもしれませんが……。

 ……そうですか、ありがとうございます。

 僕の話はこれで終わりです。とても気分が楽になりましたよ。

 

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 青年は、ここに来たときにとはまるで別人のような笑顔を見せながら、いくつも感謝の言葉を並べて席を立った。

 私も当たり障りの無い台詞を掛けて、同じように笑顔で彼を見送る。

 木製のドアが軋む音を立てながら閉まると同時、私は何とも言い難い気分になった。あの青年ならこの心持ちをどういった文章で表現するのだろうか。

 彼が『懺悔』することに及び腰だったのは、ほんの最初だけだった。祖母の件に入ったときには眼が活き活きと輝いていたし、男の首を絞めた部分に至っては、まるで自分の宝物を見せるかのような表情でそれを語っていた。

 きっと、彼は『人を殺したかもしれない秘密』に苦しんでいたのではなく、『人を殺したかもしれない秘密を誰にも言えない』ことに耐えられなかったのだろう。

 あの青年は、自分の言うとおり、頭のネジが飛んだ精神的異形なのだろうか。

 答えは否、だと私は思う。

 そもそも『知見を広げたい』という感情が『殺人』の大罪を犯す動機になりえるのか? そんなものは『人による』のだ。

 人間が六十億人いるのなら、同じ出来事に対して六十億通りの反応があってしかるべきである。だから、死にかけた男の首を絞める人間がいたとして、何も不思議ではないし、心臓を患っている男の鞄から、毎日飲まなければいけない薬を抜き取る人間がいても不思議ではない。

 その男が土地の権利者で、強引にここら一帯の地価を上げようとしていたのなら尚更であり、ましてや男が独り身で、居なくなったことを気にする人間が誰も無いのなら……考えるまでも無いだろう。

 それにしても。ふぅ、と大きく息をつく。『人による』にも程はあるべきだろうが。

 あの男が教会と自宅までの間で発作を起こす可能性も考慮して、遠巻きに足取りを追ったのは正解だった。正解だったが……。『まさか』の事態になってしまった。

 あの青年はとんでもないことをしてくれた。元々は、粉々にした瓶と薬を埋める為に土をほんの少し掘り返すだけのつもりだったたというのに。結局花壇を拡張する羽目になってしまった。成人男性一人分を埋めるだけのスペースを作るのがどれだけ大変だったか。

 かと言って死体を放っておく訳にもいかない。あの男には、穏便に消えてもらわないと困るのだ。下手に騒ぎになってしまったら、私がお布施に手をつけていた証拠になる帳簿を、奴の家から探し出す暇がなくなってしまう。

 全く……。本当に『まさか』としか言いようが無い。

 ここまでしたのだ、彼には傑作を書いて貰うしかないだろう。

 もう一度、大きなため息をつきながら、私は作家の卵が孵ることを祈った。

説明
某所にて晒した習作の加筆修正版その2
普段書かないジャンルになった。
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お題 三題噺 短編 サスペンス のようなもの 

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