うそつきはどろぼうのはじまり 2 |
なみなみと紅茶の入った茶器を傾けながら、領主は言う。
「この先、六家の会合も何回か催されるようだから、顔を出してみようと思っているわ」
腹を括ったように笑うドロッセルだが、いつもの快活さがない。やはり少し疲れているようだ。
エリーゼは胸に手を宛がう。
「わたしも、何か手伝えればいいのだけど」
ドロッセルの顔が僅かに曇った。
「エリー・・・」
エリーゼがこの屋敷に身を寄せるようになって、かれこれ五年あまりになる。少女はその間、完全に六家の一つ、シャール家の庇護下にあった。
身寄りのない孤児であった彼女を哀れに思い、シャール家に置いてくれるよう頼み込んだのは、かつての旅仲間である。完全にエリーゼの与り知らぬところで話が纏まってしまったのであるが、今にして思えば最善の策であったのは間違いない。
出会った当初は友人として接していたドロッセルも、今では彼女の後見人だ。兄の遺志を継ぎ、立派な領主となったドロッセルはエリーゼを屋敷に置き続けてくれているばかりか、学問まで修めさせている。ドロッセルの母校は上流階級者が通うだけあって、中々に教育熱心であり、また生徒の質も良好であった。エリーゼは大いに学び、そして多くの友を得た。
人ひとりを養い、教育を受けさせることがどれほど大変なことか、エリーゼは先の旅でよく理解していた。食い扶持が一つ増えてしまった金銭的な負担を、だがドロッセルを初めとするシャール家の人々は一度として表にしたことはない。
嫌な顔一つせず、生活を保障してくれるありがたさを日々感じているだけに、エリーゼは身の置き所がないのであった。
「お屋敷に住まわせてもらってる上に、学校にまで通わせてもらって。それなのに何も仕事をしていないのは、何だか一人怠けているようで・・・」
悄然と項垂れるエリーゼに、そんなことないわ、と領主は首を振る。
「学生は勉強するのが仕事だもの。今までだって、エリーは私が忙しい時に、お客様の相手をしてくれているじゃない」
「そんな・・・。あれは、ただお茶を飲んで、頷いているだけです」
「それが大事なのよ。――それに」
領主は器を机に置いた。飴色の水面が渦を巻く。
「エリーには、多分・・・別のことで力を借りることになると思うわ」
その時はよろしくねと微笑まれ、エリーゼは頼られたと誇らしくなり、勢いよく頷いた。
朝食を済ませてまもなく、少女は教書の類を手に登校する。登下校は大抵友人と連れ立って歩くことが多い。
「市場の角の小間物屋に新作が入ったんだって。帰りに見に行かない?」
五年来の友人の誘いに、エリーゼは申し訳なさそうに肩を竦めてみせる。
「ごめんなさい。今日はお屋敷にお客様が見えるの」
聞きようによっては見え透いた言い訳だが、エリーゼの級友は貴族であった。彼女達は、上流社会における社交の重要性を、幼い頃から叩き込まれているのである。
加えて、エリーゼと年齢が近いこともあって理解が早い。
「ドロッセル様もご多忙だし、エリーも大変よね。わたしも最近、お母様の代わりに担ぎ出されることが多いの」
「お相手がご夫人なら、まだお母様の名代っていうのもわかるけど。わたしなんか、この間、ア・ジュールの子爵様が相手だったのよ」
もう完全に縁談よね、ともう一人の友人が吐息を漏らす。彼女達は一応学生という身分であるが、社交界においては妙齢の女性として扱われる年齢を迎えていた。当然、周囲の視線も値踏みしたものになる。
「エリーのところは、まだそういうのってないの?」
浮いた話も聞かないけど、と小首を傾げてくる友人の言葉に、エリーゼの胸は痛んだ。
「わ、わたしは・・・」
「ドロッセル様のことだもの。きっと良縁を見つけてくださるはずよ」
エリーゼの苦しそうな顔を好意的に解釈したらしく、友人は労わるような視線を向けてきた。
「それもそうね。なんといっても六家の一つ、シャール家が後ろ盾なんだもの」
そんなに心配しなくても大丈夫よ、と励ますように言ってくれる友人に、エリーゼは微笑を返す。
「うん・・・」
頷いたものの、少女の笑顔は最後まで曖昧なままだった。
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