うそつきはどろぼうのはじまり 5
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残念です、と悄然と肩を落とす少女に、筆を置いて女領主は笑いかける。

「私はエリーが生けてくれるお花、好きよ。お客様にも評判だし」

にこにことドロッセルが言うと、少女の顔がぱっと明るくなる。

「本当、ですか?ありがとうございます」

「ええ、本当よ。――あら」

背後に広がる窓を振り仰いだ。大樹の木漏れ日が落ちるガラス戸外を、大きな影が横切る。

ワイバーンだ。

エリーゼの心臓が、大きく一つ鳴った。

「来たようね」

にこりと領主は微笑み、手早く机の上を片付けた。執務室の外は、既に来訪者の対応に追われているらしい。明るい喧騒がここまで伝わってくる。

やがて二人は手を止め、同時に同じ方向へ顔を向けた。

執務室の扉が開く音がした途端、少女は喜色を露わにした。だがそれも束の間のことで、出迎えた時には微苦笑に変わっている。一拍遅れて手元から顔を上げた領主も呆れ顔だ。

「また、振り落とされましたの?」

はい、と彼女は手布巾を差し出す。

「なかなかワイバーン、なついてくれないみたい、ですね」

双方から軽い同情を寄せられた人物は、乱れた黒髪に手を突っ込み、決まり悪げに頭を掻いた。

「前に乗ったことがあるからいけると思ってんだけど。精霊術使えないってのが、やっぱネックになってるのかもな。魔物相手だし、やっぱ言葉の壁は大きいわ」

「でも前みたいに、屋敷には突っ込まずに降りられてますよね」

あちこち引っかき傷の絶えない男に治癒術を施すエリーゼの取り成しに、女領主は引き攣った漏らす。

「あの修理は高くつきましたわよう、アルヴィンさん」

「その件については、出世払いってことで」

人の良い笑みを浮かべて男は片手をひらひらと振る。そしてもう片方の手に下げられていた包みを、机の上に置いた。

「これ、頼まれていた奴な。中に、向こうから渡すよう依頼された書簡がいくつか入ってる。確認できたら署名、貰えるかい?」

ドロッセルは取り出した封書の宛名を見、短く礼を言う。差出人をざっと確認し終えると、早速差し出された受領書に筆を走らせていった。

「そうだ、エリーゼ姫には土産があるんだ」

「お土産、ですか?」

男の言葉に、エリーゼは目を瞬かせる。

「まだワイバーンに積んであるんだが……」

今から取ってくる、と続く言葉を待たずして、少女は意気込んで叫んだ。

「行きます!」

「だとさ。領主殿、ちょっとエリーゼ嬢をお借りするよ」

エリーゼの宣言を受けて、男は肩越しに振り返って片目を瞑る。そこまで話が進んでしまっては、後見人ドロッセルとしては苦笑するしかない。

「はいはい。怪我だけはさせないで頂戴ね」

領主の館の庭に降り立ったワイバーンは、吼えもせず大人しく翼を休めていた。以前は訪れる度、この珍しい魔物を一目見ようと領民が押し寄せたものだが、ユルゲンスが始めた交易でカラハ・シャールにもちょくちょく姿を見せるようになってからは、もはや街の中に魔物がいることが当たり前になりつつある。

「こんにちは。久しぶりですね、元気でしたか?」

駆けつけたエリーゼは、早速ワイバーンに挨拶をした。といっても彼女もアルヴィンと同じく、魔物の言葉は理解できない。だが相手だって生き物だ。だから仕草や目の動きで、苛立っているかどうかくらいは窺い知ることができる。

アルヴィン専属となったこのワイバーンは、かつて夜の都イル・ファン突入の際、二人が騎乗したものなのだそうだ。慣れのせいなのか、ワイバーンはエリーゼが皮膚を撫でても嫌がる素振りすら見せず、目を瞑り、されるがままになっている。

「ほいよ、お待たせ」 

少女がワイバーンと戯れていると、上から声が振ってきた。荷物を漁っていた男が、その長身に似合わないほどの身軽さで鞍の上から降りてくる。最後は軽く勢いをつけて、一気に地面に飛び降りてきた。

「よっと」

目の前に、薄紅が舞う。淡い桃色の、細く柔らかな花弁が、まるで綿雪のように流れてゆく。懐かしくも切ない、少しだけ苦みばしった香りが鼻腔をくすぐる。

エリーゼは目を見張った。

土産だ、と差し出したアルヴィンが手にしている物。それは紛れもなく、あの花だった。

「プリン、セシア……」

半ば呆然と呟きながら、彼女は大輪の花束を受け取る。ずしりと腕に掛かる重量が、プリンセシアが幻でないことを如実に伝えてくる。

幸せの重みだ。エリーゼは胸に痛みを覚えた。

無言で花束を掻き抱く彼女の様子が気になったのか、男が頭に手をやった。

「あれ? もしかして気に入らなかった?」

まさか、と少女は即座に否定する。手渡された大きな紙包みを慈しむように抱きかかえ、エリーゼは男を安堵させるように笑ってみせた。

「どうして、アルヴィンには分かるんでしょうね」

「何が?」

「わたしが欲しいもの」

そうエリーゼが小首を傾げた拍子に、丁寧に梳られた金の髪が枝に絡んで、桃色の花束に更なる色を添えた。大きくも淡いプリンセシアの蕾は彼女そのもののようで、一見すると何ということはないのに、まじまじ注視すると途端に魅了されてしまう。

アルヴィンは、さり気なく視線を外した。

(本当に、いつ見ても思うことだが……)

プリンセシアは、彼女に抱かれるために咲いたのだと、詩人でなくとも言ってしまいそうになる。我ながら歯の浮くような台詞だと思うのだが、アルヴィンは自分を笑えなかった。

凍てついたモン高原でこの花を摘んでいる最中、脳裏に思い浮かんでいたのはエリーゼの顔だった。この中毒性は異常である。花を抱えた女性など、これまで飽きるほど見てきたはずなのに、ことエリーゼとプリンセシアの組み合わせに出くわすと、理性が吹き飛びそうになるのだ。アルヴィンほど齢を重ねた、大の男がたじろいでしまうほど、彼女とプリンセシアは見事なまでに調和していた。

「ありがとうございます。アルヴィン」

口元を綻ばせて、エリーゼは嬉しそうに礼を言った。男は無言で会釈を返す。口を開くと、別のことを言ってしまいそうだった。

少女に手土産を渡し終えると、アルヴィンは再び鞍上の人となった。花束を抱えたまま、エリーゼが食い下がる。

「また……来てくれますか?」

一生懸命背伸びをして返事を待つ少女の頭を、男はいつものように軽く撫でてやった。

「また来るよ」

「待っていますね」

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