主よ、人の望みの喜びよ
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 その青年は、気配を持たない。

 礼拝堂の扉は誰にでもひらかれている。人は畏怖の念をもち、あるいは敬虔に震えながら手をかける。

 だがその青年だけは違う。錆びついた蝶番の響きもうすく差しこんだ月明かりも、その青年にとってはおのれに付随し、つきしたがうものでしかない。

「―――無駄なことを」

 青年の声に、言峰は閉じていた目を開く。ふりかえる前から相手はわかっていた。青年は扉に腕をかけ、こちらを眺めている。似つかわしくない格好に、似つかわしくない容貌。金色の髪が逆光を受け、それじたいが光をともしているようだ。

「信じぬ相手に何を望むのだ……神の無力は、おまえがいちばん知っているのであろう?」

 青年が扉を閉め、礼拝堂に入ってくる。身体に冬をまとわりつかせ、冷えきった空気の中にさらなる緊張を広げてくる。

 外から帰ってきた青年はいつもこうだ。退屈といいながら、みずからを誇示して歩く。外にふりまいてきた騒ぎの種を、神前で結実させようとする。

 青年の口調は攻撃だが、その実は自嘲でしかないことに言峰は気づいていた。この青年は半神半人の存在でありながら神を嫌い、貶んでいる。もちろん、青年の神と言峰の神は同じではない。それをわかっていて絡んでくるのには理由がある。

「祈るのは、私が神に仕える身だからだ。何かを望むわけではない」

「おまえの詭弁は聞きあきた」

 青年の声には言葉以上の意味があった。あきらめと怒りだ。この青年は若々しい見かけに反し、多くの感情と宿命をその身にうつしだす。

 言峰がこの青年と契約を結んでから10年になる。

 契約は破棄されたものの互いの利害が一致し、手を結びつづけている。言峰は力を必要とし、青年は二度めの生を必要とした。なんどか顔をあわせるうちに言峰は青年の中身を知り、そのふるまいにある思惑を理解していた。

 青年は英霊らしく威厳と暴挙を兼ねそなえていたが、その内には常に憤怒を秘めていた。人の上に立つ者としては、至極まっとうだ。

 青年はみずからが基準だった。力の大きさゆえ、みずからの気分ひとつで、喝采もされれば弾劾もされる。人々がつくりあげた偶像を演じる見返りに、その人々を愚弄し、搾取する。

 言峰が唯一わからないのは、なぜこのような存在が自分に興味を示し、自覚はないにしろ従っているのかということだった。気まぐれかといえばそうなのかもしれない。

 この青年は人智のおよばない場所から来た、奇跡の具現だ。

「何か不満なことでもあったか、ギルガメッシュ」

「不満だと? これを不満と呼ぶのなら、我はいつでも不満だ」

 ギルガメッシュ―――かつてすべてを手にした異国の王は、祭壇にむけて手をひろげてみせる。

「あの影は際限を知らぬ。街を見てみろ、ほとんどの人間が魂を喰われている。このままでは屍の山が築かれるぞ」

「ほう―――10年も留まれば、王といえども情がうつるか」

「たわけ。言ったであろう、雑種だらけの地など、全滅してくれたほうがせいせいするわ」

 ギルガメッシュが歩を進めてくる。天窓からの月光がふりかかり、陶器のような冷たさを白い肌に添える。

「我の役割をことごとく奪ってくれる輩がおる―――それが気に食わぬ」

 赤い瞳が細められた。光が潰れ、血とおなじ艶になる。

「だいたい、今回の聖杯戦争はどうなっている? はじまった時から破綻しているではないか。関わる気にもならん。前回のほうが、まだ楽しめたぞ」

 溜息をつき、ギルガメッシュは長椅子に腰をおろす。腕を背にかけてこちらを見あげるが、憤怒の色はそのままだ。対等の位置を誇示しようとしているのが言峰にも理解できた。

 10年の時を経ても、英雄王は変わらない。あれだけの泥を呑みこんでなお、衰えもしなければ、成長もしない。

「昔の話だ」

「おまえにとってはそうよな。だが我にとっては一瞬にすぎぬ。騎士王に衛宮切嗣……あのような好敵手は二度とあらわれぬだろう。おまえとて忘れたわけではあるまい、あの地獄を」

 言峰は聖書を閉じる。指に触れる革張りの表紙が記憶をざらつかせ、火のゆらめきになる。

 覚えている。地を這う炎、天にとどく煙、赤く塗りかえられた終末の景色。熱風と火の粉が人々の命をつみとり、死の螺旋がうずまく中で、遮断機の警告音だけが執拗に鳴りつづけていた。

 自分にとって、悲鳴は天上の音楽であり、死の群像は極上の絵画でしかなかった。

 おびただしい苦痛の眺めに恍惚をおぼえ、あらゆる形が崩れゆく音に満ちたりた心を知った。力になぶりつくされ、限界にまで削ぎおとされた景色にこそ、自分の在り処があった。

「無論だ」

 忘れていない。

 衛宮切嗣。あの男が、すべての引き金を引いた。

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「まったくもって、許しがたい―――」 

 記憶はどこまでも赤い。自分は廃墟の影でいちどは倒れ、迫りくる死の足音を聞いた。みずからの血に浸された手のわななきと、そこで初めて抱いた望み。撃ち抜かれた心臓の感触は、いまだ胸の内に残っている。

「昔の話といいながら、こだわっているのはおまえのようだな」

 ギルガメッシュはすでに興味を失っている。指をこちらへ指しむけ、

「衛宮切嗣はおまえの呪いによって命を落とした。それで満足ではないのか」

 言峰はうすく笑ってやり、それをギルガメッシュにたいする答えとした。英雄として君臨した者にはわかるまい。人々が自分を間違っていると称するように、地に這いつくばって手に入れられぬものを追及しつづけた心を表現したところで無駄だろう。

 衛宮切嗣の最大の失敗は、自分を見逃したことだ。それが今回の聖杯戦争の源流を作ったといえる。おなじ齟齬を抱えた者どうしが対峙したのだ、どちらかが完全に潰れるはずであり、潰れなければならなかった。

 衛宮と自分は一見して正反対ながら、似たような矛盾を秘めていた。欲望と道徳の乖離だ。

 衛宮は、誰かを守るために犠牲を生む矛盾。

 言峰は、生まれてはならなかった自身が生まれた矛盾。

 聖杯戦争を通して、衛宮は機械になり、言峰自身は悪にやつすことで、その矛盾を踏みこえた。

「まあよい―――これからおまえはどうするのだ言峰」

「さて」

 言峰は祭壇から離れ、出口に向かって歩く。月光が落ちかかる前で足をとめ、その境目を眺めた。伽藍の形が降り、使いこまれた礼拝堂の床を照らしている。多くの人が触れた長椅子の角、すりへった曲線に、静寂が冷たく輝く。

「予定が少し狂ったが、他に手はいくらでもある。さしあたり間桐の老害だけは取り除いておかねばならん。アレはこの世に存在してはならぬものだ。時が来れば、私も動こう」

「待てぬ。我は纂奪者を屠るぞ」

 布ずれの音が聞こえた。ギルガメッシュがふりかえり、自分の背を見ているのが感じられる。視界に入らずともこの強烈な存在感、あれだけの災厄にも正気を失わなかったほどの強さだ。青年は王になるべくしてなり、注目されるために生きている。

「好きにしろ」

「よいのか、聖杯が消えても」

「望みのない私が願望機を手に入れたところで、何にもならん」

 自分の返答は承知の上だろう。ギルガメッシュが笑い声をあげ、

「女を殺してまでマスターになったおまえが言うか―――囲っていたのであろう、あの女を? 無駄死にさせおって」

 否定も肯定もするつもりはなかった。

「死に、無駄も意義もありはせん。あるのは事実のみだ」

 言峰は月光の中に手を伸ばした。かしずき、すくいあげるのは身にしみついた仕草だ。

 掌にある、透きとおり、周囲を静かに照らす光。同じような色と透明さが、あの女の肌にもあった。

 情景は記憶ですらない。強烈な太陽と渇き、自分を庇おうと伸ばされた腕、自分の名を呼ぶ声。皮膚に触れた赤毛と指先は細く、自分を求めて震えていた。この手が与えた傷を厭わず、さらなる被虐を望み、痛々しいほどの必死さで自分を追いつづけてきた。

 先はないとわかっていたのに、腕の中ですべてをゆだね、子供のように眠っていた―――

「不憫な女よ。快楽の餌食にされたか」

「望みどおりに手折ってやっただけだ」

 言うと、ふたたび王の笑いが聞こえてくる。しかし、それは他に表現を思いつかなかったせいとも思えた。

「おまえが執心したほどの女だ、さぞかしいい味だったのであろう―――つくづく報われぬ男だ」

 ギルガメッシュがたちあがり、自分の脇をすり抜けていく。華奢な背中には早すぎる殺気があった。王はその存在ゆえ、おぞましさを殺戮の原動力にする。そのうちのいくばくかは自分に向けられているのだろう。

「報われないのはおまえと一緒だ、ギルガメッシュ。おまえも私も、追い求めたものこそ手に入らん―――」

 自分も英雄王も、探究の果てにあきらめてしまった。自分は幸福を、王は不死を。手が届かないと感じていながらも形にしようとし、いまでは日々という名の絶望のもとに身を置いている。

 ギルガメッシュがたちどまって、こちらを見る。顔に外見に似つかわしくない皺が刻まれ、表情に貼りついた濃い影は王が経てきた時代そのもののようだ。その中で、赤い双眸だけが血の、そして生命の色をみなぎらせていた。

 ギルガメッシュは何も言わずにそのまま礼拝堂から出ていった。

 冷え冷えとした空間に訪れた静寂は、いままで誰もいなかったかのように動かず、わずかな明かりを積もらせている。

「だからこそ、孵化する中身に興味があるのだよ」

 言峰は祭壇をふりかえり、壁にかかげられた偶像を見あげる。

 それはだれもを迎えながら時に過酷な道を強いて信じる者を試す。救いを求める者にですら沈黙で応え、祈る者自身から逆説の癒しをみちびきだす。

 祈りの意が刻まれた自分の名、憐れみを求める綺礼という名。

 望みを持たない自分は、だからこそここに立っていられるのだろう。

「―――あの禍は、私の“理由”だからな」

 答える者はやはりいない。

 目の前に、冬の沈黙だけが残っていた。 

 

 

説明
聖杯戦争のおかしさを問うギルガメッシュと、過去を思い出す言峰。Heavens Feelルート準拠。
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言峰綺礼 ギルガメッシュ TYPE-MOON Fate 

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