満月下の選択
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 目の前にある見慣れた体躯。字の通りそれは躯(むくろ)だ。ぼくが殺した……そういうことになるのだろう。ぼくには、コレを殺した記憶が無かった。でも、それを何故かぼくは知っている。知っていて、こうなることを知っていて、それでもぼくは選択をした。これは殺人になるのか。分からなかった。だって、記憶がない。ぼくは、この惨憺たる現実を創りだした。殺人の意図はあった。でも、実際にこうなるなんて、分からなかった。分かっていたのはこうなるだろう、という推測だけ。

 もう一度、目の前の光景を見ようとした。それを見る前に、自分の手のひらが映って、嫌というほど汗をかいているのをようやく理解した。でも、見ないといけないんだ。ぼくが、ぼくの身体がこうしたのは間違いないことだから。

 母親だった。首が裂かれている。いまでも、胴体からはゆっくりと血が流れている。足元に血溜まりが広がってきて、なんだか怖くなって、椅子の上に体操座りで座ってしまった。ここはリビングで、昨日まではいつものように、食事をしていたところで。こんな風になるなんて、思ってはいたけれど、なんだかちがう。違うんだ。

 想像していたのは、もっと綺麗で、美しくて、煌びやかで、そういう映像だった。でも、いま見ているのはなんだろう。醜悪な、悪夢な、地獄のような空間。死体と血が、こんなにも汚濁しているものだと、なぜ分からなかったのだろう。

 リビングの窓からは、月光が入ってきていた。明るい光だ。けれど、月は見てはいけない。二度と。たとえ、満月じゃなかったとしても。これからは見てはいけないんだ。そう分かっていたはずなのに。分からないまま見てはいけないという本能と、見なくてはならないという本能。いつもぼくの中でせめぎあいをしていた。満月の夜。月は怖い。怖いものだって、そう考えて、見て来なかった。好奇心? 違う。ぼくは確かに選択をすることが出来たのだ。月を見るか否か。

 母親のことは、好きではなかった。でも、それでも、殺したいわけじゃ、殺したかったわけじゃ、ない。そうなんだ。殺したのは、ぼくの中のナニカ。そう思うしかない。

 口の中がたとえ血だらけで、気づいたときは、母親の身体を食べていたとしても?

 殺したのは、ぼくだ。殺人をしたのは、ぼく。どんなに理由を付けたところで、ぼくが殺した。ぼくという存在、人間が。人間……? 人間なんかじゃない。怪物だ。

 人の形を持ちながら、獣だ。猛る野獣の心は、いまも心の中にある。この心と、ぼくの心は混ざり合っている。きっと、朝になればぼくは、ぼくだけのものになるだろう。

 けれど、月夜はダメだ。いまも、月を眺めさせようと囁いてくる。

 もう一度みれば、いまの空間も豪華な食卓に早変わりするだろう。なんてこわいことなんだろうか。

 でも、このままコレを残しておいても、邪魔になるだけなんだ。証拠をなくさないと、ぼくは殺されてしまうかもしれない。死ぬのは怖い。人を殺したからといって、自分も死のうとは思わない。生きる以上、殺さないことなんてない。だから、だから、コレを。コレを無くさないと、駄目だ。今さえ、乗り切れば、今まで通りに過ごせる。

 地面に広がる真っ赤な絨毯。このままでは目立ってしまう。なくさないといけない。椅子に座ったままじゃ、できやしない。椅子から降りて、絨毯を踏む。夜の寒さで冷たくなった液体が、素足につく。

 なぜだろう。直視するのも躊躇った躯が、そんなものだったのかと、疑問に思えてきて、よく分からなくなってきた。けれど、立った以上、することがあるのだ。

 ぼくは、窓辺に立って、月を眺めた。

説明
 昨夜は皆既月食でしたね。
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不条理 掌編 満月 月食 

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