聖六重奏 5話 Part2 |
三軒分立
祝日が続くということは、平日の数が減るということで、ゴールデンウィークの後は数日学校に行けば、またすぐに土日がやって来る。
私立の我が校だけど、土曜は普通に休み。僕は一人で町に出ていた。
あの翌日の生徒会で杪さんには会ったけど、別段変わった様子はなかった。相当の疲労だったろうに、それを全く感じさせない回復力が、杪さんの天才たる所以なのかもしれない。
……いや、一度も杪さんが「天才」と呼ばれたり、自称しているのを聞いたことはないけど、間違いなく杪さんは人並外れた人物だと思う。性格面等も含めて。
さて、僕は方向音痴の癖に立派な地図を持って、ある建物を探していた。
小さな町だけど、ここにもライブハウスと呼ばれるものはあって、そこに僕のお気に入りのグループが来るという。
ライブを見たことは一度もないから、これを見逃す手はない。と意気揚々と休日なのに寮から出てみたら、案の定迷子になってしまった。
地図があるのに迷ってしまうこのスキルは、ある種の才能の様にすら思えて来るね。
仕方なく、恥を忍んで学生らしい人に尋ねてみると、もう目と鼻の先の距離だった。
灯台もと暗しとはこの事か。実はちょっと看板が見えていたのに、それが全く目に入らない僕の素敵に狭い視界を呪いつつ、時計を確認してみると、もうライブが始まる時刻。今から急いで間に合うか、間に合わないかだ。
ライブというと、夜。早くても夕方ぐらいからのイメージがあるけど、そこまで大がかりなものではなく、グループの知名度自体も大して高くないから、午後二時から始まる。
それから一時間ちょっとの間のライブだから、長期間拘束されないというお手軽さもあって、見に行くことに決めたんだけど……見事にそれが仇になってくれた。
人にぶつからない様に注意しながら、早足で目的地まで急ぐ。もう急いでも間に合わない時間かもしれないけど、やるだけやって後悔したい!ライブハウスまで数歩。僕は一気に加速した。
その手前に、曲がり角があるというのに。
そこから車が飛び出してくる危険性も、人が来る可能性もあったというのに、それをまったく度外視して。
「きゃっ!」
金髪の女性が見えた。と思った時には、もう遅かった。
小柄な相手を、僕は一方的に跳ね飛ばして、だけど、その反動で僕もバランスを崩し、前のめりに倒れてしまう。
咄嗟のことだったので、受け身を取ろうと手を前に出す余裕もなく、僕はどさっと地面に這いつくばることになる……せめて痛みに耐えようと、目を瞑った。
けど、いつまで経ってもアスファルト舗装された地面の感触はやって来なくて、代わりに柔らかい何かと、上品に香る甘い匂いが感じられた。
……ここまで来ると、なんとなく予想が付く。そんなエロゲ展開、まず現実には有り得ないと思うけど、僕がぶつかったのは女性だった。というか、あれは他人じゃなく、間違いなく会長だった。私服だから自信はないけど。
となると、今僕が顔を埋めているものとか、腰の辺りに感じる、柔らかな、だけどしっかりとした「肉」の感触の正体は……。
ゆっくりと顔を上げて、目を開く。
目線の先には、目の端にうっすらと涙を浮かべ、目を見開いている碧眼。視界の下の方には清楚な純白のブラウスに包まれた母性の象徴。僕の体の下敷きになっているものに目を向けると、すらりと長い、美観を損なわない程度に鍛えられた足が、白いソックスに守られて存在していた。
「か、会長……」
かける言葉なんて、見つかる筈がない。
というか、何を言えば正解だと言うのでしょうか?
「河原さん」
「は、はい!すっごく柔らかかったです!」
……思わず、素直な感想が漏れてしまった。
だけどこれ、絶対に最悪な回答でしたよね!
「そうですか……とりあえずありがとうございます。……他に言うべきことはありますか?」
「え、えーと、ですね……これはまず、俗に言う不可抗力というもの、でして……そりゃあ、走っていた僕にも非はありますが、大体はそう、運命の神様の所為?うん。運命のイタズラ的なアレですよ」
公衆の面前だというのに、退魔器をちら付かせる会長相手に、必死の説得を試みる!……けど、僕も公衆の面前で会長を押し倒したみたいなことになってるんだよね。……駄目だ。僕を弁護する要素があまりに少な過ぎる!
「あ、ところで会長。足のラインがすごい綺麗ですよね!僕、会長は小柄な人だし、足が短いのかなーなんて思ってましたけど、モデル並に長くて綺麗な足ですし、胸もこう、いつもは杪さんと並んでいるので霞みがちですけど、すっごい大きいですよね!いやあ、ロリ巨乳最強!しかも顔は綺麗な外国人風と来てるんですから、最高の美少女ですよ!」
仕方がないので、会長を褒め殺す作戦で行くことにしました。
「ふふ……よく人前でそんなに、人の身体的特徴を並べ立てられますね。……大体、御託を並べる前に、立ち上がってくれませんか?女性をいつまでも地面に寝かせているのでは、どんな賛辞も意味を為しませんよ。それに、マウントポジションでべらべらと喋るのも問題です」
「失礼しました!」
急いで立ち上がって、それだけではなく、会長に手をお貸しする。あ、手小さくて柔らかいなぁ。
「――この一件で、あなたがいかに好色で、紳士的精神に欠けているかわかりました。これで生徒会に身を置いているなんて、嘆かわしい」
「うぅ……」
正直、全部事実なので言い返せない……けど、そこまで言うことはないのでは……。
僕、普段は真面目にしてるし、その、高校生男子として、女性の体に興味があるのは、いわば当然のことな訳だし。
……駄目ですか。駄目ですよね。
「なんて。冗談です。余程急ぐ理由があった様子ですし、町中ということで気を抜いていたわたしにも落ち度はあります。このことは概ね不問としましょう」
「あ、はは……そ、そうですか。もう、会長ってば意外と……。え゛、概ね……?」
概ね不問。それ即ち、大体許すということであって、一、二割程度は、まだ怒っていらっしゃるということ……?
え、えっと、ジャンピング土下座でしょうか。それとも、焼き土下座?いやいや、スライディング土下座?
「いつもなら、この様なことで一々事を荒立てることはしないのですが、流石に物が高価ですので、ある程度の責任は取ってもらわないと」
そう言うと、会長は手に持っていた袋を前に突き出した。
白い、ありふれた紙袋だけど……中に何も入ってない訳がない。というか、確実に紙製の箱が入ってる。
僕の予想ならこれは……ケーキ。それもただのケーキではなく、以前風月さんがお詫びの品として持って来た、高級なやつだ。
「河原さん。中身、ご自分の目で確認されては?」
「え、えと……」
絶対これ、悲惨なことになっているでしょう……。
けど、ここで突き返す様なことがあったら、本気で軽蔑されかねないし、袋を頂き、中身を取り出す。
意外と重い。つまり、それだけびっしりとケーキが詰まっていたということだ。
前々から、お金持ちアピールをしていた会長な訳だし、これ一箱で樋口さん一枚、というのは十分に有り得る。
流石に福沢さんじゃあないだろうけど……。
「……い、意外と、大丈夫?」
ゆっくーりと箱を開けて行くと……「一番上」にあるショートケーキは、無事っぽい……って、「一番上」?
普通、ケーキは積み上げて詰めないでしょう。ということはこれ、中で回転して乗っかったということか……。
――それ以上は、とてもではないけど直視出来なかった。
薄茶色の生チョコクリームと、マロンクリームと、生クリームとかが混ざり合ってカオスなグラデーションを作り出していて、ココアパウダーとカットフルーツ、それからプリンが飛び散っていて、祭りの後でもまだマシな惨状だろう。
会長は走ってなかったんだし、もうちょっと綺麗に落としてくれていると思ったけど……元から結構危ういバランスで均衡が保たれていたのだろう。これはもう、弁償を免れない状態だ。
「……河原さん。わたしは実際のところ、このケーキ代程度、何も痛くはありません。ですが、私は4875円で、至福の時間を買いました。買ったつもりでした。……結構真剣に、悲しんでいるんですよ。わたし。ケーキを選びながら、どんな素敵なティータイムにしようか、一緒に食べる予定だった杪と、どんな話をしようか……ずっと夢想していたんです。それが……」
一言一言発する度に、どんどん会長は涙目になって行った。
その青い目から涙の粒を落とすことはしないけど、憂いを帯びた瞳が、うるうると悲しみに揺れる……。
……あかん。何故か関西弁だけど、あかん。
会長みたいな人にこんな顔させてしまったなんて、どんなバリエーションの土下座を披露しても、僕自身が許せない……!
「ごめんなさい!本当に……ごめんなさい!」
でも、せめて一度はきちんと土下座をしないと。
瞬間的に思って、その場で膝を折ろうとした。すると。
「いいえ。そんな行為をわたしは求めていません。それに、どれだけ謝られても、失われた時間と、ケーキは戻っては来ません……。河原さん。わたしがあなたに求めるのは、もっと別なことです」
「そ、それは……?」
「今日一日、わたしとデートをして下さい」
――なんでそんな思考に行く着きはるんですか、会長。
目の前を、会長が歩いている。
それは、今まで学校で何度も見て来た光景だったけど、私服となると、やっぱり新鮮だ。
今日のお召し物は、白い長袖のブラウスに、黒いリボンタイ、それから黒の膝丈スカート。どことなく秘書風?な感じがする。
派手ではないけど、大人っぽくて、スタイルの良さも相まってすごく素敵だ。
「えっと、会長。デートって、具体的には何を……?」
全く経験のない僕ではないけど、来夜さんとのアレは……デートだったとは思えない。
それに、会長は年上だし、大人しめな人だし、色々と勝手が違って来る。
「会長というのも、無粋ですね。名前で呼んで下さい。後、行き先はわたしが決めていますので、遅れずについて来てもらえれば、それで良いです」
「え、ええーと。もえたん?」
「業界的に抹殺しましょうか」
「萌さんですね!はい!」
ゆ、ユーモアのつもりだったんだけどなっ。
口に出してみて改めて思ったけど、それにしても「もえたん」という響きはすごく可愛らしくて、こう……イイ。
……念の為に確認しておくと、萌さんの名前の読みは「きざし」であって、「もえ」ではないんだけどね。
でも、美しくて格好良い響きの「きざし」と、可愛らしくて正に萌え萌えな響きの「もえ」。二通りの読み方が出来る名前って、なんだか羨ましい。
ところで、また全然関係ない話だけど、会長の体は本当に柔らかかったなぁ。
見た目通りのゆるふわさで、それでいて官能的で、匂いも甘々な感じで……うぅ。刺激的過ぎる。
こんな体験をしておいて、持て余さない訳があろうか?いや、ない。
「河原さん」
「は、はいっ」
「先程から、邪念を感じられるのですが、作為のありなしに関わらず、今度わたしを押し倒す様なことがありましたら、本当に怒りますよ。訴訟だって視野に入れます」
「い、いやだなぁ……ははは」
なんとか苦笑いで誤魔化すけど、会長は真顔なので、これは本当にヤバイ。
まあ、そりゃそうだよなぁ……相手が初対面なら、セクハラ問題で色々と面倒なことになってそうだし、下手に知り合いだったとしても、一生口を利いてくれない、とかもありそうだ。
いくら同じ生徒会の役員といっても、この程度で済んだのはひとえに会長の心の広さに寄るものだろう。一度お目溢し頂いただけで、感謝感謝。
……いやしかし、会長は魅力的だ。
なんというか、よく同人誌を描いている人が、今まで描いたことのなかったキャラをメインで一冊描くと、急にそのキャラが愛おしくなる、と言っているのも理解出来る気がする。
今までは取っつきやすさとか、入学初日の印象で杪さんがすごく魅力的に感じていた僕だけど、会長も強烈な魅力をお持ちだ……本当。
まず、動作がいちいち洗礼されていて、優雅。冰さんにもその風格はあるけど、あちらはお嬢様というよりは武人的な洗練のされ方なのに対し、会長は本物の「お嬢様」という印象を受けた。
足の運び一つ取ってみても静々としていて品が良く、かといって、その育ちの良さを鼻にかけない慎み深さもある。
変な話だけど、二次元のお嬢様キャラより、ずっとよく出来たお嬢様だ。
い、いや、一応彼女達を弁護しておくと、そういう高飛車でツンデレな感じも僕は好みな訳だけど、現実で付き合うとしたら、会長だなぁ……。
「……河原さん。着きましたよ」
「あ、は、はい」
そんな品の良いお嬢様な会長が、デートの場所に選ぶのは、どんな店なんだろう、と思って辺りを見渡すと、そこはシャレオツなオープンカフェだ。
店の雰囲気と同じで、お客さんもどことなく上流階級っぽくて、会長にはよく似合う店だ。反対に、完全なパンピーな僕は浮きそうだけど……そこまでみすぼらしい格好はしてないし、大丈夫……だよね。
「二名様でよろしかったでしょうか?」
「三名です。後ほど、友人も来ますので」
「畏まりました」
ウェイトレスさんの衣装は、どことなくメイドさん風。勿論、メイド喫茶みたいにちゃらちゃらした感じではなく、落ち着いた英国給仕さん、って感じだ。
何となくエマとか、そんな感じの名前が浮かんだ。ああいう感じだなぁ。本当に。
「友人というのは、杪さんですか?」
「ええ。当初からそのつもりでしたから。――しかし、両手に花ですね」
「えっ、えへへ……」
「照れなくて良いです」
「はい……」
怖い……冗談を許さない真面目さがあるよ……。
でも、なんだろう。不思議と嫌じゃない。これは……Mの素質?
いやいやいや。そんなことはないでしょう。きっと。多分。恐らく。
「河原さん。妄想を楽しむのも良いですが、オーダーはちゃんと決めて下さいね?ちなみにお勧めはケーキセットです。好きなケーキ二個と紅茶、もしくはコーヒーが選べます。わたしもそれにしますが」
「あ、はい。僕もそれが良いです。えっと、ケーキは……」
メニューを開くと、喫茶店だとは思えないぐらい、手作りケーキが充実している。
ショートケーキやモンブランの様な王道のものは勿論、季節のフルーツを使った創作ケーキや、外国の材料をわざわざ取り寄せた本格的なものもあるし、ケーキが好きらしい会長には天国の様な店だ。
「えっと、ガトーショコラとアップルパイ。コーヒーで」
「わたしはキルシュトルテとエンガディナーを紅茶で」
す、すごい……なんというか、名前を聞いてよくわからない。
メニューに見本写真があるから、それでわかるけど……キルシュトルテというのは、チョコレートケーキみたいな感じで、エンガディナーというのは、ものすごく平たく言えば、クルミのタルト、って感じかな。
「会長、紅茶好きなんですか?」
生徒会室の紅茶も、会長が持って来た有名ブランドのものらしいし、今も選んだのは紅茶。何か特別な思い入れを感じる。
僕は、ショコラを頼んだので、それならコーヒーが相性良いかな、って思ったんだけど、会長も一応チョコケーキは頼んでいる訳だし。
「少なくとも、コーヒーよりは好きですね。抹茶と比べるのは、茶道部の長として難しい話ですが」
「それはやっぱり、英国貴族的に?」
「ふふっ、まあ、それもありますね。しかし、よくわたしがイギリス人とのハーフだと知っていましたね?」
「なんとなく、噂とかで、杪さんや冰さんから直に聞いた訳ではないですけど……隠しておきたいことでした?」
今まで、自分から言わなかったのだから、ちょっと気不味い。別に恥ずかしいことではないと思うけど、ハーフの人って結構その生まれにコンプレックスを抱いてる様なことがあると聞いたことがある。
「いいえ。別に自慢する様な事でもないので、あまり自分からは言わないのですけどね。わたしの母がイギリス人で、父は日本。京都の人間です。……ふむ、しかし、それならば好都合ですね。いきなり本題に入れます」
「本題?」
「はい。まさか、本当にただデートをする為だけにこの店に入ったとは思っていないでしょう?」
「え、ええ。まあ、それは」
……甘い妄想を抱きまくっていました。あはは、ばっかでー。
でも、「会長」とではなく、「萌さん」と呼ばせたり、雰囲気はかなり出ていたと思うんだけどな……それは罠?上げて落とす系のトラップ?
なんという孔明……正に孔明……汚いなさすが生徒会長きたない。
「もしかして先日の……杪さんのことに関係しているのですか?」
「当たらずも遠からず、ですね。全くの無関係ではないですが、今はあまりそちらのことは意識しなくても結構です。わたし達……わたし、杪、冰の家のことを話しておきたいのです。同郷の出という話まではしていましたね?」
「あ、はい」
いつだったかは忘れたけど、結構前、その話は聞いていた。
会長達三人は、皆京都の出身で、家も近所。全員が優れた退魔士の家系だという。
「具体的に三家について説明すると、わたしの高天原家は平安の時代より、陰陽師、中でも式占に優れた家系でした。安倍家の血も混じっており、その筋では相当な権威です。
次に、杪の比良栄家。こちらは古過ぎて、歴史をたどれない程の神職の大家です。恐らく、卑弥呼の時代からあったのでしょう。高天原家が陰陽、仏教的であるならば、こちらは神道的な家で、加持祈祷を長らく生業として来ました。
最後に冰の葦原家。これは今の冰の退魔器からもわかる通り、鎌倉より続く武家です。元々は退魔業と無関係でしたが、戦国の初めに妖刀『鬼丸』を手に入れたことから、退魔を生業とし始めました。現代、その刀は失われていますが、一族の血の中に溶け込んだとも言われ、その伝承の通り、記録にある限りでは誰一人として刀以外の退魔器を持ったことはありません。
――尚、わたしの母親のエディントン家は、ヴァンパイアハンターとして長年活躍して来た家となります。過去をたどれば、ブラド・ツェペシュとも、切り裂きジャックとも戦ったとあり、ヨーロッパでは英雄視が行き過ぎ、最近ではそれを避ける為、あえて活躍を避けて来ましたが、両家の繁栄の為にわたしの母が来日して結婚。名目上は政略結婚ですが、わたしの目にはお見合い結婚の様にしか見えませんね。……余談でした。兎も角、概要だけを説明すると、こうなります」
「……三家とも、僕の想像以上にすっごいってことですね…………」
なんかもう、凄過ぎて逆によくわからない。けど、全員が全員、とんでもない大スターみたいな感じだってことはわかる。
……サインとかもらっておいた方が良いかな。
「退屈な話が続きますが、大雑把で良いので頭に入れておいて下さい。
ここまでは文献的な説明になりましたが、現代の三家の関係を交えますと、途端にどろどろとしたものになって来ます。
親族婚が生物学上、望ましくないことは今ではわかっています。また、古くからも経験的にわかっていたのでしょう。どの家も適度に血を薄め、濃くしながら血筋を存続させて来ましたが、最近になって一度、葦原家は本家の血が完全に途絶え、冰の曽祖父は分家の人間です。何故今になって途切れたのか、わかりますか?」
「え、えーと……」
まさか、僕に振られるとは……。
最近、退魔士業界的に大事件はあっただろうか?
凶悪な悪霊が出たとか、そんな話はなかったと思うんだけど。
「二度に渡る世界大戦です。葦原家は退魔士でありながらも、古くは武士である為、それは即ち優秀な軍人の家であることも意味します。二度の大戦で男子は勿論、女子も戦地に出向いたと言います。結果として、一家は全滅。分家が生き永らえただけでも奇跡と言えるでしょう。
そして、ここで問題が発生して来ます。葦原家は退魔士の家系ではなかった為、時には高天原や比良栄から妻、夫を取ることで、退魔士としての力を蓄えて来ました。が、分家にその様な習慣はなく、外部との結婚ばかりであった為、武人としてある程度の力は持っていても、退魔の術を知りませんでした。ここで、永らく続いた三家の良好関係が崩れることになるのです」
「……どうして、ですか?」
「古くから、本家を近くする三家は、本来ならばそれぞれが対立していてもおかしくはありませんでした。ですが、それぞれ高天原が占い、比良栄が祈祷、葦原が戦闘と、得手が別れていたからこそ、良好な関係を続けることが出来たのです。
しかし、葦原本家の脱落により、葦原は悪霊相手の戦闘が不可能になりました。ここで、高天原と比良栄がその後釜に収まろうと、激しく対立し、葦原はかつての権威を取り戻す為、必死に両家の子供を求めました。
結果、二代に渡って葦原は高天原、比良栄の両家の娘を妻として娶り、それを以て三家の分立を再び計ろうとしました。そうして、わたしの父、杪、冰の両親の代は緩やかに流れ、新世代が生まれる時となりました。
初めに生まれたのは比良栄、つまり杪です。一月して、高天原。即ちわたしが生まれました。陰陽師の家である高天原は、名前に宿る呪(しゅ)を重視する為、わたしの名前を『杪』に対して『萌』とし、両家が手を取り合う、良好な関係であり続けることを誓いました。そして、一年後に生まれたのが葦原、冰となります。……違和感を覚えませんか?」
「杪」と「萌」。どちらも植物に関係する漢字であり、確かにこれは良好な関係を望んでいる証になると思う。
けど、「冰」……?今まで、普通に受け入れて来たけど、確かに毛色が二人とは明らかに違う。
植物と全く関係がない……どころか、氷の張る様な冬の季節になれば、植物は枯れてしまう。ということは……。
「冰の母の代で、存外に早く退魔士としての力の確立を感じた葦原家は、並立ではなく、自分の家の独走を謀りました。
よって、世継ぎとなる娘に与えた名前は『冰』。両家への宣戦布告の様なものです。尤も、長く比良栄家はこれが作為あっての行動とは思いませんでした。今時、名前の呪を信じるのは時代遅れであり、元々神道に言霊論はあれど、『呪い』の概念はなかったからなのでしょう。
しかし、いざ時が経ってみれば、葦原は徐々に両家と距離を取り、娘にも徹底的な両家への敵対教育を施したと言います。――が、現状からわかりますね?冰にその意志はなく、また、両家に葦原家を爪弾きにするつもりもありません」
なんとなく、ほっとする。
実は会長や杪さんと冰さんが冷戦状態だったなんて、考えたくなかったからだ。
「けど、それでは冰さんが辛い立場に……?」
「そちらの問題は、森谷家との関わりもあり、鎮静化しています。冰があの分では、当代の時代が過ぎれば完全に解決することでしょう。
――やっと本題に入れます。わたしが話したいのは、ここからのことです」
今まで前振り……?
ちょっと絶望してしまった僕が居た。
いや、すごく大事な話というのはわかるけど、今のがまだほんの序章に過ぎなかっただなんて……。
このデート、一体いつまで続くのかな……。
「わたしの家……いいえ、正確にはわたし自身のことになります。現在、世界的に問題視されているのは杪ですが、わたしもまた、複雑な問題の渦中に居ます。助力を求めているという訳ではないのですが、杪のついでです。河原さんにも、筒ヶ内さんにも把握しておいて欲しいと思いました。
――特に河原さんは、先日、長いお話をしてもらいましたからね。筒ヶ内さんより詳細に話しているつもりです」
そこまで言うと、会長は一度席を立ち、律儀にウェイトレスさんに携帯をかけて良いか、質問した。
そうして許可をもらうと、声を潜めて電話をかける。相手は杪さんだ。
「――さて、今から本題を話して、杪が着く頃にはそれも終わっていることでしょう。その後は楽しくお茶をして、少し町をぶらつきませんか?『償い』はその時にしてもらうこととして」
「あ、『デート』は口実みたいなのでも、ちゃんと償いはさせられるんですね……」
「何を言うのですか?お茶の後はわたしと杪と一緒に町を歩くのですよ?十分デートは果たされるではないですか。わたし達の財布となってもらうのは、その代金みたいなものですよ」
「……会長。それは所謂、えんじょこ「さて、話に戻りましょう」
……後半に続きます。
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気が付くと文章量がすごいことになっていたので、次話に続きます この5話は杪さんメインと見せかけての、会長メイン話であるのは確定的に明らか。遠くない未来にイメージイラストも描いてみたいです |
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