黒髪の勇者 第十九話
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第二章 海賊(パート9)

 

 「何か策があるの、シオン?」

 フランソワが不安と困惑を織り交ぜたような表情でそう言った。速度。そう、この状況を打破するに当たってシャルロッテが唯一、そして絶対的に優位に立てるもの。それはこの船の速度と、小型船ならではの小回りを最大限に生かすこと。火力でも射程距離でも、そして数においても不足するシャルロッテが勝つにはそれ以外に方法がない。

 「リーチが長いからといって、命中率が良いわけじゃない。」

 詩音が思考を纏めるようにそう言った直後、まるでシガレットケースのように小さく見える海賊船の本隊から再び腹をえぐるような轟音が響き渡った。こちらが混乱しているうちに射撃準備を整えていたのだろう。二度目の一斉砲撃であった。

 『取舵一杯!』

 伝令菅から、グレイスの声が響く。先ほどから大音声を発しているせいだろう。その声は普段の野太い声ではなく、すっかりと枯れ果てている。どうやらグレイスはシャルロッテを敵艦から直角の方向に向けることで、結果として着弾可能面積を細める作戦であるらしい。その効があってか、降り注ぐ砲弾は全て海水面へと着弾していった。まるで沸騰するように湧き上がる海にシャルロッテはその船体を大きく上下させながら、それでも転覆することなく、寧ろ力強く海面を掻き割って行く。

 「今がチャンスだ。」

 砲弾の衝撃が収まると、詩音は軽く唇を噛み締めながらそう言った。砲撃から暫く、おそらく数分程度は敵からの砲撃が無いと見て良いだろう。どう考えてもあの大砲を撃つには三分程度は準備が必要になる。今は海賊のスループ型三隻がシャルロッテ目掛けて航行を行っているらしい。相変わらず、伝令菅からはグレイスの矢継ぎ早の指示が飛んでいた。この混乱の中で見事と言うべき統率であった。どうやら今の段階で死者の発生という最悪の事態は避けられているらしいと、伝令菅から伝わる情報を元に詩音はそう判断すると、砲門から思い切り顔を突き出して周囲の状況を目視し始めた。今の取舵回頭でシャルロッテは海賊船から船尾を向けている状態にある。船尾へと視線を向けると成程、大海原の先には小型船が縦列隊形に近い状態で三隻が迫って来ている。その奥には七隻の海賊船。横一列に並んで、全ての左舷砲門をシャルロッテに向けているらしい。

 「戦史の勉強がこんなところで役に立つとはね。」

 吹きすさぶ海風に自身の髪を容赦なくはためかせながら、詩音はぽつりとそう言った。この時代の船舶は側面からの攻撃しかできない。全て船体に砲門を収納するシステムであるからだ。艦艇の機械化後に登場した、戦艦大和のような回転砲台が未だ実用化されていない時代である以上、最も効率の良い攻撃手法は今海賊船が行っているような敵艦との並行航行からの一斉砲撃ということになる。だが、もう一つ。この時代の大砲の威力は後世のそれに比べると大幅に劣っている。つまり、敵艦を完全に沈黙させるには敵艦を占領するという方法以外には存在していないのである。特に相手は軍艦ではなく海賊船。奴らの目当ては金銀財宝、シャルロッテにはたいした財物は搭載されてはいないが、それを奪取するには沈没だけは避けたいというところだろう。おそらく、別行動をしながら迫る三隻のスループでこちらを占領する腹積もりであるらしい。

 そこまでを瞬時に読み取った詩音は砲門から身体を引っ込めて振り返ると、フランソワに向かってこう言った。

 「あの三隻がもう少し近付けば、敵艦も砲撃できなくなるはずだ。」

 大砲の命中率が悪い以上、ある程度の距離に味方の艦艇があるのならば砲撃は不可能になる。詩音はそう判断したのである。

 「でも、近距離で三隻同時に相手するほうが危険よ。」

 詩音の言葉の意味を瞬時に理解しながら、フランソワはそれでも不安をその表情に浮かべながらそう答えた。

 「分かっている。でも、敵のつかず離れずの距離で逃げ続けられれば。いや、それ以外に逃げ切る手段はない。」

 特に、海賊のスループよりもどうやら遥かに速度に優れているらしいシャルロッテならば、スループ型とつかず離れずの距離を図りながら逃亡を続けることが可能であるはずだ。それでいて本隊からの砲撃を完全に封じ込める絶妙の間合いを確保し続けられることになる。勿論、スループの方が最高速度が速いという事実誤認があれば瞬時にシャルロッテは拿捕されることになる。そこはもう、信じるしかない。シャルロッテと、そして設計者であるフランソワを。

 「フランソワ、小型船を砲撃しながら、敵の着弾範囲内に入るまで小型船を引き付けよう。」

 「このまま遁走するのは?」

 「背後から執拗に攻撃を喰らうことになる。良策とは思えない。」

 詩音がそう答えると、フランソワは瞬時に考えを纏めた様子で、伝令菅に向かってこう叫んだ。

 「グレイス、一ついいかしら?」

 その間に、詩音はオーエンと共に砲撃の準備を開始した。敵艦もそろそろ、次の発砲準備を終える頃だろう。

 『いかがしました、お嬢様!』

 グレイスの余裕の無い声を耳に収めながら、フランソワは努めて冷静な声で言葉を続けた。

 「一度こちらに向かってくる小型船を引き付けて、敵本隊からの砲撃を停止させましょう。」

 『確かにそうすりゃ、あの砲撃を喰らわずに済むかも知れませんが・・。しかし、接近されれば却って危険が増しますぜ。』

 「そこは貴方の操艦技術に期待するしかないわね。」 

 肩を竦めながら、フランソワはそう言った。その言葉に対して、グレイスは少し思考するように沈黙した。そのまま、フランソワが補足するように言葉を続ける。

 「強襲用のあの三隻の火力はたいしたことが無いはずよ。特に正面方向への砲撃手段は全く存在しないか、相当に限られるはず。最大戦速ならシャルロッテが負けるはずはないわ。付かず離れず、何とか逃げ切れるはず。」

 『仕方ない、それで行きましょう、お嬢様!』

 やがてグレイスは覚悟を決めた様子でそう言った。

 「ありがとう。なら、こちらで適当に牽制しておくわ。操艦をお願い。」

 フランソワはそう言って伝令を切ると詩音に向かって強く頷いた。直後にグレイスが操舵手に面舵の指示を伝え、先ほどとは逆方向、シャルロッテが右回転を行いながらの180度回頭を開始した。右舷へと船体が傾いたおかげで砲門から海水面が直下に覗き見える。その景色に落下の恐怖を感じて詩音はほんのすこし冷やりとした感覚を味わった。そのまま景色が目まぐるしく変化する中で、先ほどよりも更に距離を詰めたスループ型の姿を目視した詩音は決意を込めるように今一度下唇を噛み締めた。

 『このまま、スループ目掛けて突っ走れ!』

 やがて回頭を終えたシャルロッテは真正面から、まるで切り込みを仕掛けるような勢いで海賊船目掛けて走りだした。船内にいても十分に分かるほどに速度が増してゆく。この船は最高だ、詩音がその速度を実感してそう考えた直後、再び強い破裂音が詩音の耳に届いた。これで三度目、海賊船本隊からの一斉砲撃であった。だがシャルロッテの航行速度は海賊程度が想定する速度を遥かに上回っていたらしい。襲い掛かる砲弾は全てシャルロッテの上空を空しく通過して、遥か後方の海面へと無意味な着弾を余儀なくされたのだから。背後に盛り上がった水柱をも自らの速度に変換するようにシャルロッテが走る。あれよという間にシャルロッテとスループ型への距離が縮まっていった。お互い真正面を向き合う状態、船首に砲台を設けていない以上、互いに攻撃する術は無い。だが、海賊船はどうやらシャルロッテの行動を一か八かの突撃だと判断したらしい。所詮海賊ごとき、見事とはいえないが一応の艦隊行動を取っていた三隻のスループはシャルロッテの正面衝突を避けるように回避行動に動き始めた。それも全てが、任意の方向に。

 海底の底から湧き上がるような、重たく曇った音が響いたのはその直後であった。先頭を走るスループが左舷方向へと転蛇を試みて、背後から迫っていた二番艦の船首と正面衝突を起こしたのである。その衝撃から避けるように、三番館も大きく左舷へと回転する。

 『今だ、取舵一杯!』

 機を逃さず、グレイスがそう叫んだ。既にスループ型との距離は二百ヤルク程度まで迫ってきている。間一髪、衝突を避けるようにシャルロッテはその船体、右舷砲門をスループ型三隻へと向けることになった。砲門から真正面、衝突して立ち往生する海賊船二隻を目の当たりにしてフランソワが力強く叫ぶ。

 「第一から第五砲門、撃てっ!」

 合計五門、至近距離に迫った海賊船に目掛けて、五ルム弾が踊るように飛び出してゆく。この距離、二百ヤルク程度しか距離を持たない状態では海賊船本隊からの砲撃はほぼ不可能と言って良いだろう。回避行動すら不可能である距離にいたスループ型の先頭艦は帆柱に砲弾が命中し、頑丈であるはずの帆柱が大きく傾いた。そのまま、大きく張られた帆と物見台によじ登っていた海賊ともども、力なく手前にあった海面へと落下し、バルバ海賊団の刺繍が施された帆がまるでクラゲの死体のように海面に浮きあがった。帆を失った先頭艦のすぐ奥には、衝突の為に身動きを封じられた二番館の姿が見える。

 「第六砲門から第十砲門、目標二番艦、撃て!」

 続けて、フランソワがそう叫んだ。先頭艦の陰に隠れて反撃すらもままならない二番館に向けて、合計五発の砲弾が嬉々として飛び出してゆく。その砲弾の殆どが二番館の帆に命中し、或いは帆を突き抜けて破り去り、或いは甲板へと命中して激しい追突音を大海原に響かせた。

 

説明
第十九話です。

昨日は友人の結婚式に参加していたので投稿できませんでした。。

ではよろしくお願いします。

黒髪の勇者 第一話
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