うそつきはどろぼうのはじまり 15 |
そんな騒動など露知らず、レイアは友の部屋へ向かう。旅を終えてから何度か訪問している、というのもあってか、彼女は持ち前の気安さで扉を開けた。
「お邪魔してます! エリーゼ、飾り布の仕上がりはどう?・・・ってナニコレ!?」
部屋を覗き込んだレイアは仰天した。
エリーゼの自室は非常に片付いていた。というより物がなかった。壁際には寝台、部屋の中央に机と椅子が一組。洋服が数着。目ぼしいものはそれくらいだ。壁紙の大柄がやけに目立っている。
以前訪れた時にはもっと、すかし網や花、飾り玉の小物達で溢れていたはずだ。それが一転、この殺風景っぷりである。いかにもエリーゼらしい、少女趣味満載だった部屋の面影はどこへやら、レイアにはまるで別人の部屋を訪問した気分にさせられたのである。
部屋の主は寝台に腰を下ろしていた。ふかふかの羽布団は以前のままのようだが、天蓋はしっかり取り払われている。
「あ・・・レイア・・・」
「ど、どどどどどどうしちゃったの一体!?」
震える指で部屋の中を指差し、どもるレイアに、少女は微笑みを向けた。
「すっきりしたでしょう? お部屋の片づけをしたんです。――もうすぐ、お別れですから」
「あ――」
レイアは言葉を失った。金髪の少女の微笑には、明らかな寂しさの色があったのだ。住み慣れた街や親しんだ人々との別れは、年齢や性別の関係なしに辛いものである。
湿りがちな空気を変えようと、レイアは明るく言った。
「そ、そうだ! エリーゼ、飾り布は仕上がった? 闘技大会までもうすぐだけど、様子はどうかなーって思って、今日は遊びに来たんだ」
「飾り布・・・ですか・・・」
ちょっと待っててください、と少女は既に纏められつつあった箱を開け、模造紙の包みを取り出した。
「ごめんなさい。仕上がらなかったんです」
申し訳なさそうに差し出された包みを、レイアは手早く広げた。濃淡のついた青の布に、鉛筆で下絵が描かれている。羽根を広げた竜だ。それも双翼のある、ワイバーンという種だった。
描き込みは緻密で構図も人目を引く、立派な下絵だった。出来上がればさぞ素晴らしい飾り布になるであろうに、肝心の針が入っていない。一針もだ。これだけ渾身の図柄を描いておきながら、制作が初期段階で止まってしまっている。
「・・・結婚って、結構準備とか大変なんだってね。お疲れさま」
レイアは、改めてエリーゼを見る。少し痩せたと思ったのは、気のせいではなかったようだ。
労いの言葉に、エリーゼは弱弱しく笑う。
「結婚するって新聞で読んだ時、本当にびっくりしたよー。しかもエレンピオスの貴族とでしょ? まいったなー。エリーゼに、先、越されちゃったな!」
あははとレイアは頭を掻いた。
結婚を間近に控えた少女は、仲間の笑顔の裏に隠されたものを、容易に見抜いていた。
似ている。これは、かつての自分が浮かべたものと同じだ。あの秋風の吹き抜ける庭先で、彼に向けた微笑と。
「レイア」
「ん?」
エリーゼは堪らなくなって訊ねた。
「ジュードとは、その・・・約束とか、してないんですか?」
レイアはきょとんとした顔で目をぱちくりとさせた。言葉の意味が理解できなかったのではない。仲間から、ここまで直接的な問い掛けをされるとは、思ってもみないことだったからだ。
栗毛の少女は天井を見上げ、長い息を吐く。躊躇ってはいない。答えは、既に五年前に導き出している。
「あたしは・・・あたしはね、ジュードが幸せならそれでいいんだ。最初、看護師になろうとしたのは、少しでもジュードの手伝いができたらなって思ったからだったんだけど。それって少し違うかなって、あの旅をしているうちに思ったんだ」
彼女には願望があった。叶えたい望みがあった。その実態をあの雪の夜に、ローエンとの遣り取りの末、見つけていた。
「あたしの望みは、ジュードが幸せでいることだから」
彼の仕事を手伝いたい、側にいたいという願いは、彼女自身が満足するための口実に過ぎなかった。
ずっと一緒にいる必要はないのだ。ただ、お人良しな幼馴染が幸せでいてくれさえすればいい。彼が笑っていてくれさえすれば、自分も安らかな気持ちでいられる。自分はそこに、幸せを感じる。
そう言い切ったレイアの静かな笑みを、エリーゼの低い声が打ち消した。
「・・・嫌です」
「え?」
金の髪が跳ねる。勢い良く上げた顔の中、緑の双眸が異様なまでにぎらついている。
「幸せなだけじゃ嫌です。一緒じゃなきゃ嫌ですっ!」
搾り出すような叫びは、あまりにも悲痛だった。絶叫した勢いのまま、熱に浮かされたようにエリーゼは呟き続ける。
「きっと知ってる。きっと全部わかってる。絶対、わかっていて・・・わかっていたから、だから、また嘘をついたんです・・・」
「エリーゼ・・・」
また、嘘をついた。――また。
レイアは立ち尽くす。
「アルヴィン君、なんて?」
衝撃のあまり停止した思考で、辛うじてそれだけが訊けた。声は当然掠れている。何もかもが遠い。まるで、はるか前方で言葉の応酬をしているようだ。
エリーゼは涙を拭いもせず、肩を震わせて言う。
「おめでとう、・・・って」
最悪だ。
レイアは思わず目を瞑った。
「アルヴィンは全部知っていたんです。国のことだけじゃない、ガイアス王の意図、実態が政略結婚以外の、何物でもないことを。王に仕える傭兵でもなければ、エレンピオスの貴族でもない、一介の商人でしかない彼の立場では、とても――反対などできませんから。だから祝うしかなかった」
彼からの祝福は、この世で最も残酷な祝福となった。
「わたしは、ありがとうって答えるしかなかった。だって他に、何て言えば・・・。――わたし、もうどうしたらいいのかわからない!」
「エリーゼ・・・」
レイアは名を呼び、顔を覆った仲間を、そっと抱き締めた。他に出来ることは何一つなかった。
結婚なんて嫌なんです、とエリーゼは泣きじゃくる。
「どうしてアルヴィンとわたしは一緒にいられないの? どうして隣にいられないの? わたし、何を間違えたの? お願い・・・教えて、レイア」
エリーゼは嘆願する。必死の形相で頼み込む顔には、涙の後が幾筋も光っていた。
「どうして・・・わたしは、幸せになれないの?」
答えはおそらく、世界でたった一人の男しか持ち合わせていない。だからレイアは無言のまま、少女を抱き締め続けた。
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