【C81 】未来の行方はわからない
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【七海哉太:泣き虫たちに朝日の恵みを】

 

 

 出会った時から一日、一週間、一ケ月、一年の半分以上を彼と過ごしてきた。しかし、それがもうすぐ叶わなくなる。

 彼と彼女が自分のための未来を歩むために。

 自分の夢を叶えるために。

「明日から、いつものように会えなくなるんだね」

「あぁ、そうだな」

「私と会えなくなるからって泣かないでね、哉太」

「なっ、そういうお前こそ、俺に会えなくて寂しいって泣くなよ、月子」

 そう言って、哉太と月子はお互いの顔を見て、吹き出した。

 そうやって、お互い笑って別れたのは三月の終わり。

 そして、春の終わりに泣いたのは、月子だった。

 

* * *

 

 大学に入学しても変わらないもの。それは、月子の隣にもう一人の幼馴染の錫也が隣にいるということ。

 大学に入学して変わったこと。それは、月子の隣に哉太がいない、ということ。

 始めは大学に慣れることを第一に考えていたため、哉太がいないという寂しさをそれで誤魔化していた。

 そして、慣れてくると心にゆとりが出てくる。

 生まれたゆとりを月子は何かで満たそうと思っていた。

 バイトを始めたり、部活動に入ったり(その結果、弓道部に入ったが)ということが挙げられるが、心が十分に満たされるためには、恋人である哉太と一緒にいることなのだが。

「哉太、ここ最近忙しそうだからなぁ」

 携帯のメール画面には『ごめんな』という文字が映し出されていた。そして、その後は理由がきちんと書かれている。

 今週末の予定を哉太にメールで聞いてみたら、学校で出来た友達と山で写真を撮りに行く予定が入ってしまったという。

(この間も山で写真を撮りに行くって言ってなかった?)

 そう思いつつも、がんばってね、と月子は一言だけ打ってメールを返信した。

 送信が完了しました、という画面を見てため息をつく。

 今まで有限と言われていた哉太の身体。三分以上激しく身体を動かすと、心臓に負担がかかると言われていた。

しかし、今は手術のおかげで無限とも言える身体を彼は手に入れ、夢だった天体写真家になるために日々勉学に励んでいる。

山へ写真を撮りに行くのは習ったことを実践してみたいという意欲からだろう。それに、新たにできた友達と一緒に過ごしたいという気持ちもあるのかもしれない。

 新しく出来た友達と長く付き合うため、今はお互いの関係を築く大事な時期だ。

 それを邪魔しないように、月子は哉太に会うのを我慢する。

 しかし、我慢というのは限界がある。

 月子が限界を迎えつつあると気づいたのは幼馴染の一人、錫也と高校時代から弓道を通して仲が良かった真琴だった。

 

* * *

 

「月子、最近大丈夫か?ストレスでも溜まっているんじゃないのか?」

 授業が終わり、カフェテリアへ行こうと立ち上がった月子に、錫也は質問した。

「えっ? そんなことないよ。私はこの通り元気だよ」

「いいや、俺には無理しているように見えるよ。…最近、哉太に会ったか?」

 哉太、という言葉を耳にし、月子は動作を一瞬だけ止める。しかし、何事もなかったかのように、

「ううん。哉太には会って、ないよ。今とっても忙しいんだって」

「それは俺も知っている。最近学校の友達と山へ写真を撮りに行っているって」

「うん。あの哉太が山へ行って写真を撮るなんて、最初は信じられなかったけど、本当に病気が治って、好きなことをしているんだなって思うと哉太にはがんばって素敵な天体写真家になって欲しいなって思うよ」

 月子の言葉を聴きながら、錫也もそうだなと相槌を打つ。

「だけど、哉太に一ヶ月近く会っていないんだろう?寂しくないのか?」

「………」

 月子は何も答えなかった。今、錫也の前で寂しいと言ったらその言葉が哉太に伝わると思ったからだ。

(今は、まだ迷惑をかけたくない。でも、やっぱり)

 相反する気持ちが月子の心の中で渦を巻いている。

「お前が寂しいって思っているんだったら、俺から哉太に何か言うけど……。本当に大丈夫なんだな?」

「うん、大丈夫。きっと来月あたりに哉太に会えるって思っているから。そのとき、どうして会ってくれなかったのって自分の口で言うから……錫也は何も心配しなくていいよ。」

 この話題はもう終わりにしよう、と月子は言った。そして、今からお昼にしよう、と。

 さっさと教室を出て、外で待っていた真琴を誘ってカフェテリアへ向かう月子の背中を錫也はしばらく見つめ、ため息をついた。

「……全く、素直じゃないなぁお互い」

 そして、彼は携帯を取り出し、月子宛にメールを打つ。今日のお昼は一緒に食べない、と。

 それから、アドレス帳を開き、電話をする。

 二、三回コール音が鳴り響いたあと、もしもしと眠そうな声が聞こえた。

「もしもし、俺だよ。錫也だ。久しぶり。……あぁ、元気だよ。俺もアイツも。今、時間大丈夫か? 月子と哉太のことで一つ相談があるんだ、羊」

『相談? 錫也が僕に相談なんて珍しいね。もしかして、うまく行ってないの? あの二人』

 やれやれ、と羊がため息をつく声が電話越しに聞こえた。

 錫也が羊に相談している間、真琴は月子に最近哉太とうまくいっているかどうかを尋ねていた。

「うーん。最近、哉太忙しいみたいなの。この間も専門学校で出来た友達と一緒に写真を撮りに行くって言ってて……。なかなか会う機会がないんだよね」

「来週の土日は……って今度は月子が無理だったね」

「うん。練習試合があるから、ね」

 哉太の予定がない日に月子の予定が入り、月子の予定がない日に哉太の予定が入る。運命のいたずらなのか、会って二人でゆっくり過ごすという日が全く取れない。

「電話では連絡取っているんでしょう? それに、ひと月ぐらい前から予定を立てるとかさ。そうすれば一緒に会えるでしょう?」

「本当はそうしたいんだけどね……」

 ひと月まえからデートの約束をする。それだったら確かに確実に哉太と一緒に会えるかもしれない。

 だが、月子がそうしないのは彼とデートの約束をすることで哉太の自由を奪ってしまうのでは、と思ったのだ。

 例えば、約束の日にとても腕のいい写真家の講演があるとか、その日にしか撮れない場所に仲間が行くのに哉太だけが行けない、とか。

 身体の束縛が無くなった今。哉太は自由に自分がやりたいことをやって欲しい。月子はそう願っている。

「それに、私たちはずっと一緒にいたでしょ? だから、しばらくは私と一緒にいなくても哉太なら大丈夫かなぁって」

「でも、あんたは? 月子は七海君と一緒にいたいのにいられないから寂しいって思っているんじゃないの?」

「そんな、寂しいだなんて思っていないよ?」

「そうかなぁ。顔には寂しい≠チて書いているよ」

 真琴の指摘を受けて月子は顔に手を当てる。

「……やっぱり寂しいって思っているんじゃないの? 七海君に会えなくて」

 月子の態度を見て真琴は自分の指摘が正しかったことを知る。

「寂しいから会いに来てって素直に言えばいいんじゃない」

「……言えたら言ってるよ。でも」

「七海君の自由を束縛したくない、か……。でも、今までさんざん我慢してきたんだし、今度メールをした時は私に会いに来てって言ってみたら?」

「……うん、そうして、みる」

 真琴のアドバイスを素直に受け止めて、月子はランチのパスタを一口、食べた。

 

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宮地龍之介:蛍に未来の願い事を乗せて

 

「絶対に海だ!」

「いいや、ここは山だ! 山!」

 月子と龍之介が教室に入ると、犬飼と白鳥が真琴を挟んで言い争っていた。

「おはよう。一体朝からどうしたの、犬飼君、白鳥君。教室の外まで聞こえてきたんだけど……」

「あっ、夜久に宮地! ちょうどいいタイミングで来たな。いま、犬飼と春名と話し合っていたんだけど、今度の弓道部の合宿、お前らなら山と海、どっちが行きたい?」

 白鳥は真剣な顔をして二人に尋ねる。

「合宿の話はまだ先のことではないのか? それに、行き先を決めるのは俺達ではなく先輩方だろう?」

「あぁ、そうだ。確かに合宿先を決めるのは俺らではない。でも、先輩方が山か海か¥、どっちがいいのかを聞いてきた。つまり、俺らにもチャンスがあるんだよ。合宿の行き先を決める権利が」

「それで、朝から白鳥と犬飼は私を挟んで海か山かの論争をしているの。私は海のほうがいいなぁって思っているんだけど、二人はどう?」

「どうっていきなり言われても……」

 月子はうーんと考える。

 海は、今年龍之介と二人で行く約束がある。それならば、

「山、かな」「山だな」

 月子と龍之介が同時は同時に答えた。おそらく、龍之介も月子と同じ事を考えていたに違いない。二人はチラッと視線を交わした。

「ん? もしかして、月子。海に行く予定でもあるの?」

 鋭い真琴が二人の意味ありげな視線の交わし方に気づいた。

「べ、別に龍之介と海へ行く計画なんて立ててないよ! ね、龍之介?」

「む……あっ、あぁ。決して月子と一緒に海に行くという計画は立ててないぞ」

「いいや。立ててるね。私はさっき海に行く予定があるのって聞いただけで、誰と行くのっては聞いてないよ。つまり、合宿前後に宮地君と一緒に海に行く予定があるんでしょ?」

 月子はしまった、と思った。まんまと彼女の策略にはまってしまった、と。

 二人で海に行く、というのがわかったとたん、犬飼と白鳥が龍之介に対してずるいぞ、と口を尖らせた。

「夜久と一緒に海だなんてずるいぞ、宮地ー。俺たちも連れてけー!」

「そうだ、そうだー! 二人きりで海に行くの反対! 俺達も一緒に連れてってくれよー。二人の甘い時間は邪魔しないからさ」

「邪魔しない代わりに何をするのよ」

 犬飼と白鳥はニンマリと笑って、

「「もちろん、美女探しだ!」」

 その答えに月子と真琴はハァッとため息をついた一方、龍之介は眉間にしわを寄せて、

「お前ら……たとえ合宿の行き先が海になってもそうやってふしだらなことをしようって思っていないだろうな?」

「さぁ、どうだろうな。場所によると思うけどよ。だって、海だぜ? 一人や二人美女がいてもおかしくないだろう!」

 犬飼の言葉を龍之介は聞かず、真琴に向かって、

「春名、俺たち五人は山に行きたい、と先輩方に伝えておいてくれないか? 俺は今から、犬飼と白鳥を鍛え直す」

 そう言って二人の首根っこを掴み、龍之介は教室を出ていった。

「……どこに行くつもりだろう」

「きっと弓道場じゃないかしら。鍛え直す場所といったらそこしかないだろうし」

 なるほど、と真琴の言葉に月子は納得する。きっと、高校時代と同じようにゴム引きをするように二人は言われるのかなと考えていたのだが。

「それで、月子。宮地君とはどこの海に行くの? その辺のこと詳しく教えてくれないかな?」

「えっ……」

 月子は冷や汗を垂らす。そのあと、真琴の尋問が始まった。

 

 放課後になり、月子は待ち合わせの場所の正門へ急いで歩く。そこにはすでに龍之介が待っていた。

「遅くなってごめんね。わからないところを友達と相談していたの」

「別に構わない。俺も今来たところだ。帰るか」

 うん、と月子は頷いて龍之介の隣を歩く。

 手は、繋がない。繋ぎたくてもお互い恥ずかしいから。

 そう言えば、と月子は龍之介に尋ねる。犬飼と白鳥はどうしたのか、と。

「あの後、弓道場に行ってゴム引きをさせた。さすがに五年も弓を引いているんだ。ゴム引きじゃ鍛え直しにならなくなってきたな……」

 また、ふしだらなことを言ったら別の方法で鍛えないといけないな、と龍之介はブツブツ言っている。

 そんな彼にほどほどにね、と月子は苦笑しながら言った。

「そういえば、弓道場に行った時先輩方がいらっしゃったから聞いてみたんだ。どうして、俺たちが行き先を決める必要があったのか、と」

「それで、先輩たちはなんて?」

 龍之介の話によれば、今年の三年生は大学を卒業後、院には行かず、就職する人が多いという。

 そのため、就職に備え、インターンシップへ行く三年生が多く、合宿に行けるかどうかわからない、という人が多くなってしまった。

 そのため、多くの意見を聞くために二年生に山か海かを決めてもらおうということになったという。

「合宿よりもインターンシップって……。自分の将来に関わることだから積極的にそういうのには行ったほうがいいのかなぁ……」

 将来のことを考えるのはまだ先のことなのに、来年のことなのだと思うと月子は不安になる。

 そんな不安に気づいたのか、龍之介は大丈夫だ、と彼女の頭にポンっと優しく手をおいた。

「誰だって将来に対して不安を持っている。俺も、先輩たちの話を聞いた時、俺も来年はこうなるのか、と思うと不安になった」

「……龍之介は将来どんな仕事をしたいのか決まってる?」

 月子は恐る恐る龍之介に尋ねる。

 すると宮地は首を振って、まだ決まっていないんだ、と言った。

「将来天文学に関わる仕事に就きたいという思いはあるんだけどな。一体どんな職があるのか今度調べる必要があるな」

「やっぱりそうだよね。星月学園でたくさん天体に関する知識を学んで、大学でさらに専門的なことを学んでいるんだもん。星に関する職業に携わりたいよね……」

「だが、月子は教職の科目をとっているだろう? 教師になるっていう将来もあるんじゃないのか?」

「確かに、そうだけど……」

 本気で先生になりたい、と思っているのかと聞かれたら月子はすぐに答えられない。

 先生になって未来ある子供たちにたくさんの天体に関わる話をしたい。

 一方で、まだ知られていない星について研究してみたいとも思っている。

「……先生になるのか、それとも星について研究したいのか……。今の時点ではどっちもやりたいなぁって思っているんだけど、どっちかに決めないといけないよね……」

 もしかしたらこの先また別の進路の選択が月子に出てくる可能性もある。

「とにかく今は今だ。未来のことなんて誰にもわからない。悩んでいる暇があったらその未来を確実にするためにいろいろなことに取り組めばいいだろう?」

 龍之介の言葉に月子はそうだね、と返した。

 

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水嶋郁:夕日は愛に、金星は指輪に例えて

 

 

 秋。

 この季節は様々なものに取り組むにはちょうど良いと言われている。

 そして、大学にとって秋というのは勉学に励んでもらいたいのはもちろんだが、学生にとっては学祭≠ニいう大きなイベントが控えている。

 大学三年生になった月子は弓道部として学祭に参加するのは今年が最後となっている。

 なぜなら、冬から就職活動が始まるため、三年生は引退し、二年生に引き継ぐことになるからだ。

(今年は確か、チュロスとココアとか紅茶とか温かくて甘い飲み物を出すんだっけ?)

 飲食物の出店、ということで月子はあまり関わっていない。関わるとしても売り子として参加することになるだけだ。

 月子に料理をさせるとひどいことになる、というのは部員の間では有名だ。

(ここ最近はそれが減ってきたんだけどな)

 一生懸命幼馴染の錫也や親友の真琴から料理を習って、少しずつレベルアップしているのだ。

 それでも、万が一に備えて、月子は作り手ではなく売り子に回されたのだ。

 そのため、月子は雑用を任されているのだが、その仕事も少ない。

 特に今日は何もすることがなかったため、授業が終わった月子は家に帰ろうと教室を出る。

 その途中、様々なサークルが学祭に向けて準備を頑張っていた。

(ん?この曲……どこかで聞いたことがあるような?)

 その中で、月子はとある教室の前を通ったとき、練習していたバンドの曲を耳にする。

 その曲は昔に聞いたことがあるような気がして、教室のドアを月子は開けた。

「あれ、月子じゃん。一体どうしたの?」

 教室の中にいたのは月子と同じ学科の子だった。知らない人だったらどうしようと緊張していた月子は安堵する。

「う、うん。ちょっと聞こえてきた曲が気になってね。その曲って自分たちで作ったの?」

「ううん、違うよー。少し前に流行ったけど今は解散したバンドの曲なの。タイトルとバンド名は当日まで秘密ってことにしているから、今は教えられないけど……。ちょっとだけ聞いてく?」

「うん、お願い」

 バンドメンバーはそれぞれの持ち場に戻り、準備をする。そして、ドラムの合図によって演奏が始まった。

(……やっぱりどこかで聞いたことがある)

 中学生頃に聞いた覚えのある曲だ。おそらく実家に帰ったらまだCDがあるはず。

 演奏を終え、どうだったか、彼女が聞いてきたので月子はとてもよかったよ、と答えた。

「でも、どこかで聞いたことがある曲なんだよね……。思い出せない」

「ふふ。悩め悩め。もし、当日までに誰のどんな曲かわかったら何かおごってあげる」

「本当に? それじゃあ、当日までに思い出してみるね!」

 練習の邪魔をし、曲を聞かせてくれたことに礼を言って、月子は教室を出た。

「夕焼け空を愛に例えるとしたなら、

その中で光る金星は

君にあげる指輪だね……か」

 月子は聞いた曲の中でも気に入ったフレーズを口ずさみながら、この曲は一体誰の曲なのかを考えながら、帰った。

 

* * *

 

 それから。学祭の前日。

 月子はあの日からバンドの曲を一生懸命思い出そうとしていたが、その時間がなかなか取れなかった。

 なぜなら屋台の準備が忙しかったからだ。

 あの日の翌日から雑用が増えた上に授業の課題に取り組む必要があったのだ。

(確か、あの子がでる日は明後日だから……。今日家に帰ってすぐに調べてみようっと)

 彼女が言った当日、というのはきっと出演する当日、という意味だと月子は解釈している。

 明日のための準備はほぼ終わり、男子部員は大学に残って一夜を明かすことになったが、女子部員は防犯のため帰宅することになっている。

 月子は残る男子部員に労いの言葉を残し、女子部員たちと共に帰路につく。

 大学の正門前までやってくると、とある一角に人山が出来ていた。

 一体何だろうと思って月子と真琴は顔を見合わせ、一緒にいた女子部員たちとそこへ向かう。

(あの髪型……もしかして)

 月子はその山の中心人物を見つけ、眉をひそめる。

 彼≠ェこの場にいるなんてありえない。なぜなら今頃は月子の母校である星月学園で教鞭をとっているはずだからだ。

 月子が何も言わず駆け出したので、真琴は声をかけたが、彼女には届かなかったようだ。

「郁!」

 人の中をかき分けて、月子は輪の中心人物の名前を呼ぶ。

「やぁ、久しぶり。元気だった? 月子」

「げ、元気だったけど、どうしてここにいるの?」

「うん、ちょっと用事があってね。ここじゃあ人が沢山いるからほかの場所へ行こうか」

 郁がさっさと歩き始めたので、月子は後ろを振り返り、真琴や他の部員たちにごめんね、とジェスチャーで示して謝る。真琴たちは苦笑しつつ、大丈夫だよ、と月子に返した。

「これからどこに行こうか。この辺は君の方がよく知っているでしょ」

「落ち着いて話せる場所の方がいいよね? だったらカフェとかかな」

 月子は行きつけのカフェがあると言って、郁をそこへ案内することにした。

 

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青空颯斗:月の笑顔を曲に表して

 

 

『クリスマス・イブの日

この時計台の前で会いましょう』

 

 絡まった二人の小指。その小指には見えない赤い糸が固く結ばれている。約束をし終えたのに二人はまだ離さない。小指が名残惜しそうに離れたのはそれから三分後のことだった。

「……しばらく、お別れですね」

「うん。でも、十二月まであっという間だよ」

「あっという間かもしれませんが、僕にとって貴女としばらく触れることができないのはすごく悲しいことです」

「……それは、私も。あなたの顔を直接見て話せなくなるのが悲しい」

 女は悲しげな顔をして言った。

「そんな悲しそうな顔をして言わないでください。僕は貴女の笑った顔を目に焼き付けてウィーンに行きたいんです」

 だから笑ってください、と男は女の頬を両手で包む。そして、彼女の額にキスをした。

「……っ、不意打ちは、ずるいよ」

「それなら、キスをします」

 男は宣言して女の唇に軽くキスを落とす。先程のキスでさえも顔が真っ赤になっていたのに、さらに顔が赤くなっている。

「あなたにこうやってキスをするのもしばらくできませんね……」

「そ、そうだね……」

 もう一度彼女にキスをしようか、と男が思ったとき、タイミングよく、まもなく電車がホームへ入ります、という駅員のアナウンスがあった。

 時間ですか、とつぶやいて男はカバンを持ち上げる。そして、自分を見つめる彼女に、

 

「それでは、行ってきます。月子さん」

 

「うん。行ってらっしゃい、颯斗君」

 

「「また、クリスマス・イブの日に」」

 

 そう告げた彼らの顔には笑顔があった。寂しいけど、見送るときは絶対に笑顔で、というのが二人の間の約束だったから。

 

 二人がそれぞれの道を歩むために再び別れた季節は、大学四年生の、春。

 そして、お互い道が定まり、再会を約束した季節は、その年の冬。

 

* * *

 

「今日はこの辺にしておこうかなぁ……」

 卒業論文を仕上げるため、一日中家のパソコンに向かっていた月子はグっと伸びをしながらつぶやいた。

 そして、パソコン周辺に広がっている資料を全てかき集める。それを整理し、パソコンの電源を切ろうとしてスタートボタンをクリックしようとしたときに、ポコンっという音が響いた。

「颯斗君……?」

 IT技術の発展は偉大なもので、日本にいる月子とオーストリアにいる颯斗はスカイプを通じて時間を気にせず話すことができるようになった。

 しかし、時差を考えなければならないので、話せる時間帯は限られてくる。

『いま、通話しても大丈夫でしょうか?』

「うん、大丈夫だよ。ちょうど一息入れようかなぁって思っていたところだったから。それにしてもこの時間帯に颯斗君から電話をかけてくるなんて珍しいね。何かあったの?」

 颯斗が月子に電話をしてくるのは日本時間で二十一時頃だ。その頃のウィーンはお昼過ぎ。どうやらその時間帯はレッスンから解放され、一人になりやすい時間帯らしい。

 しかし、今の日本時間は十八時だ。日本とウィーンの時差は八時間。つまり。午前十時頃から颯斗は電話をかけてきている。

『実は今日の午前中の講義が休講になったんです。ピアノの練習をしても良かったんですが、今の時間帯なら月子さんが在宅しているだろうと思いまして。電話をかけてみたんです』

「そうだったんだ。颯斗君の予想通り、私は今、家にいるよ?ずっと卒論を書いていたから……」

『おや、そうだったんですか?邪魔をしてしまったみたいですね……』

「邪魔なんかしてないよ。さっきも言ったけど、一息入れようかなぁって思っていたところだから。颯斗君から電話がかかってきてとっても嬉しい」

 颯斗からのこのタイミングでの電話は、先程まで頑張って卒論を書いていた自分のご褒美だ、と月子は思った。

『卒論、ですか……。お疲れ様です。僕は卒論の代わりに発表会がありますからね。それ用の曲を作成するのと練習をしなくては』

「そっか……。颯斗君も大変だね。でも、」

 卒業したら日本に戻ってきてくれるんだよね、という言葉を月子は飲み込んだ。

 月子は颯斗に大学院へ進むことを告げている。しかし、颯斗は月子に大学を卒業したら自分はどうするのかを伝えていない。

 ウィーンへ留まるのか。それとも、日本へ戻って来るのか。それがわからない。

 日本へ戻ってきてくれるなら離れ離れにならず、ずっと一緒にいることが出来るのに、と月子は思う。

(でも、颯斗君は音楽の勉強をもっとしたいって言うんだろうなぁ……)

『月子さん、どうかされましたか?』

 しばらく黙ってしまった月子を心配して颯斗が話しかける。考え事をしていた月子はその言葉で我に返った。

「だ、大丈夫だよ。少し、考え事をしていただけだから……」

『考え事、ですか……。一体どんなことですか?』

「えっ、えっと……」

 まさか、考え事を明かせと言われるとは思っていなかった月子は言いよどむ。

「クリスマス・イブの日を颯斗君とどうやって過ごそうかなぁって思っていたの」

『……そうですねぇ。月子さんはどんな風に過ごしたいと思っているんですか?』

 颯斗は月子が本当に考えていたことを告げていないことに気づいている。おそらく、颯斗に心配をかけまいと思って別の話題を出したのだろう。

(素直に打ち明けて欲しいのに……。僕はまだ頼りない人なんでしょうか)

 そう思いながらも颯斗は月子の話に合わせる。話を聞いていけば彼女が抱えているものが見えてくるかもしれない、と思ったからだ。

 一方の月子は本当に考えていたことを彼に追求されず、ホッとしていた。

「そうだなぁ。キラキラと光るイルミネーションの中を歩いたり、美味しいご飯をいっぱい食べたり……。他にも天体観測して過ごしたり、颯斗君の音楽を聴いたりするのもいいなぁ」

『天体観測って……。月子さんは毎日していることじゃないですか』

「そ、そうだけど……。でも、颯斗君とは毎日天体観測をしていないよ?」

『言われてみればそうですね。それなら、僕が日本に帰って来たときは、星が綺麗に見える場所で、天然のイルミネーションの中、僕が奏でる音楽と共に温かい飲み物と軽い食事を持って二人きりで天体観測をしましょうか』

「うん、そうだね。なら、私はその場所を探しておくね」

『えぇ。よろしくお願いします』

 颯斗がそう言った後、月子の耳にはドイツ語が聞こえた。どうやら、颯斗の友人が話しかけてきたようだ。

 しばらくすると、颯斗がすみません、と謝ってきた。

『友人が話しかけてきて、次の講義の準備を手伝って欲しいと頼まれてしまいました。なので、また後日電話しますね』

「そっか、お疲れ様。颯斗君と話せて良かった」

『僕の方こそ月子さんと話せてよかったです。それでは、また』

「うん、バイバイ。颯斗君」

 月子が言い終えると、颯斗のアイコンはすぐにオフラインに切り替わった。

 

 

 

説明
【C81】に参加します。1日目:東コ51a:SunSilverStarです。
春夏秋冬と大学四年間、そしてとある古文をテーマに七海哉太、宮地龍之介、水嶋郁、青空颯斗と夜久月子のカップリングをつめた短編集となっています/新書・オンデマンド・P114・600円
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タグ
C81 夜久月子 青空颯斗 水嶋郁 宮地龍之介 七海哉太 小説 

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