そらのわすれもの
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そらのわすれもの

 

 12月24日 早朝

 

「智樹っ! アンタ、考え直す気はないの? 今ならまだ間に合うわよ」

 両脇で髪を結った少女の怒気を含んだ声が桜井家の玄関に木霊する。

「血気盛んな同志は既にもう破壊活動を始めている。総大将である俺が動かない訳にはいかないだろう」

 一方、怒声を浴びせられた少年は気だるそうな表情で靴を履きながら少女に返答した。

「そんなの、モテない男たちが勝手にテロを起こしているだけじゃないの! 智樹の指示なんかあったってなくったって、関係なく動くわよっ!」

 少女は智樹と呼んだ少女に再び吼えた。

「それは違うんだ、ニンフ」

 智樹はニンフと呼んだ少女に首を横に振って答えた。

「何が違うのよ?」

「確かに同志たちは俺の直接的な指示など必要としていないだろう。俺が何も言わなくても勝手に動く。それはニンフの言う通りだ。だがな……」

 智樹はニンフの瞳を覗き込んだ。

「俺は、ただの桜井智樹じゃないんだ」

「ただの桜井智樹じゃない?」

 ニンフは首を捻った。

「俺はフラレテル・ビーイングのモテないマイスター桜井智樹。モテない男、女たちのシンボル、希望の光。今日の俺は、モテないという概念と化しているんだ」

 智樹は己を概念であると断言した。

 けれど、その言葉はニンフにとって納得のいくものではなかった。

「そんな訳がないじゃないっ!」

 ニンフは激しく首を横に振る。

「智樹がモテない訳がないじゃないっ! だって、少なくとも私は智樹のことがっ!」

「それ以上言わないでくれっ!」

 智樹は右腕を突き出してニンフの言葉を遮った。

「今日の俺はモテないマイスターなんだっ! それに反する言葉を聞く訳にはいかない。聞いても受け入れられない!」

「でも、それでも私は智樹のことが……だから……」

 ニンフは知らぬ間に目から大粒の涙を流していた。

「そうだな。その言葉の続きは年末にでも聞かせてくれると嬉しいかもな。俺もリア充の仲間入りができるかもな。ははは」

 智樹は笑ってみせた。

 だが、その笑いはニンフをより一層悲しませ、怒らせただけだった。

「智樹の嘘つきっ!」

 ニンフは言葉を激情と共に吐き出した。

「何が嘘つきなんだよ?」

 智樹はとぼけようとした。けれど、ニンフは言葉を止めなかった。

「智樹に年末なんか来る訳がないじゃない。だって智樹は、今日、……つもりなんでしょう?」

 ニンフは俯いた。言葉を最後まで正確に続けることができなかった。

「簡単に……つもりはねえよ」

 智樹は明るく笑った。

「智樹は絶対に……わよ。だって、私たちが本気で貴方を止めるもの。智樹の野望を打ち砕くもの」

「できればニンフにも俺側について欲しいんだがなあ。そうすればみんな幸せだ」

「無理よ」

 ニンフは瞳に涙を浮かべながら断固とした口調で首を横に振った。

「だって、私は智樹と一緒にクリスマスを過ごしたいんだもの。その為には智樹の野望をどうしても叩き潰さないといけない。でも、智樹は……までその野望を捨てるつもりはないのでしょう?」

「確かに俺が生きている限り、フラレテル・ビーイングの理想を捨てるのは難しいなあ」

 智樹は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。

 そのまま沈黙が2人の間を占める。

 どちらも言葉を発せないでいた。

 言えば、何かが終わってしまう。

 それがわかっていた。

 

 そんな2人の沈黙を破ったのは第三の人物の登場によってであった。

「行きたいんなら行かせてあげれば良いのよ」

 家の中から現れたショートカットを髪留めでとめた少女は冷めた瞳で智樹を見ていた。

「でも、智子……」

 ニンフは智子と呼んだ少女に対して戸惑いの声を上げた。

「ニンフちゃんが幾ら止めたってこのバカは絶対に行っちゃうわよ。そういう奴だもの」

 智子は智樹を睨んだ。

「さすがは元々俺と同一存在だっただけはある。俺のことをよくわかってるな」

 智樹はホッとした表情を見せた。

「そういうこと。今日のコイツは何があろうとフラレテル・ビーイングのマイスターとしての行動を優先する。引き止めるだけ時間の無駄だし、辛くなるだけよ」

 智子が容赦のない批判の視線を智樹に浴びせる。彼女がこのように強い嫌悪の視線を向ける唯一の相手が智樹だった。そして智樹はそんな自分を受け入れていた。

「そういう訳で俺はこれから出掛けることにする」

 智樹の言葉を聞いてニンフの肩が1度大きく震えた。そして、力なく肩を落として俯いた。

 それを見て、智子の智樹を見る瞳が更に鋭くなった。

「じゃあ、後のことは智子に任せるさ」

 智樹は笑って2人に手を振った。

「アンタ、相変わらず最低よね」

 智子が智樹に吐き捨てる。

「イカロスとカオスが準備万端の状態で外で待ってるんだよ。いつまでも待たせる訳にはいかないだろ?」

 智樹は再び笑ってみせた。

「2人も巻き込むの?」

「一応2人とも自主的な志願の形態なんだぜ。俺が強制している訳じゃないさ」

 智樹は智子の追及を軽く受け流した。

「俺を止めたいのなら、最強のエンジェロイド2人と空中要塞という障壁を突破してもらわないと困るという訳だ。まあ、頑張ってくれ」

「言われなくても、智樹の元まで到達して……アンタを殺してあげるわよ」

 智子は智樹に断言してみせた。

「武力介入対象ではない智子に殺されるのはちょっと微妙なのだが……まあ、精々頑張ってくれ」

 智樹は玄関の扉に手を掛けた。

「あっ……」

 ニンフは智樹に向かって手を伸ばす。

 けれど、その手は智樹に届かない。

 言葉が上手く掛けられない。

 ニンフは己の無力さを感じずにはいられなかった。

 そして──

「……準備は全て整っています。マイ・マスター」

「……いつでも行けるよ、お兄ちゃん」

 玄関を開けた先に、鎧に身を包み大きな白い羽を持つ赤い瞳の少女と、修道服の身を包んだ、時計の針のような形をした羽を持つ黒き瞳の背のすらっとした少女の姿を発見した。

 更に少女たちの上空には空中要塞と呼ぶのが相応しい巨大な砲艦がステルス迷彩を施された状態で浮かんでいるのがレーダーを通して見えた。

「本気、なんだ」

 ニンフが必死に喋ろうとした末に紡ぎ出された言葉がこれだった。

「ああ」

 智樹はニンフに背を向けたまま答える。

「バカっ」

「大バカで……ごめんな」

 その言葉を最後に智樹は玄関を出た。

「行くぞ。イカロス、カオスっ!」

「……イエス、マイマスター」

「わかったよ。お兄ちゃん♪」

 そして最強のエンジェロイド2人に両脇を固められながら上空へと飛び立っていった。

「智樹の大バカぁあああああああぁっ!」

 床に座り込んで涙を流すニンフ。

 そんな彼女を横目で見ながら智子は空に向かって小さく舌打ちした。

「本当、大バカよ……」

 空美町の空は雲ひとつなく澄み切った青を見せていた。

 

 

 

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 12月17日 昼

 

 モテ男撲滅の為の武力介入組織フラレテル・ビーイングの破壊活動は近年日本全国でよく知られるようになっていた。

 それに伴い、モテない男女のテロ活動への参加と、これを撲滅せんとする公権力組織、自衛組織の拡充が急速に進展した。

 それに伴いフラレテル・ビーイングの活動は当初、空美町や雛見沢村などごく限られた一部の地域のみで発生していたが、現在では全国各地で活動が行われている。

 フラレテル・ビーイングのテロ活動は社会統合に深刻な悪影響を及ぼす事件と認識されるようになっていた。

 政府や地方自治体では、フラレテル・ビーイング活動員に対する厳罰を追及するだけでなく、一般人に対する啓蒙活動を重視するようになった。

 フラレテル・ビーイングに対する社会の共感を減らすことにより、彼らの行動を間接的に封じ込めようとしたのである。

 啓蒙活動の一環として、フラレテル・ビーイングの活動が如何に意味のないものであるのか描いた官製映画が大量に製作されるようになった。

 フラレテル・ビーイングが反社会的な存在であるのみならず、その活動には何の意味もないことを示すことで、モテない者たちがフラレテル・ビーイングに興味を持たないように仕向けたのである。

 全国の国公立小中学校では啓蒙映画の鑑賞が奨励されるようになっていた。多い地域では月に1度の鑑賞が学校単位で義務とされた所もあった。

 フラレテル・ビーイングの活動が盛んな福岡県空美町でも、それは同様であった。

 

 智樹は貴重な週末を映画鑑賞に潰されていることに大きく腹を立てながら、大スクリーンを眺めていた。

 今回空美学園の生徒たちが鑑賞しているのは、雛見沢村で昨年度起きた悲劇を扱った作品だった。

 

 

 

 

自称ビッグな小物の遠吠える頃に

監督:トミー・竹次郎

 

「富田指令。緊急のご報告があります」

 冬休みに入ったばかりの雛見沢分校校舎の2階へと20代の前半の青年が駆け上がりながら述べる。

「どうした? 大事な蜂起を前に騒がしいですよ」

 青年の報告に声を返したのは、子供と呼んでも差し支えがないほどまだ幼い面影を残したメガネの少年だった。

「富竹参謀総長が、フラレテル・ビーイングを離脱。リア充側に回りました」

「何、だとっ!?」

 それは富田にとっても予想外の事態ではあった。

 だが、フラレテル・ビーイングでは決起を直前にして組織から離脱する者が多いのもまた慣れた事実ではあった。

「何故参謀総長は組織を抜けたのです?」

「富竹参謀総長は、古手家の幼頭首である古手梨花と熱愛の果てに駆け落ちしたとのことです。何でも、富竹参謀長は古手梨花より猛アタックを受けた末に遂に陥落したそうです」

「あの女狐めぇっ! よりによって雛見沢で最もピュアな心を持つ富竹参謀総長を誑し込むなんてぇっ!!」

 富田は机を思い切り両手で叩いた。大きな音が分校内に鳴り響く。

「富田指令。富竹参謀総長に対する追討命令は?」

 富田はしばし上を向いて考え込んだ。そして、窓の外を向き直しながら答えた。

「いや。今は捨て置きましょう。僕たちは目標を見誤ってはならない」

 富田は窓の先にある、木々に囲まれたとある方向をジッと見ていた。

「僕たちフラレテル・ビーイング雛見沢部隊にとって最大の武力介入対象は前原圭一です。前原先輩を打ち滅ぼす為に僕たちは全力を尽くさねばならないのです」

 富田は前原屋敷がある方角を見据えたまま睨んだ。

 

「ハァハァ。富田くん、よく言った。ハァハァ」

 突如、荒く息を繰り返す少年の声が室内に響き渡った。

「岡村副指令」

 青年は富田と同世代に見えるぽっちゃり体型の少年に直立不動の姿勢で敬礼を取った。

「ハァハァ。僕たちにとって最大の敵は前原先輩。古手に万一流れ弾が当たるような事態になっては大変」

「ははは。まあ、古手大好きの岡村くんにとってはそうだろうね」

 富田は岡村に向かって微笑んでみせた。

「でも、良いの? このまま放っておくと、古手は富竹参謀総長と結婚しちゃうんじゃないかな?」

「ハァハァ。古手が幸せになれるならそれで良い」

 岡村は息を軽く吐き出した。喉の奥から出掛かった何かを飲み込む表情を見せた。

「それで岡村くん。ここに来たということは何か重大な用事があったのではないのかい?」

 富田が尋ねた。

「ハァハァ。うん。今年の雛見沢蜂起に参加する1万人のモテない男たちが雛見沢に到着した」

 岡村の報告とほぼ時を同じくして、富田の視界には雛見沢分校の敷地へと足を踏み入れてきた、行軍して来る男たちの群れをみつけた。

「1万人か。なるほど。ほぼ予想した通りの規模だね。で、練度は?」

「小此木部隊長が軍事教官として全国を転々としながら鍛えていたから、そこそこは望めるはず」

「それは、頼もしいね」

 富田は前原屋敷のある方角をジッと睨んだ。

「前原先輩……貴方の最期も近いようですよ。北条……君をようやく悪逆非道の鬼畜から解放することができるよ」

 富田は空を見ながら笑った。

 

 

「圭一さん。俺はビッグだビッグだばかり言っていないで、少しは働いて家にお金を納めてくださいまし」

 雛見沢分校に通う若妻前原沙都子(旧姓:北条・プリティー・沙都子)は夫であり、同じく雛見沢分校に在籍する前原・ビッグ・圭一に注意した。

 冬休みに入ったというのに夫は働きもせずに、昼間からテレビを見ながら嘲笑を繰り返していた。

 学生結婚を果たした沙都子と圭一にとって、長期休暇は絶好の稼ぎ時である。だが、圭一は少しも働こうとする素振りを見せなかった。

「おいおいおい。何を言ってるんだ沙都子?」

 圭一はテレビ画面を向いて寝転がったまま煎餅を齧りながら答えた。

「俺は世界一ビッグな男なんだぜ。いずれ月収10億も夢じゃないっての」

 圭一はテレビを向いたまま笑っている。

「だってよぉ〜。この程度のネタしか披露できないお笑い芸人が日本一の称号を得られるんだぜ。ビッグな俺が芸人として出場すれば優勝は間違えないって。もう、仕事のオファーき過ぎで整理する人間を10人は雇わないとな。へへっ」

 沙都子が圭一の顔を覗き込んでも彼はまだ笑っていた。

「そういうのはお笑いコンテストで1度でも優勝してから言ってくださいまし」

 沙都子は結婚してから、圭一のトークが面白いとは思わなくなっていた。

 圭一は基本的にその場のテンションに合わせて言葉のマシンガンを炸裂させる。

だが、マシンガン・トークの勢いに慣れてしまうと別に大したことは言っていないことに気付いてしまう。あくまで圭一の話術の生命線は勢いで、慣れられるとダメなのだった。

 そして圭一はお笑いコンテストで求められるような、1日の内に異なるネタを複数回披露するという能力に欠けていた。そもそも圭一はマシンガン・トークを炸裂させる割にネタの収集、整理が非常に不得意だった。

 だから沙都子は圭一がお笑い芸人になれるとは考えていなかった。気分が乗った時に面白い話を披露する一般人の域を超えられないと。

「ヘッ。小さなコンテストに出ても俺の勝ちは目に見えているからな。出たって仕方ねえさ」

 圭一はコンテストへの参加を拒否する。

 それは圭一が無意識であれ、自身がお笑い芸人として向いていないことに気付いているからではないかと沙都子は考える。

 コンテストで敗北してしまえば、圭一はこれ以上芸人としての自分を確立できなくなってしまう。

 そうなれば、芸人になるからという理由で働いて来なかった自身の生活を改めなければならなくなる。

 劣等感を植え付けられた上で、圭一自身がバカにしてきた地道な職業に就かなければならなくなる事態を圭一は恐れている。

 それを沙都子は妻として敏感に感じ取っていた。

 だが、今日沙都子が本当に圭一に尋ねたいことは他にあった。

 

 

「北条……僕からのクリスマスプレゼントをちゃんと受け取ってくれたかな?」

 富田はメガネの奥の瞳を鋭利に細めながら前原屋敷を向いて微笑んだ。

「ハァハァ。クリスマスプレゼント?」

「ああ。悪のリア充に天罰が下るように神様からの報告ってやつだね」

 岡村には富田の言葉の意味がわからない。けれど、富田は楽しそうに前原屋敷の方角を見ていた。

 

 

「ところで圭一さん。お伺いしたいことがありますの」

「何だ?」

 圭一はテレビを見ながらやる気なく返答した。

「先週の土曜日の件に関してですわ」

 圭一の背中がビクンと跳ね上がった。

「な、ななな、何のことだよ?」

 圭一は急に立ち上がった。

「先週の土曜日、圭一さんは亀田さんの野球の練習試合を見に行くと興宮に出掛けましたよね?」

 沙都子の疑問を聞いた瞬間に圭一の体がまた大きく跳ね上がった。

「あ、ああ。も、もう、亀田くんの力投が凄かったんだぜ。相手打者を全員三球三振。か、完全試合だったんだぜ!」

 圭一は額からダラダラと汗を流しながら必死に先週の出来事を述べる。

「実はわたくし、今週に入ってこんなものを匿名で頂きましたのよ」

 そう言って沙都子が圭一に見せたのは数枚の写真だった。

「こっ、これはぁ〜〜〜〜っ!?」

 圭一が体をガタガタと振るわせた。

 写真に写っていたもの。

 それは──

「圭一さん。羽入さんと2人きりでエンジェルモートのお食事は楽しかったですの?」

 圭一と羽入の密会現場だった。

 写真の中で圭一は羽入と2人で楽しそうに食事していた。その写真の壁には先週の土曜日を示す日付が描かれている。

 更に2枚目の写真では、圭一の頬にキスをする羽入がばっちり撮られていた。圭一はだらしない笑みを浮かべていた。

 それはまさに圭一の浮気の証拠写真に他ならなかった。

「こ、こんなものは合成だっ! 陰謀だっ! 誰かが俺を貶めようとしているんだぁああああああぁっ!」

 圭一は首を横に必死に振りながら浮気を否定した。

 その態度を見て、沙都子の瞳が急に鋭くなった。

「素直に認めれば、まだ情状酌量の余地もあったのですがね……」

 沙都子が非難の視線で圭一を睨む。

「ですが、認めないのであれば仕方ありませんわねっ!」

 怒る沙都子を見て圭一は失禁しながら震える。

「違うっ! 俺は浮気なんてしてないぞっ! こんなでっち上げの写真以外に証拠がないじゃないかっ!」

 証拠写真をでっち上げと呼び、徹底抗戦の構えをみせる圭一。そんな夫の態度が沙都子には悲しかった。

「圭一さんの浮気を信じたくないのはわたくしも同じです。だから、この写真が真実でないことを証明しようと色々頑張ったのですのよ……」

 沙都子の言葉を聞いて圭一の顔から血の気が引いて真っ青になっていく。

 唇をワナワナと震わせるだけで言葉が出なくなっていく。

 口先の魔術師は逆境にかなり打たれ弱かった。

「まず、先週の土曜日のことを尋ねた所、亀田さんは野球の試合はなく、圭一さんには会っていないというお話でした」

 圭一の視線が不自然なほど左右を行ったり来たりする。

「そして、写真に写っていた羽入さんにお話を聞いた所……圭一さんとの密会を認めましたわ」

 圭一の顎が下りて口が半開きになった。

「羽入さんは『僕はビジネスライクの女なので、シューさえ奢ってくれるのなら圭一とデートするのも何でもないことなのです』とごく平然と言っていましたわ。そして『圭一がシューを6つ奢ってくれると言ったので約束通りにほっぺにチューもしてあげたのです』とも言っていましたわ」

「あ、あああ、あああああ……」

 圭一の視線はリビングを出る扉へと集中していた。

「これでもまだ浮気を認めませんの?」

 沙都子が背伸びしながら圭一へと顔を近づけた。それは構図的には上目遣いとなるが、怖い瞳で睨んでいるので圭一にとっては生きた心地がしないものだった。

「すっ、すまん。俺が愛しているのは沙都子だけだ。ただ、ちょっと魔が差しただけなんだぁ〜〜〜〜っ!」

 圭一は沙都子を避けてリビングの外へと向かって駆け出した。

 だが、そこで悲劇が起きた。

「うわぁあああああああああああぁっ!?」

 圭一は自身が食べ散らかしたバナナの皮に足を滑らせて思い切り頭から転倒した。

 そして──

「やっぱり浮気は良くないよな……ガクッ」

 頭を強打した圭一は永久の眠りについた。享年1×歳だった。それはあまりにも唐突に圭一に訪れた悲劇だった。

 

 

「申し上げますっ!」

 伝令役の中年男性が駆け上がって2階へと登ってきた。

「どうしたのですか?」

 富田のメガネが光を放った。もしやという予感がした。そして、その予感は当たった。

「我らが最大の怨敵、ハーレム王前原圭一が浮気がばれて逃亡中に不慮の事故死をしたそうです」

「本当か?」

「前原沙都子が圭一の死体を生ごみとして出した所から間違いない報告だと思います」

 富田は両手を高々と突き上げた。

 そして、窓を開けて眼下の男たちに告げた。

「我々は悪との戦いに勝利したっ! 悪のハーレム王、前原圭一は死んだっ!」

 1万人の男たちが一斉に歓喜の声を上げた。

「今日という日を、クリスマスを清く正しく過ごしたい我々の聖なる日としようではないかっ!」

「異議なしっ!」「異議なしっ!」「異議なしっ!」「異議なしっ!」

 男たちは人類最大級の悪、前原圭一を打ち滅ぼしたことで涙を流しながらの感動の渦の中へと自らの意識を没入させていった。

「今日僕たちは歴史的な大勝利を収めた。今宵は夜を徹して勝利を祝おうじゃないかっ!」

「お〜っ!」「お〜っ!」「お〜っ!」「お〜っ!」

 1万人の輪ができる。

 男たちの祝勝会は、雛見沢分校にN2爆雷が投下され、集まっていた全員が一瞬で塵と化すまで続いたという。

 

 了

 

 

 

「フラレテル・ビーイングって本当にバカの集まりよね〜」

「モテ男を僻むしかできなくて、何の戦果もあげられなくて、しかも滅びる瞬間まで自分の愚かさに気付かないなんて。あんなバカが日本にまだ沢山いると思うと恥ずかしいわ」

 元々フラレテル・ビーイングに対して否定的だった女子生徒たちは映画を見て、彼らに対してますます嫌悪感を抱くようになった。

 一方で智樹の感想は違った。

「こんな映画を見せられたら……フラレテル・ビーイングの活動を活発にしてくれと言っているようなもんじゃないか」

 智樹が心惹かれたのは、フラレテル・ビーイングの無力さ無様さではなく、彼らの背負う哀愁だった。

 男たちが一斉蜂起を実現せざるを得なかったその悲しみとやるせなさを感じずにはいられなかった。

 俺たちは去年雛見沢で散った男たちの後に続かなければならない。そう思わせる何かが映画には存在していた。

 実際に映画を見た空美学園の男子生徒の3割ほどは俯きながら拳を強く握り締めていた。

「今年のクリスマスは福岡に血の雨が降ることになるな」

 智樹はこの映画が蜂起を訴えているようにしか見えない。いや、そう見えてしまうモテない男たちを選別し、彼らに自覚を持たせて戦場へと送り出してしまう映画なのだ。

 フラレテル・ビーイングとは元々万人に受ける組織ではない。幸せの輪の中に入ることができず、それを妬み怒ることでしか解決を図れないごく一部の歪んだ魂の持ち物のみが心惹かれる組織だった。

 そう。最初から選別が重視される組織だった。

「さすがは世界の大巨匠トミー・竹次郎だな。エゲツねえ映画を作りやがる」

 智樹の額から汗が滴り落ちる。見たこともない映画監督の不気味な意図が恐ろしくてたまらない。監督自らフラレテル・ビーイングの一員なのではないかと疑ってしまう。

 そして、空美学園の男子生徒のフラレテル・ビーイングに対する想いが募っていくのを見ると智樹もまた焦燥感に駆られていった。

 自身が何をなすべきなのか。

 それを考えると額から汗が止まらない。

 

「バカなことは考えないでね」

 突如、背後から声を掛けられた。

「智子……っ」

 振り返れば、自分の半身とも言うべき存在智子が立っていた。智子は全てを見透かすような瞳で智樹を見ていた。

「貴方にはあの子たちがいるんだから。アンタはモテない男の夢なんか見ちゃいけないのよ」

 智子は視線を映画館の入口へとずらす。

「智樹〜っ」

 そこには手を振るニンフの姿があった。更にその後ろにはイカロス、アストレア、見月そはら、風音日和の姿があった。

 彼女たちはみな智樹に向かって手を振っていた。

「智樹……忠告はしておくわ。貴方はモテない男なんかじゃない。貴方はリア充の中のリア充。ハーレム王桜井智樹なのよ」

 智樹は智子から視線を外した。

「モテ男の貴方がフラレテル・ビーイングの夢を見ることがどんなに罪深いことか。よく考えなさい」

 智子はひとりニンフたちが待つ出口とは反対側の出口から劇場を後にした。

 智樹は智子の背中を無言のまま見送っていた。

 

 

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12月17日 夕刻

 

 映画からの帰り道、智樹はニンフ、イカロス、アストレア、そはら、日和と共に川原沿いの道をゆっくりと歩いていた。

「ねえ、智樹。1週間後のクリスマス兼私とアルファの誕生日パーティーの話なんだけど」

「あ、ああ」

 ニンフに質問を受けるものの智樹は心ここにあらずの状態だった。

「智樹はどんなパーティーにしたいの?」

 ニンフは楽しそうに笑った。

「あ、ああ」

 智樹の生返事にニンフが気付いて膨れる。

「ちょっと。真面目に聞いているの?」

「あ、ああ」

 何を聞いても同じように返答する智樹にニンフの頬が膨らんだ。

「聞いてるの、智樹っ?」

 ニンフが智樹の頬を思い切り引っ張った。

「痛てててぇっ!?」

 ようやく智樹の目がニンフを捉える。

「あ、ああ。悪かった」

「どうせまた、エッチなことでも考えてたんでしょう?」

 ニンフが細めた非難の瞳で智樹を見る。

「エッチな、ことか」

 智樹はそはら、アストレア、イカロス、日和を順番に見ていった。ニンフは見ない。

「今の視線の動き方、どういう意味よ?」

 ニンフの表情が怒りに満ちていく。

「別に」

 智樹は沈みゆく太陽を見る。

「智樹が胸の大きさ順に女の子を見ていったことはわかってんだからね!」

 ニンフが抗議の声を上げた。

「そんな些細なことは気にするな。それに、俺は別にエッチなことを考えていた訳じゃねえよ」

 智樹はニンフの頭を撫でた。

「じゃあ、何を考えていたのよ?」

「それは……」

 智樹はしばらくの間黙った。

「1週間後のパーティーの話だったな」

「何か話を誤魔化された気がする」

 智樹はより強くニンフの頭を撫でた。

「1週間後のパーティーの主役はニンフとイカロスだからな。2人の意見を最優先するべきだろう。お前らの希望はないのか?」

 質問を逆に聞き返されたニンフが驚いた表情を浮かべる。

「えっと、私は、智樹と一緒に楽しく過ごせるのなら、別に、そんな希望とかは……」

 ニンフはイカロスの方を向いた。

「……私は、マスターの望みのままに」

 イカロスの答えは非常に簡潔にして鮮明だった。躊躇いが見られない。

 イカロスの回答を聞いて智樹は考える。そして、ふと頭に湧いて出たことをそのまま口にしてみた。

「じゃあさ、お前たちはどんな時でも俺に付き従ってくれるか? ずっと」

 何故そんな質問をしたのか智樹はよくわからなかった。

「そ、それって……プロポーズのつもりなのぉ〜〜〜〜っ!?」

 驚きながらニンフが後ろに引いた。

「あ、アンタが私にプロポーズなんてまだ10万年早いわよ。もっといい男になってから言いなさいよね。そ、そしたら考えてあげないこともないから……」

 俯いたニンフの顔は真っ赤だった。

「……私は常にマスターと共にあります。それが、私の望みでもあります」

 イカロスは智樹に付き従うことを自分の意志と述べた。

「お前たちは?」

 アストレア、そはら、日和を見る。

 3人は一様に下を向いて頬を染めた。

「だ、誰が智樹みたいなヴァカに一生付き従うってのよ。そういうのはご飯をいっぱい食べさせてくれるぐらい稼いでから言いなさいよね」

 アストレアの顔はこれ以上ないぐらいに真っ赤だった。

「智ちゃんがエッチなイタズラをやめてくれるなら、その、考えても……」

 そはらの顔もアストレアに負けないぐらい染まっていた。

「桜井くんが弟たちのことも合わせて面倒を見てくださるのなら……」

 日和も夕焼けよりもまだ赤い顔をしていた。

「……なるほど。無条件で付き従ってくれるのはイカロスだけ、か」

 智樹は誰にも聞こえない小さな声で呟いた。そして呟いてから気付く。何故自分があんな質問をしたのかその意図に。

「イカンイカン」

 智樹は首を横に振った。

「1週間後は楽しいパーティーにしような」

 智樹はニンフたちに向かって優しく微笑みかけた。

 その笑みが不自然であることに少女たちは気付いていた。

 だが、何がどう不自然であるのか説明できる者はいなかった。

 そしてその笑みの不自然さを追及できる者もまたいなかった。

 

 

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12月18日 昼

 

 日曜日。

 智樹は大量の郵便物を投函するとその足で川原を歩いていた。

 すると、いた。

 寒空の下で学生服姿で釣り糸を垂らしているメガネの男が。

「守形先輩」

 守形と呼ばれた男は振り返って智樹を見た。

「智樹か」

 守形は釣竿を離さないまま智樹に返答してみせた。

「ちょっと先輩にお聞きしたいことがあって」

「力になれるかどうかはわからんが、言ってみろ」

 守形は視線を釣り糸の先の浮きへと向け直した。

「どう説明すれば良いのか俺も迷ってるんすけど……自分の生き方とか進む道についてでしょうか?」

 守形が垂らしている浮きが揺れた。

 けれど、魚が掛かった様子はなさそうだった。

 それから数十秒が経過して守形は口を開いた。

「智樹」

「はい」

 智樹は唾を飲んだ。

「俺は、バカなんだ」

「はい。えっ?」

 智樹は驚いた表情で守形を見る。

「何を言ってんすか? 先輩、今すぐ大学だって余裕で入れるぐらい頭良いじゃないですか?」

「それは単に知識の多さを示しているに過ぎない。俺が自分をバカだと断じている理由はもっと別の所にある」

 智樹と守形の間を一陣の風が吹き抜けていく。

「智樹は今の俺の生活スタイルを見てどう思う?」

「川原でテント生活。ワイルドっすね」

 そうとしか答えようがなかった。

「別に俺は生まれてこの方住む家がなかった訳ではない。守形の屋敷は豪邸の部類に入るだろう。だが俺はそこを自分の意志で出てこの川原に住んでいる」

 守形は瞳を細めて水面を見ている。

「智樹は新大陸と豪邸の暮らし。どちらが人生により必要だと思うか?」

「新大陸ってシナプスのことですか?」

「そうだな。お前はシナプスにあまりにも深く関わり過ぎているのだったな」

 守形は一呼吸置いて息を吐いた。

「イカロスたちと知り合う前のお前の状態で、シナプスについて何も知らないと仮定したら?」

 智樹は僅かに俯いて考えた。

 いや、考えるまでもなかった。

「そりゃ、豪邸での暮らしでしょう。豪邸でなくて普通の暮らしでも、そっちを守る方が重要でしょう」

 智樹は答えた。そもそも、何故守形がこんなにも新大陸に夢中になっているのか智樹はいまだに理解できない。

 智樹にとってはシナプスの謎に迫るよりも、桜井家での平和な生活の方が遥かに重要だった。

「普通はそう考えるよな。いや、そう考えられる者が正常な思考の持ち主なのだろう」

 守形は一度竿を引き上げ、再び釣り針を水面へと放り投げた。

「俺にはその正常ができない。だからバカなんだ」

 浮きが水面に当たり、ポチャンと音を立てた。

 

「こだわり……ってヤツですよね」

「そんなぬるい言葉で済ませて良い問題ではない」

 智樹の言葉に対して守形は首を横に振った。

「俺の現在のこの有様を見ろ。いつ飢え死ぬかもしれんしいつ凍死するかもしれな。病に掛かれば病院に通う金もなく満足な布団も着替えさえもない。俺の生活は死と隣合わせだ」

 守形の言葉は妙にサバサバしていた。

「にも関わらず、俺は新大陸に対する執着を捨てていない。いや、むしろこのサバイバル生活を始めた時よりも増している。死を危険性を自ら手繰り寄せているのだ。他の者から見れば何の興味も惹かない対象にだ」

 守形は視線を釣り糸から智樹へと向け直した。

「こんな俺はこだわりがある人間ではなく……ただのバカに決まっている」

 智樹と守形はジッと見詰め合った。

 そして、そのまま1分ほどの時が過ぎて智樹は口を開いた。

「俺も、バカなんですよ」

 智樹は頭をポリポリと掻いた。

「学力も、生き方も、色々バカなんです」

 智樹は照れ笑いを浮かべた。

「俺と智樹は同じバカなのかもしれない。けれど……違う点がある」

「違う点?」

「俺は、独り身という特権を生かしてバカをやっている。最悪、俺が死んだ所でそれは俺のバカに過ぎない」

 守形はまた自分の死の可能性についてサバサバした口調で述べた。

「先輩には会長がいるじゃないですか?」

 守形は一瞬口篭った。だが、一瞬後にはまた鉄面皮な元の表情に戻った。

「美香子は俺の生き方には干渉しない。黙って見ている」

「会長も肝心な所で押しが弱いというか……乙女やってんだなあ」

 智樹が呆れたように息を吐いた。

「とにかく俺は独り身だから十分にバカをやっていられる。だが、お前は違う」

「そ、それは……」

 智樹が口篭った。

「お前がバカを続けるか続けないかはその辺をよく考えるんだな」

 守形は再び竿を引き上げ投げ返した。

「…………先輩。俺は先輩が無条件で俺のバカを止めると思っていました」

「俺がバカなのだから、お前のバカを一方的に糾弾できる立場にいる訳がないだろう」

 守形の視線は水面を向いたままだった。

「先輩は、俺を止めてくれますか?」

「やはり、答えは最初から出ていたのだな?」

 守形は軽く溜め息を吐いた。

「いや、そういう訳でもないんですけどね。相談している内にああやっぱりという結論に至っちゃいまして」

「コレは後で俺は切腹モノかもしれんな」

 守形は魚の気配を感じ取り、慎重に浮きの動きを確かめる。

「切腹する為には……それまで生き残ってくれないとダメっすよ」

「智樹には俺が窮地に陥るような真似を止めるという選択肢はないようだな」

 タイミングを見計らい釣竿を上げる。

 パシャンと大きな音を立てながら水面から1匹の魚が姿を見せた。

 守形は今日の夕食と巡り合った。

「今回の俺は本気のバカですから……先輩も本気になってくれないと切腹まで身が保ちませんよ」

 守形がその魚を左手に掴んだ時、智樹の姿は既になかった。

「本気なのだな……智樹」

 その時守形の脳裏に過ぎったのは後輩の少年の顔ではなかった。自身が新大陸と呼び、探求の対象としている空中の大地から降りてきた少女たちの泣き顔だった。

「こだわりを通り越してバカ。本当に俺とお前は同じなのだな」

 だが、智樹はそう言いながら首を横に振った。

「俺と智樹では持っている人望がまるで違うな」

 智樹が“バカ”をすることによって、果たしてどれだけ多くの人間やエンジェロイドたちの人生が変わってしまうのか。

 それを推測することさえ守形には困難だった。

 福岡にも雪が舞い散ろうとしていた。

 

 つづく

 

説明
水曜定期更新のショートストーリーに変えて、クリスマス。
長いんで第一話目

さあ、クリスマスだ。
心を込めて祝おうじゃないか。愛で地球が満たされますように。
最終章 そらのわすれもの

フラレテル・ビーイング本拠地の空美町のお話と最大の激戦地のひとつである冬木市の物語はもうちょっと時間が掛かります。

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コメント
守形先輩の新大陸への執念は本当に謎ですよね。二人とも真面目な雰囲気なのに、その内情を思うとシュールにしか見えません。(tk)
智樹、お前のやっていることはバカではない、死に場所を探している人間のやることだ!(BLACK)
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