てんにょ
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1 旅路

 

 

あの夏の空に舞ったのは、キミの白いショール。

 

 

ある夏の日の未だ暗い朝に、私は車を西に走らせていた。

高速道路のオレンジ色のライトが、先まで照らしていたが

下り方向の車は見当たらなかった。

助手席に座った息子の正吉はあくびを繰り返していたが

涙目の目を見開いていた。

初めて見る光景に、少し興奮しているのだろうか。

 

オレンジライトに照らされたトンネルに入ると

正吉はテレビの戦隊ヒーローの唄を歌いだした。

「だってスーパーレンジャーの基地の中みたいだもん。

ここからスーパーファイターが飛んでいくんだ!」

 

おもえば初めての男同士の親子旅。

「あ〜ぁ、カヨコせんせいも一緒に来てくれればなぁ」

ここのところ、色気づいてきた我が子は卒園した保育園の

先生のことを今も慕い続けている。

 

カヨコ先生のこと、いまでも好きか?

「うん。びじんで、きれいで、やさしいから。」

そうか。

「おとうさんも好きだろ?カヨコせんせいのこと。」

あぁ?あぁ、きれいな人だったな。

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正吉はカヨコ先生が好きだったという歌を歌いはじめた。

 

うさぎおいし かのやま

 

こぶなつりし かのかわ

 

ゆめはいまも めぐりて

 

わすれがたき ふるさと

 

なぜ出かけるのかと言えば。

マンションに囲まれて空の無い環境から、連れ出したかった。

ひと目の無い場所に赴き、喧騒から開放されたかった。

正吉にはふるさとは無いが

人間、こころのどこかにふるさとが欲しいものだ。

我が子にも。せめて、ふるさとの思い出を、作ってやれたら。

 

そう思ったのだ。

あぁ、勿論、正吉が小学校で書いた「富士山」の絵を見たことも大きい。

いままで見たことの無い筈の富士山を描ききっているのには驚いた。

 

写真やテレビでは見ているのだろうが。

青と黒のクレヨンで描かれた富士山。

冠雪は、紙の白地を残していた。

そして、手前には、海が青と緑のクレヨンで描かれていた。

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富士山と海。

その両方を、正吉は今まで見たことが無い。

せめて本物を見せてやりたい。

そう思ったのだ。

 

その両方が一度に見えるところは、たくさんあるが。

幸運にも、私には、そういったところに行った経験がある。

経験?いや思い出。

ここ数年、思い出すのもやめていた、思い出。

いまも当時のままなのだろうか。

 

しかし、特に目的地も決めないまま。

とりあえず、富士山と海を見よう。

そんな旅のはじまりだった。

 

アクセルを踏み込み、スピードを速めて。

流れてゆくセンターラインとオレンジライトは、

まるでテレビの「スーパーレンジャー」のタイムマシーンのように。

過去の思い出を徐々に呼び起こしていくようだった。

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2 記憶

 

 

それは、もう色褪せたセピア色の記憶。もしくは、記憶と歴史の狭間。

 

 

私がエリと初めて会ったのは、夏の日だった。

何の気なしに、東名高速を西に向かい、途中のインターに何の気なしに降りて

何か、風景を求めていた。

思い起こせば、買ったばかりのデジカメを

持って、仕事の合間の休みに富士山でも撮ろう、と。

 

かつて見たガイドブックの記憶だったのだろうか。

倉庫街を抜けて松林の間の道を走り、道の無くなったところに

松の木に覆われた未舗装の駐車場があって。

防波堤を登ると、そのむこうは小さなジャリ浜。

寄せては還す波の向こうには駿河湾が広がっていて。

 

出来過ぎの絵のように。

または、アマチュアながらカメラマンの端くれとしては

ちょっと気恥ずかしくなるほどの富士山が、真正面に位置していた。

勿論、ここからの一枚を撮らずにはおれないと

ファインダーを覗きこみ、シャッターをきる。

まるで絵葉書のような。美しくはあるが、自我の表現の無い一枚。

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プログラムモードがなんたら・・わけのわからない機能に躊躇しながら

自我の表現を求めて、アングルを変えて、そのうちにジャリ浜に

打ち寄せる波を目で追いかけて、ズームインとアウトを繰り返し

波打ち際を目で追って、シャッターを切り続けていて。

ひと気の無いジャリ浜、打ち寄せる波。

 

そのうちに、アングルに突然に割り込んできた白いワンピースの女性。

白い日傘をさし、片手に靴を持ち、波打ち際を裸足で歩いてゆくその後姿が。

最初は、どうも気になって外して撮っていたのだが

どうも外しきれない・・いやそれがあまりに必然な構図に思えて。

知らない人の写真はさすがに気が引けるんだけど。

 

あまりに必然な構図に、

ファインダーで、その女性の後姿を追い続けているうちに。

そのうち、ファインダーから目を離して、女性を追った。

別にストーカーとかそういう気持ちは無かったけど。

足早に日傘の女性のあとを。ジャリ浜の上を足早に。

 

声をかけるでもなく

「あの・・」

振り返った日傘の女性は、不思議そうな顔で。

その整った端正な顔に、思わず心臓が高鳴ってしまって。

続ける言葉を探し、視界の隅々まで探し「この先立ち入り禁止」

の看板を見つけて。

「そっちは危ないみたいですよ・・。」

 

「ごめんなさい、私、この浜辺の隅々まで見てみたくなって」

耳障りの良い声が、波間に聞こえて。

「波打ち際を歩いていたら、風でショールが飛んでしまって。」

見上げると、海風にあおられ、

海上をたゆたうように宙に舞うショールがあった。

 

それを追いかけて・・・?

「靴が壊れてしまって・・・。」

かかとのとれた靴を片手に。

「あ、ボク、いや私、近くまで車で来てますんで、送りましょうか?」

「いや、へんな気なんて無いです・・いや、ほんと」

 

焦れば焦るほど。しどろもどろになる私の言葉に

白い日傘の女性は、白い歯を見せて微笑んだ。

彼女は、近くの民宿に泊まっていて、そこまで送ることとなった。

エリとはそんな出逢いだった。

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3 追憶

 

 

それはモノクロームな記憶。

 

 

エリとはその後、なんどかメールのやり取りをして親しくなり

勤め先が近くだったこともあり、デートを重ねて。

ふたりとも親がいなかったこともあって。

同棲。そして、結婚。

数年して、妊娠。

すべてが順調だった。

 

エリは、母親になるべく体調を整えた。

私は、父親になるべく心構えを新たにした。

我が子の性別がわかると言われたが、二人とも遠慮した。

「男の子なら正吉」

そう二人で決めた。

字画とか運勢とか、いろいろと調べたりして。

なぜか二人とも古風な名前に憧れていたから。

 

医者の言葉は、私を絶望させた。

母体と赤ん坊のどちらかを選べと。

出血の止まらないエリの体を案じ、私は母体の保護を申し出た。

しかしエリは赤ん坊の命をと願った。

「私がこの世にいた唯一の証だから・・・。」

結果、エリは召されてしまった。

赤ん坊を産み落として。

 

正吉はそうして生まれた。

エリの葬式が終わるまで、茫然自失状態だった。

時として、正吉を恨んだことさえある。

生まれたばかりの子供を、恨む親がどこにいる?

涙に暮れる日が、それでも少しはあった。

 

未熟児室から正吉を、もらいうけてから。

私の生活は一変した。

0 歳児を受け入れる保育所は少ない。

会社の保育室も3 歳児からだ。

どうにかこうにか、保育園に入れてもらい

朝は、保育園に正吉を送り届け、会社に向かう。

夜は、残業もそこそこに正吉を迎えに行って帰宅する。

 

すべては我が子、正吉のために生活が変わった。

会社の昇進?もう、どうでもいいことだ。

クビを切られずに会社に居残らなければならない。

しかも残業は今までのように無制限にできるわけでなし。

とにかく生き残るために、水面から鼻だけを出して息を吸うような

闇雲で、がむしゃらな生活。

 

なぜか仕事の進展具合に合わせて、起こる正吉の発熱だの怪我だの。

その都度、私は会社を早退し、または、休まなければならず

会社での立場は、大変、分が悪くなった。

この平成不況の世の中、究極のサバイバルだ。

だが、生き残らなければならない。

配置転換され、これ以上ないダメ部署に移されたが

それでも生き残らなければならない。

 

世の中、それでも母子家庭についてはまだ配慮と云うものがある。

しかし、父子家庭となると、世間は冷たいどころか、存在すら知らない

のかも知れない、と思うほどの扱いになる。

ともすれば要らない偏見と「自業自得だ」というような風潮もあって。

まして会社勤めで、男の育児休暇など、口にすれば即クビだろう。

 

逃げ場のない焼けた鉄の上を歩くような生活を続けている。

それは今でも変わっていないが。多少は楽になったか。

夜鳴きとおねしょの回数が減ったからか。

水疱瘡とはしかが済んだからか。

正吉は、それでも順調に育ってくれた。

 

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4 息子

 

 

 

そこにいないものを、愛することはできるのだろうか。

 

 

正吉は、エリのことを知らない。

自分を産んだ母について、正吉が知るのは仏壇の写真だけだ。

忙しくても毎朝、仏壇に手を合わせるようにはしているが

正吉にとって、エリは写真だけの存在には違いなかった。

 

............................

ほいくえんのせんせい。

おばあちゃんみたいな小さいえんちょうせんせいは

ボクとサナエちゃんにいうんだ。

「ここのせんせいが、おかあさんがわりだからね。

あんまり、おとうさんをこまらせたらだめよ。」

 

サナエちゃんもおかあさんがいない子。

だけどサナエちゃんのおかあさんはどこかで生きている。

でも、ボクのおかあさんは、ぶつだんにいる。

おかあさん、生きているだけいいじゃん。

「そばにいなきゃ、イミないじゃん。」

サナエちゃんは、ボクよりずっとおとなだ。

おないどしだけどサナエちゃんは、おねえさんみたいだ。

 

......................

私が会社帰りに正吉を保育園に迎えに行くとよく会う男がいた。

自宅が近かったこともあり、いっしょに帰った。

その男は、女の子を預けていてサナエちゃんといい。

正吉も仲良く遊んでいたようだ。

 

サナエちゃんの父親も、男手ひとつで娘を育てていた。

私も、そんなところに。互いに共感が持っていた。

気持ちは「子連れ狼」

ところが、会社勤めのやもめには世の風当たりは辛い。

 

「やっぱり女手が必要ですよ、子育てには。」

サナエちゃんの父親は、ある日、派手めな女性を伴なっていた。

うまくやりやがったな。そう思った。

 

..............

サナエちゃんのあたらしいおかあさんは

くちびるがまっかできれいなひとだったけど。

いいひとにはおもえなかった。

でも、サナエちゃんはよろこんでいたから。

きっとわるい人ではないんだろう。

 

「きのう、あたらしいおかあさんとレストランにいったんだ。」

楽しそうにいうサナエちゃんは。

もぅおともだちじゃないのかな。

よかったね、あたらしいおかあさんがいいひとで。

 

サナエちゃんといつもさいごまで、ほいくえんにいた。

おとうさんのかえりがおそいから。

いつもさいごまでボクたちと、のこってくれているのが

カヨコせんせいで。

 

カヨコせんせいは、ボクたちにとってもやさしい。

お昼ねしなくてもおこらないし。

いつもよるまでいてくれるし。

おはなしもじょうずだし。

おうたもじょうずだし。

きれいで、びじんだし。

 

ぶつだんのしゃしんの「おかあさん」にもにてる。

カヨコせんせいが「おかあさん」だったらよかったのに。

ねえ、おとうさん、カヨコせんせいとけっこんしなよ。

いろが白くてきれいなせんせいだね、って言ってたじゃないか。

ほかのせんせいたちとちがってデブってないし。

いいにおいがするんだ。

 

ボクは「おかあさん」がどんなひとかしらないけど。

おとうさんに聞けば、やさしいひととか、きれいなひととか。

それだけじゃわからないよ。

 

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5 暗雲

 

 

記憶は時と共に薄れゆく。

 

 

ある日、突然、恐れていたことが起こった。

「おかあさんってどんなひとだったの?」

私は、正吉の一言に、言葉に詰まった。

 

いままで、毎日、出掛けに仏壇に手を合わせ

彼岸には墓参りをしていた。

折りに触れ、正吉の成長を、エリに報告してきた。

なのに。

思えば、正吉との生活は、エリとの生活の倍の時間を経過していた。

ひとり息子と時間に追われる日々の生活の中で。

 

私の中でエリは・・・消えていた。

あの微笑を。

いや、実際、どんな微笑だったのか。

思い出すことができない。

常に脳裏にあったエリの言葉が

思い出すことすら出来ない。

 

私は久しぶりに、酒におぼれた。

酒で解決できる問題ではなかったが。

飲むしかなかった。

酒に酔った私を見て、正吉は「怪獣みたいだ」といった。

それが気に入らずに。

 

夜中に出かけ、酒を煽り、街を彷徨い、

ドブ川に架かる橋の上で警官に起された。

こんなことではいけない。

エリに申し訳が立たない。

いや、わが子、正吉に。

 

だが、私も疲れてしまった。

それは減給処分を喰らった仕事のせいでもなく。

正吉の成績が、芳しくなかったせいでもなく。

エリの存在が、私の中から消えて行ってしまいそうなことに。

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ある朝。保育園卒園間もない日だった。

サナエちゃんは、ひとりで歩いていた。

後ろから声を掛けると。

振り向いたサナエちゃんの顔を見て。

私は血の気が引いた。

 

サナエちゃんの顔半分にも及ぶ青アザが。

正吉はあまりのショックで声も掛けられなかった。

私は正吉とサナエちゃんを保育園に届けると。

保育園の先生たちは大騒ぎになった。

 

………………….

いちにちじゅう、カヨコせんせいがなにをきいても

サナエちゃん、どうしたの?

どこでケガしたの?

サナエちゃん、なんにもいわなかった。

でもさいごに、ボクにだけ言ったんだ。

「あのおんなに殴られたの。おとうさんが出張で。」

 

………………………

その後、民生委員だか児童保護委員だか知らないが

サナエちゃんの家に向かったそうだ。

その日を境に、サナエちゃんは笑顔を失った。

 

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6 転落

 

 

本当に哀しいときに、果たして涙は頬をつたったのだろうか。

 

 

保育園の卒業式の夜、正吉はひどく泣いた。

保育園の先生、特にいつも夜まで残ってくれているカヨコ先生との別れ

が相当辛かったようだ。最後の最後までカヨコ先生に抱きついて泣いていた。

しかもカヨコ先生も今日で最後、帰郷するという。

 

………………………..

カヨコせんせいとけっこんしてよ!

カヨコせんせいがおかあさんになってほしい!

カヨコせんせいとおわかれしたくない!

 

...................................

あまり正吉が激しく泣くので

好物のカレーを作ってやったが、返って逆効果だった。

しかし、泣き方が激しすぎて疲れて寝てしまった。

やはり子育てというのは女親が必要なのか。そう痛感したが。

いったい、どうしろというのか。

 

正吉が小学校に入っても、サナエちゃんと同じクラスだった。

私と会うことはめっきり減ったが。

会う度に体のあちこちに包帯やら湿布やら

何かを隠すように貼られていた。

 

…………………………

小学校一年生のときだった。

サナエちゃんは右うでを、ホウタイぐるぐるまきにして学校に来た。

階段で落ちて・・・。

そう言っていたけど、それはウソだね。

ボクにはわかった。

 

………………………..

私は一度サナエちゃんの様相にあまりに見かねて、

学校の先生に児童虐待では?

との訴えをしてみたものの。学校の先生は訪問の際

親御さんに会えなかった・・ようなことを言っていた。

 

..................................

「あんたも気をつけなよ。

おとなって、急に怒ってみたり、ちやほやしてみせたりするときは

魂胆があるんだ。」

「いっつもそうよ。殴られるときは。」

え?またあのおんなになぐられたの?

「ちがうよ。あのおんなだけじゃない!」

そういうとサナエちゃん泣きだした。

「あいつら、笑いながら殴るんだよ!」

 

先生呼ぶよ。

「ダメよ!やめて!おとななんか信じちゃダメ!」

サナエちゃんは、こんどは左腕も包帯を巻かれていた。

そのうち、右足も。

 

サナエちゃんの右手の甲にやけどのアトがあった。

その日からサナエちゃんは、とうとうボクとも話さなくなって。

ある日、あのおんなが学校に来て。

その日を最後にサナエちゃんは転校していった。

 

.................................

私はある日の新聞を見て驚きのあまり目を疑った。

なんと隣町に引っ越したサナエちゃんは4 階から飛び降りて

自殺してしまったのだ。

正吉は知っているのだろうか。

新聞は、テレビ欄しか見ないだろう。

しかし、この写真を見れば。

正吉はこの事実を知ったら、どう思うのか?

 

………………………

なんだかわからないけど

とてもさびしい気分になって。

いえにいても、ひとりだし。

いつもそうだけど。泣きたいけれど、なみだもでない。

カヨコせんせいはどこかで生きているけど。

 

 

サナエちゃんは、もういきていない。

 

....................................

出口のない不況は拡大し、ウチの部署もリストラが決まった。

私は壊れてしまった。

私もこの歳になれば、糧を失うことは死活問題だ。

藁をも掴むようなこの生活を、いつまで続けられるのか。

 

そのころから、死を考えていたのかもしれない。

しかし、私だけの死で収まるものではない。

恐らく、正吉は嫌がるだろう。

だが、行先不安なこの世の中で。

ひとりで生きてゆくのは困難だ。

それを思えばこそ。なにひとつしてやれることがなかったが。

 

私は、ある決意を胸にトイレ用の洗剤と入浴剤を買い入れた。

その洗剤を車の後ろのシートに投げ込んだ。

私はある夏の日の早朝。まだ暗いうちに、正吉を起した。

正吉を車の助手席に乗せ、車のキーを差込み、エンジンをスタートさせる。

 

正吉は、あくびをしながら「ねぇ、どこに行くの?」と聞くので。

「あぁ、ごめん、ちょっと付き合ってくれ」と答え

車を走らせた。

 

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7 伝説

 

 

伝えられたものだけがすべてではない。

 

 

車を御殿場近くの休憩所で停め、明け方の陽に輝く富士山を

正吉と二人で眺めた。正吉は初めて見る富士山に驚喜した。

にほんでいちばん高い山だよね。

にほんでいちばんきれいな山だよね。

と何度も、その美しさをたたえた。

しかし、私は出来る限りの笑顔で、頷くことしかできなかった。

 

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あおくてしろい雪のある山だと思ってたけど

ほんものは黒くて、雪なんかない。

夏だから、雪がとけちゃったんだっておとうさんが教えてくれた。

きれいな三角形の山で、ものすごく大きいんだ。

 

....................................

明け方の高速道路を更に西に向かった。

途中のサービスエリアでやきそばを食べたが

正吉が「お腹減った」とぐずりだしたので高速を降りて

近くのコンビニでおにぎりを買った。

 

「どこにいくの?」

このとき正直に言えば未だ目的地を決めていたわけではなかった。

できるだけ、ひと気の無いところがよかった。

しかし道なりに車を進め、ただ、いいところさ。

と答えるのが精一杯だった。

 

倉庫街を通り、信号を左折すると、海のにおいが漂った。

道の両側に規則正しく植えられた松の木が青々としていた。

御穂神社は長い参道を持つ神社だ。

あのときのまま。昔のまま。

 

参道をはしゃぎながら歩く正吉の無邪気さは、いつにないもので。

追いかけて歩くのがたいへんだった。

神社の社に着くと。子供の目には、つまらないものだったのだろうか。

「コレを見に来たの?」

 

確かにさほど大きくも無く、見栄えのするようなものではなかったが。

「どうしてここにきたの?」

正吉のこの問いには、ハッとした。

どうしてここにきたんだ?

この先の松林を抜けた浜辺で、キミと出逢った。

無意識に、またキミに出逢えるとでも思ったのだろうか。

 

ここはね、昔々・・。

「むかしって、20 世紀?」

いや。

「江戸時代?」

いいや、もっとずっとむかし。ここに天の使いの女の人が降りてきてね。

それは美しいひとで、やさしいひとだったんだ。

その天女が着物を松の木にかけていたんだ。

 

それを漁師が見つけて、隠してしまったんだ。

「なんで?」

きっと漁師は、きれいな天女が好きになってしまったんだ。

その雅で、美しい女性に。天に帰ってほしくなかったんだ、きっと。

 

..................................

てんにょ?

ボクはその話をききながら、その美しいすがたを思いえがいてみた。

しろいい光につつまれたその姿は、みやびな・・・なんだ?みやびって。

ふりかえると。

やっぱりカヨコせんせいだった。

 

..................................

ここ三保の松原に伝わる羽衣伝説の話をかいつまんで話しながら。

正吉は、なにかを求めるように、宙に目を向けた。

そして、私は私の中の、嘗てここで出逢った天女のようなキミに。

追慕の情が、いままでになく強く湧き上がり軽く嗚咽をあげてしまった。

 

伝説のあとはどうなったんだ。

天女はそのあとどうなったんだ。

数ある天女伝説では、漁師との間に子を設け、

その後、天に去ったというのもある。

 

ここ三保の松原では、羽衣を纏い、いわゆる天女の舞を見せて

天に帰ったとするものもある。

しかし。残されたものは、その後どうなったのか。

 

.................................

カヨコせんせいは、きっと「てんにょ」だったんだよ。

びじんで、やさしくて。

空をとぶ「はごろも」をきて、「ちきゅう」にやってきたんだ。

ボクとおとうさんのために。

 

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8 終点

 

 

終着駅の先にはなにがあるのか

 

 

御穂神社から車を進め、次第に松林が近づいてきた。

あのときとおなじように。

松林に囲まれた駐車場に車を入れて。

サイドブレーキを引くと。人生の終着駅に辿り着いた実感がした。

正吉は、ドアを開けて、海に向かって勢いよく飛び出してゆく。

 

......................................

わぁーっ!海だ。

でっかい。海だ。本物の海が目の前にある。

 

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まだ、早朝で、松林を抜けて、砂利浜に出ても。

誰ひとりいなかった。

あのときとおなじように。

海を挟んで、富士山は美しい三角形を見せていた。

 

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ふじさんがしょうめんに見えて、その下に海があって。

波が来て、ジャリがあって。

はじめて見た海。はじめて海の水をさわったのに。

すごくなつかしい気分になって。おもしろくって。

でも、おとうさんは、ずっとふじさんを見ていて。

 

.........................................

目の前に広がる海をみると正吉は喜びはしゃぎ走り回った。

私は、久しぶりの松原と波打ち際の光景に。

昔の記憶と交差させていた。

ここは、キミと出会った場所だ。

 

 

それは、もうセピア色の記憶。

 

私がキミと初めて会ったのは、夏の日だった。

赤ん坊とキミの命の選択を迫られたとき

しかしキミは赤ん坊の命をと願った。

「私がこの世にいた唯一の証だから・・・。」

結果、キミは召されてしまった。

 

 

それは、もう記憶と歴史の狭間。

 

よせてはかえす波に。正吉は喜び、はしゃいでいる。

キミのことを知らない正吉は、もう8 歳になったよ。

 

 

記憶は時と共に薄れゆく。だが、消える前には光り輝く。

 

 

私が8 歳の頃といえば近くの田んぼでカエルを捕まえ

それを餌にザリガニを釣って遊んでいたものだ。

イモリとヤモリの違いを知ったのもこの頃だ。

決して裕福ではなかったが、近所の子供も多く

泥だらけになって遊んでいたものだ。

 

そんな8 歳の夏の記憶を。

正吉に与えてやれない。

正吉は、マンションの子供たちとテレビゲームを楽しんでいる。

それ以外では、とても孤独な子供だ。

 

それは母の無いゆえのことなのか、

私の世渡り下手のDNAを受け継いだのか

なけなしの収入を得ることだけに。

それしかない糧を得ることだけに、注力してきた私の至らなさなのか。

それすら失ったいま。

 

正吉に、あの輝かしい8 歳の夏の記憶をあげられない。

それどころか。

これから私は、正吉の全てを奪おうとしているのだ。

そう、すべてを。

せめて正吉に、最後に海を。

あの思い出の海を。

 

 

本当に哀しいときに、果たして涙は頬をつたったのだろうか。

 

後悔と自責の念に身がうちふるえるのを堪えて。

波打ち際で戯れる正吉に、声をかけた。

さぁ、ご飯でも食べに行こう!

自分でもわざとらしさが鼻に付くほど、明るく言った。

 

私は、正吉を車に誘った。

正吉は、なんの屈託の無い笑顔でついてきた。

私はその笑顔を見ていると、これから行なおうとする大罪を。

いやしかし、ためらうことは、更なる不幸を生む。

そう納得するように努めた。

 

正吉が、波間に飛び出した小魚に感心を奪われた。

早くしなさい!語気を荒げてしまった。

どこか私に恐れをなしているのか、正吉は立ち止まった。

ごめん、早くご飯を食べに行こう。

正吉は、私の元に走ってきた。

 

.....................................

おとながへんな態度をとるときは、気をつけな!

おとうさんはボクをどなったり、やさしくなったり

どうもおかしい。サナエちゃんのおとうさんみたいにボクを

笑いながらなぐるのかな?・・こわいよ!

 

.........................................

これから、車に戻り。

窓を閉め切ったまま。

後部座席のコンビニ袋に入った

トイレ用洗剤と入浴剤の口を開き、混合させるのだ。

 

洗剤と入浴剤は化学反応を起しガスを発生させる。

それから我が子、正吉をしっかりとこの胸にいだくのだ。

ほんの数秒、ほんの数分、二人は苦しむだろう。

しかし。それは一瞬、ほんのひとときのこと。

すべては来たる来世で、二人で。いや、三人で暮らすために。

 

私と正吉は、緑色に膨れ上がる体を離れて。

この終わりの無い苦痛と、さらに追い込まれていく悪循環から

逃れ、懐かしいあの笑顔の元へ。まだ見ぬ安らぎの元へ。

ふたりで、旅立つのだ。

 

無論、他の方法も考えた。

ロープで締める?刃物を突き刺す?

我が子の体にそんなことが出来るものか。

それに、もし。

もしも私が、それをしてしまった後に。

恐れをなしてしまったら。

 

おそらく新聞の片隅には、ちいさな記事として載るかもしれない。

「無職のやもめ男の無理心中」そんな見出しが着くのかも知れない。

 

伝えられたものだけがすべてではない。

 

私は、我が子正吉を、愛しているのだ。

そして、おそらく私がしてあげられる最後の愛の形がこれなのだ。

 

砂利浜を松林に向かって、重い歩を進めた。

すると、正吉は、立ち止まった。

さぁ、行こう!

焦りがあったのか、私は訝しがって、正吉を見ると。

正吉は、空を見て、口を空けていた。

 

焦燥感が募り、これから行なう凶行への恐れを押し殺し

脳裏にはサナエちゃんの両親が行なったような鬼畜の様な

所業に対する憎悪を滾らせながらも、それとなんら変わらぬことを

行なおうとしている自らの不甲斐なさが交錯していた。

 

着いてこない正吉に苛立ち振り返り、上擦った声で名前を呼ぶが

上空を見つめたままの正吉。それに釣られて。

そのあまりの驚き方に、私も目を宙に向けた。

 

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9 降臨

 

薄雲から漏れるまばゆい陽の光が差し込んで

私は目を宙に向けたまま、正吉の肩を引き寄せた。

おとうさんは、ボクをひきよせ、いっしょに見ていた。

 

潮風の中を。輝く雲の中に。

まっ青な空に。

霊峰富士を背景に。

ふじさんの上にうかんでいる。

 

透明な、いや半透明な、伸びやかで、艶やかな。

きれいで、しなやかで、風にたなびきながら。

陽の光を受けて、金色に輝いているのか、

あたたかな光に包まれている。

オレンジいろにぼんやりと光っている。

 

なにかとても懐かしい記憶が甦って。

こんなの見たことない。

宙を舞いながら、色とりどりに輝きながら・・。

いったいなにをしているの?

華麗に、たゆたうように・・・。

空をゆっくりと、およぐように。

ここ数年無かったような、温かい感情が溢れてきて。

 

おとうさん、こわいよ。

大丈夫。

まるで吸い込まれるように。

こわいよ。

怖くないよ。

こわいよ、だって人間がとんでるんだよ!

大丈夫、怖くないよ。

 

優しいひとだから。

きれいなひとだぁ。

あぁ、綺麗なひとだ。

宙に舞うのは、キミなのか?

だれ?おとうさんは知っているの?

あぁ、多分、知っている・・。

だれ?

きっと、正吉も知っている。

え?

 

温かな光を放ちながら、微笑みに満ちたその懐かしい感情は

二人のもとに降りてきて。

三人は。

夏の暑さとは違う、体の中から湧き上がる温かな光に包まれて。

キミは微笑んだ。

 

キミは何も言わず、しかし私の愚かしい考えを嗜め

やさしく、叱ってくれた。

私は、自らの不甲斐なさと、無責任極まりない考えを。

さっきまで持っていた大罪を犯すような気持ちを。

たとえひとときでも持ってしまったことを。

自責の念の重さに膝をついた。

次に湧き上がったのは、とめどない涙。

 

しかしその柔らかで温かな光は、それすら許そうとしているのか。

その大きな慈愛に満ちた光の中で、微笑み、ゆっくりとうなずく

キミは。

 

……………

光に包まれて、おとうさんは泣きながら、ボクをだきしめた。

その女のひとは、ボクとお父さんをその上からだきしめた。

目のまえがまっしろになるほど光って。

まぶしくて、目をとじて。

 

-12ページ-

 

読者の皆様へ

 

作者たる平岩は、この時点で終わらせ方をひとつに絞れなくなりました。

ラストを二種類用意いたしましたので、お好きな方を選択してください。

 

 

-13ページ-

 

10 終幕ver.1.0

 

目をあけると、おとうさんとふたりだけだった。

おとうさんは、ちょっと信じられないぐらい泣いていた。

ボクをみると、つよくだきしめて。

 

あのひとは誰だったの?

「天女」さ。

「てんにょ」?

あぁ。そして。わかるだろ。

 

ボクはことばが出なかったけど。

口はうごいた。

おとうさんは、うなずいた。

あのひとが?

 

写真のひとは、どこへ行っちゃったの?

何処にも行っていないさ。此処にいる。

 

ボクはわかったんだ。

あのひとが誰だったのか。

そして、ボクとお父さんの胸の中にいることが。

 

ずっとずっと見守っていてくれたんだ。

ずっと?

そう正吉が生まれてからずっとね。

これからもずっと見守ってくれるさ。

また会えるかな?

ああ、きっと会えるさ。

 

さぁ、ファミレスでご飯でも食べよう!

実は明日から、少し暇になるんだ。

ひまになったらどうするの?

家の掃除でもするさ。洗剤も買ってある。

 

二人で車に乗りこみ、三保の松原を後にした。

空は少し曇りがちだったが、あたたかな光がさしていた。

 

 

あの夏の空に舞ったのは、キミの白いショール。

 

 

 

-14ページ-

 

10 終幕ver.2.0

 

 

私は強い光に目を奪われた。

心地よい温かさを感じ、正吉を抱きしめ、そしてキミに抱かれた。

微笑むキミは、何も言わずに。

すべてを受け入れ、すべてを許してくれるというのか。

 

体に感じる重力が無くなっていくのを感じる。

すべてのこの世の重圧が、すっと体から抜けてゆくのを感じる。

見守ってくれていたのか・・。

それとも誘ってくれたのか。

 

恐怖。畏怖。しかし。

キミが誘うなら、それに従うまでだ。

失うものはなにもない。

そして我が子の大事なすべてを奪うことを避けられるなら。

すると、この数年、湧き上がったことの無いような、

温かな感情と笑いがこみあげてきた。

 

.................................

ふわぁっと体がういて、おとうさんとボクをつれて

おんなのひとが浮かび上がって。

飛んでいる。だけどこわくない。

足元は海だけど、もぅこわくない。

 

ずうっと高いところを飛んで、ふじさんより高くなったけど。

こわくない。

ふじさんのまあるい火口が足の下でちいさくなって。

 

おんなのひとは、ほほえむだけで、なにも言ってくれない。

だけど、よくわかる。

さびしさのないところへ行くんだって。

ねぇ、ボクのおかあさんなの?

そして、三人で、雲をこえて、さびしさのないところにいった。

 

説明
書き上げるまでに約二ヶ月を要し、その後
当分創作意欲なんか無くなったような代物で。
主な登場人物は二人。
私には珍しく、二者の主眼で書いておりますので
たいへん読みにくい、とは思いますが、
「映画的な表現」にこだわりたい私メとしては。
クロスカッティングとかカットバックみたいな技法を
試してみたかったのですが・・w

尚、ラストは選択制になりますorz
とにかくあんまりに悲惨なのでラストを二種類つくりました。というか、作らざるを得なかったw
お好きな方を・・?お選びください・・。

2009年11月作
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タグ
怪奇 親子 児童虐待 父子 

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