ソレ
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1.

 

あの夏も陽射しの強い日が続いていた。

空を見上げると、実に夏らしい、入道雲が湧き上がっていた。

田舎の田んぼの真ん中の舗装されていない道を、汗をかきながら、麦藁帽子を被り

虫取り網を片手に歩いていた。

 

首からカラの虫かごを下げて。

ランニングシャツからはみ出たひょろ長い腕や顔は

日焼けで真っ黒だ。

 

田んぼを抜ければ、小さな森がある。

「そこに行けば、カブトムシがいる。

でも朝早く行かないといなくなちゃうぞ。」

けど夏休みだから。寝坊して。

 

出掛ける前に母ちゃんに見つかり、

ワークブックを3ページもやらされたお蔭で

こんな時間になっちゃったよ。

 

陽は既に高く、ギラギラと強い日光を注いでいる。

汗はかくし、喉もカラカラだ。

フラフラと歩いていると、田んぼの向こうの小さな森が

ユラユラと逃げ水の向こうに見える。森が逃げていくようだ。

 

そのとき、大きなクラクションがして。

後ろからバスが土埃をあげて追い抜いていった。

道は限りなく・・・まっすぐだ。

両側に田んぼ。両端には用水路が水音を、それでも涼しげに奏でていて。

逃げ水が。逃げてゆく。田んぼと森の間にバスの停留所があって。

 

田舎のバス亭といえば。

屋根が設えてある半ば小さな小屋のようなもので。

此処から見ると小さく見えるが、追い抜いていったバスはそこで停まり

ひとりの乗客を降ろしたようだ。

 

ここからみると。

でもそれは、たおやかな白い和服を着た

白い日傘の女性であることは見ていてわかった。

バスが走り去ると、バスの走っていく方向に白い日傘をさして

歩いていくのがみえる。

 

なにか、いつもと違う感情が。いつもと違う関心が。生まれてきて。

いったいどんなひとなんだろう。

若いのかな。歳とったおばあなのかな。

美人なのかな。・・そうでもないのかな。

 

ようやく先程のバスの停留所に辿りつくと

日傘の婦人は森の入り口に差し掛かっていた。

しかし、停留所の屋根の作り出す日陰の下に入ると

少し休みたくなった。

 

だから停留所のベンチで座って休む。

あぁ頭がクラクラするよ。

停留所の壁には凡そ1時間に1本のバスの時刻表と

由美かおると水原弘の琺瑯看板が錆びて色あせてはいるが

無造作に貼ってあった。

 

昆ちゃんのもあったのにな。

そんな思いよりは、日傘の婦人のことが気になって。

ひょいと日陰から頭を出すと・・もう見えない。

そのときだ。

「おい!」

大きな声がして、びっくりしながら「ハイ!」と答えると

「コッチへ来い!」

恐る恐る停留所のウラへ回ると、

お百姓さんのおじいさんが停留所のウラと用水路の間の日陰の

地べたに座っていた。

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2.

 

麦藁帽子に首から手ぬぐいを巻いて。真っ黒に陽に焼けて。

ぎょろりとした大きな眼だけが白く。

その中の黒目が暗に横に座ることを示唆するように下に向いた。

 

びっくりしながら、おじいさんの横にすわると。

「おまえ、ここいらの子どもじゃないな、どこからきたんだにぃ?」

子どもの答え方しかできずに「あっち・・・」と来た方向を指でさした。

「隣村の子どもかぃねぇ。」

「うん。」頷いて見せた。

 

「いいか、よく聴け。

とても大事なことだにぃ。

ソレは・・人間の世界に、紛れ込んで生きているんだにぃ。

普段、ソレを目にすることはないが。

人目を忍んで、しかしソレはワシら人間の背後で生きているんだにぃ。」

いきなり始まったおじいさんの話に引き込まれて。

だって・・聞いているしかないじゃない。

 

「いいか、見た目は人間と変わらないが、ソレは人間ではない。

昔は橋の下や納屋の裏手や屠殺場に住んでいたんだが。

ソレは、人目を忍んで暮らし、人の食べない汚いものを好んで食べるんだ。」

え?それ・・いったいなんの御話?

おじいさんの表情は、なんか凄くまじめでけわしいし・・。

 

「とさつじょ・・ぅ?ってなに?」

「家畜の牛やよォ、ブタをよぉ、処分してしまうところだ。」

「え?・・処分って・・。」

「殺して、食肉にするところだにぃ。

殺して、食べられるところの肉は市場に持っていくんだ。

で、食べられない部分は・・埋めちまうか・・ソレ・・が喰っちまう。」

なにかいきなり血生臭い話になって、顔をしかめてみるが。

「だって、おまえもォ、とんかつ好きだろ?」

・・・好きだ。好きだけど・・小さくしか・・頷けなかった。

 

「ソレは奇怪な言葉で話し、気色の悪い声でギャー、ギャーと鳴くんだ。

基本的には夜行性のようだが、昼間でも普通に街にも出歩く。

悪意を漂わせた虚ろな目に精気は無く、ニヤニヤしているんだ、奴らは。」

なんかとても怖い話だよな・・

 

「此処からが重要だ。

ソレには特殊な習慣がある。

ソレの夫婦の間に生まれた子供を、偶に人間の子と取り替えるらしい。

それを「取替えっ子」というんだが。」

 

「取り替えられた人間の子は、ソレの夫婦に育てられ

人間の食べないものを食べ、背を丸めて歩き、

如何わしい言葉を話し、やがてはソレとなんら変わらぬものとなるんだ。」

なにそれ・・もう絶句。

 

「だがな、もっと恐ろしいのはな_。

人間の子供と取り替えられたソレは

度々人間の世界を恐怖に落としいれてきた。

織田信長も、ヒトラーも「取替えっ子」だったんだ。

ソレは常に人を貶めようと虎視眈々と狙っているんだにぃ。」

もうね。恐怖の絶頂で。

だって、悪の秘密結社ショッカーが現実の世界に居る!

といっているんだろ、このお爺さんは!

ちびらないのが不思議なくらいだ!

 

「いいか、普段、ソレを目にすることは無い。

しかし、ふとした瞬間にソレを見てしまったら・・・。

その悪意を湛えた虚ろな目と

卑しくも不敵な舌なめずりする口を。

ソレは夜といわず昼といわず、しつこく襲ってくるんだにぃ_。」

ガキだった私にとっては最高の恐怖話だった。

 

「おまえ、さっき此処で日傘の女がバスを降りたの見ただろ?」

大きく頷くと。

「あの女が・・ソレだ。

いいか、今日はもう帰れ。

ナニがあっても知らんぞ。あの森はな、昔、屠殺場があったんだ。

俺はここで奴らを見張っているんだが、この二日三日で奴ら集まっているからな。

見つかったら何をされるか分からんぞ。」

もう恐ろしくて、恐ろしくて、日陰から夏の日差しの中に飛び出すと。

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3.

 

しかし夏の陽を浴びるとカブトムシが欲しくなり・・

「そんなの知らないやい!」と森の方向へ走った。

 

森の入り口にたどり着くと蝉の声がやかましいほどだった。

蝉時雨。風が木々を揺らしざわめかせていた。

巨大な椎の木や楠木にカブトムシが貼り付いていて。

虫取り網で捕らえ、虫かごに入れる。

 

いっぱいいる!

夢中になって、森の奥に入っていくと。

木々の間から小びろい空き地があり

朽ち果てた建物が見えた。

 

あれが「屠殺場」の址なのか_。

と思うと、なにか暑いにもかかわらず

冷たい汗が背中を伝った。

あそこで・・牛や豚がたくさん殺された・・・。

 

そして、その向こうから先程の白い和服の婦人が

森の中だというのに、日傘をさして歩いていた。

 

やばい!

声を押し殺してしゃがみこんで、隠れる。

「見つかったら何をされるか分からんぞ。」という

おじいさんの声が頭の中で何度も響いた。

だが、それならそれで・・どんな顔しているのか見ても見たくなった。

 

そのうち草の陰から様子を見ていると

日傘を差しかけたまま、和服の婦人はギャーギャーと

なにか・・動物じみた声を発しているのが聞こえ

また違う低い声が、獣じみた声で答えているようだった。

 

ひとりじゃない。

心配は不安を高め、膀胱を直撃した。

そうっと。草の陰に隠れながら、用を足す。

ホッとした、そのとき。

 

ギャーギャーという声がすぐ後ろでして

振り返ると和服の婦人が立っていた。

「ごめんなさい!」と大きな声で言うと

それより大きな声で、ギャーギャーとさけび

大きな・・白目のない眼で覗き込んできたんで

猛然と森の中を走り、逃げ出した。

 

走れ!走れ!

ふりかえると、和服の婦人が走ってくる!

追いかけてくるよ!

 

走れ!走れ!走れ!

木々の間を駆け抜けて

とにかく明るいところへ!

和服の婦人が、追ってくる!四つん這いになって走ってくる!

いったい、なんなんだ!

 

森の入り口に飛び出すと。

さっきまでの蝉時雨はピタリとやんでいた。

上空には巨大な入道雲が沸き立ち、ゴロゴロと雷の音を鳴らしていた。

四つん這いの和服の婦人の他にも何人か。男か女か分からないが

四つんばいの大人たちがギャーギャーと叫びながら。

囲まれている・・。

 

「コラァーっ!ワシが相手じゃっ!」

野太い声がして、振り返ると、さっきのおじいさんが釜を持って立っていた。

なんかおじいさんに抱きつくと。

「いいから、走って帰れ!絶対に振り向くな!さっさとかえれ!」

と振りほどかれ、泣きながら走って帰った。

絶対に振り返らなかった。後ろで大きな雷が落ちたような音がしたが。

振り返らずに走って帰った。

 

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4.

 

あの夏も陽射しの強い日が続いていたが、今年も負けてはいない。

陽が暮れてからの蒸し暑さという点では、むしろ今年の方が暑いのだろう。

もう30年以上も前の話だし。

爺さんがその後どうなったか・・知らない。

ソレについて、なぜ百姓の爺さんが詳しかったのかも知らない。

今思えば、三国人共のことを言ってたかなぁ、とか思ったりしたが。

テイ良く森から追っ払われただけの話じゃなかったのか_?と

思ったりもしたんだが。

 

帰り道にコンビニで買い物してビールを買ったあとのことだ。

駐車場にたむろしている若いヤツらと目が合ったんだが・・

白目がなかった。

「取替えっ子」という言葉が思い出されて。

 

精気のない青白い肌で

下品に舌なめずりするその若い男は、ニタリと笑った。

なにも声を発することも無かったが、背筋の冷え切るのを感じた。

感覚でしかないのだが、「ソレ」であることを確信した。

 

いま、マンションのドアの外で何かが這っている様な音がする。

明らかにドアの外にはなにかがいる。

金属製のドアを何かで引っかいているような不快な音がする。

やがてギャーっとあの虫唾の走るような啼き声がして。

さらに太い声でギャーッと啼く音がして。

明らかにひとりじゃない。

 

電話線は切られたようだ。

携帯電話が今日に限ってなぜか通じない・・。

次の瞬間、息を呑んだ。

新聞受けの口から飛び出した巨大な鉤爪に。

いったい、なんなんだ!

 

ブレーカーが上がる音がして、暗闇に包まれた。

照明は勿論クーラーも止まった。

室温は夜だというのにグングン上がっていく。

既に35度を超えている。

このままでは・・

 

金属性のドアを引っかく音がする。

どうして俺だけ帰省しなかったんだ。

暗闇で家族の写真すら見ることも出来ない。

長い盆の夜が・・ふける。

説明
ジョン・マクティアナンは今じゃモウロク監督だが
「ダイ・ハード3」あたりまでは中々シャープだった。
特に「目にみえないもの」を演出させると右に出るものがいない。
それが「プレデター」の宇宙人であったり、
「ダイ・ハード」のテロリストであったり、
「レッド・オクトーバーを追え!」の無音航行可能な
ソ連の原子力潜水艦であったりするのだが。

その彼のデビュー作「ノーマッズ」は一味変わった
オカルト映画の傑作。
主演は“007“に昇格する前のブロスナン。
目に見えないはずの革ジャン幽霊が集団で追いかけてくる!怖ぇぇ!

これは子どもの頃、夏休みに
百姓のじいさんが語ってくれた「恐ろしい話」が
いまだにトラウマになっていてですな。
どんな話かは文中で、そのまま載せましたが。
何故こんな話をイタイケな少年にしたんだろう、というぐらい
実にオゾマシイ話で。夜、うなされたものですが。

昭和の夏の思い出。
イメージは松岡直也氏のアルバム「夏の旅」のジャケット。
のような。あぁゆう風景は・・。
そこいらにいっぱいあったんだけどねぇ。
最後はラブクラフトに毒された・・w
シンプルなショッカーです。

2010年8月作
「ノーマッズ」より改題
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タグ
怪奇 夏休み 昭和 昭和40年代 

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