エルルとファルグレン2 |
〜旅立ち〜
「それではエルルよ、身体に気を付けて、息災でな…」
「トルファンの王子の言う事を聞いて、可愛がってもらうのですよ…」
最後の夜が明けた翌朝。
愛娘の綺麗に着飾った姿を忘れまいと、目の奥に焼き付けながら王と妃は涙を溜めて、そう声をかけた。
「はい。お父様もお母様もお達者で…」
気丈にも最後まで笑顔でいようとする王女に、2人は声を詰まらせる。
「…ファルグレン。妹の事、くれぐれも宜しく頼むよ」
兄王子の言葉に、後ろで控えていた黒髪の騎士は背筋を伸ばして腰に差した剣を掲げ、
「お任せください、ユーシス王子殿下。エルシュレイア姫は我が身を投げ打ってでも必ずお守りし、無事トルファンまでお送りする事を、この剣に誓いましょう」
凛とした低く、だが良く通る声で皆に誓約した。王も妃も頼もしく感じられて大きく頷く。
緊張に満ちた空気に、我慢している涙が溢れそうになって、エルシュレイアは小さく唇を噛むとドレスの裾を両手で持ち上げ、両親と敬愛する兄に最後の別れの言葉を告げた。
「…お父様、お母様、兄様。今まで有難うございました。エルシュレイアはトルファンに参ります」
「エルル…どうか、元気で…」
「はい。兄様もお元気で」
精一杯、微笑んで見せて名残惜しく背を向ける。
躊躇う事無く後方に控えた馬車へと足を進めた。長くこの場にいては、何処にも行きたくは無いと本音が出てしまいそうで怖かったからだった。
「…さぁ、参りましょう。ファルグレン殿。道案内はして頂けるのでしょう?」
「勿論ですとも。王女殿下。さぁ、此方へ」
馬車の座席へと導くように騎士が大きな手を差し出す。少し躊躇ったが、両親と兄に余計な心配はかけまいと、少女は「有難う」と礼を述べてその手に小さな手を乗せた。
専用の馬車の中に収まった愛娘は最後まで笑顔で。
騎士が御者に出発の合図を出す。自身は黒い大きな駿馬に跨って、少女の家族たちに軽く会釈をすると先導するように馬を歩かせた。
そうして、少しずつ。少女の視界からは住み慣れた王宮の姿が見えなくなっていった。
王宮から出て暫くすると、先導していた騎士の馬が歩を緩め、黒い馬車の小さな窓から無言で外を眺める少女に近寄ってきた。
「捕われのお姫様って顔をしているぜ?」
「……似たようなものじゃない」
「…ククク。本当に、アンタは面白いな」
「…貴方ほど無礼でもないつもりですけど?」
ツンと横を向く様に、騎士は目を細めて、咽喉の奥で低く笑った。
「…無礼、か。そう、面と向かって言われたのは初めてだなぁ」
「そう? じゃあ、みんな、貴方の顔が怖くて言えなかったのね?」
「…っ…!?」
少女の言葉に、騎士は意外そうな表情で大きく目を見開いた。
その何とも間抜けな表情に、少女は口元を小さな手で押さえて、ぷ、と小さく吹きだす。
「俺の顔が怖いだって!?」
「そうよ。怖いわ」
「何処がだ!? 今までハンサムだ、男らしい、とかしか言われた事がないぞ?」
「ものは云い様ね。確かに男らしいかもしれないけど、ハンサムじゃあないと思うわ。どちらかというと野蛮人くさいもの」
「…野蛮人…」
「そう、野蛮人」
少女の言葉にショックを受けたのか、暫く無表情のまま黙りこくっていた騎士だったが、一呼吸置いて豪快に吹きだした。その大きな笑い声に、少女がビクリと身体を揺らす。
「そうか!野蛮人か!! はっはっは!! その例えは言い得て妙だなぁ」
余程おかしかったのか、くつくつと笑い続ける騎士を、少女は怪訝な目つきで見詰めた。
自分としては、この無礼な騎士に対してのささやかな嫌味だったのだが、どうやら通じてはいないらしい。
――なんなの…この男!?
「…クックック…確かに俺は皆に恐れられているが、顔が怖い等と言われたのは初めてだし、言ったのはお前だけだ。益々、気に入ったよ」
「…え?」
「いや、何でも無い。ククク…そうか、野蛮人か…」
今、サラリとすごい事を言われたような気がしたが、それには気づかない振りをしてエルシュレイアは視線を外に移した。
王宮から出てどのくらい経ったのだろうか。城下町をすり抜け国境に伸びる一本道の街道を、ゆっくりと馬車は進む。町並みが視界から消え、広々とひろがる草原の中に整備された街道は、王城とその城下町に繋がるだけあって中々に大きく、そして整備されている。
大好きな両親や兄、住み慣れた場所を離れる淋しさがあっても、初めて見る景色に心は少しばかり弾んでいた。王宮にいる時は、自分の部屋の窓から見える城下の町並みだけが、彼女の世界であったからだ。
それにしても。と、彼女は思う。
確か、この無礼な野蛮人騎士は護衛にもう一人の騎士が居ると言っていた。
しかし、実際に今日、姫を迎えにきたのはこの騎士と馬車を操る御者だけ。城下町を過ぎても一向にもう一人は現れない。
これは、どういう事か。嘘を吐かれたのではあるまいか。
「ファルグレン殿?」
「何でございますかな? 王女殿下」
「…あら、まともな返答も返せるのね?」
「エルシュレイア姫が、丁寧に『殿』を付けて下さったからな。俺を騎士として認めてくれてるからだろう?」
「まがりなりにも、兄様が貴方を『トルファン一の騎士』と、仰ってたからです」
「…こいつは手厳しい!」
そう言って、騎士が目を細めて口の端を上げる。その笑い方にはニヤニヤという擬音さえついてきそうだ。
――この笑い方、何とかならないのかしら。これさえなければ結構…
呆れ顔で見て、そして小さく首を振った。今、一瞬、自分は何を考えたのか。
答えを見つけるのが怖くて、性急に口を開く。
「…兎に角、ファルグレン殿…」
「呼び捨てで構いませんよ、姫。仮にも貴女は俺より身分も高く、もしかしたら主なるかも知れぬお方だ」
「仮にも…は余計ね」
「申し訳ありません。こういう性分ですから」
「…ファルグレン…言い難いわねぇ…」
「殿がついている方が呼び難いでしょう。なんでしたら縮めて頂いても構いませんが。ファルでもグレンでも」
「…どっちもピンと来ないけど…じゃあ、グレンで」
「御意。王女殿下」
急に畏まった騎士の言葉遣いに少女の口からため息が漏れる。
あまりに無礼なのも許しがたいが、こうあからさまに口調を変えられても、それはそれで気持ち悪い。
「…何だか、気持ち悪いわ。貴方みたいに無礼な人が、まともな口調で喋るのって」
「それは失礼」
ニヤリと口の端を上げて、また騎士が豪快に笑う。
それを横目で見て、少女は諦めたように小さく息を吐いた。
「…グレン。貴方、私の護衛にはもう一人騎士がつくって言ってたわね? その方は何処にいるの? 一向に姿が見えないようだけど…」
問われた言葉に、騎士は口を引き結ぶと視線をふいと前にずらした。
街道の先に小さな宿場の入口を差す看板が立っているのが、僅かながらに視界に入ってくる。
気がつけば、辺りは徐々にオレンジ色に染まろうとしていて、夜になる前に宿場に入れれば予定通りだ。
「ああ、申し訳ありません。此方の都合でとある場所にて待ち合わせしているのです」
「…待ち合わせ? ふぅん…そう…」
小さな返答に視線を少女に移せば、伏せめがちの大きな瞳に生え揃う長い睫がかすかに震えている。
気丈に振舞ってはいるが、少女はまだまだ幼い。見知らぬ土地へと赴く事に不安がない訳ではないのだ。
騎士はそっと手綱を引くと、御者台の傍まで馬を進め、何事かを指示する。御者は黙って頷くと馬車を引っ張る二頭の馬の手綱を引き、宿場町までの道のりを急がせた。
<続く>
説明 | ||
隣国の王子に嫁ぐ事になった小国の姫と、その姫を迎えに来た野蛮人騎士の珍道中? ドタバタしてますが、一応恋愛ものです。2話目。 |
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