炎のいけにえ
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平成22年といえば。

昭和でいえば昭和85年。

大正初期といえば、概ね100年前である。

この年、我が国の100歳以上の高齢者は4万人を越えた。

 

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平成22年の夏は、記録的な猛暑だった。

連日各地では最高気温35度を超える猛暑日が続いた。

まさに記録破りな夏だった。

 

そんななか・・7月に東京都足立区で都内男性最高齢の111歳とされてきた

男性が自宅でミイラ化した遺体で発見された。

男性は約30年前に既に死亡しており、家族による年金不正受給が明らかとなった。

 

一方、東京都の女性最高齢者とされていた113歳の女性は住民登録上は

79歳の長女と杉並区で暮らしていることになっていたが、

実際にはどこに住んでいるのかわからない・・ことが判明した。

これ等の事件を発端に、8月3日長妻厚生労働大臣は地方自治体に

110歳以上の高齢者の所在確認を命じた。

 

高齢者の所在を確認する作業が各地の役所の市民課で始まった。

するとコンピューター上のデータでは。

大阪府東大阪市では分久元年(1861年)生まれの149歳とか

山口県防府市では文政7年(1824年)生まれの186歳とか

8月27日には長崎県壱岐市で文化7年(1810年)生まれの200歳男性

の戸籍上“生存”していることが発覚した。

 

年金不正受給問題が槍玉にあがるなか、

行政による管理体制の甘さが問題となった。

テレビ・新聞などの論調では、「所在のわからない高齢者」

「希薄になった家族の絆」「不正受給してでも頼らざるを得ない年金」

などなど問題は広がっていった。

 

そして、我が市内でも、上司のアイデアで

「市内の100歳以上、でも数はそんなに居ないわな」ということで

100歳以上について所在確認作業が調査が始まって。

市内でみればそれとて、たいした数ではない。

 

そんな矢先。

上司の命令で市内在住のそんなリストをアウトプットして。

コンピュータ上に乗らなかった古いデータと二人がかりで照合しながら。

そして発見してしまった。

 

安政7年・・西暦でいうと・・1860年?って・・150歳?

なにかの些細な間違いは、こういうときに。絶望的な結論を及ぼす。

そして別件で南部の出張所から明治33年・・1900年生まれの

女性の所在確認がつかない・・と連絡があり_。

 

市民課の面倒な作業といえば、ヤクザものが窓口に来たとか

我侭な年寄りがごねるとか・・凡その見当は付くものだが

今回のような特殊な事例となると・・やはり中堅の出番となる。

あぁ、課長と目があってしまった_。

 

「そだな、キミ・・この件・・頼むわ・・。

近くの出張所の者と一緒に、な。ササッとさ。」

しかし、ひょっとしたら・・

イヤですよ。死体と出喰わすかもしれないんですよね?

「仕方ないじゃん。んまぁなにかあったら連絡頂戴な」

 

云うのは簡単なものだ。

だが、公僕として粛々と業務に邁進する所存_。

「わかりました。早速明日にでも。」

<章= 壱>

その晩、うちに帰ると、女房が父親と口喧嘩していた。

後期高齢者の父親は冷房を嫌がる。

「クーラーはね、体の芯まで冷えきらせてしまうから、辛いんだよ」

「でも、おとうさん、今年の夏は異常なんですよ。弱くでも点けておかないと・・」

そこに帰るというのも、困ったもので。

「テレビのニュースでもやってるだろ、父さん。

今年の夏は異常なんだよ。熱中症で死んでる老人の大半は夜間に寝ている間に・・」

「あぁ、わかったよ!」と短気を起こす。

「でもやっぱり・・クーラーは腰にくるんだよな。

腰が痛くてかなわんよ。」

 

この春に母を失ってからと云うもの父親の短気は・・。

母は筋萎縮性側索硬化症(ALS)という重い病に罹り

徐々に筋力は失われて、意思疎通も難しくなっていった。

父親はその介護に追われていたが、ある日、微弱ながら瞼の動きが

確認されPCに繋いだボードで母親との意思の疎通が出来たのだが。

 

「さぁ、明日から・・大変な仕事があるんだ。早く休ませてくれい・・。」

「なんだい?役所でどんな大変な仕事があるというんだ?

世間様じゃ、この不況で、大学生が大学出ても仕事がないってときに

おまえら役人というのは・・」

日夜、そういう市民のご批判を受けるのも仕事のうち_。

「あぁ、テレビでやってるやつさ、行方不明の高齢者探し・・さ。」

 

「あれかぁ、酷い話しだなぁ。日本も落ちるところまで落ちたな。

親を弔いもせず、放置して・・ってヤツな・・。

何か事情はあるんだろうが・・なんなんだろうな。

いくら不景気だからって・・なぁ。

だがな・・戸籍ってのは、結構いい加減なものだぞ」

<改ページ>

え?

「ホラ、俺と爺さんは誕生日が同じだったろ。

いやぁ勿論、歳は違うけどさ。同じ4月1日だったろ。」

そういえばそうだ・・ったね。

「隣の山田さんのご主人も先代も4月1日だよ。」

なんで?エイプリル・フール?

「戦災さ」

え?

「空襲を受けて役場が燃えてしまったのさ。で戸籍も何も灰になった。」

 

「だから、仕方なく戸籍を焼失した全員を4月1日生まれにしたんだ。

ほら、法律上早生まれにされるだろ。だから得だったんだな。

だからこの辺りの者は、4月1日生まれが多い。そんなもんさ。

だから、逆に言えば100年以上も記録が残っていた時点で驚きだ。」

そう聞いてしまうと、確かにそう思えるね。

「200年も前に戸籍の記録を残していたなんて、たいしたものだぞ。」

確かにそうともいえる。けど200歳とか150歳とか生きてるはずないものな。

間違った記録なんだよ。

 

風呂に入って、飯を喰って。

クーラーのタイマーを2時間にセットにして床に着く。

が、異常な暑さが2時間おきにやってきて。

その都度、寝汗と共に起き・・クーラーをセットして眠る。

そんなことを繰り返していると、早い朝が来てしまった。

<改ページ>

ぼんやりと明るくなる街並みを眺めていた。

新聞配達のカブが走り出して。

この大都市近郊の、住宅街。

多少古びてきてはいるが、何の変哲もないベッドタウン。

徐々に活気づいてきたが、6時前に30度をこえると

どっと汗が噴き出た。

 

ふと母の思い出が甦り、目頭が熱くなった_。

コミュニケーションエイドと呼ばれるPCの画面に

現れた母親の最後の意思は_延命治療の拒否だった。

“コレイジョウ、ゲキツウニハ、タエラレナイ”

 

それから父はとにかく痛みを和らげるよう医師に求めた。

母もそうだが。父もそのとき「覚悟」が決まったらしい。

祈る以外、なにもしてやれない。

そう嘆く父に私も家内も、かける言葉もなかった。

そんな無念・・無念にも似た無力感に

ようやく脱け出せたかのような夏だったが

この暑さのせいで無力感の上に無気力感も湛えてしまった。

 

しかし・・母は、このたいへんな猛暑を知らずに済んでよかった。

そう思うことにした。

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今日は役場に向かわず市の南部にある「南部出張所」の方に向かい

出張所の市民課の職員の青木という女性職員と

行方の知れないとされる110歳の老女の身元調査に向かう。

初老の域に達している青木は車に乗り込むと

ウンザリするほど早口で捲くし立てたため、ウンザリした。

 

要するに

@とても暑いのに役所は冷房28度設定を遵守しているのは不快だ。

A昼休みに冷房自体が止められてしまうのは、たいへん辛い。

B110歳の老女は「高木静」と云う名前である。

C電話確認できたのは娘と称する「五月」さんは80歳

D「静」さんは年金受給記録がある

の5点について順繰りに何度も。しかも早口で。

私は、辟易していた。

この人の周りは体感温度が5度ほど高いのではないか。

 

車に乗せられ、市の南部の所謂高級住宅街の辺りを走っていると。

古びてはいるが豪邸という言葉がピッタリくる洋館風な建物が見える。

そこが「高木」邸で。明治期以後、日本の金融界の一角をなす

メガバンクの総帥故・高木理一郎氏の実家として知られていた。

 

女系家族として週刊誌でも話題になったことがある高木家は

当代では理一郎氏の孫である高木五月さんが住んでおり

母親の高木静さんといっしょに住んでいる・・ハズだった。

呼び鈴を押し市役所の市民課の者であることを告げると

家政婦さんが応対し、応接間に案内してくれた。

 

空調の行き届いた快適な空間・・所狭しと並べられた

装飾品の数々が名家の雰囲気を醸し出している。

そこに杖を突きながらも、意外にしっかりとした足取りの

80歳とは思えない、きちんと化粧をし黒尽くめの洋服を着た

白髪の老婆が現われた。

 

「市役所の市民課の者ですが・・。

いまテレビのニュースなんかでやってますけど

110歳以上の高齢者の方々の所在確認と云うことで

お伺いいたしました・・。」

 

なんとも不躾というか、型通りというか、

いやぁ真面目な公務員らしい態度と云うか

青木女史は続けた。

「先日のお電話では、高木・・静さん・・は今年110歳を迎えられるそうですが

ご在宅ではない・・とお聞きいたしまして、直接伺って・・。」

 

言葉をひとつひとつ理解するように、上品な白髪の老婆は

頷きながら青木女史の矢次早の言葉を聴いていた。

そしてゆっくりと口を開いた。

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「母は明治の女でした_。

そういう云いかたが、正しいのかわかりませんけど・・。

母は元気な人でしたから・・。

90歳の卒寿のお誕生日のお祝いを・・家族でしたんですよ。

もう20年も前に。

 

そこで母は。

私たちに・・ええ私達・・夫婦・・妹夫婦・・孫夫婦

そして曾孫もいました。

感謝の言葉を述べたんです_。

“ありがとう”って。

 

そこで私たちに云ったんですよ。

つれあい・・つまり・・私の父ですが・・主人を亡くし

孫の成長も見ることが出来た。

しかも曾孫の元気な姿まで見ることが出来て幸せだ_。と。

 

そして、これまで元気で来れたのは私達娘夫婦のお蔭だ、と。

と、同時に、十分に生を全うした_。と感じたそうです。

母が言うには・・ですけど。」

 

「昔、府中の伯母さまも言ってたのね。

二人目の子どもがお腹にいるとき、最初の子どもと違って

なにかとても体調が悪くて。

産婦人科に入院する前に、遺書を用意して。

銀行の通帳はここにあって。

もしものとき連絡して欲しい友人達の住所録を作って。」

 

「ごめんなさい、関係ない話をして。

でもね。

そういう「覚悟」を持ってた人たちなんですよね。

明治の女・・というのは。

府中の叔母様も・・長生きされて。

やはり卒寿を迎えて、罹りつけのお医者様にだけ云ったのね。

 

十分に生を全うしたと。感じたそうですわ。

之以上、生きている必要は無い、と考えたそぅです。

もし之以上。生きていて。

もし息子夫婦の世話になることになったら。

と考えたそうですわ。」

「それは、叔母の生き様であり、死生観であり、延命治療の辞退であり

翌日からの<絶食>の宣言で。

翌日から、叔母は自分の部屋に閉じこもり、食事を取らなくなった。

他のものが部屋に入るのも禁じて。

そして。

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<絶食>の宣言から二ヶ月が経って。

主治医の先生は叔母の死亡診断を行ない

見事なまでの、その尊い崇高さすら感じる遺体を前に

「老衰」と診断して。

ご家族を前に「誠に天晴れな老衰」と敬意を表したといいます。」

 

「母もそのことが念頭にあったんじゃないか、と思います。

母は卒寿を迎えた翌日に、旅に出ました。

一言「さがしてくれるな」と、書き置きを残して_。

だから、私たちは停めもせず、それは母の選んだ人間の尊厳。

終局を間近に迎えた人間の「覚悟」

まるで死に場所を選ぶように。

母は、旅に出たのです。」

 

「母に比べれば、私などは「覚悟」が出来ずにいるのかもしれません」

 

なんとも、人間の死生観というか、尊厳というか。

深い話をされて、私は感慨に浸っていたが青木女史は

せっせと仕事を片付けていった。

 

「おかあさまの年金の不正受給とかしてませんよね?」

上品な五月さんは、流石に慇懃無礼極まる青木女史の

仕事ぶりに苛立ちを感じたようで。

顔を紅潮させて_。

 

「年金については勿論受け取っています。

母が必要なときにおろせるように。

勿論、母が通帳を持っています。

ここにはありません。」

と、いきり立った。

 

私は丁寧に侘びをいれ、青木女史と高木邸から失礼して。

私はそのまま上司に電話で報告した。

年金関連の難しい事態については上役に任せたほうがよかろう、と。

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しかしとにかく「高木静」さんは、娘さん宅には同居しては居らず

20年前にどこかに旅立ったのを期に消息不明。これは事実なのだろう。

「上品ぶっても絶対に年金の不正受給のパターンですよ!」

狭い軽自動車の車内で青木女史の怒りの篭った

独り言には耳を貸さず、ふと思った。

 

死生観_。

つまりは自らの生と死についての考え方。

なんとも「崇高さ」をもった話を聞かされて

しかしなんとも「自由」さをもった話でもあって。

 

「自由」_。

意思の疎通もままならなくなり、激痛と闘い続け

そして、逝った私の母親に比べれば_。

自らの選択肢として「死」があるということは

私には、それも「自由」である気がした。

例えば。毎日毎日、激痛に苛まれ続けて医師に「殺してくれ」と

せがむ年寄りは現行法上「殺してくれ」ない。

延命療法を「断った」としても「殺してくれ」はしない。

それに比べれば「自由」なのかもしれない。

 

ネチネチとしつこく苛立ちを隠さない青木女史は出張所まで

文句を言い続けていた。

 

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出張所に戻って昼食をとると、役場の<省エネ政策>で

昼休み時間は冷房を止められてしまうため、暑さに耐えられず、

市役所のロゴの入った軽自動車に乗り、次の調査地に向かった。

「いやぁ今度はひとりで行きますよ。帰りに市役所に廻ります。」

「南部出張所」から、市境の川に沿った堤防の上の道を通って。

 

堤防脇の古い民家の建ち並ぶ地区に差し掛かる。

路地が細く未だに戦後を引きづったような一画。

軽自動車でも入っていけないような細い路地を入っていき

バラックのような、粗末な、日に焼けた家並み。

 

全てが乾燥しきっていて。

なにか呼吸をするのも息苦しいほどの熱気が漂っている。

ひと気の無い灼熱のバラック小屋の一画。

古くは戦後まもなく立てられた市営住宅で

住民の高齢化に伴ない人数は減ってはいるが

立ち退きも強制できないでいる・・そんな時代に取り残された一画。

屋根に貼られたトタンが体感温度を押し上げている。

 

生活感すらも乾燥しきってしまったような古いバラックの一画

のそれでも日陰になった路地を歩いていくと

戸籍上150歳を迎える老人の住むとされる住所に行き当たった。

引き戸を開け、

「すいませーん、市役所のものですが・・」

と声を掛ける。

 

中から、ランニング姿の老人がこちらを向いている。

「どなたかな_?」

頭は禿げ上がり、目は白内障であろうか白く濁った老人が

ゆっくりと、玄関先に這ってくる。

先程の老婆ぐらいか?とすれば80歳前後_。

息子・・いや・・孫か。

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「あぁ、こんにちは・・市役所の市民課のものですが・・。

こちらに山嵜新衛門さんという方は・・ご在宅でしょうか?」

首を不自然に廻しながら、

バランスの悪い歩き方・・いや

壁伝いに立ち上がった。

「立ち上がるのもひと苦労だよォ」

 

もうセピア色に変色した写真がそれでも

丁寧に額に入れて玄関に置いてある。

軍服姿の若い男の写真。

恐らくは・・この老人の若い頃・・

出征時に撮ったものではないか?と思われる。

「これは・・お若いときの写真ですか?」

「あぁありゃぁよぅ・・息子よぅ。

不思議なものよォ。皆、ワシのことじゃと思ふらしぃ・・。

そんなに似ておるかい。」

まさか似ていないとも云えないので

「えぇ、まぁ・・」と答えてみる。

 

「このあたりはぁ・・段々人が居なくなっちまってなぁ

ごらんのようにあばら家ばかりだから人も寄り付かんわねぇ。

耳が悪いんでね・・大きな声で言ってくれないかね?」

 

あぁ・・

「市役所の市民課のものですが・・・」

私の言葉を遮るように・・

「息子はさ、陸軍の軍曹サマになってさ。

随分と戦地じゃ活躍して、たくさん勲章貰ってさ。

このあたりじゃ有名人だったんだぞ、あぁ。」

私の言葉が聞こえているのか_?いないのか_?

 

「敵の砲撃を掻い潜ってさぁ、仲間を助けたって話だった。

このあたりじゃ、おめぇ・・軍神さまって言われたものさね。」

ダメだ・・完全に聞こえていないかもしれない。

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「けどさ。人間いちばんしちゃァいけないのはさぁ。

親より早く死ぬことだぞな。

息子は・・はぁ・・ふたつの大戦を生き抜いたが・・

背中に受けた傷が・・元で・・死んでしまった。

最後の2年ほどは苦しんでの・・見るが辛かった。」

 

「戦争はやはり・・いかん。辛すぎるわ。本当に辛すぎる。」

戦争の記憶は・・私の父親ですら子どもの頃の記憶。

とにかく空腹の記憶だな・・と聞いたことがあるが

時間の経過と共に・・私の世代には・・すでに歴史の1ページ。

しかもあまり触れられない巻末の1ページになっていった。

 

敗戦の記憶・・だからこそ?

先人達はあまり多くを語らなかったのか?

そこでいったいなにがあったのか・・という

疑問すら起こさせないような・・

まるで記憶を埋没させるような「反戦」活動家たちの

動きもあり、触れることも憚られるような、タブーとなった。

 

「苦しんで、苦しんで・・

もう・・たのむけぇ・・死んでたもれ、と思うたこともあってさ。

けどな・・やはり、死なれると、哀しゅうて、寂しゅうて。

あんまり哀しゅうて・・遺骨をな・・食べてしまったんだ・・。

息子の遺骨をよォ。」

 

実はそういう話は結構あって。

家族肉親の死を悲しみ、その遺骨を同化してしまう意味もあったのか_。

悲しみの中で遺骨を食した。

という家族の絆が強かった時代の

絆ゆえの猟奇的な奇行だったのか_。

 

「そんな非道なことをしてしまったから。

そんな畜生のようなことをしてしまったからに違いない。

息子ばかりか、孫までも先に喪う事になってしまった。

やはり二つの大戦を生き抜いたんじゃが、」

 

「受けた傷が元で・・亡くなってしまった。

きっと私ん・・あがいな・・非道を・・畜生道をしたけぇ

きっと罰が当たったんね・・でもねぇ・・」

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「我が子がよ。我が孫がよ。

自分より先に逝くということはよ。

辛いことよ。どうして我が身に変わってもらえんのか、と。

神様、仏様を恨みもしただ。

だから私ん、更に鬼畜道にまで落ちてしまった。」

 

「孫はよ。

この部屋で息を引き取ったんだけどね。

哀しくてね、私ん、もうね半狂乱だったんだろうね。

私は孫の遺体を・・喰ってしまったんだ。」

 

此処まで聴いたとき、噎せ返るような熱気の篭ったこの西日の当たる部屋で。

背中に流れ出る汗は一気に冷え切った。

「そしたらさ・・神様だか、仏様だか、知らないけどな。

まぁ・・見てくれぃ・・。」

老人は、私の手を獲り、ふすまを開けると隣の部屋が見えた。

 

万年床のような汚らしい布団の上には

ミイラ化した遺体が横たわっている。

私は声を上げたが・・乾いた喉で声にはならず・・

 

老人は狂気の眼差しを浮かべた。

「次の朝起きたら・・別の身体で起き上がってしまったんだよ。」

幽体離脱_?

 

「難しいことは知らないよ・・別な身体で、元の身体は・・寝たまんまで。

神様も御無体な事をされるものよ・・。

鬼畜道に落ちた私は、死にもせずに・・

だが、仕方ない。落ちてしまったものは。

「覚悟」はできたよ、鬼畜道で生きてゆくと。

それからは・・行き倒れの死体ばかり喰らっておるよ・・」

え_?

 

「でも偶には生肉もええもんでのぉ」

 

私は気が動転していたが

そんなときには・・いまそんなことどうでもいいじゃないか!

というようなことばかりが頭に浮かぶ・・のはなぜだ・!

狂気の老人は乾燥しきった肌の割には力強く私の腕を握っている。

振りほどけない・・ほどに。

 

「ひとつ、ひとつだけ・・質問させてください・・

息子さん・・息子さんの・・出征された二つの大戦って・・いうのは・・」

 

「日清、日露の戦いに決まっておろぅがぃ!」

信じたくない答えを前に、慄く自分が居て

「え?・・そ・・そうなんですか?あなたは・・150歳の・・」

 

「そうだよ、山嵜新衛門だよ・・。」

老人は・・とても150歳とは思えない腕力で私の腕を掴みながら

老獪な邪悪な意思を白内障で濁った瞳の奥に隠しながら

唾液を湛えた口元は純粋に・・旺盛なる食欲を・・漂わせていた。

「どうでもいいけど、あんた・・いい肉付きしとるねぇ。」

 

 

説明
猛暑の夏には太陽の黒点が作用して人が異常な行動をして自殺者が増える_。
んなハナシ聴いたことが・・あろうがなかろうが
イタリア映画界は立派な?猟奇映画<ジャーロ>のネタにしてしまったんですなぁ。

猛暑のローマで起こる変死事件の数々。
兎にも角にも、異様。
見るほどに、ワケワカ。
変死体同士がセックスしても。
出てくるヤツが皆変なヤツでも。
変死体マニアと
それでもミムジー・ファーマーの脱ぎっぷりに天晴れ!な
ひと以外は・・こんな映画見ちゃいけませんw

「東宝東和」提供
「悪魔のいけにえ」「恐怖のいけにえ」に続く
映画の<極北>「いけにえ」三部作の最狂作品!
てなことで。こんなタイトル喜ぶのは
平岩と稗田さんだけだ!

<甘草Rさまのネタフリ>と<幾つかの事実と噂話>
<稗田さまに注入された東宝東和根性>を
混ぜこぜにしてシェイクしたのがパリッパリの
新作の今作。

不謹慎に思われるかもしれないんですが
三者三様の「死生観」若しくは「覚悟」についての
物語でもあって。
そのうち幾つかは実話をベースにした擬似
ドキュメンタリー的な要素もあって、
かなりシリアス風味で・・ラストは_?!
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怪奇 高齢者所在不明問題 ラブクラフト 

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