鞍馬天狗と紅い下駄 そのじゅうさん |
三十七、「大河童いまりと棒雨」
「まったく、阿保烏がぴーちくぱーちくと囀りおって、調子に乗るでない!!」
テーブルの上でかろうじて強風に耐えていたグラスの中の水が渦を巻き、次いで唸りを上げて浮き上がった。水の飛沫が風に逆らい、黒い翼をはためかせるクララの元へと飛んでいく。それは彼女の肩を切り裂いて、赤い飛沫をまき散らした。
水弾が当たった箇所を抑えるクララ。きりの中から現れた、見知った女の顔に、彼女は目を見開く。室内を駆け巡っていた風は自然と止んでいた。
「そんな。いまり、どうしてその姿に!!」
「ふむ、今の人間の技術というのはなかなか侮れんでな。割られた頭の皿も桜花のつてでこれこの通り、割れる前と寸々変わらずに元通りよ。詰めが甘かったのう、朱里よ」
さぁ、ここからは妾の手番じゃ。大人いまりが着物の袖を張れば、中から扇子が飛び出してくれる。
水色の波紋が描かれたその扇子を開き仰げば、途端に部屋の天井に霧が立ち込める。
「その羽を濡れ羽色に染めてやろうぞ」
「なっ、ちょっと、待ちなさいよ!! いきなりだなんて、卑怯よ!!」
「妾に二度も奇襲を仕掛けておいて、いう事がそれか!!」
霧があかりの頭上に集まる。カーキ色の天井がその部分だけ何の混じりもない白い色に染まる。いまりの指先が振り下ろされれば、それに応じて柱の様な雨が、羽をはばたかせるあかりに向かって落下した。
身を翻して避けるあかり。しかし、頭上から降り注ぐ矢は一つではない。這う隙間もなく落ちてくる水の柱に、徐々に彼女の翼は艶やかに湿っていく。
濡れた羽は重くあかりの機動性を大きく削いだ。加えて、濡れた羽を自由に動かす事かなわず、やがて彼女は地に足をついた。
「無様よのう。前にお主と一戦交えた時も、このような幕切れだったか」
「なによっ!! こんなの、私の体が本調子だったら、何てことは」
「子供の妾を散々に痛めつけておいて、その様な事を申すか。まったく、負けん気と向こう見ずな所だけは、お主には敵わぬよ」
馬鹿にして。叫ぶと共に翼をはためかせて風を起こすあかり。しかしながら、水をたらふく吸った羽では悪あがきにもならず、そよ風がいまりの顔を撫でただけだった。
無様とばかりにあかりを鼻で笑ういまり。睨み付ける少女の前に、彼女はゆっくりと手をかざした。
「終わりじゃ。少し頭を冷やすがよい」
いまりの手中に水が集まる。その顔は一切の感情を介在させない冷めたものだった。
三十八、「みんなのかーちゃん」
まさにいまりが手中に集まった水を放とうという時、彼女とクララの間に楓が立ちふさがった。腕を広げて、全身でクララを庇う楓。その眼は光を中に湛えていない空虚な物で、未だクララの術中にあることを示していた。
「止めろ楓。妾の邪魔をするでない」
「駄目よいまりちゃん。クララちゃんに危害は加えさせないわ」
一向に退く気配のない楓。操られている人間に交渉などやはり無意味だ。
いまりはため息を吐くと楓の後ろに隠れているクララを睨み付けた。
「鞍馬の女天狗も落ちたものよのう。己の実力で敵わぬと見るや、人質を立てにするとは。ほとほとあきれ返ったわ」
違う、と、クララが小さな声で呟いた。何が違うか、このたわけがと激昂するいまりだったが、こちらを見るクララの表情を目にすると顔色が変わった。
「違うの。だって私、魅惑の術は、とっくに解いているんだもの」
そっといまりの頭に楓の手が伸びていた。優しく頭の上の伊万里の皿を手に取ると、楓はそれを抱きしめた。同時にポンと弾ける音がして煙がいまりの周りに立ち込めた。
白い煙が晴れれば、中から出てきたのは子供の姿のいまり。その視線は、自分の皿を抱いている、眼前の楓の顔を眺めていた。
その瞳には、光が戻っていた。
「かーちゃん。正気にもどったの!?」
「えぇそうよ。クララちゃんが術を解いてくれたからね。ごめんなさいね、いまりちゃん。プリキュアショー、一緒に行けなくって」
膝を折り身をかがめると、お皿のなくなったいまりの頭をや差しく撫でる楓。櫛で漉くようにその髪を撫でつけると、優しく彼女はいまりに微笑んだ。
その笑顔に、いまりは楓が正気に戻ったことを確信して、彼女の胸に飛び込んだ。
「よかった、かーちゃん、元にもどってよかったぁ。しんぱいしたんだから、いまり、いっぱいいーっぱいしんぱいしたんだから」
「ごめんね、いまりちゃん。心配かけちゃって。けどね、いまりちゃんのことを心配している人だっていたんだよ。ねぇ、あかりちゃん」
振り返り、クララの方を向く楓。顔を赤く染め、涙を流しながら俯いている彼女に、楓はいまりにしたのと同じように歩み寄り、そして、その頭を撫でた。
「楓、ごめんなさい。魅惑の術、勝手にかけちゃって」
「いいのよ。だって、最後にはこうしてちゃんと解いてくれたでしょう」
良い子ね、と、楓は優しくクララを胸に抱いた。女天狗が声を荒げて泣き始めた。
三十九、「河童いまりと鞍馬天狗」
事の発端は橋谷先輩からの電話だった。いまりちゃんを連れてジャスコのプリキュアショーに行ってほしい欲しいと頼まれた私は、既にその日はあかりちゃんと一緒に遊ぶ約束をしていたため、しぶしぶその願いを断った。
そしてその日の晩、私とあかりちゃん、ぺんたろうの二人と一匹でご飯を食べている最中に、ふとそのことを思い出した。いまりちゃんと同じく、あかりちゃんもプリキュアを欠かさず見ている。どうやら妖怪は総じてプリキュアが好きらしい。もし、彼女がショーを見に行きたいというのなら、その日の予定をキャンセルして、いまりちゃんと一緒に行くのはどうだろうか。そう思ったのだ。
しかしながら、私のそんな目論見は思わぬ状況を呼び込んだ。いまりちゃんを何とかして元に戻したいと思っていたあかりちゃんは、その日に合わせて彼女を襲撃する計画を提案してきた。一緒に暮らし始めた頃から、彼女の目的はそれとなく聞かされていたため私も把握していたが、私と一緒に遊んで居るにつれて日に日に無邪気になっていく彼女が、目の前でハンバーグを口いっぱいに頬張って幸せそうにしている彼女が、そんなことを提案するなど、私には考え付かなかった。
もちろん、そんなことはしてはいけないと、私はあかりちゃんの提案に反対した。心の底ではいまりちゃんのことを心配している優しい娘である、話せばきっとわかってくれると思ったし、なにより、友達にそんなことをして良いとは思えなかった。
しかし、私の交渉は失敗に終わった。すっかりといまりちゃん襲撃にその気になっていたあかりちゃんは、私が止めるのも聞かずに、どころか、私に魅惑の術までかけて無理矢理協力させて、今回の事件を起こしたのだ。
「いまりちゃん。ごめんなさいね、怖い思いをさせちゃって。けどね、あかりちゃんもいまりちゃんのことが嫌いでこんな事をしたわけじゃないのよ。分かってあげて」
「いまりしってる。くららちゃんはね、つんでれさんなんだよね」
「だっ、誰がツンデレよ!! そんなんじゃないわよ、馬鹿いまりっ!!」
顔を真っ赤にして否定するあかりちゃん。彼女が小さくなってしまったいまりちゃんのことをどれだけ心配していたか、また、どれだけ楽しそうに一緒に過ごしていた日々の事を私に語ったか、それを思い出せば自然と顔の表情が緩んでしまう。
なんで笑うのよ楓と、あかりちゃんが私の方を恨めしそうに見つめる。今にも泣きだしそうな彼女の手を私は取ると、もう一つの手でいまりちゃんの手を取った。
きょとんとする二人の手を重ね合わせて、私は二人の頭を撫でる。
「さっ、もう良いでしょう。二人とも、仲直りしましょう、ね」
顔を見合わせる二人。いまりちゃんが笑い、あかりちゃんは顔を紅くして逸らした。
四十、「天狗あかりと紅い靴」
センパイの手により結界を破壊したその日、久しぶりに六崎から連絡が入った。どうしたんだ、怪我はないかと尋ねると、いつもの調子で彼女は大丈夫ですと答え、これから僕の部屋に集まれないかという話になった。
ペンギンのような何かであるペンタローを簀巻きにしてボンネットに放り込み、アクセル全開でアパートへと戻る僕とセンパイ。到着したアパートの前で、いつもより少しマシな格好をした六崎を見つけると、僕はサイドブレーキを降ろし、すぐさま車の外へと飛び出した。
ウールのコート越しに六崎の肩を掴むと、僕は彼女を揺する。大丈夫か、意識はあるかと尋ねると、大丈夫ですよ先輩と、少し困惑しながらも彼女は僕に言った。
「す、すみません橋谷先輩。それと、興津先輩も。なんだか、私のせいで迷惑をかけてしまったようで」
「いや、六崎が無事ならいいんだよ」
「秀介の言うとおりだ無事で何より。しかしまぁ、それとは別に、何があったのか説明くらいはしてもらおうか。あの空間と、あのペンギン、それと、あかりだったか、いったいお前、何に巻き込まれたっていうんだ」
「それはその、説明しようとすると、とてもややっこしいことになるんですが」
そういって目を泳がせる六崎。その視線の先には、いまりと、彼女より少し背丈の大きい、黒い長髪をした女の子が立っていた。偶然にも、彼女の服装は、いまりと同じく着物だった。と、いうことは。
「くららちゃんのくつ、あかくておりぼんさんついててかわいいなぁ」
「良いでしょう。楓が私に似合うって買ってくれたのよ」
「くららちゃん、ちょっといまりにかしてちょうだい。もしかしたら、いまりも赤いくつにあうかもだから」
「嫌よ、貸してあげません。これは楓が私にプレゼントしてくれた、大切な大切な靴なんだもの。それに、いまりなんかにかしたら壊されちゃうしね」
「いまりこわしたりしないもん。くららちゃんのいじわる、けちんぼ。いいじゃん、少しくらいかしてくれたって。へるもんじゃないんだから」
動き辛そうな着物姿で追いかけっこを繰り広げるいまりと黒い長髪の女の子。いまりがこんな生き生きとした表情で戯れているのは、ちょっと僕も見た事がない。
さぁ、捕まえたといまりが女の子の肩に手を伸ばした。その時、女の子の背中に黒い翼が映えたかと思うと、彼女の体が宙に舞い上がった。なるほど、そういうことか。
「誰が貸してあげるもんですか、馬鹿いまり。ふんっだ!!」
説明 | ||
河童幼女と暮らすほのぼの小説。短編なので気軽に読んでください。 pixivで連載していた前作「河童いまりと頭の皿」はこちら。⇒ http://www.pixiv.net/series.php?id=31613 |
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