ぬらりひょん
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久しぶりに、海辺の実家に帰ることとなって。

ひとり、バスを降りると、もう夕暮れだった。

実家には、いまでは、母親がひとり。

魚の干物を作っている。

 

私は、漁師の夫婦の間に生まれた次男坊。

漁が悪ければ、メシの食上げ。

そんな貧しい漁村だった。

兄は、父と海に出て、家と舟を継いだが

二人とも、海で亡くなった。

 

体の小さかった私は、一念奮起して、東京の大学を出て

サラリーマンになった。

父も兄も「楽な生活しやがって」と馬鹿にしたが

母親は素直に喜んでくれた。

「ウチでボーナスもらえるんわアンタだけさ。」

 

しかし、その後、そのボーナスは減り、やがて無くなった。

給料も遅れがちとなり、やがて支払われなくなった。

他の仕事も探してみたが、このご時勢、簡単に見つかるもんじゃない。

私は、アパートを引き払い、母に電話をした。

「明日ぁ、帰るわ。」

 

母は恐らく気落ちした私の声でなにか気付いたのだろう。

しかし明るい声で答えてくれた。

「そうかね、あんまり遅くなるんじゃないよ。」と。

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バス停に着くと、夕暮れが近かった。

松林の間の小道を進むと、潮の香りがした。

東京に出たての頃は随分と気にしていた・・魚臭さ。

いまでは、そんなことも笑い話にもならない。

 

村を出た頃のまま。

まるでタイムスリップしたような。

いや、自分だけが激しい時流に流され老いてしまったかのような

まるで変わらない村の風情が残っていた。

 

潮風に干してある網。

木製の電柱には傘をつけた白熱灯が点いていた。

この辺の家の特徴でもある屋根には石が積んであって。

緩やかな坂を下りていくと、粗末だが懐かしい我が家が見えた。

 

我が家に近づくと、懐かしい母親の作ったカレーの匂いがした。

玄関を開け「ただいま」と声を掛けると。

土間の奥の台所にいた母親は「お帰り」と答えた。

さすがに笑った顔に刻まれた皺は深くなり

時の流れに流されたのは自分だけではないことに気がついた。

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思えば。父と兄の葬儀のあと。はじめてこの家に戻ったのではないか。

そんな不義理を、正直、このときまで考えてもみなかった。

なんとも不幸な。なんとも考えられないような「事故」だと聞いた。

「腕のよい漁師」としてこの辺では名の通った親子が時化てもいない海で

突然、海に落ちて亡くなった_。

 

なにかとても重い感情に囚われ、一瞬、めまいを感じたが。

「こんばんは、お前の好きなカレーこさえたから。

さっさと二階で着替えてきな。」

母親の言葉に、気を取り戻して。

 

古くて細い、歩くたびに軋む階段を登って二階の部屋に行く。

かつて私と兄の部屋だった。今見れば、ほんの6畳ほどの部屋なのだが。

そのころは私と兄との大切な部屋だった。

揃いの学習机を並べて。揃いの鉛筆、筆箱。兄弟の宝は「海の動物図鑑」だった_。

そんなことを思い出しながら、スーツを脱ぎ、ハンガーにかけて、ふりかえると。

_だれ、あんた?

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ギョッとして、高鳴る心臓を収めるのが必死だった。

目の前に、老人が座っている。

着物を少々だらしなく着崩しているような。

しかし、形よく正座して、こちらをぼんやりと眺めている。

 

見たことがある・・・昔。

偏屈な頑固ものを現わすような太い眉毛。

この辺の漁師特有の、日焼けした顔。

その割には、華奢な印象も受けるヒョロッとした肩。

そのうえにバランスの悪そうなほどの大きな頭。

何処を見ているのか、見ていないのか

優柔不断そうな眼差し。

 

_ひょっとしてイサク爺さん?

コクリと、頷いてみせる。

イサク爺さんといえば、むかしから・・昔から、爺さんで。

もぅとっくの昔に・・いや・・失礼。

いや、そんなことより、なんですか、こんなところに。

 

「んなぁことはさ、どうでもいいことじゃないの。」

ムニャムニャと語り始める・・。

「しかしぃ、おまいさんともひさしぶりじゃないかぁ〜。

東京にいったってきいてたがなぁ〜。あっちはどうかい。」

 

たいへんなところですよ。ひとが多くて。この辺とはまるで違います。

「ほぅかぁ、たいへんなところだぁな。しごと無いひともおおいらしいなぁ。」

この不景気ですからね、皆たいへんですよ。

「そか。そぅだろぅなぁ。ひとはしごとがあってのもんだからなぁ〜。

でぇ・・おまいさんの・・いやぁ・・すまんかったぁ、ほぅか、ほぅかぁ〜」

 

何気に自分の情け無い境遇がばれてしまうほど・・。

自分は情け無い顔だったのか、と心配した。

「しかしぃ、もどってこれる場所があってぇ〜、よかった、いやぁよかったぁ〜。」

実は・・。

「いわんでも、わかるよォ〜、だまっておけ、だまっておけ。」

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「しかしなぁ〜、おまいさん、もどってきてくれてさぁ〜

おふくろさんもよろこんでおるだろぅにぃ〜」

いやぁ、まだ母さんには云えないですよ、勤めてた会社が潰れて、なんて。

「でもなぁ〜、ここにもどってきたにはわけがあるだろぅ〜にぃ〜」

 

探しても次の職が無くて、アパートの家賃も払えないから・・

「そぅじゃないだろぅ〜」

自虐的な言い訳に、塩を塗り込められたようで。

イサク爺さん、言いたくないことを、黙っておけって云ったばかりじゃないですか?

「ぁ〜ぁ〜、そぅじゃないだろぅ〜、ここにはおまいさんしかできないことがあるから・・。」

 

え?なにがあるんですか・・私にしかできないこと?

イサク爺さんはこっくりと頷いて。

「そぅだろうさぁ〜、おまいさんにしかできないことが・・」

いや・・そのォ・・わからないんですが・・。

ここにいても、仕事はなさそうだから。

また東京で仕事を探すようになるでしょう。

「ここにもぉ、仕事はぁあるだろうにぃ」

この辺じゃ、給料も安いですし・・。

「おまいさん、あんたぁだけじゃぁないけどォ〜さぁ〜、

おまいさん、間違って考えておるのさぁ〜。」

仕事に貴賎は無い。が、収入には貴賎がある。

コレ、資本主義の常識。でしょ?

「さいしょに云っただろぅにぃ〜、ひとはしごとあってのものだから、とォ」

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どゆことですか?

「ひとのやくにたつことがぁ・・しごとでしょ。むかし、むかしから。」

ハァ・・。

「おまいさんにしかできないしごとが、ここにはあるでしょ。」

ですから・・ナニ?

 

「ほんのすこし、むかしのことだがねぇ〜、ワシがちょっと目をはなしたすきに・・

暴れん坊共が、水面に飛び出してしまって・・・。

おとうさんとお兄さんとびっくりして船がひっくり返ってしまってはなぁ。

ワシがちょっと目を離した隙に、すまんことしたぁ」

え?父と兄の事故の事、何かご存じなんですか?

 

母親の呼ぶ声がして

よかったら、カレーこさえたらしいんで・・食べてってくださいよ。

するとイサク爺さんコックリ頷くと

「ワシはさぁ〜、もうすこし一服していくからぁ」

 

漂うカレーの匂いに誘われるように・・階段を下りた。

土間の先の玄関の戸が開いていたので閉めようとすると

母親が「開けときな」という。

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「上にイサクじいさん・・来られててさ。」

母親は、カレーをかけながら。

「そぅかい、時期に帰っていくよ。」と答えた。

 

ところで、あのイサク爺さんって幾つなんだい?

母親は私の顔を見て真面目な顔をして云った。

「おまえ・・知らなかったのかい_。

イサク爺さんって。昔からいないんだよ。」

いないって・・上にいるよ。

 

「あぁ、いるだろ。けど、いないんだよ。」

母親の云っていることがわからなかった。

だって皆、知ってるだろ?

「ケド、誰も知らないんだよ。

で、船方の棟梁がおまえの小さい頃云ってたんだけどねぇ。」

 

「あのイサク爺さんって、海坊主のひとりじゃないかって。

で、それじゃぁちょいと心配になってさ。

お坊さん呼んで供養しようとしたらしいんだけどね。

かえってお坊さんが諭されて、泣き出したほどの人らしいんだよ。」

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それって化け物とか・・妖怪とか・・そういう話かい?

よしてよ、今、二階で話をしていたイサクじいさんが?

え・・?冗談でしょ。

「あのひとはねぇ・・ぬらりひょんっていうんだ。」

え?わからない_。

「いつもぶらぶらしてて、ひょぃと奥座敷に座ってるんだ。」

 

「でも、なに悪さするじゃなし、返っていろいろ助けてもらってるし。」

へぇ、でもそぅんなこと聞くと、怖いな、なんだか_。

「いいんだよ、悪いことするわけじゃないんだから。

でも、お化けでも妖怪でも昼間から出ているのもいるんだねぇ・・。

あ、おかわりかい?」

私は、久しぶりにおかわりをもらおうとカレー皿を母に手渡すと

お櫃から飯をよそってくれたのだが、右にひねった腰を押さえて、

隣の鍋のカレーをかける。

イテテテテ・・・

母は腰を押さえながら私にカレーライスを渡してくれた。

その様子を見ながら、母も歳をとった、ことを実感した。

すると先程のイサク爺さんの言葉が思い出されて。

 

「おまいさんにしかできないしごとが、ここにはあるでしょ。」

 

私は、その夜、一晩ゆっくりと考えた。

自分にしかできない仕事を。

母は近くの漁協で魚の干物を作る仕事を続けている。

ひとまずは、母を手伝おう、母の面倒は私にしか見れないのだから。

この浜辺の町で、父や兄のように海の仕事を守ろう。

もちろん簡単なことではない。

むしろ厳しい仕事であることも子供の頃から知っている。

だけれども。それは、私にしか出来ない仕事であるように思えて。

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朝目覚めると、まだ陽は昇らず、朝焼けが広がっていた。

思わず、海辺に飛び出して、寄せてはかえす波の音を聞きながら。

新しい朝の空気を潮風が運んできてくれた。

後ろを振り返るとイサク爺さんが微笑んでいた。

大きな頭をゆっくりともたげながら、にこやかに頷いた。

「あんたぁ〜の考え方ぁ、間違っちゃいないと思うけどなぁ〜」

あなたはいったい・・。

なにか朝っぱらだというのに、なにかとても重くて

しかし新鮮で、塩辛い涙が込み上げてきて、頷くだけしかできなかった。

 

そしてそれから、また長い時間が経って。

一昨昨日、母を看取った。

あの朝から母と共に務め上げ、小さいながら舟を持つこともできた。

漁に恵まれたことも事実だ。妻を娶り子を成した。

母は最期まで精一杯に生きた。

だから哀しいことはなかった。

 

いま、最後に炉に入る直前、深呼吸して、母の旅立ちを祈った。

そのとき父親が見えた。兄さんも見えた。

母と一緒に私を。私たちを見守ってくれているのが見えた。

そのとき、別な涙が溢れ出た。

まだ幼い息子の肩を抱きながら、伝えてゆくべきものの尊さを噛みしめた。

私のすぐ後ろでイサク爺さんが、笑っていた。

「それぇでぇ、いいんじゃよぉ〜」と。

 

説明
2011年6月作
なにか正式タイトル
「スターウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還」とか
書くと御大層過ぎてですね。
でも公開当時、高校生だった私的には「ジェダイの復讐」。
パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのポンポコ
ピーみたいなジェダイとはなにものか?みたいな時代で、しかも
「復讐」でありましたんで尋常ではございません。女奴隷に身を落
とした王女レイア!次々に現れる怪獣たち最終決戦に高まる期待!
なのに・・蓋をあけてみりゃぁクマたんの大運動会でありまして
「ざけんなよ!」と息巻いたものであります。さて、その終盤、善
きも悪しきも死んでしまえば皆同じ、というジェダイの幽霊の同窓会みたいなシーンがあったんですがデジタルな世の変遷の中で、ま
たエピソード1−3が公開されたからでありましょうか。ベイダー
の幽霊だけ若いんでありますよ、しかもタイトルが知らない間に
「復讐」から「帰還」に変わっていたのでありますよ、驚いたぞ、
最後のサンバもw

ということで、久々に不肖・平岩のメインストリームでもありま
すアヤカシの物語を書いてみました。
まぁ、あまあまなんすけど、モデルがいたりするんですが
幸多からんことを祈るばかりであります。
で、登場する爺さんが御想像とおりヨーダみたいな感じでしょうかw

2012年1月改題
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怪奇 ぬらりひょん 妖怪 幽霊 リスタート 不景気 父性 母性 親子 

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