Lv100 第七話 「アーヴァンク -ケイとアラン-」
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 動物園に順路はいらない。好きな動物を好きなだけ眺める、それが作法だ。

 でも、ここに来たら是非、午前のうちに附属博物館に寄ってほしい。その後、正面すぐにある池にかかる橋を渡ってほしい。

 お盆の時期ともなれば、実際にそうする親子連れで行列ができている。

 博物館で復元骨格を見たものが、橋の奥に生きて動いているからだ。

 池の中洲に植わっているのは、シダにソテツにトクサ。岸辺に潜むアカントステガの模型を見つけた子が、指差して親に教える。

 対岸を固める林はイチョウとメタセコイアだ。全て博物館に化石があると気が付く人はなかなかいない。

 ささやかなゲートにはこう書かれている。「白亜紀の世界へようこそ」と。

 そこをくぐると風景は一変する。

「水族館みたい!」

 そんな声が絶えず上がる。両脇は静かな水面から、擬岩のトンネルと水中の風景に入れ替わっている。

 水槽にひしめく魚は、武骨なレピドテス。分厚い鱗の鎖帷子を着込んだ、恐竜時代特有の魚類だ。

「でもちょっと地味だね」

 大人ならすぐそのことに気付いてしまう。大きく書かれた解説板にも関わらず、フナばっかりだと言い出す人も多い。

 とりあえずここはそれでもいい。レピドテスは展示設備の一部に過ぎないのだ

 奥まで進みトンネルが終わる間際で、タイミングが良ければ、そう、ちょうど今くらいの時間なら、そのシーンに出会える。

 水が白く曇る。

 泡の向こうに牙が見える。

 それは瞬く間に閉じて、レピドテスを一尾攫っていってしまう。

 歓声と泣き声が入り混じる中トンネルを抜けスロープを上がると、犯人は振り返ったところでお食事中だろう。

 暴れるレピドテスを長い顎で地面に叩きつけているのが、白亜紀ゾーンの王様、魚食恐竜バリオニクスの「アラン」だ。

 乱暴に動く長大な顎を備えた悪人面、眉間の小さな角。いかにも力強そうな手に太い鉤爪、くすんだ緑の鱗に覆われた体。筋骨隆々という言葉の見本のような後ろ脚、振り回されたらひとたまりもないであろう大きな尻尾。

 八メートルを越えてますます育ちつつある巨体が、恐竜に対して皆の抱く期待に応える。

 鱗を跳ね飛ばしてから動かなくなった獲物を、上を向いて頭から丸呑みにした。

 野趣溢れるアランのブランチを、お客さんは声を上げながら、反対側の私はメモボードを手に静かに見届けていた。

 誰がどのくらい餌を食べたか記録するのは飼育員の義務だ。強化アクリル柵に付けたスケールバーと比べると、今飲み込んだ魚は三十センチほど。

 もちろんそれだけでは腹は満たされず、アランは次の一口を狙う準備に移る。

 その瞬間、アランとお客さんを包む空気は入れ替わった。

 体を伏せて爪を淵にかけ、首の角度を固定。水中を睨んだまま、凍りついたように動かない。

 口をぴったりと閉じて、牙と一緒に荒々しさまで包み隠されてしまった。顎から首と背中を通り尻尾まで抜けるラインは優雅でさえある。 

 狩人が作り出す緊迫に、見守る人々も巻き込まれている。

 水槽の底にはちょっとした罠があり、騒がしい狩り場をレピドテス達が避けようとしても日に何尾かは誘導されてしまう仕掛けになっている。このおかげで、レピドテスに逃れられることなく漁を成功せしめるアランの勇姿をお見せできる。これは私の発案だ。

 再び突き出された顎が飛沫を上げ、四十センチほどの二尾目をくわえ上げる。水槽越しでは驚かされたお客さんが、今度は拍手を捧げていた。

 お客さんは柵の前に留まるなり道の奥に小型恐竜を見に行くなり自由だが、私はアランが満足するまで記録し続けないといけない。それが終わったら水槽と飼育舎の掃除だ。

 

 私がアランのいる運動場を歩いているのを見ると、お客さんは皆大慌てする。無論心配ご無用。

 元々生きた陸上動物にはほとんど手を出さないのに加え、人間、特に飼育員にはすっかり慣れている。満腹ならなおさらだ。

 来園者の多い日には潜って窓を拭くまではせず、排水口や浄化設備の点検だけ行う。

 特に排水口には、重要な落とし物が見つかることがある。今回も白い欠片が引っかかっていた。

 上蓋だけ引き揚げてそれをつまむ。アランの抜け落ちた歯だ。

 かなり頻繁に生え替わる歯は、他の肉食恐竜のような肉を切り裂くナイフではない。魚を突き刺し逃がさない、緩く反った円錐形の漁具なのだ。先端はレピドテスの硬い鱗に削られ、少し丸くなっている。

 準備室に戻って採集した日付をラベルに書き入れ、歯を厚紙の小箱に収めた。標本として博物館のほうに保管することになっている。

 ちょうどお昼になったし、お弁当を食べ終えてから渡しに行こう。そう思ったのと、あちらから裏口にやって来るのが同時だった。

「やあ、今日はKの字か。ちょうどいいねえ」

 私を変なあだ名で呼ぶのは、研究員のシイノさんだ。飼育員とは違う鼠色の作業着を着ている。同性で年が近いし、何より趣味が合うのでよく話す。

「また裏から廻って来たんですか?たまには「タイムスリップ橋」を渡ってみてくださいよー」

「そうしたいのはやまやまなんだけどねえ。ほら、あそこってオウムガイのレリーフがしてあるじゃないの。夢の国の海の方を思い出しちゃってねえ」

 話したくないのか話したいのか曖昧な思い出があるようだ。

「今日はちょっと見て触って考えてほしいものがあってねえ。これ食べ終わってからね」

 そう言ってビニール袋から野菜サンドとシーザーサラダと野菜ジュースを取り出した。イグアノドンかこの人は。

 袋には明らかにまだ中身があって、わざわざ持ってくるぐらいだから特別な化石か何かに違いなかった。勝手に見てもいいなら先に開けるだろうから、私も食べて待つしかない。

「英国紳士は元気そうだねえ」

 イギリスからもらわれて来たアランのことだ。欠伸をする姿が窓から見える。

「ええ、お陰様で」

「お陰様は我々のセリフだよ。本人も、牙も、有り難いこと夥しい。おまけでくれた骨格レプリカもね」

「いえ、博物館がなかったらアランはうちに来なかったし、来ても飼えませんでした」

「フムン、そうかもねえ」

 二人とも食べ終え、シイノさんは食べ殻を袋の中にあった新聞包みと入れ替えた。

「君は化石も生体も両方好きだったね」

「はい」

「彼の世話もして、他の動物園や博物館も見に行って、化石も集めてる」

「はい、えっと」

「そういう人に考えてもらうのが一番ちょうどいい」

 包みの中身は、自慢の種になるようなものではないようだ。

「シイノさん……?」

 紙箱の中から現れたのは、化石ではなかった。化石ではないと、私は一目で見破ってしまった。

 モロッコから発掘された棘だらけの三葉虫ディクラヌルス。外見はそうだろう。

 保存状態は非常に良い。明らかに良すぎる。繊細な棘や大きく湾曲した角も一本も欠けず、母岩からすっかり姿を現している。残るはずのない模様まで、ほんのかすかだが確認できる。

 まるで、命を失ったのがつい最近のことであるかのように。

 私は両手で箱をつかみ、三葉虫を鼻に近付けた。雑な扱いにシイノさんは眉一つ動かさない。

 石の匂いがしない。

 まな板に乗せられたエビの匂いだ。

 三葉虫の死臭だ。

「……ひどい……!」

「鋭いねえ。ケラトサウルスの牙より鋭いねえ」

「えっ、だって、こんな」

 生きていたものを標本にするならまだしも、細工して化石に見せかけるなど。

「こんなひどい業者から、買ったんですか」

「下衆の腹に何十万も呑ませたとあっては催す吐き気もあるけどねえ。実際鹵獲せしめないと本当に今のものの殻か確信が持てなかったんさ。君もたまに言ってるじゃないの。クジラを守るには、」

「クジラを捕らないといけない、ですね」

「三葉虫は化石の希少さに関係無くよく増えるから、作りやすいんだろうねえ。学会とマニアに注意を促す記事を書くつもりだよ」

 シイノさんは悪徳業者の手口を暴くために身銭を切ったのだ。

「で、どこが特に問題だと思うかい。古生物飼育員の立場から見て」

「それは」

 ただの標本にするために殺したならここまで悲しくならない。

「この子が、この時代に人間とともに生きていた。そのことを人間自身が踏みにじっていることです」

「うん、君はやはり古生物飼育員の鑑だ」

 今度は胸ポケットから、シイノさんはスマートフォンを取り出した。

「古生物を甦らせて飼うことの意義を捉えかねている人間は、古生物側にも現生生物側にもいくらでもいる。君のような人が橋渡しをすべきだよねえ。で、本題は実はこっちなんさ」

 ことりと置いたそのパネルには、また同じような偽化石の販売画面が英語で表示されていた。

 ただし今度のは、バリオニクスの歯だ。

 緩くカーブした円錐形、縦に走った筋、見間違えようもない。ただし産地を偽ってスコミムスのものとしていた。流通の多いモロッコ産の化石として売ったほうが自然だからか。

 レプリカとは書いてあるが、複製技術自体は優れているらしい。色以外は排水口から引き揚げた直後と全く同じで、白亜紀前期からの時間の重みが読み取れない。

「どうして」

「もちろん彼のではない。それは君もよく分かっているだろう?」

 心当たりは一つしかない。もう一頭のバリオニクスだ。

「アンジェラ!」

「故郷にいる妹君だね。おそらくそういうことだろうねえ」

 シイノさんは別の画面を開いた。アンジェラのいる動物園の通販コーナーに、アンジェラの歯が並んでいる。

「これを元に作っても三葉虫ほど割は良くないはずなんだけど、だからこそばれまいと思ったんだろうねえ」

「向こうの動物園には知らせたんですか」

「ああ。そっちの返事を待ちつつ、こっちの合同職員会議の議題にしたい。それでね」

 改めてこちらに向き直ってきた。

「会議までに何か偽物の対策を思いついてくれないかと思ってねえ。あちらでも使える対策ならいいんだけど管理を厳重になんて言わずもがなだし、歯の販売を中止させるのもつまらないじゃない」

「はい」

 それは生き物の世界への入り口を狭める、動物園や博物館の使命とは反対の行いだ。悪徳業者のためにそんなことを起こしたくない。

 化石の越えてきた悠久の時間と、今の生き物の標本が辿ってきた身近なスケールの時間。どちらもその生き物を私達人間が見たとき意義のあるもので、それを同じように汲み取らなくてはいけない。偽化石はそのどちらも踏みにじっている。

 時間。アランやアンジェラが刻んだ時間。

 会議までと言わず、もう閃いた。

「あの、」

 

「なるほどねえ。それは我々化石屋にはなかなか出し得ない発想だ。問題ないと思うから、上にも話してみるよ」

 昼休みの終わりが近付いて再び裏口から出て行くシイノさんは、満足そうに言い残した。

「君がいてくれて、本当に良かった」

 

 閉園時刻が過ぎてオヴィラプトル達が悲しげな鳴き声を上げ始めても、アランは寝部屋に入ろうとしなかった。

 普段ならもっと早くから自分で扉の前に来てうろうろしているところだ。空腹で漁を再開しようとするわけでもない。

 運動場の真ん中に立ったまま呼んでも動かず、オヴィラプトル達に同調するかのように、クウウン、と喉を鳴らしている。

 偽化石の話を聞いて理解していたわけはない。が、昼にあのディクラヌルスを見て感じたものを、その声に呼び覚まされてしまう。

 アランがほんの少し左に振り向いた。

 見ると、アクリル柵の向こうに灰色の影がある。

 私はすぐにそちらまで回り込み、駆け寄った。

「シイノさん、橋を」

「日が傾くとなかなか雰囲気があるねえ」

 手には小さな紙箱を直に持っている。

「なんでもない岩石を削るのは慣れてるけど、標本そのものにリューターを当てるのは緊張するねえ」

 手渡された箱の中には、私が思い付いた対策が施されたアランの歯があった。

[20xx.08.xx]

 今日の日付が、極限まで小さな字で直接掘り付けられている。

 歯そのものに採集した日付を刻む。そうしても標本としては管理しやすいだけで研究の妨げにはならないし、これを元に偽化石を作ることなど考えられなくなる。わざわざ綺麗に補修して化石に見せかけても、採算は取れるまい。

 これは、今日この日を生きたアランのものだ。シイノさんの掘った字がはっきりと主張している。

「完璧です」

「この私の技術だもの」

 シイノさんは得意そうに口角を上げ、私も歯を見せて笑い返した。

 もうオヴィラプトルは鳴き止みアランも喉を鳴らすのを止めていた。

 そのまま佇む姿は、三日月を見上げているように見えた。

「シイノさん、白亜紀にも月って今と同じ見え方だったんですか?」

「いや、月は次第に地球から遠ざかりつつあるそうだよ。それに、大気の組成の影響もあるだろうねえ」

「良かった」

「ん?」

「この月はやっぱり今日だけのものなんですね」

 アランとシイノさんと私が、今日この日だけ見られる月と向かい合っている。

 その意義を伝え続けていきたい。そう願う私に月が微笑んでいた。

 

 

 

[バリオニクス・ワルケリ Baryonyx walkeri]

学名の意味:ウォーカー氏の重い爪

時代と地域:白亜紀前期(約1億3千5百万年前)のヨーロッパ(イギリス、スペイン)

成体の全長:9m

分類:竜盤目 獣脚類 テタヌラ スピノサウルス科

 魚食恐竜として知られるスピノサウルス類のうち、初めて全身の骨格が発見されたもの。この発見によりスピノサウルス類の研究が大幅に進んだ。

 基本的なフォルムはいわゆる肉食恐竜のものを踏襲しているが、独特な特徴を多く備える。

 吻部はかなり細長く、上下の顎ともに先端近くにくびれがある。側面形状はワニ、特に魚食性のインドガビアルに例えられる。歯は他の肉食恐竜のような薄い断面ではなく円錐に近く、縦に筋があり縁の鋸歯はごく小さい。首はやや細長くカーブが浅い。

 名前の由来となったのは前肢第一指(親指)の爪で、非常に大きく、また深く曲がっている。前肢自体も大型獣脚類としては特に発達している。胴体はやや長く、後肢はそれに対して若干短い。近縁のスピノサウルスやスコミムスのような背鰭はなかった。

 腹部からレピドテスの鱗と植物食恐竜イグアノドンの骨が発見されており、しかも胃酸により消化しかかった痕跡があった。

 よって少なくともレピドテスのような淡水魚を食べる場合があったことは確実視されている。以前はクマのように前肢の爪で魚を引っかけて捕らえたとされたが、現在ではサギのようにリーチの長い口で直接くわえ取ったと言われることが多い。前肢は河原に伏せて魚を待ち伏せたり川の中を歩く際の滑り止めだったとも言われるが、不確かである。

 

[レピドテス・マンテリ Lepidotes mantelli]

学名の意味:マンテル氏の鱗の石

時代と地域:ジュラ紀〜白亜紀前期のヨーロッパ

成体の全長:数10cm程度

分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 セミオノトゥス目 セミオノトゥス科

 ジュラ紀〜白亜紀の非常に広い地域の淡水〜汽水で繁栄した魚類レピドテスの一種で、「ガノイン鱗」という屋根瓦のような硬く分厚い鱗を持つ。現在ガノイン鱗を持つのはアリゲーターガーやアミアなどごく一部の原始的な魚に限られる。

 コイやフナに似た体型をしており、また採餌もコイのように口を突き出して食物を吸い込んで行った。しかしコイのような喉の奥に生えた咽頭歯ではなく、顎に生えた丸い歯で食物をすり潰した。

 

[ディクラヌルス・モンストロースス]

第二話参照。

 

[オヴィラプトル・フィロケラトプス]

第三話参照。

説明
もし古代の生き物が甦って、しかるべき方法でなら飼えるようになったら?
古き時代に支配者だった者達は、復活したら人間の生活をどのように支配するのか。
化石を通じて彼らに焦がれた人々は、時間という障壁を取り払われて何を見てしまうのか。
"その筋"ではある意味定番の空想を、飼い主の少女達の視点で描くショートコメディ第七話。
◆デニムスカイ(第五十二話で完結いたしました)はきりがないのでこちらに載せるのは中止しますがLv100は続けていきます。今回は比較的人間寄りの話。百合?
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