紫陽花にアオガエル |
1
早朝から続いた雨は昼前には止み、代わって空には大きな入道雲と真っ白な太陽が出ていた。守矢神社の境内では櫓を立てたり屋台を組み立てたりと、妖怪や河童が祭りの準備をしている。箒で境内を掃いていた私は、境内の片隅の濡れた紫陽花の大きな葉に、明るい緑色の蛙が一匹座っているのを見つけた。私は箒を掃く手を止め、その小さな蛙に顔を近づけてまじまじと見つめた。
「アマガエル……じゃなくて、あなたはアオガエルですね」
その蛙にはアマガエル特有の顔の黒いラインが無かった。
「精悍なお顔でいらっしゃいますね。諏訪子様に会いにきたのですか?」
蛙は顔をよほど近づけられても微動だにせず、私の方に目を向けることもしなかった。
「雨はあなた達にとっては嬉しいのでしょうね。濡れ落ちた木々の葉っぱで境内が汚れてしまうので、私にとっては手間ですが」
蛙は黙っていた。
「それに、今日のお祭りは雨が降ったら台無しになってしまいます。夜は降らなければ良いのですが」
蛙はやはり黙っていた。
「さて、私は職務に戻らねばなりません。それでは、またいつか合見える事があるかもしれませんね」
しばらく蛙とにらめっこをして、私は境内の隅の紫陽花の垣から離れ、また箒で掃き始めた。
2
遡る事一ヶ月。午前中に雑多な仕事を片付けてしまい、昼食も終わってすることが無くなった頃に、困った困ったどうしたものかと、腕を組みながらうんうん唸るのは、神奈子様の趣味になりつつあった。私はもう慣れたとはいえ、大きな存在感を呈する彼女が居間で難しい顔をしているのは居心地の良いものではなく、なにか良い策はないかと一緒に考えてみたりもしたが、そうそう思いつくことでも無く、今日も夕飯まですっきりしない雰囲気を過ごすことを覚悟していた。
「なあ神奈子、早苗が怖がってるからその顔やめろ」
畳に寝転がって足を組んでいる諏訪子様が天井を見ながら言う。
「ん、ああ、すまない早苗。ついね」
「いえ」
神奈子様は私に小さく微笑んで謝った。
私も彼女達の力になりたいのだが、神が二人掛かりでも難しい問題に、私が口を挟むのも中々難しいものがある。彼女らの企画に携わることの少ない私は、お茶を新しく淹れたり、部屋の掃除をしたりと、彼女達ができるだけ不要な労力を使うことの無いよう計らうことで貢献していた。
「今時どんなものが大衆に受けるのかねえ。核融合もいまいちピンと来ない連中なことだし、外の科学の力を利用するのは上手くないのかもねえ」
神奈子様が言う。
「かといって今までのありきたりな祭りじゃあ、この神社のご利益をアピールできない。大体ウチらのご利益ってなんなんだ? まずはその辺をはっきりさせないとままならないね」
諏訪子様が言う。
「早苗にかかればちょっとしたことなら何でもできるからねえ。家内安全とか無病息災とか的を絞ってしまった方が分かりやすいかしら? しかしそれじゃあ能力がもったいない」
「ウチらの能力も大概分かりにくいしな。白蓮みたいに若返りの魔法が使える、とかだったらもっと話が早かったろうね。ついでにあっちは立地条件も良い」
「ダムを作って麓を観光地にする計画も流れてしまったことだし。と、白蓮を羨んでもしょうがないわ。ひとまずはわれわれのご利益を考えましょう」
「ご利益というと、外では病気平癒、子孫繁栄、家内安全、五穀豊穣、、天候平穏、いろいろやったが、幻想郷では一捻りした方が受けるんじゃないか。わざわざ山を登って来るんだもの」
「そうかもね。となると幻想郷の人間のニーズは何かしら。まずはそれを知らねばならないわ」
「妖怪に食われないこと。いや違うな、人間は妖怪に食われるものと彼らは知ってる」
ご利益について二人はしばらく意見を出したが、どれも納得のいく様なものではなかったようだ。
「ご利益よりも、単なる楽しさや物珍しさで売るのはどうかしら? ダムはその考えで進めていたことだし」
神奈子様は別の考えを提示した。
「観光地という線は悪くないな。珍しくてここでしか見られないものがあればわざわざ山を登る意味も出てくる」
「それではここにしかないものを作るとしたら一体どんなものがいいかしら」
「条件としては、珍しくて、インパクトのあるもの、ってとこかな」
「う〜ん」
神奈子様がまた唸り始め、二人の議論はそこで中断された。
「ダムは、今思えばかなり良い思い付きだったな」
最後に諏訪子様が真っ直ぐ天井を見ながら、達観したような顔で言った。
3
まだ明るい夏の夕暮れ。不安げな灰色の雲が出ていたが、祭りは予定通り始まった。
十数の屋台が守矢神社の境内に並び、櫓からは提灯が放射状に並べて吊るされ、その上では里からやって来てもらった男が威勢よく太鼓を叩き始めた。太鼓の音がし始めるとすぐに多くの浴衣姿の人間や、普段と変わらぬ格好の妖怪がやって来た。私達のいる目の前で賽銭箱に小銭を落とす者も時々現われた。私達が予想したよりも多くの客が見えていて、神奈子様と諏訪子様は本殿の階段にゆったりと腰掛けながら満足そうな顔で林檎飴を舐めていた。私はその横でそれとなく足を揃えて座っていた。
「意外と集まるもんだね」
諏訪子様が言う。
「お祭りは、いいもんだね。彼らにとってはご利益があろうが無かろうが、楽しければ、それでいいのかもしれない。それに私なんかは、こうして神社に足を運んでもらえるだけでも満足さ」
神奈子様はそう言うと胡坐になり、懐から瓢箪を取り出して一口飲んだ。それを諏訪子様に渡すと、諏訪子様も同じように酒を飲んだ。
「早苗もどうだ?」
諏訪子様に差し出された瓢箪を、私も真似して飲んだ。普段飲んでいるものより少し良いものらしかった。
酒を飲んで少し体が火照ってきた頃、私は縁日の人混みの中に見知った顔を見つけた。しかし一応は主催の側なので、なんとなくこの場から離れるのは躊躇われた。
「早苗、行って来なよ」
私が落ち着かない心地でいると、諏訪子様が私の視線に気付いてそう言った。
「あら早苗。久しぶり」
かき氷屋の前の白い浴衣を着た一輪は、紫の髪を後ろで括っていた。いつかの温泉でのことが無ければ彼女とは分からなかったかもしれない。
「ご無沙汰してます」
「浴衣、似合ってるわね」
「ありがとうございます」
「ちょっと会わない内にまた他人行儀になってない? ダメよ」
一輪は私の肩に手を回してきた。
「そ、そうだね。私ったら、ごめんね」
強引な態度に、私はあの夜のことを思い出して恥ずかしくなった。
「あら一輪ちゃん。早苗ちゃんと仲が良かったの?」
同じくかき氷屋の前にひょっとこのお面を頭に載せた白蓮が居た。その手はぬえの手を握っていて、握られている方は、迷子になるわけがないのに親に手を引かれている子供のような不満そうな顔をしていた。ぬえの後ろには村紗の姿もあった。彼らはいずれも色とりどりの涼しげな浴衣を着ていた。
「姐さん、私は今日は別行動を取らせてもらうわよ。いいでしょ」
「あんまり遅くならないようにね。早苗ちゃん、一輪ちゃんをお願いね」
白蓮は屋台のチルノからかき氷を受け取り、ぬえにそれを食べさせようとして、拒否されていた。一輪に手を引かれてその場を離れる直前、「子供じゃないんだから!」、とぬえが白蓮に怒り出す声が聞こえた。
「命蓮寺の方々は全員来てるの?」
ヨーヨー釣りの前に来た私は気を取り直して一輪に話しかけた。
「星さんとナズだけ別行動でね。その内彼らにも出会うでしょう。姐さんってこういう時は妙にベタベタしてくるから大変なのよ。ぬえとムラサは今日は気の毒ね」
命蓮寺の連中は仲が良さそうだった。それに比べると洩矢は他人行儀なのかもしれない。そこにいる者の立場がみんな違うのだから当たり前のことではあるが、正直なところ、私は彼らの仲の良さが羨ましかった。
「ところで早苗、このチラシなんだけど」
一輪が帯に挟んだ紙を取り出して私に見せた。
『本日守矢神社にて縁日を催します。特別なイベントも用意しておりますので、ぜひご家族、ご友人と連れ立ってお越しください』
「特別なイベントってなあに? とっても気になるんだけど」
「ええ、これはですね……」
と、言ってしまっても良いのだろうか。一応はその時まで秘密ということになっていた。が、一輪に話すくらいならいいかと思った。
「花火です。それもでっかい花火。山の麓からこの守矢神社の近くに向かって打ち上げるんです。だからここで見るとすっごく大きく見えるんですよ」
「へえ、それは迫力がありそうね」
諏訪子様と神奈子様が考えた、『ここでしか見られないもの』、それは山に登って間近で見る花火だった。これは恒常的なものではないが、祭りの時の目玉を打ち立てて、ひとまずは人々の記憶に守矢神社が残るようにすることで、神社のブランドを着実に作っていこうという考えだった。企画を立てる二人の会話を大人しく聞いている時から、私は、間近で見る花火が一体どのようなものなのかと、胸を躍らせていた。
4
「あ、雨」
祭りも中頃まで過ぎた頃、ざわついた人混みの中で一輪がポツリと言う。彼女は空を仰ぎ、手の平を上に向けている。私も手の平を晒すと、小さな水滴が確かに当たった。上空では真っ黒な分厚い雲がこの山を覆っていた。周囲の者の中にもちらほら気付いた者がいて、ああどうしよう、という声もどこかから聞こえた。
「ねえ早苗、花火はどうなるの? 雨が降ったら出来ないんじゃないの?」
そうなのだ。私が昼間から雨を気にしていたのは、まさしく花火のためだった。多少の雨なら花火の打ち上げそのものは可能だが、火薬がしけって不発でもすればひどい興醒めだ。また、雨の中で花火を打ち上げた場合、それを見る側は雨ざらしにならねばならない。地理的な理由で守矢神社の屋根の下からだと花火はよく見えないのだ。まさか祭りに参加してもらった方々にそんな待遇をするわけにはいかなかった。
「この程度の雨ならまだ不可能じゃないですけど、もし強くなるようだったら中止するしかないです」
「残念だけど、しょうがないわね」
そう言っている間に雨はみるみる数と大きさを増し、俄に強くなった。突然の大雨に境内の人々が慌てふためく。あるものは屋台に駆け込み、あるものは拝殿に駆け込み、屋台の中にはちゃっかり傘を売り出すところもあった。そんな様子を見ながら、私達は本殿のひさしへと避難した。
「こりゃ花火は無理だね」
本殿の階段に腰掛けた神奈子様が、びしょ濡れの私達に懐から取り出した手拭いを渡してくれた。もとは鉢巻にでもするためのものだったのかもしれない。
「麓の連中にはもう中止を言っておいたよ。しかし残念だ」
諏訪子様が雨の中を走ってきて、神奈子様の横に座った。神奈子様はまた手拭いを取り出して諏訪子様に渡した。
雨音が境内を支配していた。本殿からは拝殿の陰になって鳥居の方の様子はよく分からないが、櫓から延びる提灯の火は消え、太鼓の音も無くなっていた。あれほどあった人の話し声ももう聴こえない。洩矢家と一輪の四人は夜の雨を眺めていた。
「あなたは命蓮寺のところの尼の、ええと、一輪さんだね。せっかく来て貰ったのに、こんなことになって悪いね」
諏訪子様が一輪に言う。
「私のことはお気になさらずに。今回は縁が無かった、それだけのことです」
一輪は静かに返事した。
「自然には勝てぬ。こういう祭りの終わり方も一興かもね。それじゃあ私達も引き上げましょうか。早苗、一輪さんを送って差し上げて」
神奈子様は立ち上がり、いつの間にか後ろに用意していた傘を私に持たせた。
「早苗ちゃん」
鳥居をくぐろうとしたところで後ろから傘を差した白蓮に呼び止められた。彼らは二人ずつ傘に入っていて、五人で一輪を待っていたようだった。私は一輪と彼らに別れの挨拶をして引き返した。
本殿の二人の元に戻ると、今までいなかった霊夢がそこにいて、二人となにやら話していた。
5
雨の中でも境内に残っていた人間と妖怪が、洩矢家の宴会場に集められた。宴会場の壁際には洩矢にある酒が全て並べてあり、さらに、霊夢に言われたのだと思われるが、わざわざ博麗神社から萃香が一斗樽を何個か持ち出して来て、樽の前で列を作らせて人間や妖怪に枡を配って振舞っている。
神奈子様と諏訪子様と、霊夢とアリスが素早い動きで宴会の準備を進めていた。あまりの急な展開に思考が追いついていなかったが、私も彼らと同じようにその準備をした。いつの間にか人間の数人も手伝い始め、あっという間に宴会の準備が整ってしまった。といっても酒は樽から各々勝手に汲み、料理は屋台を出していたミスティアや、よく分からない妖精がその場で用意するので、大して手間でもなかった。実際のところは屋台の設備を宴会場の中に入れて祭りの会場をこちらに移したというだけのことで、私がやったことといえば、およそ三十の座布団を整然と並べたくらいのものだ。
『花火とは縁がなかったけど、お祭りは続けられる』
先ほど本殿の前で霊夢はそう言った。その彼女の一言が神奈子様と諏訪子様にはどれほど嬉しかったのだろう。酒や皿を運ぶ時の二人は爛々と眼を輝かせていた。
「早苗、飲んでる? いっぱい飲めないと立派な巫女になれないわよ」
「私は正確には巫女じゃないんですけどね」
少しずつ場が温まって宴会の雰囲気が出てきた所で、霊夢が隣に座ってきた。
「この際細かいことはいいわ。あの二人は早苗にも楽しんでもらいたいって思ってるんだから、報いなさいよ。ほら、ヤツメウナギ食べる?」
乾燥ヤツメウナギを私の口に向けて突きつける霊夢は既にうっすら桃色の頬をしていた。
「お祭りのためなら雨が降っても体が濡れてもかまわない阿呆っているもんなのよ。彼らはよっぽど祭りを楽しみにしていたから、あのまま静かに終わるのは、その熱がもったいないじゃない。せっかくだから最後まで大いに楽しむべきよ」
「ありがとうございます。神奈子様と諏訪子様もきっと喜んでいます」
「いつもウチの宴会に出てくれてるからね。これくらいの段取りならお安いもんよ」
会場は既に博麗神社の宴会のような喧しい笑い声や歌い声が響き始めていた。
6
「早苗、こっちおいで」
畳一つ離れたところで里の人間と話していた神奈子様が私を呼んだ。近づくと神奈子様は私を脇に抱きかかえ、私の頬に指を軽く突いて、ぐりぐりと頬を弄んだ。
「ねえ、かわいいでしょう。ウチの神社にはこんなにかわいい風祝が居るんだよ」
「こらめんこい。ほいでお嬢ちゃんはいくつなんかのう」
赤ら顔の三十辺りと思われる、細身で人の良さそうな男性に聞かれた。
「ええと、十七です」
私は神奈子様の珍しい行動に戸惑いながら、おそらく変な笑顔のまま答えた。
「もういいよ早苗、いきなり呼びつけて悪かった。若い子のところにお戻り」
神奈子様に開放されると私はそれに従った。
「縁日だと思ったら雨が降って宴会になった。これが雨降って地固まるってやつか」
「微妙ね」
魔理沙のなんとも言えない言葉に、アリスが難しい顔で返事をした。
「ほら、縁日っていったら子供が楽しむものだろ。でも今は大人の男がいっぱい残ってる。雨のおかげで結局子供も大人も楽しめる祭りになってこりゃ便利。その上、酒を飲みながら神と人間が交流するなんて、これほどお祭りらしいお祭りがあるだろうか、いや、ない」
魔理沙の弁論は適当に口から出たもののように聞こえたが、意外と的を射てるのかもしれない。私は彼女の言葉に妙に納得した。
7
およそ亥の刻、十分に夜になっていたが、博麗の宴会と比べると随分早く宴は終わった。守矢神社の宴会は、妖怪ばかりの無秩序な博麗の宴会とは少し趣が違うようだった。里の人間はみな居なくなり、屋台を出していた夜雀も妖精も居なくなった。人々や妖怪がごっそり居なくなると、宴会場の温度が下がり、外の雨音が強くなったように感じた。
「霊夢達のおかげで良い祭りになった。本当にありがとう」
静かになった宴会場で神奈子様が言う。その場に居たのは洩矢家の三人と、霊夢とアリスだけだった。それから後片づけをして、霊夢とアリスも帰った。
私達も誰もいなくなった宴会場を後に、普段の居間に戻った。私は三人の蒲団を敷いた。二人ともすぐ床に就くものだと思っていたが、二人は中身の残った一途樽を持ち出し、部屋の隅にちゃぶ台を寄せてまた飲み始めた。
「明日は神社はお休みにするよ」
神奈子様はほんのり赤い顔をしていた。
「早苗もこっちへおいで」
背中を向けていた諏訪子様が私のほうを向き、ちゃぶ台の空いたところに座布団を置いた。私は宴会の残り物を簡単に皿に盛り付け直し、三人でしばらく宴会の続きをした。
日付が変わる頃、本当に意外なことだが神奈子様が酔っていた。言動は変わらぬものの顔がはっきりと赤くなっていて、時折眠そうに瞼を下げて薄目になった。
「神奈子、寝たら?」
と、諏訪子様。
「そうね、今日は楽しかったから、酔ったのね。今日ほど美味しい酒は初めてだったわ。本当に」
神奈子様はほとんどしっかりした足取りで歩き、すぐそこの蒲団に潜った。私の目にはそれほど酔っているようには見えなかったが、彼女にしてみれば酔いを自覚することそのものが珍しいようだった。
「早苗はどうする? 私としてはもう少しだけ付き合って欲しいけど」
二人で神奈子様が蒲団で静かになるまで見届けると、諏訪子様が私に向き直って言った。
「抑えていたので、まだ大丈夫です」
「それじゃ縁側に行こうか。話し声で神奈子の眠りを邪魔するのも良くない」
彼女は瓢箪を持って立ち上がり、私に手を差し出した。
8
二人で縁側に座り、小さな蝋燭を一本灯した。相変わらずの強い雨が境内にできた大きな水溜りを叩き、荒々しい水音を隙間無く鳴らしている。
「神奈子、本当に今日は楽しそうだった。あんな神奈子は初めて見たよ。あの巫女には感謝感激雨あられだ」
「霊夢さん、優しいですよね」
「あの巫女は私達よりも神にふさわしいかもね。本人はそんな風には思わないだろうけど」
不意に、諏訪子様が立ち上がった。
「なあ早苗、私のことどう思う?」
と、聞いてきた。
「どうって、諏訪子様は守矢神社の神様で、私にとって大事な家族です」
質問の意図が読めなかったが、私は素直に答えた。
「ふむ、そうか」
彼女は考え込むように顎に手を当てた。
「どうかしましたか?」
「神奈子はこれから上手くいくだろう。じゃあ、私はどうなると思う?」
まだ彼女の意図が分からず、返事をしかねていると、彼女は言葉を付け足した。
「神奈子の信仰はおそらくこれから増える、でもきっと私はこのまま消え行くだろうって事さ」
彼女はさらに続けた。
「神の力は信仰で増える。逆に信仰がなくなると力を失う。人々に完全に忘れ去られた時はその存在が消える。守矢神社は実質は私の神社だけど、今でさえこの場所の名義は神奈子だし、いずれは実質も神奈子のものになるだろう。そうなると私の居場所は無くなる。神奈子が幻想郷で信仰を増やすということは相対的に私の信仰を減らすことになる。今すぐどうこうって話じゃないが、何百年後かには守矢神社は名実共に神奈子のものになり、私は消える」
彼女は淡々と語った。その冷静な様子に、私は言い知れない不安を感じた。
「諏訪子様? 何をいきなり」
「私は今は蛙。蛇に食われた蛙さ。土着信仰の頂点なんてのも今は昔。忘れ去られるならそれはしょうがないことさ。もし私が消えても、それは人間が私よりも良い神を見つけたということだから、喜ぶべきことさ。私は元々人間の意思によってこの世に現われたのだから、人間の意思によって消えるのも必然さ。後の事はきっと神奈子が上手くやる。早苗だって、本当は私を信仰しなきゃいけないことも無いんだよ」
「突然そんなこと言われても、私には何がなんだか」
「たまには神も弱気になるのさ」
静かな声だった。
「でも今の愚痴はもう意味が無いんだ。だから早苗に話したんだけどね」
彼女は私の前に胡坐で座り、顔を近づけてにっこり笑った。
9
「神奈子は上手くやってる。信仰を集める手段も色々用意してる。核融合やダムなんかは古い神の私には思いつかなかったよ。戦いに負けた恨みも無くは無いけど、それよりも神奈子の恩恵の方が大きい。神奈子のお陰で私もまだ信仰を得られている。今回みたいな宴会が今後もできるなら、よほどのことが無ければ私も安泰だ。私は境内の隅の紫陽花に乗っかっているアオガエルと同じさ」
「諏訪子様もあの蛙を見たんですか」
「まあね」
彼女は縁側から足を踏み出し、降りしきる雨の中にその身を晒した。
「肩を並べて酒を飲む。これ以上の信仰があるだろうか。己の隣に神を存在させるなんて、どんな修行をしても到達できない信仰の境地だ。ああ、なんだか涙が出てきたよ。神は人間に恵みと畏れを与えるが、本当は人間の方が神を生かしている。そして私はまだ存在していられる。幻想の中で、まだまだ生きていられる。幻想郷に来て、本当に良かった」
彼女は目を閉じて黒い雨空を仰いだ。その目から涙が出ているのかどうかは、雨のせいで分からなかった。
10
よく晴れた朝。寝るのが遅かったが、酒を抑制したせいか普段と同じく起床できた。私は蒲団を抜け出して、二人を起こさないよう足音を消して境内に出た。櫓と屋台が昨夜の最後に見たまま変わらずそこにあった。境内のそこかしこには大きな水溜りがいくつもできていて、ほとんど箒を使えるような状態ではなかったが、場所を選んで掃除することにした。丁寧に箒を動かしていると、ふと昨日の紫陽花のアオガエルを思い出した。居るわけがないと思いながらまた紫陽花の垣を見てみると、驚いたことに昨日と同じ場所にその蛙がいた。
「諏訪子様があなたで、この紫陽花が神奈子様だとしたら、私は一体なんなのでしょう」
私は箒を置き、微動だにしない蛙に顔を近づけてじっと見ていた。
「あ」
今まで気付かなかったが、よく見ると奥にある幾重にも重なった紫陽花の葉の裏側に、泡状の蛙の卵があった。私にそれを見つけられると蛙は、コロロ、と一言鳴いた。
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