お題:勢子筒、アントニオ、イスカリオテ(とその他)
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『イスカリオテのユダの異常な勢子筒〜またはアントニオ猪木はいかにして《燃ゆる闘魂》を止めて《燃える闘魂》を名乗るようになったか〜』より抜粋。

 

(前略)以上に述べた客観的論拠を併せ持つ数多のデータから導き出された棘のような真実によって近年目覚しい進歩を見せる物理学または量子力学の壇上において哲学的な側面を少なからず見せるような類いの仮説群の有用性が無に帰することは論ずるまでもなく予想――あるいは確定――された事柄ではあるが(キリスト教的なバイアスが徹された本来の意味としての)アディアフォラに限りなく近い観点からこの論証群を大きな俯瞰視点で観察したときに浮かび上がる幾何学的な不気味さ(但しアナロジーの適応は不可能である)は前々章で分析した《ラインハルト・ハイドリヒがナチス党内における『思想的』かつ『権力的』な優位に立っていた》という豊富な資料に裏打ちされた過去が存在するにも関わらず、かのハイドリヒですらエンスラポイド作戦――またの名を『類人猿作戦』――を事前に察知することができず、手榴弾によって破壊された車の破片を身に受け、苦しみに苦しみぬいて死んだ(資料八十九参照)という歴史が暗に示すように『自己破綻』という暗闇から飛び出した針の上に立つように柱が外壁を支え、そして外壁が闇の底へと崩れ落ちそうな柱を支えるかのようなパラドックスこそがこの推論のバックボーンであるかのように感じてしまうファクターの一つになりえるかもしれない。しかし愛すべき識者諸君がまず念頭に置くべきなのはかつてのヒルンデンブルグ号爆発事件の裏に潜んでいたとされるナチス・ドイツの暗躍、ひいては(かつて『影響を与える側の人間』として世界で最も有名な男でもあった)アドルフ・ヒットラーの指示がヒルンデンブルグ号事件の底部を――アダムとイブを誘惑した蛇のごとく――這い回り、深く絡みついていたのだという巧妙に隠蔽された歴史的事実なのだ。(資料九十〜九十六参照)八十年代の日本の音楽界において『Romanticが止まらない』や『Lucky Chanceをもう一度』で一世を風靡したC-C-Bが(『与える側』の最先端から遠く無い存在であった)The Beach Boysの大きな影響下にあったこと(資料九十七参照)や序章で引用した『空き地の土管』のイメージを作り出した藤子・F・不二雄氏が持つ『影響』を(九十八参照)を『与える』存在としての『優位性』、転じてサブカルチャーが秘める啓蒙力の比較的『優位性』からも言える通り、銀河系はやっぱりまわってるのである。

 具体的には(後略)

 

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『Amazon.co.jpカスタマーレビュー』より抜粋。

 

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 ★★★★★ あらゆる壇上においてバイブルとなるべき一冊, 2012/1/9

レビュー対象商品: イスカリオテのユダの異常な勢子筒〜またはアントニオ猪木はいかにして《燃ゆる闘魂》を止めて《燃える闘魂》を名乗るようになったか〜(角川書店) (新書)

 多くの方がそうであるように、「何故生きるのか」という誰もが抱える問題への指針になりました。

 かつてニーチェが唱えた永劫回帰に真っ向から啖呵を切りつつ「何故ニーチェが評価されたのか?」を理論的かつ刺激的に論じ、

「超人」のその先を示す鮮やかなその文体。そして「哲学」と「実学」の美しさすら感じる対比に、文学的な価値すら感じます。

 ミシェル・フーコーを継承した自己との向き合い方を踏まえ語られる『主体』、それを前提としたアリストテレス的であり、

解析幾何学にも通じる著者のコギト・エルゴ・スムはマクロコスモスの中のアリストテレスの点に違いありません。

 全体的に要点を絞って解説しているため、教科書のような網羅性はありませんが、

 丁寧かつ砕いて説明されている添付資料によって理解に詰まることはそうそうないでしょう。

 本質をよく解かっていない学者が書いた本は、数式や専門用語で誤魔化そうとするものだと思います。

 しかし『イスカリオテ〜』は真っ向からそれに立ち向かい、事象に秘められた事実のあぶり出しを成し遂げました。

 これが驚嘆すべき労力による賜物であることは想像に難くありません。

 

 前述した「生きること」、そして「サブカチャーとの付き合い方」、「勉学の意味」、「科学と信仰」、

「ナチズム台頭の背景」、「人生のパートナーの選び方」、「初対面の相手と打ち解けるには」、

「優れたコーヒーの淹れ方」、「100メートル走で10秒を切る方法」、「身長の伸ばし方」、「明日の晩御飯」、

 などなど人生に必要な全てが一冊に詰まっています。

 

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『日記』より抜粋。

 

 まずはコーヒーを飲む。とくかく飲む。大量に飲む。気持ちが悪くなる程に飲む。

 カフェインを摂ってナチュラルハイを目指すのである。コーラは太るから駄目だ。お茶は好みじゃない。危ないお薬なんかは論外で、普通に怖い。

 そうして頭が良い具合に回ってきたら、PCと向かい合う。テキストエディタを立ち上げて、ただ闇雲に文章を書き散らす。

 暫らくキーボードを叩き続けて、落ち着いてきたかな? と思ったら、駄文の中から意味の通っている文章を取り出し、つなぎ合わせ、新しくエディタを立ち上げてもう一度コーヒーを飲む。

 その作業を新書一冊分の文量が貯まるまで繰り返し、出来上がったテキストにそれらしく手を加えるのだ。

 この書き方を『バベルの図書館執筆』と名づけた。何となくカッコイイ。関係ないけど図書館は平日の午前に限ると思う。

 そうして出来上がったのが、

『イスカリオテのユダの異常な勢子筒〜またはアントニオ猪木はいかにして《燃ゆる闘魂》を止めて《燃える闘魂》を名乗るようになったか〜』だ。

 正直ちょっと凄いものが完成したと思う。読み手の想像力を刺激するのにあれ以上は無いだろう。

 こんな一昔前のショートショートのようなことが出来るなんて自分でも思わなかったけれども。

『名作は受け手が作る』という奴なのだろう。これからも、

『イスカリオテのユダの異常な勢子筒〜またはアントニオ猪木はいかにして《燃ゆる闘魂》を止めて《燃える闘魂》を名乗るようになったか〜』は広く受け継がれていくことだろう。

 

                                       《了》

説明
某所にて晒した習作の加筆修正版その4 無茶振りから生まれた何か。
拾ったお題は『勢子筒』、『アントニオ』、『イスカリオテ』
『アディアフォラ』、『ラインハルト』、『ヒルンデンブルグ』、
『土管』、『ラッキーチャンスをもう一度』、『谷山浩子を聞きながら』
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