なまいきロボット第3話 遺失物横領大作戦! |
「あの、ドヨウ先生」
「今はリットー君が話すときじゃないぞ」
「なんでもう怪我治ってるんですか?」
「あの程度、一日で治せるようでなければ小学校教師は務まらん」
そうなのか。
ハルが学校で暴れた次の日。分厚い高そうな机を挟んで、リットーとハルは校長先生に向き合っていた。ドヨウ先生はコンパスみたいに歩き回りながら、昨日の出来事を説明している。
「と、いうわけです。リットー君、私の言ったことに間違いは?」
「大有り、むぐ?!」
「無いです、全然。どうぞ続けてください」
突沸しそうになるハルを押さえつけてリットーは愛想笑い。余計なことを言うんじゃない。今のドヨウ先生の説明なら、リットーは卒業までトイレ掃除という悪夢を見ずに済みそうだからだ。ハルにしたって、まさかロボットが罰を食らうとは考えにくい。無い実害を掘り出すような短気は抑えるようにしてもらわなきゃ、どれだけ迷惑をかけられるか分からない。
「まあロボットの暴走が原因だったんだし、教育委員会に報告しなきゃなんない被害も無かったんだから良いんじゃないの?」
校長先生は零戦のデスクトップモデルをいじくりながら言った。山で迷ったときの怒りようとは別人のような対応だ。秋津小が閉校になったら栄転らしく、それに関わらないことには緩いのだ。
「問題はそのロボットが遭難事件のときに拾ったものということだな」
「ええ、明らかに捨てられていたようですが、やったこと自体は落ちていたお金を横領するのと変わらない。リットー君はそれを早く警察に届けてきなさい」
「なんだよ! じゃあ俺にあがががが!」
リットーはハルの口にゲンコツを突っ込んだ。
「いやははは、分かりました! 必ず連れて行きます!」
「じゃ、これで終わり。もう帰ってもいいよ」
校長先生がこちらを見ずに言った。
リットーは校長室から退散した。ドヨウ先生はまだ何か言いたそうだったが、気付かなかったことにした。
「リットーてめぇ何度も何度も何度も邪魔しやがって!」
校長室前、リットーが手を引っこ抜いた途端、ハルが機関銃のように文句を言ってきた。
「まったく、お前に唾があったらとんでもないエンガチョだったよ」
「あんた達またケンカしてるの? 怒られたばっかりなのに」
別の声に振り向くと、コクウが腰に片手を当てて重心をずらしたかっこいいポーズを取っていた。もう片方の手にコップをぶら下げているからちっともサマになっていない。
「盗み聞きかよ、センス無いな」
「ケンカじゃないよぉ、リットーがさぁ」
ハルが甘えた声を出す。コクウは猫かぶりロボットを抱きとめてリットーに敵対した。
「あんた女子に優しくなさすぎよ」
「お前は男子に何を求めてるんだよ」
リットーは肩を落とし、気をとりなおした。
「みんなは?」
「川で集まってるよ。事によったら全員の力が必要だろうって」
「外野は良いよな、面白いところだけ顔出せて」
「で、何言われたのよ」
「あっちで話す。とりあえず行こう」
秋津村の人たちが「川」と言うときは、大抵秋川のことを指している。都道と絡み合うように山を跨いで町へ流れる、曲がりくねった大きな川だ。特に秋津小のやつらが言ったときは、学校から村側に二つ行った鉄橋のことを指している。少し下流に行けばかなり広い河原があるのだが、そこで遊ぶことはほとんど無い。まぁあっちには観光客向けのキャンプ場があるから、どちらにしろ村の小学生は立ち入り禁止なのだが。
「あーい、きゃーん、ふらあぁぁぁぁあああああああああああああああイ!!!」
調子外れの掛け声を上げて鉄橋から飛び降りたのは、パンツ一丁になった強面のタイショ。わがままのゲシが助走をつけて、トウジがポンとジャンプしてそれに続く。
そのとき、ハルがゴムパッチンでも受けたようにリットーに飛びついてきた。ハルはリットーの後ろに隠れると、ガタガタ震える指で三人の立てた水柱を指した。
「おい、ななななんなんだありゃ?!」
「なんだって、飛び込みだろ?」
「ンなもんはわかってる!なんであんなお、恐ろしいマネができるんだ!」
たしかに秋津小の男子にとって、ここからヒモなしバンジーができるかは大人と子供の境だが、リットーにはハルのビビりようがイマイチ分からない。普段のこいつなら喜んで飛び込みそうな気がするのだが。
「そっか、ハルはロボットだから、水濡れると壊れちゃうもんね」
隣でコクウがぽんと手を打った。
「だせぇの。いつも偉そうな口効くくせに水にも潜れねぇのかよ」
「だっ、黙れ!水は怖いんだぞ!一滴だって、俺様たちは当たりどころによっちゃ死ぬんだからな!」
良いことを聞いた。リットーは岸辺で両手に水を汲み、ハルにひっかける。ハルは慌てて飛びのいた。
「うわ、やめろ!」
「はっはぁ!逃げろ逃げろ!」
「いじめないの!」
言うのと同時に、コクウがリットーを川に向かって蹴飛ばした。宙に浮かんだリットーは、一瞬静止してから水に落下する。もがいても体が浮かばない。リットーは金槌なのだ。
「あばばば!なばにばゴグウ!」
「何溺れてるのよ。足、つくわよ」
岸から言われて、足を伸ばすと確かに立てた。
「なんだよ、リットーも水駄目じゃんか」
「俺は水の中で移動できないだけなの!ダイブだって浮き輪付けてりゃ出来るんだぜ」
「自慢になってないわよ。ほら」
コクウがこちらを見下ろして、ぬっと手を差し伸べた。リットーはそれに掴まり、立ち上がる代わりに思い切り引いた。
コクウが痛そうな音を立てて顔面から着水する。
「あー! リットー!」
「ばーか、ばーか」
「リットー、来たのかよぉ!」
今の音で気付いたのか、タイショが水上から手を振っていた。
リットーは集まった仲間たちに校長室で起こったことを話した。ハルが言えとうるさいので、校長とドヨウ先生が彼女をリットーの持ち物扱いしたことにも触れておいた。
「お前が素直に謝っときゃこんな事になんなかった、ってのも付け加えろ!」
リットーが説明し終えるのとどちらが早いか、ハルが食ってかかった。
「俺はこれっぽっちも悪くないだろ? それに言ったところでお前が山で見つかった身元不明のロボットってことは変わらないじゃん。どっちにしろこうなってたよ」
説明が終わると見るや、わがままのゲシが飛び上がった。
「じゃあハルとお別れってこと?!」
続いてタイショが睨んできた。
「まさか大人しく交番に連れてく気じゃないだろうな!」
リットーは残念そうな苦笑いを作り、肩をすくめる。
「それも考えたんだけど、母さんが匿う気満々だからな」
みんなが安堵の息を吐く。どうやらハルの味方は多いようだった。
そこでトウジが出てきた。
「でももしドヨウ先生が交番の人にハルが届いてるか聞いたら?」
「え!」
委員長のシュンブンが悲鳴を上げた。
「や、やっぱり交番に届けた方が」
シュンブンは指をガチガチ噛みながら訴える。が、副委員長のソウコウにひっぱたかれた。
「あんたは先生に従う以外のことができないの?!」
「で、でも持ち主が探しに来なかったら、何ヶ月かすれば拾った人のものになるんだし」
リットーは良いこと聞いたとハルの肩を叩く。
「よし。ハル、少しの間お別れだ」
「納得すんな!」
「私も反対です」
手を挙げて発言したのは、それまで黙っていた物知りのカンロだった。彼は指を色々に絡ませて、ためらいがちに続ける。
「たとえ一時的にでも、ハルさんを手放すことは避けるべきだと思います」
「どうして」
タイショが先を促した。
「まだみんなに話せるほど固まったわけでは」
「間違ってたって責めやしねぇよ」
カンロはうつむいてブツブツとつぶやいていたが、やがて考えがまとまったのか顔を上げた。ここはシリアスにしておくべきと空気を読んだのか、みんなも居住まいを正す。
「ハルさんの記憶のことです。普通、中古販売などでロボットの記憶を消去した場合、新品当時と同じ、生まれたままの状態に戻ります。しかしハルさんは記憶が無いと言っていた。つまり記憶が有ったという記憶だけは残っていたわけです。ロボットをこんな状態にするソフトの話など、私は聞いたことがありません。リットーさんはハルさんが山の中に捨てられていたとおっしゃっていましたが、私は、ハルさんは捨てられたのではなく、何らかの意図をもって封印されていたのではないか、と考えているんです」
「じゃあ誰かが私たちとハルを会わせようとしてたってこと?」
ソウコウが訊いてきた。
「そこまではまだ」
「よく分かんないけど、つまりドヨウ先生を正面から説得するしかないってことは変わらないのね」
コクウがあごをかき、溜息を吐いた。
重い溜息は伝染していく。あのカンパンみたいな堅物を説得することなど、なんだかんだ言ってまだ子供の自分たちにできるわけがない。たとえ完璧に対策を立てたとしても、ヒットポイントがマイナスになるまで論破されて自分たちが本当に間違っているような気分になるだけだ。
そんな暗鬱としたところに、やけに能天気なベルの音が響いた。見ると、自転車に跨ったちょっと冴えない天パの35歳が鉄橋の上から手を降っていた。あの人はセッキ先生。中学年の担任で、どこかの誰かと違って話の分かる先生だ。
「どうしたんですか?自転車なんて乗って」
遠めの先生に、眼鏡のウスイが声を上げた。
「最近お腹がたるんできてね! この通り自転車通勤さ!」
セッキ先生は大声で応えると、自転車のスタンドを立ててやってきた。
「どうしたんだ? みんな揃って浮かない顔して」
「俺たち、ドヨウ先生を説得しなきゃならないんですよ」
リットーはその浮かない顔のままで言う。思考が堂々巡りを始めていたところだった。アドバイスがほしい。
「何かドヨウ先生を説得する上手い方法ありません?」
「あの野郎のさ、弱みとか知らねぇ?それ言ったら言い返されねぇ、みたいなとっておき!」
ハルがリットーの前に出てきて目玉をギラつかせた。
「うーむ」
考えるような素振りを見せて、セッキ先生はみんなを見渡した。こちらからも期待の眼差し。
「無いな」
「なんですかそれ!」
ソウコウが即座に怒った。だがセッキ先生は気にする素振りも見せなかった。相変わらずのへらへらした顔で、みんなに問いかける。
「みんな、何か勘違いしてないかい?
誰だって一度言っちゃったことは引っ込めづらいものさ。説得っていうのは、相手がそれをやりやすいように手伝うことだと思うんだけどね」
「なんだよ、悪いのはあっちなのにまだ気を使えって言うのかよ」
タイショがいきり立つ。
「まぁ、これは僕の意見だから。嫌ならやらなきゃ良いさ」
言うことを言い終えたのか、セッキ先生はくるりとみんなに背を向けた。
「え、それで帰っちゃうの?」
トウジの声に、セッキ先生は幸せそうな笑顔を向けてきた。
「嫁さんが風呂沸かして待ってるんだ。みんなも五時半には帰るんだぞ!」
セッキ先生は言いながら遠ざかり、自転車に乗るとサッサと行ってしまった。
キツネにつままれたような気分だった。あのタヌキ顔もひょっとしたら化けているだけかもしれないと、リットーは思った。
「アーッ!」
不意に誰かが叫び声を上げ、自分で自分にビックリして跳び上がった。カンロだ。ハルに飛びつかれて、彼はさらにビックリする。
「どうした! 良い案でも思いついたか?!」
「え? いや、ピタゴラスイッチ録画し忘れてました」
ハルの背中が殺気を帯びた。
「ふざけんな!」
「そういうわけなんで、私はこれで!」
さっきまでの小難しいキャラクターはどこへやら。カンロは幼児向け番組を観るために、うなぎのような素早さで帰っていった。
「おい待ちやがれ! てめえもかよぉ!」
ハルが腕をぶん回して怒っている。話し合いの中心が抜けてしまい、誰も何も言い出そうとしなかった。仮に何か言ったとしても、かえって馬鹿馬鹿しくなるだけだろう。リットーは振り返った。
「俺たちも帰ろっか 」
「えっぐし」
答えるようにコクウがくしゃみをする。杏子色の日が、尾根の向こうに沈みかけていた。
次の日、日曜の朝。リットーは母さんに電話が来たと叩き起こされた。受話器を受け取り、くっつきそうな瞼を引き剥がしながら枕元の時計を見ると、まだ七時にもなっていない。誰がかけてきたのか知らないが、とにかく文句は言うつもりでリットーは応答した。
「もひもひ」
「もしもし、リットーさん!」
相手は物知りのカンロだった。チリほども悪びれない声色に、寝起きのリットーは完全に出鼻をくじかれてしまった。
「なんだよ、こんな朝っぱらから」
「今日は朝から作戦会議ですよ!」
「まだやんのかよ」
「九時に河原に集合ですからね!あと、これ連絡網ですから次の人に電話してくださいね!」
電話は一方的に切られた。
リットーはもう一度布団に潜り込む。
電話が鳴った。
「もひもひ」
「今二度寝しようとしてたでしょ!」
電話を一方的に切った。
仕方なく起き出したリットーは、歯を磨いて食卓につき、ハルが居ないことに気付いた。
「母さん、ハルは?」
「ハルちゃんならさっき出かけたわよ。昆虫採集ですって」
母さんは味噌汁を温め直しながら言った。リットーはおむすびの皿のラップを取り、一個かじる。梅干だった。
「呑気な奴だ。俺はハルのために朝から呼び出し食らってるのに」
「ぼやかないの。あなたのロボットなんだから、面倒見てあげなさい」
「母さんも説得が終わるまでハルを出歩かせないでよ。もしドヨウ先生に見つかったら、俺卒業までトイレ掃除なんだから」
「はい、はい」
母さんはテーブルに味噌汁を置いた。リットーはもう一つのおむすびをそれで流し込む。
「ごちそーさま!」
立とうとするリットーを、母さんはそっと肩を押さえて席に戻した。
「おひたしも食べていきなさい」
いちおう河原に集まりはしたものの、昨日と同じ顔ぶれが何の用意も無しに集まったところで、話が進んだり面白くなったりするはずがなかった。みんな始めこそ真剣に唸っていたが五分と持たなかった。タイショのやつなど、こうなることを見越して釣り具まで持ってきていたくらいだ。
トウジは眼鏡のウスイと何やら話し込んでいる。副委員長のソウコウは委員長のシュンブンを引っ張って鉄橋の縁に立たせていた。わがままのゲシはタイショの釣り竿をそばで見つめながら、30秒に一度は「まだ釣れないの?」とたずねていた。
リットーはというと、砂利の少ないところを選んで寝っ転がり英気を養っていた。穏やかな時間が流れる。
そんなリットーの平穏が、目が回るほど肩を揺すられて崩された。
「なんだよもう、ちゃんと考えてるって」
カンロの突き上げか、と思って言い訳を置いておく。が、相手はマスクで顔の下半分を隠した謎の人物だった。コクウだ。無言だが、鬼気が目元を見るだけで伝わってくる。リットーは覚醒した。
「どうした、何かあったのか?!」
コクウはその目つきのままで、珍妙なジェスチャーを始めた。昨日のダイブで風邪をひいて、声が出せないらしいのだ。
「くそ、全然分からん!」
「ケ、イ、チ、ツ、オ、ボ、レ、タ、なんですって?!」
カンロがリットーを押しのけて翻訳した。声を聞きつけ、遊んでいたみんなが転がるように集まってくる。
「カ、リュ、ウ、ノ、ホ、ウ、分かりました。二手に分かれましょう!半分は大人を呼んで、もう半分でケイチツさんを追うんです!」
慌てるだけだったこの場に、びりりと緊張が走った。
「リットー、この場は任せた!」
「頼むね!」
「僕も呼んでくる!」
「後はよろしくお願いします!」
「僕も!僕も行く!」
「頼りにしてるよ!」
「!」
「手分けするんです!」
「おう、任された!」
次々に走り出す友達にリットーはいい笑顔で返し、自分の左右に誰も居ないことに気付いた。
「馬鹿野郎!なんでこんな比率なんだよ!金槌を一人残して何させる気だよ!」
リットーは頭をかきむしり、叫ぶだけでは状況は変わらないと思い直した。
「ケイチツ!」
振り向きざまに名前を呼ぶ。リットーは流されていく下級生を追い、砂利を蹴った。飛沫の中に見え隠れする黒い頭が見えてきた。飛び跳ねるように走りながら靴を脱ぎ捨てる。自分にもし泳げるようになる時が来るとしたら、今をおいて他に無い。リットーにはそう信じるしかなかった。
全身をバネにして、リットーは川の上空へと身を踊らせた。
脚を蹴り出し、全身全霊の力で水をかく。リットーは川の流れの中を、石のように沈んだ。
「ぐががががががぼ?!」
やっぱり駄目か!叫ぼうとしたら鼻の穴と口いっぱいに水を吸い込んだ。拳銃弾を撃ち込まれたように鼻腔と喉頭が痛む。飛び込みの狙いだけは正しかったのか、水上に頭が出るとケイチツの姿が見える。しかし彼我の距離は一ミリも縮まらない。一緒に流されているだけで全く進めていないということだ。
万事休すか。観念しようとやけに冷静に考え始めたとき、リットーは後頭部を硬いものにしたたか打ちつけた。
痛い。だが、その硬いものが手にかかった。体重を預けられる。リットーは何だかわからないそれの上に身体を打ち上げ、鼻と口から水を吹き出し喘いだ。
リットーが引っかかったのは、川面に枯れ枝を浸している倒木だった。空気を肺に送り込みながら、リットーは枝の隙間にケイチツを探す。居ない。まだ溺れたままなのだ。
「ハァッ畜生!」
荒い息に任せてリットーは吐き捨てた。なんで同じように流れてきたのに自分だけ木に掴まってケイチツは助かっていないんだ。これじゃあまるっきり無意味じゃないか!
その時。悪態に応えるように頭上で枝葉が音を立てた。風で揺れたという感じじゃない。首を捻じ曲げると、長袖長ズボン、虫取り網に虫かごに麦わら帽子、三角巾を口に巻いた人影がこちらを見下ろしていた。
「ハル!」
リットーはその名を呼んだ。
「リットーじゃないか、どーしたんだ? こんなところで」
「脳天気な声出してる場合じゃ、ない!」
「あん?」
「ケイチツが、溺れたんだ!」
助けてやってくれ。続く言葉をリットーは慌てて飲み込んだ。そんなことを言って、ハルがもし実行したらどうするんだ。彼女は泳ぐどころか、水をかぶるだけでも命取りになるんだぞ。
「待て、妙な考え起こすな!」
リットーは力の限り怒鳴った。しかしハルは、わずかに見える目元に優しい笑みが浮かべるだけ。いつだって下品なやつだから、一週間足らずの付き合いでも分かった。
こいつは死ににいく顔だ。
「ロボット三原則第一条、ロボットは人間の危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」
ハルは息を溜め込み、どこからか耳栓を取り出してぎゅっと押し込んだ。
「そういう問題じゃない! 今は俺に任せろって! 俺とお前、助けにいったときの死にやすさを考えてみろ! リスクの大きさってやつだよ! 聞いてるのか! ハル、おい!」
ハルの靴が土を蹴る。
彼女はリットーの頭上をちょっとした軽業のように飛び越えて、真っ白な飛沫をあげて川の流れに突っ込んだ。
「ハル!」
その黒い頭と腕が水面に現れる。彼女はまだ生きていた。口と耳を塞いでいるから、最低限頭の中だけは浸水していないのだ。だがそれだって、どこから漏るか分からない。リットーはケイチツに追いすがるハルを見つめ、ただ祈った。
ハルはついにケイチツを捉えた。その首根っこをムンズと掴み、もう片方の腕で水をかきながら対岸へと向かう。あと5メートルで岸に着くその時。彼女の頭が、グラリと揺れた。
死んだ?!
違う、足が川底に着いたのだ。
間に合ったんだ!
ハルはケイチツをそっと立たせ、手を繋いで岸へと上がった。二人の足元で砂利が黒く濡れていく。
リットーは我に帰った。一秒でも早く二人の元に駆け寄りたい。しかし真っ直ぐは向かえない。リットーは倒木の枝をよじ登り、藪をかき分け、それを抜けるとアスファルトに飛び乗って全速力で橋を渡った。転がるように河原を下り、ぶつかるように抱きついた。ハルの身体が頼りなく揺らぐ。
「大丈夫か! 何ともなってないか?!」
ハルは邪魔そうにリットーを引き剥がすと、歯をずらっと見せて笑った。そして崩れた。ジェンガのようにあっさりと。
前触れも何も無かったものだから、リットーは咄嗟には反応できなかった。
「先生! こっち!」
副委員長のソウコウの声が聞こえた。がらんどうな頭のままで振り向くと、ドヨウ先生とみんながぞろぞろと向かってきていた。
「ケイチツ!」
「私なら大丈夫」
ケイチツはすっと指を、斜め下方向へ伸ばした。
「だけどハルが」
「ハル!」
リットーは動かなくなったロボットに震いついた。
「死ぬな! ハル! 生きろ! なにが第一条だ畜生! 難しい言葉使って得意がりやがって! 折角ほんのちょっとくらいは仲良くなれたかと思ったのに!」
思うことなど無かった。全部口から出ていってしまうからだ。
「あのときのロボットか」
ドヨウ先生の当惑した声が聞こえる。リットーはがむしゃらにハルの死体を揺さぶっていた。
「動かないお前なんか見たくないんだよ! だから自分で動けよ! 勝手に動け! うご」
「やめてください!」
カンロか。
「黙れ!」
「希望が有るかもしれないんです!」
腕が止まった。
「どういうことだ?」
「ロボットをリアルタイムに動かしているのは、主にCPUとメインメモリです。今ハルさんが動かないのは、その部分が浸水してしまったためと考えられます。しかしハルさんの記憶や主体が格納されているのはハードディスク。ここに書き込まれた情報は、ディスクを乾燥させれば問題なく読み出せます」
「じゃあ助かるんだな?!」
「そうとも言えません。もしもハルさんのハードディスクが市販OSにサポートされないほど大容量だった場合、ディスクに記録されたOSだけでなく、それらハードウェアもワンオフである可能性が出てきます。そうだった場合この状態はやはり致命傷です。衝撃をできるだけ避けて、一刻も早く乾燥させなくてはなりません。
とにかく、ここに居てはどうしようもありません。ドヨウ先生、ハルさんをどこかチリの少ない場所へ。みなさんも手伝ってください!」
ドヨウ先生は黙ってうなずき、車を取りにいった。
ハルはすぐ、村の診療所へと担ぎ込まれた。ここは委員長のシュンブンの家で、診察室のベッドを貸してもらえることになったのだ。
母さんも社務所を早めに閉めて駆けつけてくれた。今は診療所の入り口のところで、ドヨウ先生と何か話している。
リットーたちは待合室の堅いソファに並んで、カンロが手術を終えて出てくるのを待っていた。どれだけ待ったのか、秒針の音を数えるような場だったのに、分からない。ブラインド越しに月の光が射して、ビニールカーペットの床とベビーベッドを縞々に照らしている。暗くて、静かで、薬臭い。リットーは半分だけ見える非常口マークの光を、ぼんやりと見つめていた。みんなも初めこそ落ち着かないようだったが、今は眠気を必死でこらえている。疲れているのだ。
眼鏡のウスイが口を開いた。
「遅いね」
「カンロは一晩くらいかかるかもって言ってただろ? それくらい待てないのか?」
強面のタイショは言うものの、彼の口調もいらついていた。
再び沈黙。
「お前たち」
それはすぐ破られた。ドヨウ先生の声で、みんなは飛び上がって墜落する。
「いきなり大きな声出さないでください!」
副委員長のソウコウが抗議する。それにドヨウ先生は、いつもの調子で応えた。
「みんな、そろそろ家に帰れ。親御さんも心配してる」
「やだ!」
怒鳴ったのはわがままのゲシだ。みんなも同じ意見。もちろんリットーも。そんな中から口火を切ったのは、無口なケイチツだった。
「ハルは、命がけで私を助けてくれた」
「なのにハルが頑張ってるときにぬくぬく眠ったりなんて、できないよ!」
トウジが声を荒げる。
「すみません、同意見です」
委員長のシュンブンが続いた。
「たまには良いこと言うじゃない。門限とか言い出すかと思ったけど」
副委員長のソウコウが笑う。
「ここ、僕んちですから」
なるほど。
「俺は」
リットーも口を開いた。一番言わなければならないのは自分だと分かっていた。
「ここに居たい。居てやりたい」
「お前たちがここに居たところでどうにもならないだろう」
「ドヨウ先生」
ほわんとした声は別の方からした。ドヨウ先生が振り向く。
「リットー君のお母さん」
「あの子たちもああ言っていることですし、今晩は特別許してあげたらいかがでしょうか。私もいることですし、お泊まり会みたいなものですよ」
「しかしですな」
「お父さんお母さん方には私から話しておきますから」
「ふぅむ」
ドヨウは首をひねって思考した。首がこれ以上曲がらなくなると体全体をひねりはじめ、やがてオブジェのような姿勢から床にあぐらをかいた。
「分かりました。ただし条件があります」
『条件?』
みんなの声が重なる。
「私もここに留まらせていただく」
リットーたちは一斉に躍り上がった。
「それから!」
ドヨウ先生の声で踊り下がった。
「病院では騒がないこと!」
気がつくと、リットーは画用紙の箱のような空間に浮かんでいた。
不意に目の前に、クレヨンで殴り書きした顔らしきものが出現した。リットーの身長ほどもある。
「おっす! 」
そいつが喋った。
「お前誰だよ」
「俺様、ハルだよ」
「絵心の無いやつ」
「こんな格好になってんのは俺様のせいじゃない。リットーのイメージ能力が無いからだ」
「なんだと?!」
リットーはハルの顔らしきものに掴みかかろうとしたが、その瞬間、足を踏み外したように転落した。落ちても落ちても、全然底にぶつからない。巨大だった顔が、視界でどんどん小さくなる。それが常識的な大きさになった瞬間、リットーはゴンと頭をぶつけた。
夢と現実がちらつき、現実の方で落ち着いた。床に転げ落ちたリットーは、にやつくハルに見下ろされていた。
「起きたかリットー」
今起きた。見回すと、仲間たちがソファの上で折り重なるようにして眠り込んでいる。
「そうだ、俺たち、壊れたハルと離れたくなくて」
そしてそのハルはここにいる。
居る。
リットーは無茶苦茶な雄叫びを上げて、ハルに抱きついた。
「良かった、ハル! 生き返ったんだな?!」
「勝手に殺すな、一度だって死んじゃいねぇぞ」
「人の気も知らないで!」
「私の技術に感謝ですね」
声に振り向くと、カンロが診察室のドア枠にもたれて笑っていた。目の下になみなみと隈を作り、尊大な台詞のわりに辛そうだ。
「あれ、何か有ったの?」
また別の方からトウジの声。他のみんなも物音に気付いたのか、むくむくと体を起こしていた。寝起きの唸り声が色めいていく。
「頑張ったね! ハル!」
「良かった、本当に!」
「言いそびれてた。ありがとう」
「な、なんか俺様、よく分かんないけどちょっと良い気分?」
「終わったみたいだな」
浮かれるハルと俺たちの前に、ドヨウ先生がやってきた。先生はいくらか照れて、赤くなった鼻を掻いた。どれも全然見たことのない様子だった。
「その、ちょっと言っておかなきゃならないことが有ってだな」
ひと呼吸。
「ハルさんに、これからも村にいてもらいたいんだ」
リットーは湧き上がる喜びを、なんとか喉元で押さえ込んだ。嬉しさがみんなの周りに、波のように広がるのが分かる。
「じゃ、早く帰って支度しろ。今日は月曜だからな!」
さっと言い切り、ドヨウ先生は逃げるように行ってしまった。折角なら休みにしてくれても良かったのに、と言おうと思ったが、まあ今はこれで良い。
リットーは目一杯、大きく息を吸い込んだ。
「おっっっっっしゃああああああ!!!」
『作戦、だいせいこぉおおおお!!!』
みんなの声がそれに続いく。なんだか聞き慣れない言葉が出てきたような気がして、リットーは耳を疑った。それをあらかじめ読んでいたかのように、カンロが不敵な笑みを浮かべた。
「一昨日、私が本当にピタゴラスイッチを録画しに帰ったと思ってるんですか?相手が意見を撤回しやすいようにすることが説得。セッキ先生に言われて、あの時既にピンときていたんです。あの頑固なドヨウ先生にとって一番意見を変えやすい状況というのは、別のことに頑固になるべき理由ができたときです。私は早めに帰宅して、このアイデアを連絡網で回していたんですよ。リットーさんを抜かしてね」
コクウが後を引き継ぐ。
「で、手っ取り早く確実だったのが、自分の命を投げ出す勇気ある行動」
更にハルが続きを話す。
「でも本当にやったら俺様が死んじゃうから、コクウに代役を頼んだってわけだ」
二人は肩を組み、互いの顔にカツラとマスク、三角巾を乗せていった。
「ちょっと見ただけじゃ分からないでしょ」
「声はICレコーダー使ったんだぜ」
「私も、演技」
無口なケイチツが締めくくった。
リットーは不愉快という意味で納得がいかない。
「なんで教えてくれなかったんだよ」
「敵を騙すにはまず味方から。本気で悲しむ人がいないと、見破られるかもしれませんからね」
カンロが嬉々として答えた。同時に、タイショがどかんとぶつかってくる。
「世紀の名演技だったぜ、アカデミー賞ものだ!」
「なんだか、嬉しくない!」
その頃、秋津小の職員室。職員会議も済み、ドヨウは一時間目の教材をまとめている。その手を止めずに、彼は隣のデスクで仕度をするセッキ先生に言った。
「子供達、喜んでいましたよ」
「いやぁ、なんだかドヨウ先生に嫌な役やらせちゃったみたいですみません」
快活な声が帰ってきた。
「たまに騙されてあげるのも教師の仕事です。自分の力で主張を押し通した経験は、将来子供たちの力になります」
ドヨウは元々、本気であのロボットを警察に引き渡すつもりではなかった。だいたい山の中に放置されていたロボットは不法投棄の扱いで、そういったものの持ち主は所有権を主張できなくなる。届けたとしても、無理矢理取っていかれるようなことは無かったはずだ。子供達はそれを心配していたようだが。
「でも最初は認めるつもりなかったんでしょう?」
「フム」
ロボットが子供に悪影響を及ぼすという主張がある。何でも言うことを聞いてしまうロボットがいる環境は、子供達を慢心させ、非行や凶悪犯罪に走らせるというのだ。恐らくロボット嫌いの理論武装だろうが、言っていること自体は間違っていないとドヨウは考えている。では何故、それでも子供達にロボットを与える気になったのか?
「子供たちが真剣にロボットを持つことを認めさせようとしていたから?」
いや。この真剣さがいつまでも続くのであれば、世の中に捨て犬、猫の類は現れないだろう。
あのロボットは他と違う、子供達の本当の友達になってくれそうな、そんな気がしていたのだ。
「次回は私の出番、ちゃんと作って下さいよ」
思考を遮って、中年女性の声が聞こえた。低学年の担任、コヨミ先生。
「私に言われても困ります」
言いながらドヨウは立ち上がった。今日の仕事が待っている。
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