死神
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 おれは死神だ。魂を刈り取るのが仕事である。

 自分がいつから死神をやっているのか、覚えてはいない。時には悪の象徴のような扱いをされ、時には最高神に近い信仰を受けたりもした。

 つまるところ、おれがいつ死神として生まれたかではなくて、誰がいつおれを「死神」と呼びだしたのかがわからないのだ。

 おれは生物が成ったころからこの仕事をしているが、人間が表れて文明を作り出し、性格や容姿を描写するまでは、おれはただおれですらない≠ネにかであった。

 だから、おれが人間の前に姿を現すとき、見た目は一定でない。見る人間の感性がおれの姿をかたちづくり、あるものは恐れ、あるものは崇め、あるものは何も見えないまま死んでいく。

 例外はない。今までにどのくらいの魂を自分で刈り取ったかわからないが、ひとつの魂も逃したことはなかった。

 とくに人間たちにとって、おれは絶対的な死の呼び声だ。おれを目の当たりにしたやつで、長らえたやつはない。

 だからこそ、おれの姿は想像されるのだ。そこが興味深くて面白い。おれはこの仕事が好きだった。

 

 

 ある冬の日、おれはひとつ魂を刈り取るつもりでレンガの立ち並ぶ街に降りた。

 宵口にまばらに降り始めた細かな雪は、積もらないだろう。粉砂糖をまぶしたようになった路上を、襟で顔を隠した人間が行き交っている。

 入り組んだ路地には、見えているのに「ないモノ」が転がっている。この町では、コートを着ないで路上に転がっているものはないモノと同じなのだ。

 それが酒の瓶だろうが、なにかもわからないような塵芥だろうが、ススだらけの猫だろうが、人間だろうが。背景を構成しているものに過ぎない。影と大差がなかった。

 でも、おれは死神だ。死神は平等でなければいけない。たとえないモノにされていても、人間は人間だ。魂は魂だ。差別はナシ。

 建物の合間と合間。街灯の光すら満足に届かない闇。申し訳なさそうに身を潜めている小さな影が今回のターゲット。

 死因は衰弱死とある。人間はおれなんかよりもずっと残酷だ。おれに慈悲はないけれど、別におれが殺しに行くから死ぬわけじゃない。そもそもおれが来るような状況にしなけりゃ死にもしない。

 おれはただ、機が熟した魂を刈り取って運ぶだけの農夫なのだ。悪意などない。死に悪意を持ちこむのは人間だけだ。

 そっと路地裏を覗きこむ。居た。わずかに突き出した屋根の下に身を収めている少女。おれが触れなくとも風に吹かれてどこかに散ってしまいそうなほど、惨めに痩せていておぼろげ。長い髪は生活の邪魔だろう。身にまとっている襤褸よりも面積がある。

 顔の大きさに不釣り合いなほど大きくらんらんとしている瞳の下には、深くて色の濃いくま≠ェ出ている。当たり前だ。寝たら死ぬ。寝てる間におれに魂を刈り取られてしまっていたかもしれない。だから、この少女がこうして起きておれと対することに、ある種の因果を感じた。幸か不幸かでは計れない、不思議な因果を、だ。

 おれはいつでも人間を見ていて、人間の数だけおれは存在している。だから、この少女を導くおれ≠ヘ急ぐ必要はどこにもない。むしろ、この子を導けばこのおれの役目は終わるのだ。それで戯れな気分になることも多い。

 おれがゆっくり前に出ていくと、少女は驚くほど緩慢な仕草で見上げてきた。そう、衰弱死だった。死ぬほど弱っているのだった。この子は。

 

「おじさん、誰?」

 

 想像よりももと幼い、舌ったらずな声。彼女がおれを「おじさん」と呼んだから、おれの声は「おじさん」になった。

 

「おれは、死神だよ」

 

 死神と言ってわかるのだろうか。しかしそれ以外におれはおれを表す言葉を知らないのだから仕方ない。

 

「お手々、見せて」

 

 そう言われたので、手を出して見せた。

 差し出した右手に小さな両手が触れ、抱え込み、身を乗り出して覗きこまれると、おれの手は雪よりもなお白い、純白の骨の手になった。

 

「やっぱり白いね。それに堅い」

 

「死神を知っているのか?」

 

 そう訊ねると、頷き返される。

 

「前にね、絵本で呼んだことがあるの。真っ黒い服を着た骨の人。死神なんだって」

 

 少女がそう口にすると、おれを取り囲む浮かしの空気が、黒のコートと帽子に変化した。おれはこうして、少しおしゃれな骸骨野郎の姿をとった。

 

「ほかに死神を見たことがあるか?」

 

「ないよ。だって、知ってる。死神は一度しか視えない」

 

 この浮浪の少女は、生れつきこのような身ではなかったのだろう。本でおれの姿を知って≠「たから、おれはこのような姿になった。絵も本も知らないのなら、おれはもっとアイマイな姿をとっていたに違いない。

 

「怖いか?」

 

 おれはわざと顎をがちがちと鳴らした。しゃれこうべ、ちょっと楽しい。そんないたずらに、少女は首を振った。

 

「あんまり」

 

「ふぅん」

 

 あんまり、ときたか。この子は見たまんまの子どもかと思う部分と、そうでない部分がある。こんな瞳で見つめられたのは久しぶりだ。不思議なほど、なんの感慨もわかない瞳。

 おれに慈悲はない。けれど、「ああこいつは憐れだな」だとか、「ああこいつは自業自得だな」だとか、淡々とそういう見方をすることがある。この少女には、それができなかった。

 

「ねえ、おじさん」

 

「なんだ?」

 

「私の骨も、こんなふうに真っ白なのかな?」

 

「たぶんね。でも」

 

 ようやく手を離してもらって、肩をすくめる仕草をする。

 

「おれは魂を運ぶことが仕事だ。からだが死んだあとどうなるかは知らない」

 

 おれは人間に興味があるが、死んで魂の抜けたなきがらに興味はない。

 不思議なことに人間はなきがらにも意味を持ちこもうとする。焼いて供養というのをしたり、土に埋めて墓を建てたり。

 人間によっては、死を「眠る」と言い換えるものもある。あれはどうにもおかしい。死んだら眠るも何もない。

 

「もし死ぬなら、死んだあときれいな骨になりたい」

 

「どうしてそんなことを気にするんだ? イキモノの核心は魂だろうに」

 

「カクシン?」

 

「――イキモノのいちばん大切なものは、魂だ。それが死んで刈り取られてしまったら、残った体にはなんの意味もない」

 

 少女はきょとんとした様子でおれの顔を見ている。眠そうに瞬くまぶたが完全に降りるのに、あとどれだけの時間が残されているのか。もしかしたらもう、限界はとうに過ぎているのかもしれない。少女はゆめうつつで喋っているのだ。だとしたら、あとはおれの裁量である。

 

「そんなことないと思うな、あたし」

 

 笑ったように見えたのは一瞬だった。やっぱり無表情。

 

「あたし、なにももってないから。だからせめて、きれいなもの残したい。からだの中ならたぶん、きれいだから」

 

「……」

 

 やっぱり理解できない。

 死んだらむくろにはなにも残らないのだ。だからこそ、人間は死のイメージを纏うおれに、もっともシンプルな姿として白骨を与えたのではないのか。

 おれはこの体で、いきどまりを表しているのではないのか。それ以上先になにもないということを示しているのではないのか。人間たちにとって死神とは、おれとはなんなのだ。わからん。

 

「怖くないのか?」

 

 おれのような真っ白で綺麗な骨になりたい、と語った少女―― そのおれのかたちでさえ、自分の創造の姿だと知らない少女は、二度目の質問に頷くかと思いきや首を振った。

 

「死んじゃうのはやだよ。でも、おじさんは怖くない」

 

 はたして、おれの存在をわかって口にできる言葉ではない。

 嗤いもせず、憐れむわけでもなく、おれは言った。

 

「死ぬのは怖いのに、おれは怖くないのか」

 

「うん」

 

 即答だった。おれを死そのものの擬人化として扱う人間にあるまじき。

 少女の中で、おれは「死神」であって、「死」ではないということなのだろうか。彼女のかたちづくったおれの姿が、一瞬解けたような気がした。

 少女が溜息を吐く。か細い、消え入りそうな、脱力という言葉がふさわしい溜息。

 おれはそれをもって彼女の限界と判断した。機は熟したのだ。輪廻に彼女の魂を解き放つ時間が来た。

 

「そろそろ死ぬな」

 

 そう告げると、おれの手に鎌が現れた。大振りの、仰々しい無機質なひと振りだ。

 珍しいことではない。「魂を刈る」というと、人間は勝手におれに鎌を握らせる。そんなものはなくとも魂を刈り取ることはできるが、それが「刈り取られる」イメージである以上、鎌が表れてしまえばそれで刈り取らなくてはならなくなる。

 おれは鋭く研ぎ澄まされた刃を少女の首にあてがう。少女は泣きも喚きもしなかった。そんな体力すらなかったか、あるいは――

 

「おじさんのと同じ、綺麗な骨だといいな」

 

 まだ言っている。瞳はおれのなにもない眼孔を捉えて離さない。おれはその消えかけの光に気紛れを起こした。たぶん最初で最後の慈悲だ。

 

「そうだな」

 

 同意の一言。たったそれだけ。

 それだけで、最後に彼女ははっきりと笑った。

 

 

 

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