超空の恋姫03 |
目の前に展開する敵軍勢は約40000
対してこちらの手元にあるのは、指揮系統が統一されきっていない連合部隊15000
正に圧倒的不利という他に無い状況下だが、賈駆文和――詠――の瞳には悲壮な色など微塵も認められない
「各陣に伝令、弓で敵との距離を保ちながら守勢を崩さない様に注意させなさい」
本陣を後にして駆け出していく伝令の後ろ姿に一瞬だけ視線を向けると、直ぐに敵軍勢の方を向き直った
敵黄巾軍は、ほぼ方形の陣のままでゆっくりと前進してきている
倍以上の戦力差を利用して押し潰しにきているのだろう
これはある意味で正しい、3倍近い戦力差があればただ力攻めでも押し切る事は十分に可能だからだ
これに対して董卓仲穎――月――率いる董卓軍を中核とする連合部隊は方円の陣を組んでおり、防御を主眼としている様子が分かる
全軍に防御陣型を採らせれば、例え3倍の敵の攻撃であろうとも暫くは耐える事が出来る
後は攻めあぐねる敵の陣型の隙間を見つけて、そこから陣を食い破るだけだが……
「単純と言えば単純な策よね……けどま、仕方ないか」
若干の悔しさを滲ませて詠は呟いた
指揮系統が完全に統一化されていない軍勢を率いる身としては、余りに複雑な策を示しても仕方がない
結果として、単純かつ即時効果的な策を採用せざるを得ないのだが、それが軍師としての詠には少々不本意であるらしかった
しかし単純な策というのは何時の世でも必要十分な効果をもたらす
恐らく防御は成功するだろう、後は耐え切れるうちに、相手の陣をどう突き崩すかという一点にだけ集中すればいい
今、詠の肩には連合部隊15000の命が背負われていた
超空の恋姫〜3・ShootingMarch〜
「一刀様、物見からの報告が入りました。黄巾軍は漢中の連合軍と衝突、方形で押し潰す算段かと」
「分かった。先行している騎馬隊は、後どの程度で戦場に到着する?」
「今の速度を維持すれば半刻(一時間)かからずに、と稟殿から繋ぎが入っております」
「そのまま進んで、と伝えてくれ」
「御意」
一刀の乗る白馬に馬を寄せ、淡々と報告した椿は頭を下げて配下に何事かを指示した
現在、北郷軍は稟の率いる騎馬隊8000を先行させて戦場へと急いでいる
一刀自身が率いる歩兵7000は戦場働きに支障の出ない、ぎりぎりの速度で歩を進める
内心ではじりじりとした焦りの感情が燻っているが、それを顔に出すことはしない
「お兄さん、輜重部隊から切り離した1000と、再錬兵の終わった2000、最後列に着きましたよ」
「ん、わかった」
「……焦りは禁物なのですよ、こういう時こそ冷静に周囲を見る目が大切なのです」
「……風が軍師で本当に良かったよ」
「おやおや、お兄さん。こんな時にも風を口説くのを忘れないとは、何とも」
「……一刀様」
「おぅ!?」
にやにやとした表情でこちらを見る風に、一刀がツッコミの一つも入れようとした瞬間に真横から声がかかる
思わず変な声が出てしまった一刀が振り向けば、相変わらず無表情を続ける椿がこちらを見ていた
気のせいかもしれないが、視線が痛い気がする
「ど、どうしたの、椿」
「……漢中の細作から、連合部隊の情報が入りました」
「あ、うん、有難う」
何故か恐縮した感じで紙片を受け取る一刀に、椿は何時ものように感情の色の薄い瞳を向ける
自分の横で風がんふふー、と含み笑いをしている事にも気付かずに、一刀は紙片の内容を目で追う
「総数は凡そ20000か、物見の報告より多いな」
「恐らく官軍は塀の内側にいるのでしょう」
さして興味が無い、といった様子で椿が返答する
椿にとって、官軍や漢王朝といった物は既に過去の遺物に近い
そんな物に興味は無く、今は自分の主君にどうやって貢献するかしか椿の関心は無い
ふむ、と小さく唸った一刀は、更に紙片を読み進む
「結構な数の将がいるなぁ……中心は?」
「天水太守、董卓仲穎。そしてその軍師賈駆文和、率いるは8000」
言外に、お飾りの総大将は聞いていない、と匂わせた一刀の意図を読み取り、椿は実質的指揮官と軍師の名を上げた
董卓、という名を聞いた瞬間に一刀の眉根に皺が寄ったが、次の瞬間にはそれも消えて、何時もの笑顔に戻った
「うん、有難う、椿」
「勿体無いお言葉」
「おや〜、今度は椿ちゃんですか、お兄さん」
「違うわ!」
「私は構いませんが、一刀様」
「椿もっ!」
周囲に小さな笑い声がこぼれる中で、一刀の心中では様々な考えが交錯する
(董卓って『あの』董卓だよなぁ……いや、でもこの世界じゃ女の子なのかも知れないし、性格も……)
数瞬だけ心中に迷いが生じるが、それを面には出さない
いずれ『公社』に命じて調べさせるという方法もある
今は、飛び込んでいく戦場の事だけを考えねばならない時だ
笑顔を振りまきながら、一刀は心臓が締め付けられるような感覚に襲われた
緊張は、確かに一刀の中で大きくなっていた
ほぼ同時刻、先行する稟率いる騎馬隊はもう間もなく、戦場を一望出来る高台へ辿り着こうとしていた
本隊へ伝令を送ったのがおおよそ半刻前、大体時間通りの行軍速度だ
途中で何度か、戦場の様子を本陣へと報告する物見とすれ違って情報を交換した
それによれば黄巾軍は力押しで連合部隊を押し切ろうという目論見であるらしい
「確かに3倍近い戦力差ならば、それが最も単純かつ効果的な策ですね……」
思慮深い瞳を眼鏡の奥で光らせて、稟が呟く
しかし逆に考えれば、そういった単純な策しか使えない為に、40000もの戦力が必要であるとは言えないだろうか?
果たして黄巾軍を率いているのは策を効果的に活用できる将なのか否か、それが稟にとっては気掛かりだった
相手がどの様な将かで打つべき手が変化する、稟の用兵の要はそこにあったのである
「郭嘉様、あれを!」
先に高台へと到着した配下の騎兵が、振り向きつつ稟に声をかける
自身の馬がその場に到着すれば、そこはまさに戦場が一望できる位置にあった
高台は丁度、黄巾軍の背後にあたっており、連合部隊をほぼ正面に見る事が出来た
黄巾軍40000が連合部隊15000を半包囲の形で攻め続けている
一方の連合部隊は必死に距離を保ちながら陣形を維持しており、今のところは一進一退か
だが、どちらもよく見れば陣のあちこちに綻びが見える
「連合部隊は指揮系統の不備、黄巾軍は……そもそもこちらも寄せ集めですか」
一瞥しただけでそう評価を下し、次の瞬間には打つべき手を考える
連合部隊は将の質で勝ろうが、数に劣る
黄巾軍は寄せ集めだが、数が多い
ならばどうすればいいのか?
「……軍勢を2つに分けます。右軍、左軍それぞれに――」
すっと戦場を指差して、黄巾軍の陣の破れ目を示す
「これらの破れ目に突入。無理はしなくて構いません、こちらで撤退の合図を鳴らしたら速やかに下がりなさい」
「狙いは、何時もの様に?」
「えぇ、馬に乗った指揮官を優先して討ちなさい」
「承知」
其々4000を率いる中隊長が頭を垂れ、直ぐさま騎馬隊は2つに分かれて高台を駆け下りていく
後に残ったのは稟と、その周囲を守る100ばかりの護衛、そして戦場指揮伝達を行う大太鼓と銅鑼を扱う数人だけだ
その中の1人が、ふと気がついたように稟に問いかける
「郭嘉様、牙門旗は如何致しましょうか?」
「そうね……揚げておきましょう。『天の御使い』北郷一刀、ここにありと知らしめるのです」
「承知」
すると10名ほどが何やら木材を組み立て始める
北郷軍の牙門旗は、現代の掲揚台のように旗を索に結んで引き上げる形式を採用している
支柱さえ立てれば後は少人数でも何とかなるからだ
支柱を立て始めた様子を視界の隅に捉えながら、稟は高台を駆け下りていく2つの騎馬隊の動きを見ていた
黄巾軍は、まさか背後から騎馬隊が迫っているとは思ってもいないらしく、後方への注意は向いていない
この調子ならば、突入は成功するだろう
後は、稟が騎馬隊の引き際を間違えなければ、とりあえず『第一段階』は成功だ
僅かに口元を引き締めた稟の目が、騎馬隊の突入を確認したと同時に、高台には島津十字の牙門旗が翻っていた
まさに青天の霹靂といった様子だった
陣の後方にいた兵士が不意の轟音に振り返ってみれば、騎馬隊は直ぐそこまで迫っていた
「うわぁぁぁぁ!?」
兵士達の叫び声をBGMにして2つの騎馬隊は陣の隙間、破れ目に突入した
ここで特筆すべきは、馬上の騎馬兵達の武装である
その殆どが槍などの長物を持たず、馬上での取り回しが容易な短弓と剣だけで武装していたのだ
僅かに槍などを持っていた騎馬兵は突入と同時に当たるを幸いに得物を振り回して隊列を崩す
そして大多数の騎馬兵は指揮を執っていると思われる、いわゆる『頭』を見つけては弓を射っていく
常に数騎単位で走り回り、『頭』に対しても数本の矢が射られて確実に討っていく様子は、周囲を軽い恐慌に陥れた
指揮を執れば殺されるという、その事実は言葉を積み重ねなくとも容易に推測された
こうなると陣の崩壊は早い
指揮官が殺され、満足に指揮が取れなくなった上に、次は自分かもしれないという恐怖が合わさり、崩壊は始まる
いわゆる見崩れ(聞崩れ)に近い状態だが、それでもやはり数が少なすぎた
背後から完全に不意をついたとはいっても4000程度ではその10倍の軍勢に対して限定的攻撃しか掛ける事が出来ない
黄巾軍の後方部隊を散々に荒らしまわって、指揮官を射殺しまくったが、そろそろ限界だった
そして次の瞬間には、高台に不意に現れた『十』の牙門旗の周囲から大太鼓と銅鑼の音が戦場に響く
騎馬隊は現れた時と同じように、まるで疾風の様に走り去っていった
後に、無数の死体と幾多の逃亡兵、そして呆然としている兵達を残しながら
「何よ、あれ……」
一部始終を丘の上の本陣で見ていた、詠はやや呆然とした様子で呟いた
何処からか出てきた謎の騎馬隊が黄巾軍の後方に突入、散々に荒らしまわって離脱していく
その騒ぎが今更ながら最前線まで伝わったのか、連合部隊への圧力がやや弱まったようだ
それに乗じて詠は一時的な攻勢を指示、前線を幾分押し戻す事に成功していた
黄巾軍も一時的に(恐らく後方の混乱を静める為)陣を引き、双方の距離は大分広がった
「詠ちゃん、見て、向こうの高台!」
「あれは……」
隣で心配そうに戦いの推移を見つめていた月が、彼女にしては珍しく大声をあげる
その声につられるようして視線を向けた詠の目が大きく見開かれる
真正面に位置する高台に翻っていたのは『十』の牙門旗
そしてその高台へと引き上げていく騎馬隊
それはつまり――
「あれは、『天の御使い』の軍勢――実在したのね」
僅かに声に安堵の色が含まれている事に、詠自身は気づいているのか否か
一方その隣では月が瞳を輝かせながら『十』の旗を見つめていた
(来てくれた!本当に来てくれた!)
この戦いが始まってからというもの、月は目の前で繰り広げられる戦いをずっと見ていた
苦境に立たされ、それでも諦める事をしない親友の姿を
不利な筈の戦で、しかし自分を信じて戦ってくれる兵達の姿を
そんな中で何も出来ない自分を悔しく思っていた
だから祈った、他人任せと言われても、それぐらいしか自分には出来ないのだから
(御使い様――お願いします。私の命なんて要りません、だからどうか――皆を助けてください)
詠が聞けば怒り出しそうな祈りを必死で心の中で捧げていた
そんなタイミングで北郷軍騎馬隊の一撃離脱作戦が行われたのだ
始めは呆然としていた月だったが、ふと視線を動かした先には『十』の牙門旗が翻っていた
まるで自分の祈りに応えてくれたかのように出現した『天の御使い』の軍勢
それは正に彼女にとって天からの軍勢であった
「来てくれたよ、詠ちゃん。『天の御使い』様が、私たちを助けてくれたよ!」
「そうね、とりあえずは一息つける、かな」
本当に嬉しそうに詠の手をとる月に、詠は軍師ではなく親友の笑みを返す
しかし、その顔の裏では『軍師賈駆』としての顔が冷静に現状を分析していた
(見た所8000かな、噂だと20000前後で北部荊州を転戦してるって話だったけど)
詠の脳内で様々な情報が交錯し、適切な情報を抜き出す
自身の持っている情報と現状を照らし合わせて、合理的な判断を下すのも軍師の仕事だ
(騎馬隊を先行させた?なら本陣を含む歩兵隊はまだ到着していないって事?)
その判断は正しかった
一刻後に、北郷軍本陣が到着するまでは
「稟、首尾は?」
「上々です」
やっとの事で騎馬隊が展開していた高台まで進出した北郷軍本陣
一刀は稟を呼び寄せると、これまでの流れを説明してもらった
移動中も伝令が幾度となく一刀の元へやってきたが、やはり本人から聞くのが一番早いし、意見も聞けて良い
「ありがとう、稟。どうやら膠着状態に持っていけたみたいだ」
「こちらが気にはなっても、手勢を裂くまではいかないようですねー」
稟が騎馬隊を呼び戻してからは、黄巾軍に大きな動きは無い
戦線を下げて高台に注意を向けてはいるものの、攻め込むでもなくただ傍観している
いまいち北郷軍の意図が読めない事に困惑しているのだろう
連合部隊への攻撃を再開しないのも、後ろから切りかかられる心配がある為か
「ですが、その為に助かりました」
「……確かに騎馬隊でここを守りきるのは困難であると思われます」
その上、数も少ない
黄巾軍が軽い混乱の中で時間を浪費してくれた事は、北郷軍にとって何よりも有難い事だった
周囲に展開し、戦闘準備が整った全軍の視線を受けて、一刀は戦場を眺める
奇妙な均衡を保ったまま睨み合いを続ける連合部隊と黄巾軍、そして北郷軍
「……あのさ、少し提案があるんだけど」
「何ですか?」
「何でしょう?」
「……」
じっとその様子を眺めていた一刀だったが、何かを思いついたようで軍師3人を手元に呼んだ
自分が思い至った策を懸命に説明する一刀に、3人は耳を傾ける
すると不可解そうな顔をしていた稟に、理解の色が広がった
風はほぅほぅと頷き、椿は相変わらず無表情を保っている
「悪くない策だと思います。どの道、全てを相手にする訳にはいきませんから」
「でもそうなりますと、連合部隊へこちらの策を知らせねばなりませんねぇ〜」
「……至急、伝令を出しましょう、伝令旗を持たせます」
一度策が決まればそこから先は専門家である軍師の仕事だ
矢継ぎ早に指示を下していく3人を眺めながら、一刀は彼女達が自分を支えてくれる事に感謝した
伝令旗を掲げた伝令が駿馬に飛び乗り走り去っていく様子を横目で見ながら、一刀は双眼鏡を目に当てる
(訓練では上手くいったけど、実戦でどうなるかはわかんないしなぁ)
一抹の不安はあるが、自分が提唱した策だ
その結果の責任を全て飲み込む覚悟をした一刀の後ろから稟が声を掛ける
「か、北郷殿、整いました」
「……うん」
本来であれば連合部隊と共に動き出すのが最上のタイミングではある
しかし、まったく初対面同士の軍勢が上手く動きを合わせる事が出来るとは考え辛い
なので伝令を出す一方、先んじて動く
こちらの動きと陣形運動を見れば、連合部隊もその後の動きを察してくれるだろう
伝令も送ってあるので、最悪察してくれなくとも動いてはくれる筈だ
(やるだけ、やるさ)
心の中で呟いて、周囲に響く大声を上げる
「全軍、出撃!転輪の陣で行くぞ!さっさと片付けて、宴にしよう!」
「賈駆様、あれを」
「動き出した……」
丘の上から黄巾軍と北郷軍の動きを注視していた詠が小さく呟いた
全軍一丸となって高台を駆け下りていく北郷軍に、しかし妙な違和感を感じている
「あの陣形は何なの……ボクの知らない陣形?」
確かに詠がそう呟くのも無理は無かった
北郷軍の陣形は、彼女が知っているどの陣形とも当てはまらない
上空から見ればまるで、片仮名の「コ」のような形をしている
強いて言えば牛が角を振りかざして突撃するような姿にも見えるが、そんな陣形は無い
隣の月も不思議そうにその光景を眺めているが、その瞳には不安の陰は無い
恐らく『天の御使い』を信じきっているのだろう
自分の胸に湧き上がる違和感を持て余しながら、詠はもう少しだけ戦況を眺める事にした
その奇妙な陣形に困惑したのは詠達だけではなく、黄巾軍もだった
いや、狙われている本人達からすれば、それは不気味でもあった
1000人が横に並び、その列が10列で合計10000人
その横列陣とでも言うべき陣の左右を騎馬隊が固める
二股の槍のような陣形を維持したまま、北郷軍は歩を進める
すぐさま北郷軍に向けて黄巾軍の兵が走り出したが、それは結果的に彼らの死期を早める事になった
「撃ぇ!!」
一刀の号令の元、横列の第一列1000人が一斉に発砲を開始した
勿論これは種子島の発砲であり、彼らに向けて突撃していた黄巾兵がばたばたと倒れていく
すると、今度は後ろに控えていた第二列が数歩走って前に出ると、同じように種子島を撃つ
数歩でも近くなった分、今度もばたばたと黄巾軍が倒れる
再び今度は第三列が前に出てきて――これの繰り返しである
その上、合間合間には弓や長弓、振り飄石や『てつはう』までが前進しながら投射されている
因みに振り飄石というのは竿の先に紐をつけて石を投げる個人用投石器の様な武器である
『てつはう』は古代の手榴弾と思えばほぼ間違いない
漸進しながら投射武器を撃ちこみ、相手の間合いに入らずに敵を倒す
しかも相手に近付く訳だから威力は少しずつ上がっていく
相手にとってこれほど厄介な戦法はない
対処としては、同程度の射程を持つ武器で射撃戦を行う事だが、この時代に鉄砲は無い
その上、聞いた事も無いような音を出したかと思えば人が死んでいく鉄砲に兵達は恐怖を覚えた
弓矢であればどんなに早くとも矢は見る事が出来る(見る事が出来るだけ、ではあるが)
しかし種子島の弾丸は見る事も出来ず、次々に仲間が死んでいく
瞬時に黄巾軍の戦線は混乱状態に陥った
「ここまでは上手くいってるな」
射撃と前進を続ける歩兵軍の後方で、一刀は小さく息を吐いた
これこそが一刀が苦心して作り上げた特殊陣形、名を「転輪の陣」という
まるでローラーの様に、前進を繰り返しながら投射武器による徹底した遠距離戦を仕掛ける
出来るだけ兵の損耗を抑える為に考え出した陣形だが、一刀のオリジナルではない
『第二次関ヶ原の戦い』の際に、当時の西軍武将立花宗茂が原案を考えたと言われる
それは別として、この転輪の陣は今の所、上手く機能している
後は次の一手だが、それは稟に任せてある
そう思った次の瞬間には、左右に展開している騎馬隊が喚声を上げて動き出した
因みに今の騎馬隊は装備を変更して、全員が接近戦用の長物などで武装している
正に騎馬隊の突撃突破力を完全に発揮できる状態だ
「流石に稟は見誤らないな」
「ですねー」
「……一刀様、もう間も無く伝令も到着する頃かと」
左右に控える風と椿がそれぞれ口を開く
力強く頷いて、一刀は馬の足を進めた
「成る程。騎馬隊で中央と左右を分断する、か……長くは持たないわよね」
「持たせる必要はありませんので」
背中に『十』の旗を背負った伝令は、詠の問い掛けに素直に答えた
先ほど連合部隊の元に到着した伝令は一刀からの『提案』を詠に伝えていた
最初は胡散臭そうにしていた詠だったが、話を聞いているうちに、表情は真剣になっていった
この話が本当ならば逆転することも可能だ
そう考えて陣を組み替え始めた時に、北郷軍による分断作戦が始まった
方形の陣の中央に位置する敵本陣を孤立化させる為、騎馬隊によって左右翼の陣と中央を切り離す
確かに長くは持たないが、これで一時的に敵の本陣を含んだ中央部は3方向を囲まれた形になる
後は――軍師でなくとも分かる話だ
「詠ちゃん……」
「分かってる、月。ボクも会ってみたくなったわ、『天の御使い』っていうのに」
そう応えると月の顔に笑顔が広がる
少しだけ照れくさそうに笑うと、詠は隷下の全ての陣に突撃を命じた
「おや、動き出しましたね〜」
風は戦場にいるとは思えないほどのんびりとした口調で呟く
こうなれば、最早『詰み』だ
北郷軍と連合部隊、合わせて30000以上に挟撃された黄巾軍中央部は既に大混乱に陥っている
突撃してくる連合部隊から逃げても、北郷軍の前線に身を晒せば死んでしまう
巨大な射撃場と化した北郷軍から逃げれば、今度は連合部隊の突撃に巻き込まれる
まさに進むも地獄、戻るも地獄だった
比較的傷の少ない左右の陣は健在だが、頭を潰されては何も出来ないだろう
稟からの伝令では既にかなりの数の黄巾兵が降っているとの話だ
「とりあえずは、勝ったのかな?」
「大勝利ではないかと〜」
「……一刀様の機知があってこそではないかと」
未だに信じ切れない様子の一刀とは裏腹に、風は嬉しそうに、椿は無感動に一刀を褒める
稟が戻ってきて、一刀に勝利の言葉を捧げた頃には、既に黄巾軍40000はその姿を消していた
「君が、董卓仲穎かい?」
「は、はい、あの、御使い様……」
「俺は北郷一刀。北郷か一刀でいいよ」
戦闘が一段落した頃、一刀は月達の訪問を受けた
月からは自分達を助けてくれた事に対する感謝を、詠からも同じような感謝の言葉を受けた
「気にしないでいいよ、俺達は俺達がしたい事をしただけだから」
「へぅ……」
その返答と一刀の笑顔に、月の顔が真っ赤に染まる
少しだけ苛々とした様子の詠だったが、月の次の言葉に驚きを隠せなかった
「あの……北郷様、私の真名は月と申します。私達を助けて頂いたせめてものお礼に、どうかお預かり下さい」
「月!?」
「だってね、詠ちゃん。北郷様は私達を助けてくれたんだよ?」
「そ、それはそうだけど……」
「命を助けて貰ったんだったら、私達も真名をお預けするくらいしないと」
「ゆ、月ぇ……」
まるでコントみたいだなー、と一刀が考えている事など知る由もなく、月は詠を説得にかかる
結局、意外と頑固な月に詠が折れ、詠も一刀に真名を預ける事になった
因みに軍師達も2人と真名を交換しあっていた
「あの、賈駆様」
「どうしたのよ?」
暫くすると、董卓軍の兵が困りきった様子で詠に近寄ってきた
月も不思議そうな顔をする中で、兵は周囲にちらちらと視線を巡らせる
その意図に気付いたのか、申し訳なさそうに月が一刀に頭を下げる
「あの、すみません。北郷様、ちょっと外して――」
「太守が逃げたんだろ?」
「!?」
何気なく言った一刀の一言は、しかし大きな衝撃であった
董卓兵がはじかれた様に顔を上げるのを見て、詠の表情が怒りに変わる
「ちょっと!太守が逃げたって本当なの!?」
「……本当です、官軍4000も、一緒に」
「あのクズ……!!」
ぎりぎりという音すら聞こえてきそうな表情で、詠は歯をかみ締める
月はおろおろと詠の顔と一刀の顔に、視線を交互に彷徨わせるだけだ
やがて怒りの感情を心の奥底に沈めたのか、深く息を吐くと詠は一刀の方を見た
「……よく分かったわね、逃げたって」
「こっちにも色々情報は入ってくるからね」
「……侮れないわね、正直な話」
とは言っても、これは一刀の元にも先程届いたばかりの情報であった
漢中の『公社』諜報員によれば、太守と官軍は戦闘の途中で西方に逃げ出したらしい
どうやら連合部隊が敗北すると思ったらしいが、その直後に稟率いる騎馬隊が奇襲を行っている
結局は恐怖心に駆られて逃げ出したのだろう
「でもさ、太守が居なくなって、漢中大丈夫なのか?」
「……問題はないと思います。現に太守がおられずとも平穏な都市も数多くあります」
「そうね……暫くは、ボク達も駐留してるから、平気だと思うけど」
危惧を露にする一刀に、椿と詠が答える
そんな中で月は少しだけ期待に満ちた瞳を一刀に向ける
「あの、北郷様」
「ん、何?」
「宜しければ……北郷様も、漢中においでになりませんか?」
これには月を除く周囲に居た全員が驚いた顔をする
しかしそこは稀代の軍師達、一刀を除く全員が小さく頷いた
「悪くない提案ですよ、北郷殿」
「……北荊の砦や都市には繋ぎをつけねばなりませんね」
「漢中を守ったという事実があれば、お兄さんの名声も更に高まる事ですし〜」
「まぁ……確かにアンタらの軍勢があれば、心強いけど……」
肯定的意見が全体を占め、後は一刀の判断を仰ぐだけとなった
約1名の期待に満ちた眼差しを含めた視線を受けて、一刀は少し考えるそぶりをした
北部荊州にはまだ黄巾軍が残っているだろう
しかし、この周辺では最大規模であった先程の黄巾軍を倒した事で、崩壊が始まるかもしれない
それに、北部荊州各地で黄巾軍の投降が相次いでいるという情報もある
これならば自分の手元に10000も残しておけば、後は残った部隊だけで対処出来るだろう
ついでに言えば先程の戦いでも、左右翼の陣から10000を超える捕虜を獲得している
5000ぐらいずつに分け漢中駐留部隊と北荊帰還部隊に組み込めば少しの練兵で戦力となる
そういった事を含めて、一刀は顔を上げた
「長居は出来ないけど……少しお邪魔しようか」
漢中駐留部隊はその後、約1ヵ月ほど漢中に残っていた
北荊帰還部隊は帰路にも北部荊州各地で黄巾軍を降し、帰還して半月で黄巾軍は北部荊州から姿を消した
月は望み通りに一刀と様々な話をし、詠は交代で一刀を補佐する稟達との軍師談話を好んだ
1ヶ月が経過して北郷軍が北部荊州へと帰るその日、月は涙目で一刀に笑いかけた
「また、会えますよね、北郷様」
「うん、会えるよ。俺も月や詠に、また会いたいから」
「……馬鹿」
小さく呟いた詠の頬が少しだけ赤くなっていたが、一刀は気がつかないようだった
傍らの風は気がついたようだったが、何時も通りの表情を崩さない為に、真意は見えてこなかった
(稟と椿は交代で北郷軍の全軍指揮をとっている為、北部荊州にいる)
「じゃあね、月、詠」
「はい、北郷様」
「ま、期待しないで待ってるわ」
月の涙声と詠の強がりな声
この1ヵ月ですっかり聞きなれた声を背に受けて、漢中駐留部隊は懐かしい北部荊州へと歩を進めた
中央での黄巾軍が曹操軍に敗れて『黄巾の乱』が収まるのはこれから2ヶ月後の事
そして北郷一刀が乱の鎮圧の功績を認められて漢中太守へと任命されるのは、更に1ヶ月後の事であった
次回予告
漢中太守となった一刀は漢中を大改造する決意をし、それに着手する
凄まじい勢いで発展する漢中は、新時代の雛形たりえるか?
そして月の元へ現れた『悪の女』――張譲の真意とは?
次回、超空の恋姫〜4・新機軸都市発展理論〜
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真・恋姫無双のSSになります 某小説との間接的クロスオーバーとなります |
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