オリジナル百合小説 「つまさきほど」 第1節
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 1. クロース・エンカウンターズ

 

 

 あー、これ美味しそう! ひとくちちょうだいっ。

 

 JR常磐線、および東武野田線の柏駅ほど近く。現在時刻、午後4時4分。

 あん、と目の前の女の子が私の持っているジェラートにかじりついた。

 普段はあまり思っていることが顔にでない私でも、この時ばかりはまぬけな顔をしていたに違いない。

 ここは駅の近くにある繁華街で、ジェラートをすぐそこにあるお店で買ってまだ口をつけないうちに、この女の子に食べられてしまった。それで何故私がこんなに驚いているかというと、この女の子はまったく見知らぬ人間で、ジェラートを持って歩いていた私の正面から歩いてくると、いきなり近付いてきて挨拶もなしに襲いかかってきたからだ。

 これは通り魔の一種? それともこの街では最近こんな風なことが流行りなんだろうか?

 そしてその女の子は、一口分のジェラートを味わい終わると「ああこれ美味しいなあ。やっぱりあそこの店、美味しいんだねえ」とか言って、そのまま「じゃあね」と手を振ってどこかに歩き去った。

「だれ、あれ。美里奈の知り合い?」

 今日は友達らと遊びに来ていて、驚いたまま一口分欠けたジェラートを持っている私に当然の質問がされた。

「……いや、あの子はああいうやつだから」

 と、とっさにごまかしの言葉が口から出た。……繰り返すけど、あんな子は知らない。私自身とても混乱してたけど、それを友達に伝えてどうなるものでもないだろうし、事実を言ったって混乱に巻きこむだけだと思った。だから私は、冷静にこの場を「流す」という手段でやり過ごすことを選んだ。

 でも、なんとなくある予感がしていた。あの女の子は私と同じくらいの歳に見えたし、背格好もなんだか私に似ていて、どことなく親近感を覚えたのだ。一瞬の遭遇だったのに。

 この辺りに遊びに来てたらまた会うことがあるかもしれない。その程度に思ったんだけど、現実にはそんな偶然を待つまでもなくあの子は私の生活の中に割り込んできたのだった。

 この出来事があったのは、高校二年生の始業を目前にひかえた春休みのある日。

 

 

 そんな出来事も数日のうちにほとんど忘れて、始業日を迎えた。クラス替えがあったのだけど、そのせいでとりわけ仲がよかった友達のほぼ全員とはぐれてしまった。一年生の時にクラスから浮いていたわけでもないので話せる人もいるけど、そういう人たちとは特別付き合いが多かったわけでもないから、教室の真ん中ほどにある自分の席に着くと、自然に会話するような相手が周りにいなくなってしまった。進級したからといって浮かれるような性格でもないし、どんな新しいクラスメートがいるのかと思って、なんとなく周囲を見回してみた。

 そしたら見つけてしまった、春休みに私が遭遇したあの女の子を。

 どうやら着席している子に立ったまま何か話しかけているようだ。とても驚いたわけではなかったけど、記憶から消えかけていた人物が目の前にいたので、唐突にあの日の記憶がフラッシュバックする。ジェラートの恨み……なんて、一口奪われたくらいでは思わないけども。しかし、同じ年頃の女の子だからって、まさか同じ学校、同学年で、さらには同じクラスなんて偶然がありえるだろうか。いや、もしかして知らない人だと思ってたのは私だけで、去年から同じ学年にいて向こうは私のことを知ってたんだろうか……? だとしたらこんな偶然も納得できるような気がする。

 ……いや、前言撤回だ。いくら見知った相手だろうと街中で遭遇していきなり人の食べ物にかじりつくなんて非常識だし、そして私はそんな非常識なやつには覚えがない。大体、一年間も同じ学年で過ごしていたなら、名前やクラスはともかくとして人相くらい見覚えがないとおかしくないだろうか? 声をかけてくるような間柄なら普通、少なくとも一度くらいは話したことがあるはずだ。それなのに私はさっぱりあの子のことがわからない。いつか話したことがあったんだろうか……。

 目を閉じて一年生のころの記憶を必死に掘り返していると、すっ……と、空気の流れで誰かが私のすぐ横に立ったのが分かった。

 目を開き頭を上げると、そこに問題の張本人の顔があった。自然な笑顔で私を見下ろしている。お洒落に気を使っていなさそうな黒いショートヘアが揺れた。

「おはよ」

 ……いきなり声をかけてくるか……いや、いきなり人のものに手を出すより遥かにまともか。だって普通の挨拶だし。どう反応すればいいのか……と思って少し迷ったけど、とりあえず私は頷いた。会釈を返す意志だけはみせてやってもいいと思ったから。

 するとそれで満足したようで、これが平時どおりの挨拶みたいな態度で彼女は去っていった。どこに行くのかと思ったら、そのまま教室の外に出ていく。時計を見るとそろそろ教師がやって来るのを気にする時間だ。お手洗い? それともクラスが違うのか?

 すると一年生の時にも同じクラスだった女子の一人が寄ってきて、私に話しかけてきた。

「桂田さんって松木さんと知り合いだったんだね。前は違うクラスで、しかも転校してきてそんなに経ってないのに」

 転校? 最近? そうか、顔を知らないのはそのせいだ。転校生がやってきたとかいう話を聞いたのは、確か前年度の2月だか3月のことだ。中途半端な時期に転校してきたのが珍しいとかいう話だった気がする。それで一時は気に留めたんだろうけど、別のクラスの生徒とはそれほど交流もなかったので出会う機会もなかったんだろう。

 でも、それならどうしてあの子は私に関わってくるんだ。一方的に。何か、居心地が悪いようで落ち着かない気持ちを抑えつけながら、クラスメートへの返答を濁した。

 チャイムがなって、教室の皆が席に着く。教師がホームルームを始めても、彼女は戻ってこなかった。違うクラスなんだ。そこで私は、机の下で手を固く握りしめていたことに気付いて、手を解いた。どうしてか緊張していたらしい。

 

 

 始業日には授業らしい授業はない。放課の時間になって、私は荷物をまとめて別のクラスの友達と落ち合おうとした。でも、当然ながらその時間には皆が一斉に廊下に出てくる。二年生の教室は一組から五組まで一直線に並んでいるので、全てのクラスの生徒が同じ廊下に出ることになる。考えてみれば、例の女の子と三度目の遭遇をするのは当たり前のことだった。

 今度は幸いなことに、いきなり相手が目の前にいるといったような不意打ちはなかった。それどころか、向こうは廊下に姿を現した私にまだ気が付いていないようだった。私は身を返して教室に逃げ込む。しかし、なんで逃げる必要があるんだろう? とはいっても、あの子とはあまり会話をしたくなかった。だいたい、一方的に面識があるような体で話しかけられても気分が悪い。いい加減にあの人物が何者なのかを知らないと、私が一人で悶々とするだけじゃないか。教室の扉の影からさりげなく半身を出して、横目で様子を伺ってみる。

 私のクラスは一組。あの子は一クラスを挟んで三組の教室前で誰かと話しこんでいるようだ。それはただ友人と喋っているだけらしく、これから帰るというふうに鞄も持っている。私からの距離は大分あって、人が多いこともあり向こうからこちらに気が付きそうもない。その内に友人との会話が終わったようで、あの子はこちらから離れる方向に歩いていった。この階の階段がある位置の関係で、普通に帰ろうとすればそうなる。やがて姿が視界からなくなったところで、私は息をついた。どうして私がこんな妙なことをしなくちゃいけないのか。心の中でため息を吐き出しながら、待っている友達と落ち合うために廊下を歩きだした。

 

 

 実は、私は友達と一緒に下校することはほぼない。電車通学、バス通学、徒歩通学の生徒が混じるこの学校では、下校路がばらばらなことが多いからだ。私の家がある方向には一緒に帰る友達がいないので、常日頃は下校前に皆で集まって喋りこんで、それが終わればばらばらの方向に帰っていく。

 今日はげた箱の前で話し込んでいて、それも終わったところでじゃあまた明日、と言って私たちは別れる。校門はいくつかあって、帰り道に近いところへ行くので数人ずつに別れて皆散り散りになる。ただ、その日は集まった友達の中で偶然、私一人だけが学校の裏側にある校門から帰ることになった。いつも同じメンバーで集まるわけではないので、こういうこともある。

 だけども、この日ばかりは都合が悪かった。なにせ、帰ろうとした学校の裏側の門の傍にあの子の姿があったからだ。

 私はその場で足を止めた。……あの子は、なんだか誰かのことを待っているようにして一人で立っているじゃないか。正直に言えばこの後に起こる大体のことは予想がついたけれど、興味もないやつのためにこれ以上手間をかけるのも嫌になって、私は他の校門から帰ることもできたけどあえてそのまま門まで歩いていった。

 そして横を通り抜けようとしたとき。

 無表情で立っていた彼女が私を見つけて顔を明るくした。

 その様子に気付きつつもさっさと歩き去ろうとすると、彼女にはそうさせるつもりはまったくないらしく、なんのためらいもなく私を追ってきて声をかけてきた。

「ねえ、一緒に帰ろう」

 ……ほら、こうきた。大体思っていた通りだ。しかも「一緒に帰らない?」とか「家はどのあたり?」とかではなく、遠慮もまるで無く、いつも一緒に帰っているから当たり前、みたいに話しかけてきた。でも、彼女のこれまでの態度からすればそれくらいは驚くほどじゃなかった。

 無視したって別にいいけど……とは思ったものの、いい加減に付きまとわれるのが不愉快だったので正面から相手をすることにした。

「ねえ、悪いけど、私あなたと喋ったことがあったか覚えてない。あなたの顔も名前も覚えがないし、いきなり話しかけられても困る」

 しかし、彼女は私の言葉に驚いた様子もなく言った。

「うん、だいたいわかった。でも一緒に帰るくらいならいいでしょ?」

 一緒に帰るくらい、なんて簡単に言ってくれる……と思ったけど、帰り道が同じなら付き合いがあってもおかしくないかも知れない。いつも同じ道で通学する人なら、親しくなるきっかけさえあればそれぐらいは不思議じゃない。

 でも私は彼女のことを通学中に見かけた覚えなんかないのに。本当に彼女は私と同じ道で学校に通っているんだろうか。いや、ちょっと待てよ。それ以前に……。

「……一つ、訊きたいんだけど」

「なに?」

「あなた、なんで私がこの門から帰るって分かってたの? 分かってたからここで待ち伏せしてたんでしょ?」

「うん、だって家って国道沿いの向こうの方でしょ? 知ってるよ。だからいっつもここから帰ってるんだろうなーって、一緒に帰りたくて待ってたんだけど」

 本格的にやばい感じがしてきた。ストーカーか? この子……。街で偶然会ったり同じ学校なのはまだしも、なんで親しくもなく同じクラスでもないのに私の家を知ってるんだ? 本当に関わっちゃいけないやつだったのかも知れない……。

「……あのね、そういうストーカーみたいなこと、気持ち悪いから。私あなたのこと知らないし。なにが面白くて私に手を出そうとするのかわかんないけど、こういうことやめてほしいの」

 こういう相手をあまり刺激しちゃいけないと思ったので、私なりに平穏な言葉で諭してみた。

 ところが、彼女は私の言った内容に思いの外ショックを受けたらしい。言葉をなくして、そのまま口が開きっぱなしだ。それから動揺して慌てた口調でまくし立て始めた。

「あ、あの、私ストーカーとかそんなのじゃなくて、家は前から知ってて……。それも、それも付きまとって調べたとかじゃないんだけど、でもごめんね、いきなり話しかけたから誤解されちゃったみたいで、私、私そんなつもりじゃなかったんだけど……」

 この慌て方からして、どうやら本気で悪気がないらしい。驚いたのはこっちだし、これが演技だとしたら大役者だ。じゃあなんのために私に付きまとっているのか?

「じゃあなんで私に付きまとってるの? 家が近いとかなら友達になりたいとか理由はあるかも知れないけど、あなたいきなり私に話しかけてきたよね? ていうか、話しかけてきたどころじゃなかったよね? 春休みに」

 今度こそ慌てるどころではなくなったようで、沈痛な表情で固まってしまった。別に私は悪いことを言ってるつもりはないけど、今までにやられた不意打ちの数々を思い返すとこういうふうに言いたくもなる。

「それで、なんなの。どこかで私と面識があったっけ? ないなら、今までの行動の理由を説明してほしいんだけど」

「行動の、理由……」

 私の表情を伺いこんで、言葉を編み出そうとしている。私は一応、きつい顔なんてしていないつもりだし、できるだけ平静な声音で相手にしている。

 ところが、考え込んだ末にその口から出てきた言葉は呆れるものだった。

「そうしたかったから、なんだけど……。だめだったかな……」

 ……いったい、どっちが追い詰められているのか分からなくなってしまった。まるで私が一方的に悪いことをしているみたいな雰囲気じゃないか。どこまでマイペースなのか、この女。

「……はあ、もういい」

 相手にしてらんない、と小声で呟いて私はいい加減に帰路を歩き出した。すると、

「ちょっと待って!!」

 彼女の突然の大声が背中に叩きつけられた。思わず立ち止まって振り返る。

「あなたは私のこと分からないかも知れないけど、でも途中まで一緒に帰るくらいはいいでしょ……?」

 とは言ったものの、まだ訝しげな顔をしている私を見て悟ったのか、

「あの、迷惑かけるとか、しないって約束するから……。ストーカーみたいなこともしたことないから、ただ一緒に帰りたいなって。同じ学年なんだし、それくらいならって、私思うんだけど……」

 ……強気なのか弱気なのかわからない。無神経に私に突っかかってきたと思ったら今はこの態度だ。いったいなんなの、と混乱させられてばかりでいい加減に正面から相手にするのにうんざりしてきた。

「勝手にしなよ。別に、家が近いなら付いてきたっていいから。ただしあんまり話しかけないで」

 と言って、私は今度こそ帰路を歩き出した。言ってから気付いたんだけど、もしかして私は、結局この子の態度に屈したんじゃないか? これじゃ結果として彼女の思惑に嵌められたみたいだ。マイペースにどこまで人を巻きこめば済むんだ、この子。

 許しを得た彼女は、振り返らなかったので表情なんてわからなかったけど、さくさくと調子のいい足取りで私のあとをついてきた。

 

 

 私の学校は駅に近い。駅の近くには国道が走っていて、私はその道路に沿って通学する。駅周辺は栄えているので、生徒のうちある程度の割合はその辺りで遊んでから帰る。今日は学校が早く終わったからなおさらその割合は多い。

 駅へ向かうのに近い道と、国道沿いに早く出る道が若干ずれているのだけど、そのせいで駅またはその周辺に用事がある生徒と、それ以外の私みたいな生徒で帰り道が違う。それ以外に駅や国道の方から通っていない生徒もいるので、うちの学校には校門が沢山あるのだ。そういう理由で、友達と一緒に帰れないことは多い。でも彼女はそうではないということになる。

 忠実な犬みたいに背後を追ってくる規則正しい足音。それは私が早足で規則正しく歩いているせいだ。もうさっさと家に帰りたい。こんなのを置いて早く一人になりたい。

 と思うと、後ろの足音がふと途絶えた。一瞬だけ気になったけど、ここで興味があるかのような素振りを見せてはいけないと思い、そのまま歩いていくことにした。

 何十メートルか歩いたところで、足音が私のすぐ後ろに駆け寄ってきた。ここでも気にしちゃいけないと思い、振り返らない。しかし、彼女が校門でのやり取りのあと初めて話しかけてきた。

「あの、飲み物買ってきたんだけど、飲まない? 私のおごり」

 あまり話しかけるなって言ったのに。ふう、と小さいため息をつきつつ振り返らないで言い放ってやる。

「私、ジュースとか飲まないから」

 これは嘘ではない。本当にジュースとかの甘い飲み物の類を私は飲まない。

「そうかもと思って、お茶。はい、どうぞ」

 と、背後から腕が伸びてきて目の前に緑茶のペットボトルが出てきた。こういうものは飲む。けど気が効いているのか、それとも私の好みを知っていたのか。後者だったら軽い恐怖だ。

 仕方なく振り返ってみると、彼女自身は左手に炭酸飲料を鞄と一緒に抱えている。取り落としそうだけども、右手で必死にペットボトルを差し出している。辛そうだったので緑茶を受け取ってあげることにした。

「……ありがと」

 この礼も仕方なく言ったのに、彼女は一瞬で表情を変えて嬉しそうにしている。気を許しすぎただろうか。でも物をもらっておいて礼を言わないほど不躾でいたくはない。

 彼女は炭酸飲料。なのに私にはお茶。普通に買ったにしてはおかしなチョイスだ。緑茶だって人によって好き嫌いはあるだろうし、誰でも飲むものじゃないだろうに。

 私は一つ、質問をしてみた。

「ねえ、私とあなたって一年生の時にしゃべったことある?」

「ううん、ないよ」

 心の裏側がないみたいにして彼女は微笑んでいる。その微笑がとても印象に残った。

 

 

 国道沿いには、学生が学校帰りに寄るようなところはあまりない。道沿いにあるのはビルやマンションが大半で、他にあるのはスーパーとかつまんない店だけだ。それでも大きなショッピングセンターが一つあって、その中には色々な店があるので全く何もないわけでもない。実際、下校後に行けば制服姿をよく見かける。

 私は気が変わって、ショッピングセンターの中にある本屋へと足を運んでいた。何か欲しい本があるなら別に彼女がいても気にせず買いに来ただろうけど、今日は別に目的もないのに立ち寄った。早く帰ろうとしていたのに、気が変わったというのはそういうことだ。

 ショッピングセンター二階の一角を占めるこの本屋はわりかし大きくて、本が多い割に天井が高く、また落ち着くことの出来る椅子があるので、本を探したり、面白そうな本を少し読んでみたりするのにはとても適している。ショッピングセンター内のわりには静かなのもいい。美術書なんかも置いているところは気が利いている。

 話題になっている本のコーナーを通りすぎて、文庫の棚から気になった本を引きぬく。学生にハードカバーの本を買わせるのは少し無理がある。暇つぶしにしか本を読まない私には、適当な文庫本で十分だ。椅子に座って選んだ本の冒頭を読み始め、それが面白いのかどうかを見定めようとする。

 私の背後の椅子が軋んだ。そのまま付いてきた彼女も同様に何かを読み始めたらしい。普段から読書をしているのかどうかはさっぱり知らないけど。

 私は気にしないことにした。ただ眼前の活字に集中力を没入させる。

 しばらく読むと、その本がつまらないことが分かった。というより、私には楽しめないような本だった。見切りを付けて、他の本を探しに行こうとする。立ち上がると、背後に座っている彼女が視界に入った。手に広げている本を見てみると、女性向けの小物が写真付きで紹介されているような雑誌だった。目に入った情報から察するに、高額過ぎて高校生なんかには買えない商品ばかり載っているような大人向けの雑誌でしょう、それ。

 私が席を立ったのに気付いたのか、彼女も広げていたページを閉じて振り返る。帰るの? という無言の問を表情でしている。携帯の時刻表示を見ると、まだ午後にしても早すぎる時間だった。私はその意がないことを諭しておいた。

「まだ帰んないから。美蘭は別に帰りたかったから帰っていいよ」

「うん」

 私は文庫の棚からまた気になるものを探す。けれども、何か別のものが気になり始めた。本探しに集中できなくなって、平積みにされていた本を何気なく手にとって、また元の椅子に戻ろうとした。

 その席は既に別の人に取られていて、かわりにあの子の隣の席が空いていた。仕方ないのでそこに腰を下ろす。

 私は本をめくって冒頭を読み始めた。なのに文章が頭に入ってこない。同じ行を何度読み返しても、その意味が頭で確かめられない。落ち着いているようで、実は何かに気を取られていることが、自分ではっきりわかった。活字に没入できないことに気付いたので本を閉じ、そのまま自分の注意力を奪っている何かを頭の中で追いかけようとして、まとまらない意識の中でぼうっとしたものごとを考え始めた。

 その時、隣に座っていた彼女が口を開いた。

「ねえ、さっき私の名前を知らないって言ったよね。そのあと私、自分の名前ちゃんと教えたっけ? 松木、美蘭、って」

 私は座っていられなくなった。本を置いて立ち上がり、奥の美術書のコーナーへ逃げこんだ。

 

 

 そのあと、本棚の影を上手く死角にして本屋を立ち去り帰宅した。

 

説明
ちまちまと書き進めているオリジナルの百合小説です。書き溜めてた分をアップロードしてみます。
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