うそつきはどろぼうのはじまり 26
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離島の宿に面した浜辺、そこかしこに茂る椰子の木陰に、一匹の魔物が蹲っている。空翔る二つの翼を折り畳み、蛇の鱗のように硬い背を丸め、砂の温かさを味わうように目を瞑っている。

風もないのに側の梢が揺れ、ぴくりと耳をそばだてる。が、直ぐに力を抜いた。

「待ちかねた」

ワイバーンは不満そうに鼻を鳴らす。

鳴らされた方は、ぽかんと口を開けて惚けていた。

魔物の腹にはエリーゼがいた。苔のような体毛のある腹部を枕に、瞼を閉ざして横たわっている。

身に纏った鮮やかな南国模様が、まだらに生えた草の色に映え渡る。肩が剥き出しの衣装は裾が長く引いていて、少女の体の線を緩やかに描きながら、砂の上に広がっていた。

時折吹く海風に金の髪が流れ、丸くなだらかな肩に落ち、まるで装飾品のように光を放つ。

少女の双眸は新緑の緑にも似た鮮やかさがあるのだが、今はその長い睫毛を閉じて、安らかに眠っている。

「なるほど」

飛竜はしばらくアルヴィンとエリーゼを交互に見やっていたが、やがて納得したように言った。

「改めて見ると、まるで姫君のようだな」

そこでようやく、男はようやく動作らしい動作をした。といっても横の木に手を置き、息を大きく吐いただけである。

「いや、なんつーか・・・」

「惚れ直したか」

「・・・そうかもしれん」

少し赤らんだ顔色を元に戻し、アルヴィンは彼女の傍にしゃがみこんだ。

顔に手をかざす。手のひらに感じ取れる息は規則正しい。見た目だけではなく、本当に眠っているだけのようだった。飛竜の側で倒れている彼女を見つけた時は、毒でも盛られたのかと肝を潰していた男は、安堵の息を吐く。

「疲れていたのだろう。深窓の令嬢に、この長旅は相当堪えたはすだ」

「だろうな。お前にも無理をさせた、と思っているよ」

相棒の頭を気安く撫で、男は髪を掻き上げた。

人間には人間の言葉があるように、魔物には魔物の言葉があるという。それを理解し、独自に編み出した精霊術により使役するのを得意とし、生業としている部族が現存している事実が、何よりの裏づけであろう。

だがまさか、自分が種族を超えた会話を身をもって体験する羽目になるとは。流石のアルヴィンも受け入れるのに時間を要した。

飛竜に騎乗することを決めた時、霊力野を持たない彼は魔物との会話を端から放棄していた。握った手綱が唯一の伝達手段であると、割り切って乗り回していたのである。

聞こえるはずのない言葉が聞こえた時、最初は空耳と思った。だから無視していたのだが、幻聴に併せてワイバーンが行動していることに気づいてしまった。

動揺した男は、思わず近場の岩場に降り立った。風が甲高く鳴り響く中、一人と一匹は睨み合う。

「本当にお前が、喋っている・・・のか?」

飛竜が首をもたげる。アルヴィンの目には、ワイバーンが笑っているように見えた。

「他に何人がいる。今、この場には貴様と我しかいないというのに」

それでも男の一人芝居、もしくは精神を病んでしまった結果である可能性は捨てきれない。故にアルヴィンはこのことをユルゲンスをはじめ、誰にも言わなかった。

旅の相棒ワイバーンの言葉はその後も事ある度に聞こえた。向こうから話題が振られることもあれば、自分の呟きに答えが返ってくることもあった。

幻聴と付き合っていくうちにわかってきたことは、この幻聴は他者には全く聞こえていない、ということだった。この飛竜は人語を理解しているようだが、実際に会話が成立するのはアルヴィン一人だけのようである。ワイバーン曰く、自分達との付き合いが長くなると聞こえてくるものらしいが、どこまでが本当なのか定かではない。

そのワイバーンは、わざとらしく頭を振る。その仕草も、本当に人間らしい。

「お前には、もったいないくらいの女人よな」

「・・・自覚はある」

アルヴィンは、そっと少女の頬をなでる。手袋も何もしていない手のひらから、絹のようにきめ細やかな手触りが伝わってくる。

「私は何も見ていないぞ。何も見ないからな」

言うだけ言って、ワイバーンはそっぽを向いて目を閉じた。

男の手が、慈しむように彼女の髪を梳く。何度も何度も、手の中にある無防備な寝顔を確かめるように耳に触れる。

覆い被さるように上半身を倒してゆく。顔と顔が近づき、黒髪が彼女の額に落ちる。

唇が触れる寸前、アルヴィンは弾かれたように顔を上げた。眼下のエリーゼは、相変わらず深い眠りの中にいる。胸元を掴み、呼吸を宥めよう必死な男の豹変など知る由もない。熱に浮かされたように腰を浮かしたアルヴィンは、まるで恐ろしい物を目の当たりにしたかのように後ずさる。

只ならぬ様子に、ワイバーンは首を巡らした。

「どうした?」

完全に傍観者の相棒に、アルヴィンは顔を真っ赤にして怒鳴った。

「てめえ、俺を・・・炊きつけやがったなっ!」

この罵倒に飛竜は目を細める。

「責任転嫁も甚だしい。迫ったのは貴様だろうが。大体、お前にとって彼女は――」

「荷物だ。大事な荷物だよ、そうだろ?」

アルヴィンはその先を言わせまいとするかのように、言葉を被せた。ワイバーンはしばらく男をじっと見つめた後、成程、と呟く。

「その意見は反吐が出るほど正しいな。依頼主の信が、それほどに大切か」

ワイバーンの皮肉に男は無言で答え、その場を立ち去った。

飛竜はその後姿を目だけで追い、そして嘆息する。疲労感を覚えたのか、もたげていた首をそのまま砂の上に落とした。

それから数刻が過ぎた頃、ようやく姫君は目覚めた。

肌寒さを覚え、彼女は目をぱちぱちと瞬く。

「え、もうこんな時間!?」

エリーゼは慌てて身を起こした。辺りは紅に染まり、日はすっかり傾いている。少しだけ、と思っていたのがいつの間にか熟睡してしまっていたよいうだ。

自覚はなかったが、疲れが溜まっているのかもしれない。

傍らで魔物が低く鳴いた。甘えるように首を寄せてきたワイバーンの鼻の脇を、エリーゼはそっと撫でてやる。

「すみませんでした。長い間お腹をお借りしてしまって」

ふと地面を見ると、砂の上に足跡があった。大きさからして、成人男性の物である。

この浜辺には宿泊客しか入れない。該当する人物は一人しかなかった。

「アル・・・?」

何かあったの?

様子を見に来てくれたの? それとも、話したいことがあったの?

側に来てくれたのなら、どうして起こしてくれなかったの?

エリーゼは答えを求めたが、暮れなずむ海辺には誰の姿も見当たらなかった。

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