あやせたん初心に返る (後編)
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前編のあらすじ

 

天使が……消えちまった。天使が、この世界からいなくなっちまった

 

 

 

 

あやせたん初心に返る (後編)

 

 

「ただいま……」

 あやせの豹変を目にした後、俺は憂鬱極まりない気分で家へと帰った。

「ぶっひゃっひゃっひゃっひゃ」

 リビングから妹の品性の欠片も感じられない大笑いが聞こえて来る。すげえ腹立たしい笑い声だ。

 傷心の俺をイライラさせやがる。

 無視して自室に戻ろうと思った。

 けれど、さっきのあやせとのやり取りが緊張の連続だった為に喉が猛烈に渇いていた。

 冷蔵庫に辿り着く為にはリビングを通り過ぎないといけない。

 苛立ちはあるが、リビングへと俺は足を踏み入れた。

 

「それで聞いてよぉ、あかりちゃん。バカ兄貴ったら緊張してコーヒーに塩と砂糖を間違えて入れてたのよ。ほんとっ、バカでしょ。あっひゃっひゃっひゃ」

 妹はソファーに偉そうに腰掛けて、誰もいない隣の空間に向かって談笑していた。

 携帯電話で通話しているようにも見えない。

 パソコンで画像チャットの最中にも見えない。

 一体コイツ、何をしているんだ?

「あっ、コイツよコイツ。今話していたコーヒーに砂糖と塩を入れ間違えたバカ兄貴って」

 桐乃が俺を無遠慮に指差しながら大声で笑う。

 コイツは一体、誰と話しているんだ?

 ついでに言えば俺はコーヒーに砂糖と塩を入れ間違えてなどいない。俺の恥ずかしい過去を勝手に捏造するなっての。

「なあ桐乃、さっきからお前は一体誰と話してるんだ?」

 冷や汗が流れる。

 何故だろう?

 俺はまた先ほどのあやせに続いて踏み入れてはいけない地帯に入り込んでしまったのではないか?

 そんな悪寒がしてならない。

 そして妹は期待は裏切り予想は裏切らない返答を述べてくれた。

「何言ってんの、アンタ? アタシはさっきからエア友達の赤座あかりちゃんと楽しくお話してんだから邪魔しないでよね!」

 桐乃が軽蔑の視線で俺を睨む。

 けど、コイツの兄として俺は心の中で涙を流さずにいられなかった。

「赤座あかりって確か……お前がちょっと前に嵌っていた“ゆるゆり”ってアニメの主人公の女の子の名前だったよな」

 赤いお団子頭の髪をした、礼儀正しくて優しくて健気でとても可愛いけれど影の薄い中学生少女。

 主人公なのに物語の中心から外れるどころか、完全に空気と化してしまった女の子。

 『あっかり〜ん』の文字表示と共に本当に画面から消えてしまう様は見る者に涙と笑いを誘う薄幸の少女。

 それが赤座あかりという少女だった。

「うっそ? アンタもゆるゆり見てたのっ?」

「見てたって言うか、お前が毎週無理やり見させて感想文まで書かせただろうが」

 コイツ、ほんのつい最近まで俺に課していた義務を素で忘れているのか?

 忘れているんだろうな。桐乃はそういう俺様妹だから。

「ミラクるんがチョー可愛いかったでしょう。ピンク髪ツインテールの魔法少女って設定も最高だし、声なんかマジ天使って感じの超超美声だし〜♪」

 ミラクるんと自分が声そっくりだからって何だ、その自慢は?

「後サイコーと言えば、やっぱ京子ちゃんが可愛いよねぇ〜。明るくってアニメに詳しくって活動的でみんなに好かれてて頭まで良いなんて、まるでもう1人のアタシみたい〜♪」

「何、その自画自賛?」

 これが俺の妹だと思うととても悲しくなって来る。

 去年の、まだ兄妹仲が冷え切っていた時はとても立派な妹様に見えたんだがなあ。

 ちょっとだけ昔が懐かしい。

「あのな、俺が話したいのは京子ちゃんのことじゃなくて……」

 手を横に大きく振りながら桐乃の話を遮る。

 オタク、マジうざい。

「じゃあ、ちなつちゃん? 結衣ちゃん? 綾乃ちゃん? 千歳ちゃん? 櫻子ちゃん? 向日葵ちゃん?」

「そうじゃなくて、赤座あかりちゃんのことなんだが……」

 コイツのペースに嵌っていたらいつまでも本題に入れない。

 さっさと、エア友達の謎を解かねえと。

「あかりちゃん? そんなキャラ、ゆるゆりに出てたっけ?」

 桐乃は大きく首を捻る。その瞳は点になっている。

「いたよ。ゆるゆりの主人公はあかりちゃんだろうがっ!」

「えっ? ゆるゆりの主人公って京子ちゃんじゃないの?」

 妹の首は肩にくっ付くほどに大きく傾いている。

 コイツ、本気で言ってるのか?

 重度の廃人オタクってマジわかんねえ。

「空気みたいに存在感は薄いけど、主人公のお団子髪の女の子だ。5話のラストでちなつちゃんに無理やりキスされちゃった女の子。それがあかりちゃんだろうが!」

「う〜ん。そう言われてみれば、確かごらく部のメンバーは4人いたような? 某動画サイトでも確かあかりって娘を題材に空気ネタが幾つも上がっていたような……。あのあかりって子は、動画のオリジナルキャラクターだとばっかり思ってたわ」

「主人公だよっ! メインの子なんだよっ!」

 大きな声で妹に叫ぶ。

「わ、わかったわよ。あかりちゃんは実在するって信じるわよ」

 妹が俺を面倒くさそうな目で見る。

 俺の方がその視線を向けたいっての。

 

「それで、そのネッシー並みの信憑性を持つあかりちゃんってモブキャラがどうしたって言うのよ? つまんない話だったら承知しないわよ」

 桐乃が冷たい瞳で睨む。

 コイツに対して怒り出すのは後からでもできる。でも今はエア友達の謎を解かなくては。

 大きく深呼吸してから俺は尋ねた。

「なあ、エア友達って一体何なんだよ?」

 桐乃は質問に対して目を大きく見開いて引き攣った表情を見せた。

 と、次の瞬間にはいつものような高飛車な態度で俺を睨んできた。

「アンタにはこの可愛い可愛いあかりちゃんが見えないの?」

「見えねえよ」

 ていうか、おまえ自身が赤座あかりの存在を明らかに疑っているだろうが。

「こんなに可愛いのに見えないなんて信じられない。きっと、あかりちゃんはバカには見えないのよ」

「バカで良かったと心の底からホッとしてるぜ」

 ここであかりちゃんとやらが見えるような非社会的な独創力は断じて持ちたくない。

「で、結局エア友達って何なんだよ?」

「頭悪いバカに説明するのは本当に手間が掛かるわね」

 桐乃は俺をバカにするように大きく溜め息を吐く。

だから、コイツに怒るのは容易い。けれど、今やるべきは奇行の解明。

「アンタが絶望的にバカでもエアギターぐらいは知ってるでしょ? あれの友達版よ」

 妹は髪を掻き揚げながら偉そうに述べきった。

「俺の18年の人生の中でこんな切ない気分になったのは初めてだぜ」

 気を抜けば泣いてしまいそうだった。

 これは、俺に対する罰なのか?

 コイツが小学生の時から長い間妹をほったらかしてしまったことへの。

 神め。あやせに続いて妹にまで何ていう残酷な仕打ちをしてくれやがる。

 

「つまりお前は、友達がそこにいるつもりになって独り言を延々でかい声で喋っていたのだな」

「失礼ね。あかりちゃんはちゃんとここにいるわよっ!」

 桐乃は先ほどとは違う場所を指差した。あかりちゃんはいつの間に移動したんだ?

「あかりちゃんはとても可愛いから、先日も2人で遊んでいた際にナンパされて困ったという設定で会話していたのよ」

「設定って自分で言ってるよな?」

「今のはなしよ! とにかく、あかりちゃんはとっても可愛いの。だから脳内でいつも2人は一緒に仲良く遊んでいるのよ!」

「俺は今、神様から酷い罰を受けているということがよくわかった」

 どうやら神は俺のことが大嫌いらしい。俺もアンタが嫌いだよ、畜生っ!

「で、そんな哀れな桐乃に質問だ。ごらく部のメンバー4名を全員挙げてみろ」

「そんなの簡単じゃない。京子ちゃん、結衣ちゃん、ちなつちゃん。えっと後1人は……あれ、あれぇ〜っ!?」

「お前がエア友達のあかりちゃんをビジュライズできていないのはよくわかった」

 コイツ、本気で設定だけで会話してやがる。

 桐乃には別にあかりちゃんが見えているわけではないのだ。

 それを良しとするか否かは精神医学の素人である俺には判断できない。

「なあ、黒猫のことをどう思う? 今のお前とそっくりだと思わないのか」

「あんな現実と妄想の区別がつかない邪気眼厨二病末期患者と同列に扱われるなんて屈辱以外の何者でもないわっ!」

 さすがは一番の親友同士。

 言ってることがそっくりになってきた。昔は桐乃と黒猫を対比して語ることができたんだけどなあ。

「そうそう聞いてよ。黒いのったら、酷いのよ! あかりちゃんはアタシのエア友達だって言うのに、黒いのもあかりちゃんがエア友達だって主張するのよ」

「残念同士、よく気が合うな」

 俺は黒猫にももっと優しくしないといけないな。

 今度、近い内に美味しい土産でも持ってアイツの家を訪ねよう。

「でさ、黒いのったら強情にもあかりちゃんを譲ろうとしないのよ。で、協議の結果、あかりちゃんは1日ごとにアタシの家と黒いのの家を代わる代わる訪れることになったの」

「そんな細かい協定作るぐらいならリアル友達作れってんだよ! つうか黒猫と遊べよ!」

 重度のオタクの思考回路は本気でよくわからない。

「……アタシさ。オタク趣味をオープンにするようになってから、何ていうかこう、みんなと一歩離れた存在になったっていうか。一段高い存在に上り詰めちゃったワケよ。強いて言うなら……オタクっていう概念になったっていうか」

 桐乃は中学生とは思えないとても遠い瞳をしていた。

「赤城瀬菜の言葉を借りれば……お前から友達が離れていったのはオタ趣味が原因じゃなくて、TPOを弁えずに痛々しい言動を取るからだと思うぞ」

 最近はよく思う。

 オタだから嫌われるというのは言い訳に過ぎない。

 アウトな言動を取りまくっている自分をオタク趣味のせいで嫌われていると自己弁護し続けているから嫌われるのだと。

 高校に入りたての黒猫や今の桐乃を見ているととみにそう思う。

 特にコイツの場合、以前はオタクを反社会的な存在として嫌ってみせるパフォーマンスまで取っていた。

だからクラスメイトたちには現在とのギャップが尚更厳しいのだろうなあと思う。

 

「でも、まだ桐乃には加奈子とあやせがいるじゃないか? アイツらなら別にオタ趣味を今更嫌わないだろ?」

 例え数は少なくなっても桐乃にはまだ友達がいる。だからエア友達になんか走る必要はないはず。

「加奈子はね、“転校”しちゃったの」

 桐乃は真っ青な瞳でそう言った。

「えっ? 加奈子のヤツ、引っ越しちゃったのか?」

 俺と加奈子はそんなに親しい仲ではないとはいえ、一言ぐらい知らせてくれても良いのに。ちょっとだけ寂しい。

「違うわ」

 桐乃は首を横に振った。

「じゃあ、成績が悪くて学校をクビになったのか」

「それだったらどんなに良かったことか」

 桐乃はまた首を横に振った。

「加奈子はね、先週の日曜日にメルルのイベントに出たの。そこで、会場のお客さんとトークする機会があったんだけど、あの子、そこで横柄な態度を取ったの。相手はキモオタだったから仕方ない部分もあったのだけど。だけど、そうしたらステージの影から見ていたあやせがお怒りになって……翌日、加奈子の“転校”が告げられたわ。あやせの口から」

「そうか。加奈子はいつまでも俺たちの心の中で生きているんだな」

「ええ。心の中でだけはね。それも明日ぐらいまでは」

 加奈子は態度は横柄で生意気で世の中舐めているクソガキだった。けど、脚本読みを瞬時にこなすその能力と集中力、そして舞台本番での度胸のでかさは嫌いじゃなかった。

 あばよ、加奈子。また、来世で会おうぜ。

 

 

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「でさ、アンタ。昨日の夕方とか今日とかあやせに会わなかった?」

「あやせ……」

 あやせの話を急に妹の方から振られてしまい焦る。

 けど、これは丁度良い機会かもしれなかった。

「実は、ついさっきあやせと会ったんだけど……」

「うんうん♪ それで?」

 何か妙に嬉しそうだな、コイツ?

「あやせの様子が妙、なんだ」

「へ〜♪ どんな風に?」

 何でコイツ、俺が真面目に相談しているのにこんな満面の笑みを浮かべるんだ?

「あやせが、俺を罵ってくれないんだ」

「はいっ?」

 桐乃が首を捻った。

「いつものあやせだったら、俺がセクハラした瞬間に強烈な蹴りと共に汚い罵声を浴びせてくれたんだ。抵抗しようものなら即スタンガン。俺の社会的生命を抹殺しようと躊躇いもなく交番付近で防犯ブザーを押す。そのあやせが、俺を罵りもしてくれないんだ!」

「あやせったら……アンタにそんなことをしてたの? ……計算ミスったかしら?」

 桐乃の額から冷や汗が流れる。

「脅して来たかと思えばマネージャーとしてこき使い、部屋に上がれば手錠で容赦なく俺を拘束する。3歳上の俺をまるで人間扱いしようとしないあのあやせがだっ!」

「あやせのヤツ……アタシの知らない所でコレを篭絡しようとしていたのね。許せない!」

 何故か桐乃は怒りに燃え始めた。

「で、罵られないことの何が問題なのよ? 傷付けられないなら良いじゃないの」

 桐乃は再びうっとうしそうに髪を掻き揚げた。

 

「バカ野郎っ!」

 

 大事なことが何もわかっちゃいない妹に怒りの言葉を投げ掛ける。

 コイツは、学校の成績は良い癖に人間として大事なことがまるでわかっていない!

「いいかぁ、よく聞けよっ!」

「な、何よっ?」

 そういえば俺はいつも妹の為に戦って来た。どんなみっともない様を見せようと妹を守って来た。

 けれど、今は違う。

 今は、妹自身の目を覚まさせてやらないといけないんだ!

「俺はなぁ〜っ、あやせに罵られるのが大大大好きなんだぁ〜っ!」

 俺の大切なものを余すことなく吐露する。

 高坂さんの本気の説得に必ずや桐乃も心動かされる筈っ!

「はぁ〜? アンタ、何を言ってるの? 罵られるのが好きってマゾなの?」

「この大バカ野郎がぁ〜〜っ!」

 自分の左の手のひらを右手で思いっ切り引っ叩く。

 さすがに妹を本当に叩くわけにはいかない。

「ぶっ、ぶったわね。お父さんにも叩かれたことないのにっ!」

 桐乃が左の頬を押さえながら目を見開く。

 コイツも好きだな、こういうの。

 ここでブライト艦長とアムロのガンダムゴッコを始めても良いのだが、それをしていると時間ばかり掛かるので省略する。

 代わりに、俺の真理を告げてやる。

「俺が罵られて喜ぶのは世界でただ1人、マイ・ラブリー・エンジェルあやせだけだ!」

 俺はマゾじゃない。

 強いて言うならあやせ限定マゾヒストだ。

「そ、それじゃあアタシに罵られるのは好きじゃないっての?」

「虫唾が走る。いいかぁ、妹ってのは、もっとこう体全体からお兄ちゃん大好きオーラを発しなきゃいけない存在なんだ! お兄ちゃん大好きっこ娘じゃない妹はただの妹だ!」

 世の中には真の妹のなんと少なきことか。

 俺はそう。この18年間、ずっと理想の妹を求めている求道者なのかもしれない。

「キモッ。ウザッ!」

 しかし俺の理想はこのただの妹にはまるで通じなかった。

 冷淡な視線が俺を射抜く。

 と、突如俯いて俺に聞こえない小さな声で呟いた。

「……今更路線変更なんてできるわけないじゃない。絶対、アタシはアタシのままこのバカを落としてみせるんだから」

 何を言っているのかわからないが、俺の理想に対する恨み言という所か。

 

「それで、あやせはアンタを罵ってくれなくなったわけだけど、あの子のことをどう思うの?」

 また不機嫌な表情を向けて来やがる。

 コイツは俺が桐乃の友達に接近することを極端に嫌うからな。

 あやせに俺がちょっかい出すんじゃないかって不安なのだろう。

 だが、それは杞憂というものだ。

 何故なら──

「俺の天使は死んだ。もういない」

 アイツはもう俺が恐れ渇望したマイ・ラブリー・エンジェル新垣あやせじゃない。ただの超絶美少女に過ぎない。

 言い換えれば、いつ脱いでくれるのか期待するだけの水着グラビアモデルに成り下がってしまったのだ。

「フ〜ン。そうなんだ。暴力女でないあやせにアンタは興味がないのね」

 桐乃は小さく首を2回縦に振った。

 

「さて、アタシはお風呂にでも入ってこようかしら」

 桐乃は立ち上がって大きく背伸びをしてみせた。

 上下に躍動する胸。

 何気ない自然な仕草なのに、見てはいけないものを見てしまった後ろめたい気分にさせられる。

 頭の中は厨二で止まってる癖に体ばっかりスクスク育ちやがって。

「2時間ぐらいゆっくり入るけど、覗いたら殺すからね」

「頼まれても覗かないから安心しろ」

 桐乃は俺のことを何だと思ってやがる?

「……チッ。覗けよ。そして襲いなさいよ。で、一生アタシだけ見ていれば良いのよ。せっかくお母さん夜遅くまで帰って来ないのに」

 よく聞こえないが桐乃はまた何かブツブツ不満を垂れている。

 ほんと、中学生の女って理解し難い。

 だけどまあ、桐乃にはどうしても一つ確かめておかないといけないことがある。

「なあ、お前のエア友達のあかりちゃんはどうするんだ?」

 あかりちゃんが帰ったという設定は聞いていないので多分まだこの部屋にいるはず。

「2時間で上がるからアンタが相手してくれれば良いでしょ! アタシの親友を無碍に扱ったりしたら殺す、からね」

「今まで存在さえ忘れていた分際で何をほざくか」

 こうして桐乃と黒猫の共通の友達であるあかりちゃんとリビングで2時間を過ごすことになった。

 

「あのさ、あかりちゃんは中学1年生なんだよね。君から見たらおっさんみたいな俺と一緒にいるのなんて嫌、だよね?」

「えっ? 本当のお兄ちゃんができたみたいで嬉しいって? いやぁ、そんなこと言われると照れるなあ。何しろ俺の妹なんか見ての通りあんなのだからさ。君みたいな良い子に言われると感動するよ。桐乃って本当にいっつも気取ってんだぜ。でもさ、意外とおっちょこちょいな所もあるんだよ。この間も紅茶飲む時塩と砂糖を間違えて入れやがってさ。バカだろ、アイツ。あははは」

 

 エア友達ゴッコは意外と楽しかった。あかりちゃんに話し掛けているとすげえ楽しい。

 桐乃と黒猫といずれあかりちゃんを賭けて雌雄を決さないといけないかもしれない。

 だって、よくよく考えてみると俺も友達少ないんだもん。

 

 

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 おかしくなってしまったあやせ。いや、非暴力的なまとも少女になり果ててしまったあやせと遭遇してから2日、俺の体と精神は限界を迎えていた。

「あやせたんが……罵ってくれなかったせいで、俺の中の罵られたい衝動がぁっ!!」

 一昨日あやせたん罵られ分の摂取に失敗した俺は重度の眩暈に襲われるようになった。

 心臓が、苦しくて堪らない。

 今日どうやって授業を受けていたのかも記憶にない。

 というか起きてから今に至るまでの記憶がものすごく断片的にしかない。

 相当ヤバい状態であることはもう間違いなかった。

 俺の体がこんなにも蔑まれたい衝動に支配されるなんて思いもしなかった。

「きょうちゃん、苦しそうだよ。大丈夫?」

 横を歩く麻奈実が心配して声を掛けて来る。

「ああ、大丈夫だ」

 麻奈実にはそう答えて返すしかない。

 今の俺は罵られたい衝動でいっぱいだ。そんな時に麻奈実にこんな風に親切にされてしまっては症状が悪化してしまう。

 今の俺に優しさは毒だ。半分が優しさでできているあの薬など飲めば瞬時に死ねる。

 だが、底なしのお人よしである麻奈実に俺を罵れと命令するだけ無駄だろう。拒否するに決まっているし、了承した所でまともな罵声は期待できない。

 だから俺が出来ることは極力麻奈実を相手にしないことだけ。

 

 一歩一歩進む度に全身を激痛が駆け巡る。

 家に帰るだけの体力も気力もない。そして、家に帰った所でこの状態は改善しない。

 それがわかっているからこそ、俺は家とは正反対の方角を向けて歩いていた。

 即ち、あやせと桐乃が通う私立中学に向けてだ。

「きょうちゃん。そんな状態で外を出歩くのは危ないよ〜。おうちに戻って寝ていた方が絶対良いよ〜」

 これが普通の眩暈だったら麻奈実の提案を受け入れるのが良いに決まっている。

 けれど、今回の場合はそうもいかなかった。

「このままの状態でいれば、家に帰って寝ようが病院で入院しようが俺は明日の朝日まで生きていられないさ」

 ビタミンが欠乏した人間が生きていけないように、罵られ分が欠乏すれば俺は生きていけない。

 しかも何故かここ2日ほど、桐乃さえも俺を罵ってくれない。

『お、お、お、お兄ち……やっぱり今更言える筈がないじゃないのぉ〜〜っ!』

 意味不明に“お”を繰り返しては俺の前から立ち去っていく。

 桐乃でも良いから罵ってくれればもっと延命も出来るのだろうが、それさえも不可能。

 唯一残されたサバイバル方法はあやせにお願いして罵倒してもらうことしかない。

 だから俺は何としてでもあやせに会いにいかないといけなかった。

 

「きょうちゃんはどうして桐乃ちゃんたちの学校に行こうとしているの?」

 俺の横を付き添いながら麻奈実が尋ねる。

「そうだな。俺が生き残る為の唯一の方法があの学校にあるからだ」

 正確にはあの学校に在籍する1人の生徒の存在が俺の生死を握っている。

「じゃあ、きょうちゃんは絶対に中学校に到着しないとダメだよね」

「ああ。来週も麻奈実と一緒に学校に通おうと思うならな」

「わたしと……一緒に」

 麻奈実は一度大きく深呼吸してみせた。

「それじゃあここからはきょうちゃん1人で行ってもらうことにするね。わたしは、ここできょうちゃんの用事を邪魔しようとする子を排除するから」

「排除?」

 麻奈実は一体何を言っているのだろう?

「そんな所に隠れていないで出ておいでよ〜。殺気がまるで隠せてないよ〜」

 麻奈実は俺たちの前方10メートルほどに位置する電信柱に向かって話し掛けた。

「殺気?」

 一体、麻奈実を何を言っているのだろう?

 と、不思議がっていると電信柱の影から少女が1人現れた。

 ツインテールの髪型にメルルの衣装を着た、小生意気そうな顔の小柄な少女。

「お前は加奈子っ!」

 コイツは桐乃とあやせのクラスメイトでありモデル仲間でもある来栖加奈子に間違いなかった。

 けど、何か変だ。いつもの加奈子じゃない。

 

「クックック。久しぶりだな、高坂京介」

 加奈子は俺を見ながら邪悪な笑みを浮かべる。

 けれど、加奈子が俺の前にいるなんておかしな話だった。

「加奈子、お前、あやせに葬られたんじゃないのかよ?」

 確か“転校”したって桐乃は言っていた。即ち加奈子はもうこの世にはいない筈なのだ。

「ああ、そうさ。あたしはあやせに殺され掛けた。実際、死を覚悟したさ。けど、東雲研究所の博士(推定8歳、幼女)の手により、瀕死の状態からメタル加奈子として復活を果たしたというわけさ」

「ああ、それで顔の中央に継ぎ目が見えるわけだな」

 納得だ。

 メタル加奈子になってしまっているなら納得せざるを得ない。

 疑問を抱く余地がない。

「それで、復活を果たしたメタル加奈子が俺に何の用だ?」

 俺の質問に対して加奈子は更なる邪悪な笑みをもって返した。

「決まっている。そんなのは復讐の為さ」

 

「復讐、だと?」

 俺の言葉に加奈子は昔ながらのニタニタした意地の悪い笑みを浮かべる。

「そうさ、復讐さ。あたしはあたしの人生を滅茶苦茶にしたあやせのヤツを絶対に許せねえ。だからあたしはあやせの大切なものを一つずつ潰して回ることにした。その手始めがアンタさ、高坂京介っ!」

 クックックと音を漏らす加奈子は本当に楽しそうに見える。

 コイツ、本気で俺を潰すつもりだ。

「お前が復讐に燃えているのはわかった。だが、何故俺を狙う? 自分で言うのも何だが……俺はあやせに嫌われているぞ。襲う人間を間違えていないか?」

 あやせに心理的なダメージを与えたいのなら俺を襲撃した所であまり価値はないだろう。

 変態がいなくなったとせいせいされる気さえする。

「なるほど。それがオメェの自己認識ってやつか。クックック。あやせのヤツ。モデルの癖に自分のイメージ管理戦略の失敗も甚だしいな。あっはっはっはっは」

 加奈子は腹に手を当てながら大笑いしてみせた。

「オメェは自分の価値を理解しないままここで死ね。死体はあたしが有効活用してやるよ」

 メルルは背中から魔法のステッキを引き抜いて俺に向かって構えた。

 武器の取り出し方が忍者みたいな魔法少女(コスプレ)だ。

 だが、今のコイツは改造出術を施されて生き返った得体のしれない存在だ。

 おそらく以前の加奈子よりも数段パワーアップしているに違いない。

 それが少年漫画のお約束だからな。

 立っているのがやっとの俺で勝つことができるのか?

 チッ。考えれば考えるほど不利な戦況だ。

 

「きょうちゃ〜ん。さっき話した通りに〜ここはわたしに任せて桐乃ちゃんたちの学校に行ってくれて良いよぉ〜」

 メタル加奈子を見ながら麻奈実はのんびりとした声を出した。

 本当に呆れるほど普段通りの声だ。

「けど、今のコイツは何だかヤバいぞ。それを1人で相手するなんて」

「だからだよ〜」

 麻奈実は明るく笑ってからメガネのフレームに指を掛けた。

「きょうちゃんがいると〜わたしが、戦いに、集中できないから」

 メガネを外した麻奈実はいつになく鋭い目付きをしていた。

 ああ、そうだった。麻奈実は……。

「ここは任せたぜ」

「きょうちゃんが選んだ結果を〜後でちゃんと教えてね〜」

 真奈美は目を閉じて笑ってみせてくれた。

「あっ、そうだ。きょうちゃんにこれをお守り代わりに渡しておくね〜」

 麻奈実が渡してくれたもの。

 それはコイツがつい今しがたまで掛けていたメガネだった。

「きょうちゃんメガネ好きだもんね〜。だから力が沸いて来るかと思って〜」

 麻奈実は俺のおでこにメガネを掛けた。

「正確に言うとメガネ自体が好きじゃないんだがな……」

 女の子がメガネを掛けたままという状態が良いのであって、メガネそのものにフェチがあるわけじゃない。

 でも、麻奈実の気持ちが嬉しかった。

「ありがとう」

「うん♪」

 その笑顔を、その言葉を力に変えて俺はあやせのいる学校へと歩き出す。

 

「行かせるかってんだよ! 食らえっ! メルルインパクト・サブマシンガンっ!」

「加奈子ちゃん、だっけ? あなたの相手はわたしだよ〜」

「うっせぇっ! 外野は引っ込んでろ! ……って、あたしの豆鉄砲銃弾を全部弾いてやがるだとっ!?」

「加奈子ちゃんに良いことを教えてあげる。再生怪人はただのヤラレ役、なんだよ♪」

 

 加奈子のことは麻奈実に任せて大丈夫そうだ。

 加奈子もまだ奥の手を隠し持っていそうな気はするが、それでも『我が死』田村屋の娘麻奈実ならきっと何とかできる。

 今、俺がしなければならないことは麻奈実を見守ることじゃない。

 あやせと会ってこの激痛から自分を解放することだ。

 それを果たさないと麻奈実に合わせる顔がない。

 気力を振り絞って俺は中学校へと向かった。

 

 

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 加奈子の足止めを麻奈実に任せ、俺はあやせの元へと向かって歩き続ける。

 長いような、短いような気もする時間が過ぎていく。

 激痛のせいで時の流れを上手く認識できない。けれど、麻奈実の為、そして自分自身の命の為に歩みを止められるはずがなかった。

 そしてようやく到着した、妹やあやせが通っている学校。

 正式名称は忘れた、俺が『メガネ学園』と呼ぶこのインテリ学校にあやせはいる筈。

 だが、どこにいるのか、どうやって探せば良いのか?

 そもそも校舎の中に入れるのか?

 難問は山積みだった。

 けれど、その難問は意外とあっさり解消した。

 

「あっ、お兄さん。ようこそいらっしゃいました♪」

「あやせっ!」

 あやせはいた。

 校庭の中央部に。

 そして彼女の後ろには巨大にうず高く詰まれた本の山。

 そしてその頂点には……。

「桐乃ぉおおおぉっ!?」

 十字架に掛けられた俺の妹の姿があった。

「あやせ、これは一体どういうことだ?」

 あやせはキョトンとした表情で首を捻った。

「何って、汚物を消毒しようとしているだけですよ。清き健全なる学園生活に不必要なものを全て燃やし尽くそうと思います」

「汚物?」

 俺は山と積まれた本へと目を向け直した。

 そこに積まれていたのは漫画や同人誌、BL小説やアニメの原画集などかつてのあやせが毛嫌いしていそうな本ばかりだった。

「お前、これっ!」

 何て言えば良いのかわからない。

 あまりの展開に俺の脳は的確な言葉を示してくれない。

「今朝、この学校の全生徒から供出させました。大きな祭りをやろうという名目で。青き清浄なる世界を築く為に不必要なものを全て灰にするファイヤーカーニバルという内容はついうっかり伝えるのは忘れてしまいましたが」

 あやせの表情には何の躊躇も見られない。

「汚らわしいものをこよなく愛する桐乃にも一緒に灰になってもらうことにしました」

「何で、また、そんなことを言い出すんだよ……」

 模範的な学校生活を送るのにオタ的なものは一切必要ない。

 その考え方はまるで去年の夏、桐乃を嫌っていた時のあやせの考え方そっくりだった。

 あれからあやせは考え方を改めて、一生懸命自分の価値観以外も認めようと努力を重ねてたんじゃなかったのかよ?

 嫌だ嫌だ言いながら桐乃の為に秋葉のイベントにも参加してたじゃねえか。

 なのに、今更なんで?

 

「バカ兄貴っ! そいつは、そのあやせはアタシの催眠術に掛かって、別の人格になっちゃってるのよっ!」

 十字架に掛けられた桐乃が大声で叫ぶ。

「催眠術だってっ!」

「そうよっ! あやせってば、頑固者の癖に単純だから、アタシの催眠術にコロッと掛かっちゃったのよ!」

「超納得だっ!」

 あやせの変貌に対してこんな完璧な説明に巡り合えるなんて考えもしなかった。

 一部の隙も見当たらない。

「それで、あやせは今どんな人格になってるって言うんだ?」

「あやせはねぇ、アンタと出会う前の人格に戻っているのよ!」

「俺と出会う前?」

 首を捻る。

 あやせと初めて会った時のことを思い出す。

「あっ!」

 あの日、あやせは応対がとても丁寧で礼儀正しくて、うちのいけ好かない妹とは違う本当のお嬢様なのだと認識したことを。

「そうよ! 今のあやせは、アンタが初めて会った時みたいな温厚なお嬢様キャラになっているのよ!」

「桐乃っ! お前、何て余計なことをしてくれやがるっ!」

 そのせいで俺はあやせから罵られなくなってしまったというのかっ!

 そのせいで俺は今死に掛けているんだぞっ!

「でもね、アタシの催眠術は完璧じゃなかった。2つの誤算が生じてしまったの」

「2つの誤算?」

 山の頂上の桐乃は真剣な表情で頷いた。

「1つはお嬢様分を強くしたけれど、心に秘めたヤンデレ分を取り除けなかったこと。ううん、今のあやせは去年のあやせよりも激しく自分の意に染まらないものを排除するようになってる。今のアタシの状態がその良い見本よっ!」

 俺はあやせを横目で見た。

「桐乃……あの不穏分子は存在自体が清く美しい学園生活を脅かす悪しきビッチです。漫画、アニメで人を堕落に導くだけでなく、お兄さんに色目を使い近親相か……」

「わ〜わ〜〜わ〜〜〜っ!」

 あやせの声は途中で桐乃の大声での叫びにより掻き消された。

「とにかく、桐乃が存在する限り、この学園の腐食は止まりません」

「だから漫画と一緒に燃やすってのかよっ!」

 俺の妹は加奈子みたいに何度殺しても生き返る仕様とは違うんだぞっ!

「そうですよ。それが、わたしの信じる正しい世界のあり方です」

 あやせは言った。

 澄んだ、あまりにも澄み切ったその瞳で。

 チッ! 本当に去年のあの夏と同じ、いや、それ以上にヤバい瞳をしてやがる。

 考えてみれば去年妹とあやせが仲直りして以降、あやせは俺に100%の憎悪の瞳を何度も向けて来た。

 けれど、こんなにも澄み切ったように見えて病み切った瞳を向けたことはない。

 この1年でアイツはとても感情豊かになったんだ。

 そして、自分の考え方が果たして正しいのかずっと悩みながら答えを探すようになった。

 あやせは、自分だけの世界から抜け出すようになったんだ。

 なのに、今のコイツはまた、自分だけの価値観が全ての世界に逆戻りしちまっている。

 畜生っ! お前のこの1年は一体何だったんだよっ!

「そして2つ目。アタシはあやせの中から一番消し去りたかったものを消せなかった」

「桐乃があやせの中から一番消し去りたかったもの?」

 一体何の話をしているのかわからない。

「とにかくっ! バカ兄貴はさっさとあやせの催眠術を解いて頂戴っ! そうすれば、あやせのこの壊れた状態は元に治るわ」

「おうっ! わかった!」

 あやせが元に戻ればまた以前の様に罵ってくれるに違いない。

 そして妹も救うことができる。

 やっと、俺の成すべきことが見えたっ!

 

(完結編につづく)

 

 

 

説明
あやせたん三部作 その2


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あたしのルリ姉がこんなに可愛いわけがない
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そらのおとしもの二次創作作品
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ショートストーリー1
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ショートストーリー2nd
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