白銀の楼閣(前編)
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 東京メトロ日比谷線をわざわざ銀座駅で下車した。正木 峻(まさき しゅん)は銀座四丁目交差点改札を出ると、そのまま十二支の石造彫刻が並ぶ地下歩道を、東銀座まで歩いた。

 峻は、百八十センチの長身に、濃紺の英国高級注文紳士服と黒い革ジャケットを着こなし、都心の繁華街を迷うことなく颯爽と歩く姿は、頼もしい自信を漂わせているもののどこかかげりがあった。

 帝都大学工学部建築学科で首席を四年間とおし、大学院には進まずに赤坂一丁目にある帝国建設営業部設計室で、一級建築士として敏腕を振るい続けていたが、昨日、大きなつまずきがあった。

 それは、横浜市が市庁舎をみなとみらい地区へ移転させる計画を発表し、そのデザインを開港都市にふさわしく、一般に募ったのだった。

 峻もこの二年間、脳漿を絞る思いで今回の公募に応じ、横浜市の担当部署に心付けを欠かさず、また内外の誰からもこの計画ならば、と太鼓判を得ていた。

 しかし、いざ、蓋を開けてみれば、帝都大学で四年間ぴたりと学年二位につき、大学院へ進み、日の本建設の設計部次長にまで昇ったものの、今は中堅の設計事務所を営む山崎という男の作品が、峻を僅差で破ったのだった。

 峻の落胆は、自分自身でも思いもかけずに大きかった。

 横浜新市庁舎設計を花道に帝国建設を退職し、正木設計事務所を起業する腹づもりでいたのだったが、その自信を粉々にされた思いであった。

 独身をとおし、仕事一筋で人生を歩む山崎と張り合い、帝国建設を辞め、起業すれば気が済むのであろうが、四十歳の年にようやくに授かった一人娘がまだ小学六年生で、失敗は許されないのだった。

 家族が云々、というのも実は言い訳で、人生の大ばくちを打つのが怖い、というのが本音なのかも知れない……そもそも建築士を志したその基である築地本願寺に久し振りに足を運び、 自分の本心を確かめたい、というのが、平日の昼下がり、適当な用事をぶち上げ、職場を抜け出してきた理由だった。

 東銀座駅から地上に上がり、晴海通りを三原橋交差点に出、峻はそのまま築地方面へ進んだ。

 気のせいか、まだ十一月も下旬だというのに、都心の北風がこたえる。峻がふと空を見上げると、昨夜からの雨は未明でやんでいたが、どんよりと曇っている。このとき、六十半ばの和服に割烹着を重ねた女性が峻に声をかけてきた。

「あら、正木の若旦那。背広姿もよく似合うね」

 どうやら峻を双子の兄の敦(あつし)と人違いをしているらしい。峻は説明するのも面倒で、作り笑いを浮かべると、早足で行き違った。

 峻と敦の父は、寿司屋がひしめくように建ち並ぶ築地場外市場の中でも、際立って往来の激しいもんぜき通りに面して、猫の額ほどの立ち食い寿司屋で寿司職人を営んでいた。

 双子の息子たちのどちらかに家業を継がせようと考えていたらしく、隣町の明石町にある自宅で、折に触れ息子たちにそれらしいことを口にしていたところ、敦が高校卒業後は父に学ぶことに決めたのだった。

 対して峻は、双子とは二人揃ってようやくに一人前、正木の家のせがれたちは一山いくら、という隣近所の目どころか物言いが早くから気に食わず、出来るだけ兄とは別行動を取るように心がけていたことと、街のランドマークのごとくの存在となっている築地本願寺の建築様式に強く引きつけられていたこともあり、帝都大学で建築学を学び、建設施工会社では中の上といった帝国建設に入社し、約三十年、設計一筋に打ち込んできたのだった。

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 こうした弟に対し、兄の敦は私立高校の商業科で学んだ知識を生かし、自宅に使っていた古い木造の平屋の家屋を含めた周辺が、十階建のマンション用地に買い取られるや、一階部分のテナントに正木寿司を移転し、八階の一部屋を住まいとしたのだった。

 国道に面した明るい店は一層、流行り、住宅ローンを前倒しに返済してしまうと、再開発が進む築地町内の貸事務所やマンションの一階部分にテナントを借り、二号店、三号店と事業を拡大していったのだった。

 この陰には、築地で顔が利いた父の存在もあった。その父も七年前に肺炎であっけなく帰らぬ人となっていたが、もはや明らかに正木寿司は敦の代へと時代を譲っていた。

 もしも峻が帝国建設を辞め、正木設計事務所を起業して失敗したら、幼いときからわざと距離をおいてきた兄に頼らなくてはならなくなるかも知れない、自分が飢え死にしようと妻と娘には惨めな思いをさせられない……

 峻が奥歯を噛みしめ、拳を握りしめたとき、晴海通りと新大橋通りが交わる築地四丁目交差点に面した正木寿司三号店の前をとおっていた。

「おい、峻じゃないか。どうしたんだ、こんな昼日中に」

 偶然、店周りをしていた白衣姿の敦とばったりと会い、声をかけられた。峻は、胸の中をすっかり見透かされた思いになり、

「いや、この近くで打ち合わせがあって。また、近いうちに若い連中を連れてくるよ」

 しどろもどろに瓜二つの兄に答えると、逃げるように立ち去った。

 正木寿司は相変わらず、敦自身が築地市場で直に目にし、信用のおける仲介業者から仕入れた新鮮な素材を華やかでありながら、低価格で提供し、観光客は勿論、地元のサラリーマンやOLをがっちりと掴んでいる。

 兄の子として娘が二人いる。上の娘は既に嫁いでいたが、下の娘は神保町の出版社に勤め、ライトノベルの編集をしているらしい。

 峻の娘は来年の春にようやくに中学に進む。これからが金のかかる時期で、父としては正念場と言えた。

 峻は築地四丁目交差点を激しい雑踏とともに渡り、新大橋通りを左に折れると、すぐに広い境内をもつ築地本願寺がある。

 宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、大理石彫刻がふんだんに使われている築地本願寺の本堂は、日本人の目には見慣れない天竺様式とも古代インド仏教様式とも呼ばれる独特な建築であった。

 この正に白亜の殿堂と呼ぶにふさわしく、築地の顔と親しまれている存在感のある建物が、峻に早くから自立心をもたせ、設計の道へ入らせた所以となった。

 五十二歳にして原点を顧みるに当たり、今一度、この建築物に教えを乞う思いで、峻は境内に足を踏み入れた。

 

説明
皆さんお久しぶりです。本当は昨年の内に発表しようと思っていた作品なんですが、小市民の計画がうまくいくはずがありません。
今回は、一級建築士として腕を振るい続けてきた正木 峻(まさき しゅん)が、あるつまずきに出遭い、自分の原点となった築地本願寺を訪れますが……という作品です。是非、お楽しみ下さい。
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築地本願寺 天竺様式 古代インド仏教様式 築地場外市場 寿司職人 一級建築士 

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