越年旅行
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 除夜の鐘が遠い空に響いている。

 星たちの瞬きさえ凍りつく夜空の下、街路にはふたりの少女の影があった。一方が歩きながら星空を見上げ、つぶやく。

「二十三時五十二分」

 もう一方が形式的に自分の手首を見やり、つけている腕時計が遅れていないことを確かめた。またひとつ、鐘の音が夜風に乗って届いてくる。それにふたりの足音が重なる。

 街はいたく静かだった。もう夜も更けに更けた時刻とはいえ、大晦日だ。もう少しばかり活気が見られてもよさそうなものだったが、あいにくとここは京都の都会ではなく、東京の片田舎であった。

 この年の冬休み、秘封倶楽部のふたりは、年の瀬と新しい年明けとを、蓮子の実家で過ごし、迎えることにしていたのだ。そして今は宇佐見家の近所にある神社へと二年参りに向かっている。

「さっきも言ったけどさ、ほんとにちっちゃくて地味な神社だから。正月でもろくに参拝客がいないくらいの、ある意味で穴場と化してるようなの。だからがっかりしないでね」

「分かったってば。心配しなくても過度の期待は抱いてないわよ。ほんと、これっぽっちも期待してないから」

「そこまで安く見積もられるのも……」

 蓮子は複雑そうに苦笑すると、白いため息をこぼしながら、また空を見上げた。星空の片隅に浮かんでいる月へと目をやる。

「本音を言えば、あっちへ行きたかったわね」

 月面ツアーの本数と内容が充実しつつある昨今、月面で新年を迎えようというツアーも各旅行会社で用意されていたのだった。当然、蓮子ら普通の大学生ではとうてい手の出せない価格でではあったが。

「私らには東京くんだりまで来るのが精一杯よね、まだ」

「自分の地元を卑下するものじゃないわ。東京、いいじゃない」

 そう言いつつも、メリーもまた月を見上げていた。月面にはもう各社のツアー参加者が集っているのだろうか。向こうの時間はUTCに合わせているから、新年を迎えるまではまだ九時間ほどもあるけれど。

「こっちはひと足お先に新年を迎えたわよ、って月に向けて自慢でもすれば、少しは気も晴れるかもよ」

「うーん……なんか、どこまでもスケール小さいわね、私たち」

 蓮子は不満そうに唇を尖らせていたが、ふと何か閃いたらしき顔つきとなって、勢いよくメリーを向いた。

「そうだ、あれやりましょ」

「あれ?」

「零時になる瞬間にジャンプするの。そうしたら私たち、年が変わった瞬間、この地上にはいなかったことになるわ。それはある意味、地球上にいなかったようなものよ! それは月への第一歩とも言えるわ!」

「蓮子……あなた、いつの時代の小学生なの」

 メリーは心底あきれきったという風に、真顔でかぶりを振った。

「それが物理学の徒の発想?」

「なによ、これくらい茶目っ気ってものじゃない」

 相棒の辛辣な突っ込みを受けて、けれど蓮子にはさほど堪えた様子もなかった。メリーに笑いかけながら、「ほら、一緒に」と手をつなごうとさえする。どうやら高揚しているらしいと、メリーは不意に察した。

「しょうがないなあ」

 と、求めてきた手を結び返してやる。どうせ辺りに他の人影はなし、誰かに見咎められるでもないなら、確かにそれくらいの茶目っ気は楽しんでもいいかもしれない。

「ほら、あと三分ちょいよ。どうせなら神社で迎えたいわね、新年」

 嬉しそうな蓮子と、メリーは手袋の指を絡めて、足を速めた。神社の石段は、もう視界に入ってきている。

 短い階段を駆け上がり、頂点に達しようというところで星空を見上げた蓮子が叫んだ。

「今よ、メリー、飛んで!」

 ふたりは夜空を仰ぎながら、最後の一段を飛び越えるようにして、大きく跳ねた。

 

 ぐるんと、頭上の星たちがひっくり返った。

 

 石段のてっぺんに着地して、ふたりは神社の境内を正面にしていた。朱塗りの大きな鳥居の向こうへと参道が伸びて、突き当たりの拝殿に火の入った提灯が掲げられている。参拝客の類はふたりの他に一切おらず、ただ巫女らしき紅白装束の少女がひとり、賽銭箱の前にぼんやりとした顔つきで座っていた。

 蓮子のいってたとおり、さびれた神社だなとメリーは遠慮のない感想を抱いた。けれど、なんだろう、どことなく既視感のある、境内の光景でもあった。

「あれ?」

 と、メリーの隣では蓮子が首をかしげている。訝るような眼差しをまた夜空へと投げて、そして「あれ」と裏返った声を上げた。

 それで巫女の少女がこちらに気づいた。メリーと視線が合い、びっくりしたように目を丸めている。その表情が徐々に嬉しそうなものへとほころびはじめて、

「メリー、ここは違う」

 蓮子の鋭い声に、はっと目が覚めるのにも似た感覚を覚えた。途端、目の前の像が、鳥居の向こうに広がる境内と巫女の少女の影がぼやけたようになる。強い風が一陣吹き込んできて、それに一瞬まぶたを閉じてしまい、すると再び開いた目に映る世界は、少しばかりの変化を帯びていた。

 鳥居の向こうの境内はより狭く、拝殿はより小さくなり、そしてそこには巫女を含む誰の姿もなかった。提灯の代わりに小さな街灯が、石畳の上に白い光を落としていた。

「今のは……」

「きっと、結界の向こうの光景ね」

 なんのはずみか、ふたりはほんの一瞬、結界を越えていたらしい。あの最後の石段を飛んだ瞬間、一年の境界をまたいだ、まさにそのときに。

 驚愕覚めやらぬ顔を見合わせて、それからふたりはこらえきれず笑い出した。なんとも出来た話ではないか、年の境界と世界の境界を同時にまたいでいたとは。

 笑いすぎて目に浮かんだ涙を、メリーは手袋のままの指でぬぐう。

「でも蓮子の望みどおりにはなったわね」

「なにが?」

「新年を迎えた瞬間、私たちは確かに、こっちの地上にはいなかったのよ」

「そっか……そうね!」

 月に近い位置で迎えられたわけじゃないけれど、でも結界の向こう側なら、そっちの方がふたりには、より価値のあるものだったかもしれない。

「あー、でも惜しいことしたわね。実感を持つ暇もなく、またこっちへ戻ってきちゃうなんて」

「ほんとね。まあ、神様かなにかの気まぐれってことかしら。思わぬお年玉だったわね。それはさておき、蓮子」

 世界の境界は、越えても、また戻ってこられる。でも年の、時間の境界は、過ぎ去ってしまえば二度と引き返せない。だから、

「あけましておめでとう」

「ええ、おめでとう、メリー。今年もよろしくね」

 こうやって新たな気持ちで、またふたり、前へと歩き出そう。

 

 

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お題「秘封・正月」。爆発はしません。
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